●10 小説家≠名探偵
「――テツくんっ!」
駆け寄ってきた陽菜の姿を見て哲太は無意識に安堵した。
陽菜の元へと戻れたことが、哲太にとっては都市伝説なんていう非日常から戻ってきた証なのだから。
全てが終わり、せっかくだからと校内を見学してから帰ると言って小春と別れたのはついさっきのこと。元々ノリ気ではなかったとはいえ、相変わらず終わった出来事に対する興味は薄いらしい。
合流した陽菜から聞いたところに寄ると、あの後少し大変な目に遭っていたらしい。
小春同様に窓から落ちる千葉の姿を目撃した生徒や教師が部室に駆け込んでくると、恐怖に震える男二人とぴんしゃんした陽菜がいる。オカルト研究会の素行の悪さは有名であったため痴情のもつれではないかというあらぬ疑いをかけられたのだとか何とか。
「もうこれはそれなりの報酬を要求してもいいよね。わたしの名誉が傷つけられそうだったわけだし!」
「昼飯一回」
「学食はなしで。それと欲しい本が今日発売だからそれも買って」
ええー、と哲太は嫌そうに顔を顰める。
量が多くてそこそこ美味い。何より安いということで学食を贔屓にしている哲太としては学食以外での昼飯など考えられない。それに本一冊というのもクセモノだ。それくらいならいいかと安請け合いすると、一冊一万以上する高価な本を買わさかねない。簡単に頷くことなどできるはずがない。
「ほう、それくらいの甲斐性もないと。……ケチ」
ぐぅの音も出なかった。せめてもうちょっと負けて貰えないかと唸り声をあげて考えるがどうにもできず、嫌々ながらも了承することしかできなかったのだった。
「で、テツくんの方は解決したわけ?」
「……まあな。一度出回っちまったチェーンメールは取り消せないけど、本人も事の重大さを知って懲りただろうしな」
実現した死神を前にしたのだ。
これ以上、都市伝説を作ろうなどとは思わないだろう。
「結局、一番の被害者はあの子なんだよな。どうして自殺したのかは分からないけど、勝手に名前を使われてさ」
そして、怨霊一歩手前まで言ったのだ。
今はただ、安らかに彼女が眠れることを祈るのみである。
そう口にしてから哲太は気がついた。隣にいる陽菜が、まるで信じられないようなものを見るような目でこちらを見ていることを。
「……テツくん、それ、本気で言ってる?」
「お、おう……?」
陽菜の剣幕に哲太はたじろぎながら頷いた。
どうして陽菜は怒っているのだろうか。
「死んだ人のことを悪く言いたくないけど……五十島こころはそんな殊勝な女じゃない」
一瞬、困惑した。目の前には顔に軽蔑を隠し切れていない陽菜がいる。
陽菜が他人を悪く言うことは少なく、ましてや感情をむき出しにすることはほとんどない。なのに、どうして今、そんな反応をするのだろうか。
哲太の困惑が伝わったのか、陽菜は長く息を吐き自分を落ち着かせてから続ける。
「前にも言ったけど、わたしさ、五十島さんと高校一緒だったんだ。学年が違うから接点なんかなかったけど、五十島さんは目立つからどんな人かは知ってたよ。一言で言うなら――悪女だよ」
「悪女ってお前、言い方……」
「酷くないから、その通りなんだから。五十島さんは男子ウケがいいから高校自体からいろんな男の子と付き合ってたよ、それも同時進行で。飽きっぽいのか取っ替え引っ替えで、大学に入ってからもそれは変わらなかった。輪をかけて酷くなったらしいけど、そこまでは知らない興味ない。わたしが知ってるのは、この大学で五十島さんが夢中になった男がいたってことだけ」
「それが、河野だって言うのか?」
うん、と陽菜は頷く。悪名高いオカルト研究会に所属しながら浮いた話が一つもない河野の存在はある意味有名だったのだと言う。
「ちゃんとレポートに書いておいたのに、本当に読んでないんだ。ご家族が公表していないけど、五十島さんは死ぬ前にある書き置きを残している。それは――……」
続く言葉を聞いた瞬間、哲太は走り出していた。
こと調べるということに関しては陽菜は天才だ。陽菜がその気になれば真実さえ調べ上げる。そんな陽菜が書いたレポートを哲太は読まなかったが、小春は読んだ。小春のことだ、細部まで読み込んだに決まっている。
真実を知っておきながら、あいつは真実を語らなかったのだ――。
「結城っ!」
小春は校門の近くで捕まった。
まるで哲太が来ることを分かっていたかのように小春の顔に驚きはない。下校する学生たちが制服姿の少女と大男のアンバランスな組み合わせを遠巻きにしながら歩いて行く。
「どうしたその顔、まるで信じきっていた親にでも裏切られたかのような顔して」
「……誰が親だよ。お前、さっきのはどういうつもりだ?」
「さて、何のことかな?」
とぼけるなっ、と口にした声が思った以上に大声になり哲太自身驚いた。
その困惑と怒りが入り交じったかのようにな哲太の表情を見て小春は困ったように笑った。
「大方、幼馴染みさんにバラされたってとこか。まあ、気づくわな。かなり美化したわけだし」
「言葉で誤魔化すな。俺が知りたいのは――真実だ」
「真実? 私が知ってるのは事実だけだけど、それでよければ話そうじゃないか」
怜利な瞳が愉しげに緩む。
「さて、何から語ろうか? やっぱりこの物語の主役からだね。五十島こころについて語ろう」
さも今思いついたかのような物言い。
その芝居がかった態度が哲太は嫌いだった。
こんな小春を見る度に、小春にとっては現実も物語と同じだと思い知らされる。ただ語るだけ。それが面白おかしければなお良い。
「お前に彼女の何を知ってるって言うんだ? 生きてる彼女に会ったこともないくせに」
「それを言うなら哲太もでしょうが。でも、少なくと哲太よりは知ってるよ。私が即興で語った五十島こころのキャラを信じちゃうような哲太よりはね」
それに、とこめかみの辺りをトントンと指で軽くノックする。
「哲太の幼馴染みさんは優秀だよ、あのレポートは完璧だった。事実だけが淡々と調べ上げられていて、哲太が望む真実だけを知りたいのならあれを読むことをオススメする。まぁ、あれが全部嘘だと言うなら話は変わるわけだけど――」
「陽菜は嘘をつかない」
「力説どーも。なら、前提事項にこれ以上のケチはないな。では、始めよう。事実に推測を交えた真実らしいこと」
小春の言ったとおり、哲太は五十島こころについて何も知らない。知っているのはその死に様だけだ。小春が事実を話すと言うならば、そこに嘘はないのだろうと信じられる。
哲太が頷くと、満足そうに微笑んだ小春は五十島こころについて話始めた。
「五十島こころ。どこか浮世離れしたところのあった彼女だが、実際のところ超お嬢様である。元々、五十島家は自動車産業で成功した家系であり彼女は五人兄妹の末っ子だ。一番歳の近い兄とも一回り離れていることから家族一同より蝶よ花よと愛されて育つ。品行方正、何一つ問題がない完全な優等生だった」
だが、と小春は微笑む。
意地の悪い笑みだった。そんなはずがない、と確信してその通りだったことを心から喜ぶように。
「彼女は満たされていた。――いや、満たされたすぎていたんだ。当然すぎて飽きてしまうほどにね」
「なんでそう言い切れる?」
「彼女の行動を見た結果だよ。高校時代から、推測を交えるならおそらくその前から、彼女の交流関係は幅広く節操がない。分かりやすい事例を挙げるなら、恋人として付き合った人の数は両手を軽く超える」
「……だからと言って、俺たち他人がどうこう言えることじゃないだろ。そういう人もいる」
「確かに、哲太のように未だ恋人いない歴更新中の男もいる」
「そこに触れるな、二度と触れるな。次言ったら容赦なく泣くからな」
はいはい、とおざなりな返事。本気にしていないようだが、次言ったら本気で泣いてやろうと心に決める。いい年した大人が高校生に泣かされているという絵面に巻き込んでやる。
「可愛くて性格が良く、何よりお金持ち。そんな彼女には良くも悪くも人が集まるわけだけど、それを当然と受け入れてなにかと遊んでいたわけだ。好きだと告白されれば誰とでも付き合い、飽きれば別れる。気があるフリをして近づき、攻略できたらお終いなんて遊びがお気に入りだったみたいだね」
ちらりと小春が窺うように視線を向けてくる。それに哲太は仏頂面で返した。その趣味について個人的な意見はある。だが、そんなことは言っても詮無きことだ。
続けろ、と無言で先を促す。
「そんな五十島こころが河野圭吾に目をつけたのは、自分に一切興味を持たなかったからだ。先程ご覧いただいたように、河野圭吾の意識は全て都市伝説を作ることに向けられていた。一向に振り向かない河野の存在は屈辱だっただろうね。そして、その執着は嫌悪から好意に変わっていったのだろう」
「嫌いだったのに、好きになったのか?」
「大雑把に言えば。満たされるから飽きてしまう彼女にとって、河野は思い通りにならない稀有な人だった。どうしても振り向いてほしいと願ってしまうほど」
「その結果、一世一代の告白に失敗した彼女は絶望して自殺してしまったのか…」
どんな理由であれ、自殺という行為は辛い。自ら死を選ぶという決断もそこまで追い詰められたという状況が、辛くてたまらない。どうにか気づいてあげることは出来なかったのだろうか。あの日、自分があと一時間早く大学についていたなら――。そんな意味のないことを考えてしまう。
「言っとくけど、その感傷には意味がない。五十島こころはそんな殊勝な女じゃない」
小春のそれは、奇しくも陽奈と同じ意見だった。
二人とも絶対の確信を持って告げてくる。
「フラレたショックで自殺したんならまだ可愛いげがある。彼女はね、きっとこう思ったんだ」
噛みしめるように目を閉じ、小春は言う。
「――ああ、やっぱり。この人は私のものにならない」
それは嘆きの言葉であるはずだ。
なのにどうして、小春は嬉しそうに微笑んで告げるのだろうか。
「事実、五十島こころは歓喜したんだよ。手に入らない男が手に入らないままだったからだ。そうでなければ意味がない。ここで告白を受けるようなら攻略完了ってことでこんな結果は免れたのにね」
――ああ、くそ。
大袈裟に嘆いてみせる小春に哲太はどうしようもなく不安な気持ちになった。
活き活きと語る小春はまるで舞台役者のよう。大仰な身振り手振り、芝居がかった物言い、その全てが哲太を不安にさせる。小春の目はその言葉は、確かに哲太に向けられていたものであるはずなのに――哲太を通り越して他の誰かに向けられているような嫌な錯覚に陥るのだ。
そんなことあるはずがないのに。
「……それなら、どうして自殺なんかに繋がるんだ? 喜んだなら――絶望してないんなら、自殺しないだろ」
「絶望だけが自殺の理由になるわけじゃないよ。歓喜したから自殺したんだ。だって、例え赤の他人でも自分の目の前で死なれたりしたら一生記憶に残る」
それは、と小春は片目を閉じて意地悪げに笑う。
「哲太がよーく分かってるでしょ?」
脳内にフラッシュバックする人が死ぬ瞬間。
そして、陽菜から告げられた五十島こころが書き残したという言葉――『一生忘れられないようにしてやる』が繋がった。
一気に込み上げてくる吐き気を胸を叩いて無理矢理飲み込む。哲太の反応は小春の想像した通りのモノだったのか満足げに頷く。
「つまり、そういうこと。自殺したのは記憶に刻みつけるため。目の前で自殺することによって五十島こころは河野圭吾に自分という存在を刻みつけたんだ」
「そんな、ことのために……死んだって言うのか?」
「そんなことのため? 記憶に刻みつけるというのは一生忘れられないってことだ。彼女にとっては命を懸けるに値したんだよ」
そんなこと、と口にしたが哲太は続きを言うことができない。
あるはずがない。そう信じたいのに、ここまで聞いた五十島こころの人物像を思うと、否定できなくなっていた。
気がつけば、縋るように言葉が漏れる。
「なら、あの屋上でお前が話したのはなんだったんだよ? あの時の彼女の言葉は、いったいなんだったんだ!」
「リクエストにお応えしたつもりだったんだけどな」
「は?」
「だから、あの時哲太が言ったでしょ? ハッピーエンドにしろって。哲太の好きな真実を語ればハッピーエンドになったとでも?」
無理だよ、と小春は言う。
真実はどうしようもない。完全に詰んでいる。だから、適当にでっち上げることにしたのだ、と。それは即興のハッピーエンドだ。
「……じゃ、じゃあ、あれは全部嘘だったのか! 彼女の最後の言葉も、笑ってくれた顔すらも」
「嘘じゃない。でもあれば死神様となっていた彼女のものであって、五十島こころ本人のものじゃない。本人だったら、自分の影に怯える河野圭吾を見て喜んでるんじゃないかな」
テメェ、と哲太は小春の胸倉を掴んでいた。
軽い身体は簡単に持ち上がる。哲太の怒号と形相は見た者を恐怖心を植えつけるほど怒りに満ちていたが、小春はそれを真っ正面から受け止めても全く動じない。
その冷静さがさらに腹立たしい。
「哲太さ、まだ私のこと探偵か何かだと勘違いしてない?」
違うよ、と小春はきっぱり否定した。
小春は何度でも哲太の思い込みを否定する。それが哲太の期待を裏切る行為であったとしても構わない。
「私は真実というものに意味があるとは思ってない。例えそれが作り話だって受け取る人が信じてくれるなら、それは本物と同じくら価値のあるものだと思うから」
「現実とお前の妄想を一緒にすんなっ、お前は嘘で人を救っているつもりかよ!」
「まさか、とんでもない! けど、真実を伝えてお終いでなら私を呼ぶなよ。そんな面白くないこと、私が許せるわけない」
ぺし、と胸倉を掴む哲太を手を軽く叩く。
そして皺になった制服を正してから小春は胸を張って言う。
「――だって、私は小説家なのだぜ」




