●9 ストーリーセラー(上)
屋上まで駆け上がってきた哲太の目に飛び込んで来たのは小春と河野の姿だった。
哲太は小春が対峙していることで発信者Xが河野であることを察するが、脳が酸素を欲していてこれ以上は頭が回らない。ぜいぜいと肩で息をしながらも、どうなってやがる?と途切れ途切れの声で小春に問いかける。
「ちょうど解決編に突入するところだよ。いいタイミングだ、さっすが主人公」
「……だか、ら、その……言い方っ!」
「はいはい、苦情は後でね。これから感動の再会シーンだ」
何のことだ、と小春に問いかける前に哲太は異変に気づいた。
さっきまでずっと耳元に纏わりついていた息づかいが消えている。哲太の命を狙い、死ぬまで離れないだろうと思われた死神の影が消えていたのだ。
それと同時に、哲太の影が長く伸びていくのが分かった。
光の加減、太陽の向き。そんなものでは説明できないほどに異様に影は伸びていき、河野の元へと向かっていく。標的を哲太から河野へと変えたのだ。
「これが君のいう役者かい? デカい図体してるくせにあんなメール一つでビビっているような――」
「おい、逃げろっ!」
叫ぶ。必死に叫んでいた。
そんな哲太とは反対に小春は冷静に状況を理解していた。
「無理だよ。もう遅い」
影から現われた闇が河野の眼前に姿を現す。
河野は驚愕して咄嗟に後退ろうとしたが、しかし足が上手く動かずに尻餅をついた。
「な……っ、なんだよっ、なんなんだよこれ!?」
「何って死神様でしょ。あなたが作ったね」
黒い闇は徐々に人へと形を変えていき、その手に黒い大きな鎌が握られる。フードの中の顔も真っ黒で表情など分からないが、ボウッと灯った死神の目が誰を見ているのかということは分かった。
河野だ。恐怖し目の前の現実を拒絶して震える彼だけを見つめている。
『せぇん、ぱい……』
さっきまで哲太の耳にこびりついていた声がする。
自分はその目で見られていないにも関わらず、哲太は身体を蝕む恐怖で指一本すらまともに動かせそうにない。今この場で平然としているのは小春だけだった。それが信じられなくて視線だけ向けると、むすっとした顔で小春は不服そうに言う。
「私はチェーンメールをもらってないからかな、そこにいる何かが見えないんだよ。なんか損した気分だな-」
「な、に……悠長なこと、言ってやがる。お前、本当にあれが見えないのか?」
「見えないし分からない。けど、想像はつくよ。死神様メールなんだから、死神の姿をした何かでもいるんでしょ? 一般的な死神のイメージ――黒いローブに大鎌持った存在が、五十島こころさんが復讐したいと思ったであろう人物を探してる。……ああ、普通に考えて恨まれるような人、ここにいますもんね」
メールに書かれていた復讐したい相手は河野だと小春は言う。自ら作った都市伝説に五十島こころの自殺を組み込み、ありもしない恨みを付け加えてチェーンメールで流すことで河野は死神様メールを都市伝説として完成させようとした。
しかし、架空であろうとも死神には願いが捧げられている。実現した死神が標的とする相手――今この場で該当するのは河野だけなのである。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だあああ――っ!」
『せんぱぁい、せんぱい、せぇんぱあいいいいっ!』
河野の絶叫に呼応して死神も声を荒げる。
そしてゆっくりと持ち上げられていく大鎌を見て哲太は最悪を想像する。その鎌が振り落とされた時どうなる? そんなものは決まっている。復讐の願いを叶えるため、河野はこころと同じ目――墜落死へと導かれる。
「おいっ、どうにかしろよ結城っ!」
「どうにもできない。死神様を作ったのはあの人なんだから、命がけで書き上げてもらうしかない」
「このまま死ねって言うのか?」
「助かりたいなら続きを書けって言ってんの! 聞いてた河野圭吾っ、この物語の作者はあなたなんだから死ぬ気で続きを考えて!」
ふるふると河野は首を横に振る。
恐怖に身体をガクガクと震わせて、その口からは悲鳴のような声をあげることしができない。
「知らな……っ、俺はこんなの、しらな――っ!」
無理だ。もう恐怖でまともな思考などできやしない。
河野の目から流れている涙は留まることはなく、ジーンズにできた染みにも気づいていない。
そうだよな、信じられるわけないよな。俺だって、初めての時は信じられなかったさ。
都市伝説が実現するなんてこと、哲太だって何度か遭遇してやっと受け入れられるようになったのだ。いきなり信じろという方が難しい。
「いいから考えて! 死神様を完成させる、それだけがこの場を乗り切れる方法だから!」
「どういうことだ、俺にも分かるように説明しろっ!」
「形しか作られていないから死神様の噂は不安定なんだ。だから、続きを語る。結末を決めればそっちに流れるの!」
「し、らない。ホント、に……俺は、ただ、都市伝説を作りたかっただけで、続きなんて、結末なんて、考えてないんだよぉっ!」
喚くばかりでこちらの話を聞こうとしない河野に小春は思わず舌打ちをした。小春は舌打ちという行為自体を嫌っているので完全な無意識だったのだろう。死神が見えない以上小春にできることはなく、このままでは迎えることになる最悪に焦っていた。
何とか次の策を考えようにも、こうしている今も河野に振り下ろされる鎌はギロチンの刃よろしくゆっくりと上がっていく。
もう無理だ、待てない。
恐怖に歪んだ河野の顔も。せんぱいせんぱい、と必死に呼び続ける死神の姿も。もう見ていられない聞きたくない。哲太が耐えられないのだ。
哲太だって怖くて膝が震えている。息をするのだって難しいくらいだ。けれども、このまま何もしないなんてことだけは絶対に嫌だと心が叫んでいる。
「――なら、続きはお前が書け」




