第4章 魔神と天使
第4章 揺れる限界 5月31日 現地時間1042
「司令、偵察隊より報告。緑弾三つ確認しました。」
海神の艦橋で、副官板垣より報告を受けた戦隊司令上坂中将は、4月早々、前任の立花に代えて戦隊司令に任命された。作戦実施の直前という時期であり、明らかに異常であった。一方、作戦には史上空前の20機という戦神機を投入することが決定しており、市ヶ谷の大本営としては成功間違いなしと見込んでいる。
もともと本作戦を立案したのは大本営にいた頃の上坂という噂がある。が、戦隊司令立花がその作戦に異論を唱え、修正を加えた。功を奪われると思った上坂が、同僚らと語らって自分が司令に成り代わった、というのが戦隊中枢部の根強いウワサだ。
本来あり得ない、で終わる話であるが、終われないのが現在の皇島国軍の実情であろう。
「これより第一潜水戦隊は、クロス海峡への侵入を開始する。全艦、発進。」
「全艦、発進。進路そのまま。ヨーソロォ!」
戦隊司令の命令を復唱し、艦長の藤波は艦橋で動く部下の動きを見つめ、練度を測っている。心中の不満はおくびにも出さないが、戦神機小隊同士の連携がうまくいかなかったのは、味方司令部の手落ちであろうと思っている。
藤波は目も体も極めて細い40代の中佐である。その目を一層細めて副長に問う。
「先ほど収容した乙二機の操縦者はどうなった?」
「は。城嶋少尉は右腕右足を負傷、機体の損傷は軽微です。が、暮内少尉は重体です。機体も大破しています。」
「他の2機は絶望、か。」
「隊長機の鮫島大尉、乙風の流川少尉、ともに、残念ながら。」
藤波も副長も暗い表情を隠せなかった。皇島国軍の誇る戦神機、しかも最新鋭の凱号がかくも破壊されるとは。陸軍からの出向兵にド新兵ども!九八小隊も疲労大・・・使えん。
「待ってください!壱甲の回収は?搭乗者は絶望ですか?」
敷島技術大尉がかみついてきた。凱号が最初に実戦投入されるので神威省の開発部がわざわざ出向してきた。いかに新鋭機でも保護者同伴とは異例にもほどがあると藤波は思う。箱入り兵器などお蔵入りで十分だ。そんなに不安なら実戦に投入するな。今回の損害も機体の欠陥ではないか、とすら考えだした。
険しい表情を浮かべた艦長に代わり、副長が答える。
「高度4万にて爆散。ただし、直前に神藤機が接触した、と電探士が報告しています。ひょっとしたら神藤少尉が救助しているかもしれません。」
一瞬安心した敷島に、嫌がらせのように藤波が言う。
「副長。甘い希望を持たせるな。神藤機は、その後空中戦で敵戦隊を殲滅し、地上施設を超音速低空飛行で蹂躙破壊したというじゃないか。狭い操縦席に大の大人を搭乗させて、そんなことができるかね。」
副長は複雑な表情を浮かべ、敷島に無言で頭を下げた。しかし敷島は、考え込んでいる。
「神藤機は零式です。」
「はあ。」
「だから・・・可能です。無線で救出者の有無を確認してもらえますか?」
敷島は勢い込んで副長に懇願した。まだ30前のせいか、世間知らずなのか、行動が性急だ。藤波は眉をしかめる。そもそも零式なら何が可能なのだ?
「敷島くん。今は作戦行動で無線封鎖中だ。後にして、いや、特機の開発の方は艦橋から出て行ってくれたまえ。」
いよいよ藤波は露骨に敷島を追い出しにかかった。
が、その暇もなくなった。電探士が叫ぶ。
「艦長、神藤機の動きが異常です。まるで空中戦をしているようですが、周囲に敵影を認められせん。」
「アメリゴお得意の隠密機ではないのか?」
「しかし、この最新型探査機で索敵範囲をここまで限定しても全く反応がないということは、少々・・・。」
少し前に戻る。信号弾を発射し、一息ついていた洋一郎だが、突如身震いし、周囲の警戒を始めた。
「少尉?」
副操縦席の園香が、洋一郎の様子に気づいて声をかける。
「ん、なんか、変な気がして。まだ敵地だし警戒は・・・・」
言いかけているところに園香がかぶせて叫ぶ。
「七時方向から何か来ます!索敵不能です。」
慌てた声に反応し、機体が回避運動に入る。・・・?
「え?索敵不能?なにそれ?」
つい素に戻ってしまう洋一郎である。それでも手足は訓練通りに動き、機体を操る。
「・・・電探に反応は皆無です。」
洋一郎の軍人らしからぬ口調を詰問したくなった園香だが、まずは自重した。
「ですが、私の知覚力で感知しました。・・・勘というか、霊力の一種です。」
「・・・すごいな、君は。」
指定された方位に機体を正対させ、上昇させる。その合間に非常席、いやもう完全に副操縦席として座っている少女に話しかける。
「いえ、少尉が先に警戒したからです。・・・本機より大きいと感じます。高速で接近中。」
「電探は役に立たんか。管制よろしく。勘でいい。」
「了解。零式も知覚力と火器管制の連動ができます。任せてください。・・・よろしければ温存していた 携帯式噴進弾を装備してください。20mmでは歯が立たないかもしれません。」
「相手は、空飛ぶ戦艦か?了解だ。」
未知の敵。本来なら緊張やら不安やらで堅くなるところだが、後ろに話し相手がいると、ちょっといいな。年下だが、意外に頼りになる。いつの間にか、余計なことを考え込む悪癖も減ったようだ。不謹慎にも口元が緩む。機体の運動性が微妙になるが、洋一郎は迷わず園香の進言に従い零式の左腕に九七式噴進弾発射機を装備した。
「敵機、発見。正面、やや下。少尉、目視できますか?」
園香は遠くに敵を見つけたが、電探に全く映らない謎の敵を、知覚力のない洋一郎が視認できるか、不安になった。視認できなければ戦闘は困難だ。それを確認しようと聞いたのだが、自分の知覚力を自慢しているようで洋一郎を怒らせたのではないかと思った。鮫島には弾道を補正したら「俺をバカにするのか?」と怒鳴られたのだ。
確かに洋一郎には、自分の霊力に強い劣等感があったものの、今は素直に年下の戦友の存在を頼もしく思っていた。だから
「今、光った・・・。お気遣いありがとう。高度もっと上げるぞ。」
「はいっ。」
と、素直にやり取りできる。園香は、安心して戦闘の補佐に集中することにした。が・・・。
「あれ、何ですか?」
「何だろう?いや・・・光が強くて、俺には実態が見えない。」
敵の姿を見ることができる距離になったが、園香は見たことでむしろ混乱した。
「生き物?翼をもった人?」
「敵じゃなきゃいいな。生き物は殺したくない。」
洋一郎には、やはりはっきりとは見えないようだ。
「・・・皇島国軍人としてはどうかと思いますけど、気持ちはわかります。」
あんなのが自然な生物なら、この大陸に人の社会は存続不可能。・・・わかって言ってるのだろうか?園香は、あきれた。やはり「借り物」か?
再びニューヨーク。
「自慢した割には、エンジェルとは、通俗的だな。」
70代の老人がパネルを見てつぶやく。
「やはりそう思いますよね。いかにもです。」
20代の青年も相槌を打つ。
「同じ神聖生物でも、絶滅した北アメリゴ先住民にも固有種の伝説があっただろうに。」
「なんの。彼ら夷島人にとっては十分に衝撃的だよ。何しろ戦争を始めて100年以上たっても、未だにエンパウロやアメリゴの文化を遮断している鎖国国家だ。インターネットもない。エンジェルすら知らないさ。だったら一番驚く初対面で出すべきだろう。・・・二度目はないがね。」
ラスプーチンと名乗った男は、いきいきと自分の作品を自慢しだした。
「実のところ、あれはデモンをこちらの技術で作り直したものだ。ZEROの火力では到底あのパングラフォン合金を破れないね。そして運動性はデモンにも負けない。PSYSICはないから、いろいろ工夫はしたが。」
「パングラフォン?あれは地球では作れない素材です。協定違反がばれますよ。」
「いや、地球上の物質で製造は可能だ。我々なら、な。それよりデモンに対抗してアメリゴに供与するのかね?」
「いやいや、あれは原住民の心の声が作り出した、観念上の生物の実体化という設定だよ。・・・とりあえずは兵器じゃない、今はとりあえず、ね。」
「観念の実体化ができたとして、アレには結びつかないだろう?」
「そこまで熱心に調べないよ。過去の例から見ても、明らかに既存の現象や科学技術とかけ離れたものでない限り、協定違反が確定したことはない。今までが慎重すぎた。・・・むしろデモンの方が先に協定違反でひっかかるべきだね。全く。」
「光で照準がうまくつけられない。」
距離感がつかめない洋一郎は、なかなか正確な射撃ができずにいた。彼には対象がぼんやりとした光体にしか見えないのだ。それでも、感覚で20mm機関砲を連射し、直撃も皆無ではないはずだが・・・。
「確かに20mmじゃまるでダメだ。」
襲ってきた敵の攻撃をかいくぐり、ほとんど接触する距離で放った連射も効かなかった。しかも、その接近がたたったか、左の爪らしいものに引き裂かれそうになった。回避、後退。上昇。立て続けに機体を動かし、一度距離をとる。更に回避する。
「そこ!」
人であれば頭部と思われる場所に、連射する。数発が直撃したと思うが、影響はないようだ。
「ち。」
そこに副操縦席からの指示で映像盤に攻撃の印。
「照準補正、固定。」
「いい管制だ。」
火器管制の電探も効かない中、噴進弾で狙撃をする上で、敵への照準固定は園香の知覚力頼みだ。しかも瞬時にこっちの意図を読んでくれる。ほぼ時間の遅れはない。息にあった連携である。再び接近。20mmが直撃した部分に、今度は左腕の噴進弾を撃つ。見事命中し、爆発するが・・・。
「これでもダメか。」
確かに直撃したが、動きに大きな変化がない。
「ヤツは不死身か?武内閣下なみだな。」
「不敬です。神皇陛下と関白閣下、武内閣下が不老不死なのは歴史的事実です。」
「すまん。見逃してくれ。ち。ヤバイ!」
バカなやり取りをしている間に、敵の右に物騒な気が集まっている。やや遅れて零式の障壁が鈍く光る。光線か?機体に衝撃が走り左腕を持っていかれた。障壁を貫通したのだ。洋一郎は落下を始めた九七式発射機から急速に離れ、誘爆を避ける。そのまま後ろに回る。残念だが推進機関も見えない。どうやって飛んでいるのか?まさか重力制御?急速後退。次は背中の翼らしいものから小さな気配が四つ、ち。回避。
「今、背中の羽が飛んできました。見えたんですか?」
「いや、何となく感じただけだ。」
右手に長槍、両目から光線。両腕に爪、翼から羽。園香には見えているが、洋一郎は感じるだけだ。それでも直撃をさけている洋一郎を、園香はすごいと思っているが、洋一郎は操縦、代わってもらった方がいいかな、と弱気になっている。
しかし打つ手がない。むしろ、追い詰められている。撤退すべきか?他の皇島国軍人と違い、洋一郎は撤退を否定しない。が、もう作戦が次の段階に入り、本隊が近づいている中、制空権を失うことは作戦の失敗を意味する。友軍の小隊は以前所在不明。海神型潜水空母の専用戦闘機、青嵐改では、いや、どんな戦闘機でも到底かないそうもないこの敵を残しては、撤退すらできない。汗が額から流れ落ちた。なんて兵器だ。アメリゴにここまでの新兵器があったのか?自分がさがれば、本隊はコイツにやられるに違いない。
洋一郎は、玉砕を覚悟して自嘲した。模範的な皇島国軍人にほど遠い自分が、玉砕覚悟とは、世も末だ。出征前にあれほど戦いの意義やらを疑問視していても、いざ戦争に加われば、やめられない。退けない。仲間の犠牲が何より恐ろしい。
戦争が終わらない、その理由の一つを、洋一郎は実感してしまった。
無意識のつぶやきがもれる。
「母様・・・すみません。」
脳裏に美しく若々しい美津姫の顔が浮かぶ。これからやろうとすることは、みんなを守ることになるのだろうか?百合華、百合菜、ナン、つばきさん・・・戦場で忘れようとしていた大事な人たち。ついに我慢できず、しまっていた写真を見つめる。ホント、あいつのお願いを聞くと、毎度ろくなことになんないな・・・。洋一郎はふっと笑った。
「え、少尉?何か言いました?」
洋一郎は覚悟を決め、深く息を吐き出す。が、この子をつれてはいけない。
「園香くん、副操縦席には降下翼はあるのか?なければこっちのを使う。」
「ありませんけど。でも・・・まさか?」
園香は思い当る。
「・・・ダメです。私だけ逃げられません。死ぬときは一緒です。戦友、そう誓ったじゃないですか。」
少尉は一人で死ぬ気だ。なぜか園香の声が一瞬詰まった。胸の奥が痛む。零式に乗ってからの数十分は、腹も立ったが、楽しかった。自分が役立ったことをこれほど誇らしく感じたこともない。さっきの射撃管制も、少尉との連携が決まって、苦戦中なのに爽快だった。自分の急な変化に、園香は混乱し確認かすかに首を振る。
園香の様子を補助映像盤で見て、洋一郎は戸惑った。しかし、妥協できない。
「戦友クン、いや園香くん。さっきとは違う。俺ごときじゃ、あの敵には勝てないようだ。だが、ヤツを引きつけることは出来る。」
説得しながらも戦闘を続ける。右右上と連続して機体を回避、移動。飛翔した羽を避ける。
「幸い、ヤツは零式にぞっこんだ。こいつでひきつけて本隊の進路から引き離せば、作戦はうまくいくかもしれない。」
左急降下。三度頭部らしい場所を狙って20mm連射。はじかれた。ち。一度距離を大きくとる。これほどの絶望的な戦況の中で、洋一郎の判断力や空戦技術は抵抗を続けさせる。
「俺は森林戦に持ち込んで時間を稼ぎながら、ヤツを倒す機会を狙う。まだあきらめたわけじゃないぞ。 ただ、その間にキミは」
「逃げません。」
「ここからは俺一人で十分だ!キミは生きてくれ!」
「ろくに敵も見えないのに・・・なんですか、生きてくれって。少尉は一人で死ぬんですか。」
映像盤の園香の瞳が大きく開かれて、自分を凝視している。その映像から、洋一郎は目をそらした。耳もふさぎたくなった。自分がひどく悪いことをしたみたいだ。年下の女の子の相手は、いつも理不尽だ。最後は泣かれて負けた。二人の幼馴染を思い出す。だが、遊びに連れて行けと泣かれるのとは違う。この子を道連れにするのはダメだ。畜生。畜生。無理やりにでも降下翼に乗せて送り出したいが、この状況では難しすぎる。
その間も見えない敵の槍撃や羽を避けつつ、なおも戦闘空域を誘導している。
ち。敵の悪趣味兵器。それでも攻撃力・防御力は向こう。速度は、互角。運動性はわずかにこちら。その運動性を生かし、なんとかもっている。しかし正確な照準もできず、敵の攻撃を避けるのも勘頼み。
そして、洋一郎の玉砕の覚悟も、同乗者を道連れにしたくないというためらいが鈍らせていく。機体の反応が次第に低下していった。それでも、距離をとりながら、目標の森林に近づいていく。
「ちなみに少尉。」
しばらく会話が止まっていたが、園香から話しかけてきた。
「落ち着いたか。わかってくれたかい。」
希望を込めて洋一郎は応えたが、後ろから何かが飛んできて、飛行帽に当たった。部品?何の?
「そちらからの降下翼と自爆装置の操作は、今できなくなりました。操作はこちらからしかできません。」
「・・・。」
「少尉はお逃げください。死ぬのはわたしの役割でした。わたしは、じつは死にぞこないなのです。本当ならもう死んでるはず。だから一人で足止めするというのが正しい判断ならわたしがやります。今、降下翼を用意するので少尉は」
淡々と事実だけを告げる園香の声。何の気負いもなく変わらない映像盤の表情。
洋一郎は、今までの人生で罵倒されることが少なからずあった。傷つけられたことも多かった。しかし、この園香の発言ほど彼を傷つけ、怒らせたものはなかった。
「バカにするな!キミ一人で逝かせるもんか。戦友だろ!」
園香の驚く顔が見えた。が、洋一郎は気にせず続けた。続けながら、銃撃と回避。
「だいたい、ヤツを引き付けるには、空中戦の技術が必要だ。霊力が高いとか覚悟してるとかじゃないんだ・・・俺の仕事だ。いや・・・すまない。ゴメン。ゴメン。俺だけじゃ無理だ。キミの支えが必要だ・・・二人でやるぞ!いいかい戦友クン!」
補助映像盤には、ほんの微かに笑っている園香が映っている。あいつ笑えたのか?いや、ここで笑うか?変人め。そこにとどめの一言が来た。
「はい、少尉。死ぬときは一緒です。」
洋一郎は負けたと思った。だが、その敗北感は不快なものではなかった。
まず運動性の優位を活かし森林戦に持ち込む。弱点を見つけて集中攻撃、それでも勝てないときは皇軍得意の特攻、という段取りを伝える。
だが爆弾自身はまだ積んでいる。もっといい使い道がないか、あきらめ悪く考える。
「あ、ダメですよ。変なこと考えたら。わたし、自爆装置の切り離しもできます。」
それは嘘だろうと思う。そんな操作で投下できる自爆装置なんか、ない。はったりか?しかし待てよ、もしできるなら自爆装置を投下してヤツに・・・。効くかも。
なおも勝機を探す洋一郎に、園香が決意を込めて告げた。目の輝きが尋常ではない。
園香は死ぬことは怖くない。むしろ本望とすら思った。しかし、まだやれることがある。軍機には触れるが、この機体と自分が失われるよりはるかに問題は少ない。だから決断した。
「少尉。わたし賭けをします。少尉に、わたしたちに賭けます!」
その表情に一瞬飲まれ、反応が遅れる。
「・・・待て待て、今いい考えが!」
怪しげな行動に走りそうな園香に慌てて新しい戦法を伝えようとしたが、園香はもう聞く耳を持たなかった。
「少尉。あきらめないで。獅子王計画、封印解除!」
「いや、だから、あきらめてないってば。」
完全に軍人口調を捨てた洋一郎だが、手遅れであった。
「凱号零式、主・副操縦士、同調・増幅機能、作動開始します!」
園香は、胸部の同調器の機能を設定しなおした後、頭部に増幅器を装着した。すると、主操縦席の上から、頭部を覆うように透明な筒が降りてくる。
これは、推定、操縦士二人の霊力を足し算しようとする実験か?できるのか。引き算になったんじゃあないのか?目の前の筒が青く点滅している。
「少尉、わたしが少尉に合わせます。きっと大丈夫です。」
もちろん園香の発言には、何の根拠もない。それでも自信だけはあった。ただ、
「わたし、戦友ですから。戦友の少尉をお助けします。・・・信じてくれますか?」
最後に小さな不安を付け足した。戦友に信じてほしいと思ったのだ。
その、最後の小さく不安げな園香の問いは、洋一郎の耳に心地よく響いた。小心者の自分だが、小さな相方に任せることにする。勇気と信頼をありったけ込めて、小さい映像盤に拳を突き出し、少女に届けようとした。
「了解だ。俺の戦友クン。・・・信じてる。」
「はい。」
返ってきたのは短い、しかしたくさんの思いの詰まった一言。
こんな時だが、洋一郎は大声で笑いたくなった。泣きたくもあった。
副操縦席の筒の赤い輝きが安定し、そして本来濃紺色の機体が青く、赤く、交互に輝きを繰り返す。その輝きを見つめ、洋一郎も集中していく。
「霊力の同調、増幅・・・霊力値 40 50・・・」
ぶうううううううん。低い音が響く。輝きと、唸りが同調し始める。
だが、それが洋一郎に一年前の実機訓練で、自分の霊力値と霊性を測定された時のことを連想させた。精神的な外傷だ。息が苦しくなる。どうしようもない。
「48・・・45?この借り物少尉。信じてるって言ったでしょう。責任取ってください。」
園香に叱られ傷ついた洋一だが、そのせいか気を取り直すことに成功した。ち。瞑想の基本を思い出せ。月輪観。月を空想し、心を澄ます。大丈夫。この子がそう言ってくれた。きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、落ち着いて霊的中枢から力を引き出していく。
「霊力値再び上昇。少尉。そのままです。55 70 85・・・95・・・100!臨界!」
機体全体が青く赤く交互に明滅を繰り返す。明滅は次第に早くなり、ついには一つに融け合って白に近い紫の輝きを放った。
その時、零式を中心に見えない波動が広がっていく。空が震えた。地に振動が走った。
今まで映像盤や計器、壁に囲まれていたが、まるで全て消え去ったようだ。自分自身がそのまま空にいるような感覚・・・肌を流れる風、大気のにおい、全てを見渡せる視野・・・五感で感じる大空。見下ろす地平線。
・・・空だ。練習機に乗っていた時の、いやそれ以上の開放感に洋一郎は酔いしれる。背中に小さく暖かい気配を感じる。これは・・・翼だ。俺の翼!
・・・今まで、何度も空を飛んだ。でも何かを感じたことはなかった。今は伝わってくる。この目の前の大きく熱い背中から。これはわたしの感覚?心?
「霊力、完全に融合!成功しました!少尉。」
立花園香。人生で初の会心の笑みを浮かべ、先ほどの洋一郎をまねて、映像盤に喜びと信頼を込めた拳を突き出す。霊力機関の臨界が、操縦者に昂揚感と一体感をもたらしている。
これで獅子王計画の当初の目的が達成できた。正副操縦者の霊力を増幅して、一層強力な力を発揮できる。今までのような神の意志によらず、人の手によって。
だが、何よりも純粋にこの瞬間がうれしかった。
一方、洋一郎も強い昂揚感を感じた。
「空気が・・・甘い。」
少し落ち着くと、洋一郎は映像盤に話しかけた。
「ありがとう。戦友クン。次は何をどうすればいいか教えてくれ。」
「操縦は、とりあえず、そのまま。お任せします。わたしは霊力制御、管制ほか預かります。」
映像盤を通した会話のはずだが、耳元で聞こえるような身近な感じがして、一瞬どきっとした。
「ん。とりあえず、そのままか。」
目前の筒は、輝きをやめたので気にはならない。隅にいろいろ明滅しているが後回しだ。
「はい。ただ性能は・・・理論値で2倍に向上。」
「俺とキミの霊力にはかなり差があるはずだが、足して2になるのか?」
「数値なんか見かけだけです。偉い人にはそれがわからないのです。少尉の霊力は数値ではわかりません。あと機刀は威力がかなり上がるはず。火器の威力は不明。」
なるほど。いいことを聞いた。数値が低いことを嘲笑されていた洋一は、相方にそう言われて、胸のつかえがとれた気がした。
「じゃ、やってみるか!」
更に気分が昂揚してきた。同乗者のご機嫌が移ったようだ。さっき膝の上に載せていた時よりも相方の存在を身近に感じる。共感力か。念信より相手の意志が伝わってくる。
右手の七二式20mm機関砲を機刀に持ち替える。機刀は戦神機の中心部や神経系、伝達系と同じヒヒロイカネでできているが、日本刀と似た製造方法でつくられた一品物で、より硬度が高い。また霊力を伝達することでその硬度は一層増す。
「実戦で使うのは初めてだが、試させてもらう。」
陸奥守橘総見。北都府の刀鍛冶のつくった業物で、出征祝いに母から贈られた個人所有の一品物だ。分厚い刃。鋭い切っ先。それが機体と同じく紫の輝きを帯びる。
「園香クンの見えているものが、俺にも見えるぞ!」
洋一郎は、機刀を構え、機体を一気に敵機に接近させる。
無数の羽が飛んでくる。一つ一つがはっきり見える。
無数の羽が飛んでくる。対処方にあわせて力を送る。
零式は、無数の羽を避け、払い、受け流して進んだ。
「少尉。紫光剣です。」
相方は絶好調だ。たまには勢いそのまま戦うのもいいだろう。園香の意志を受け取り、機刀に霊力を伝えると、剣先よりさらに数メートル先まで紫の光が伸びる。天使の槍も光線も、その光の前に消滅する。 それを見届けた洋一は、まっすぐ正面に飛び込んだ。
敵の中心がわかる。求めた力を受け取り、右片手上段から機刀を振り下ろす。
標的の弱点が見える。求められた力を引き出して、信頼を込め、全て預ける。
「くらえ。紫光剣!」
「紫電唐竹割り!」
光が強く大きく伸びて、両断した。空が割れた、そんな印象であった。二つに分かれた残骸は、地表に落ちる前に爆発した。爆発は大きく、その衝撃は周囲の空間を震わせた。衝撃が地面に伝わり広がっていく。
「やった!少尉、今の技名、どうですか?」
妙にはしゃいでいる相方につられ、一緒になって喜びたい衝動にかられた洋一だが、年長者の意地でギリギリ思いとどまった。
「・・・お前、特撮時代劇の見過ぎだ。・・・図星か。」
「さすが、少尉はお見通しです。」
なにがさすがかはわからないが。
「少尉のおかげで、実験は成功しました。それに・・・少尉が死ななくてよかった。」
「ああ。俺もキミを道連れにしなくてよかった。」
「それはダメです。死ぬときは一緒と言いました。自分の言葉に責任持ってください。・・・私の戦友さん。」
この子には、うかつにモノは言えないようだ。全てが本気なのだ。
「ゴメン。」
次に続ける言葉が浮かばない。でも自分にも昂揚感と少女との一体感が残っている。きっと実験とやらの影響だ。無言でも、何かつながってる気がする。背中が暖かい。
穏やかな時間が流れる。が・・・。
「園香くん。機体が失速してるぞ?」
独特の浮遊感を感じ、高度計を見ると徐々に下がっている。目の前の筒が点滅し、ついで上に上がっていく。
「え、ホントですね。・・・霊力機関出力低下・・・停止?」
どうやら初めての実験成功に、各機器が持たなかったらしい。
「ち。補助翼、展開。姿勢制御、手動に切り替え。補助推進点火。」
洋一は矢継ぎ早にまず緊急の措置をとる。
「し、少尉っ。どうしましょう?」
「落ち着いて。降下は止まった。機関の再起動可能だ。」
経験の浅い相方を落ち着かせるため、再び優しく、穏やかに言い聞かせる。
「もう大丈夫だ。」
「・・・そうですね。」
園香はまだ紅潮した頬のままだが、霊力機関が通常に戻ったせいで、昂揚感・一体感も徐々に引いていく。落ち着いてくると先ほどまでの言動が恥かしくなった。そういう羞恥心はあるようだ。
「すみません。わたし、さっき浮かれた様子でした。」
「気にしないでくれ。キミは初陣なんだ。あまりしっかりされると、俺の立場がない。」
自分も初陣という不安は完全に記憶に残ってない。
「霊力機関が臨界に達すると、軽く神がかったようになるのですね。」
「神がかり?巫女さんみたいだね。」
洋一郎は軽く受け応えしたつもりだったが、園香は映像盤に顔を近づける。真顔だ。
「ナイショです。いろいろ。」
まだ幼いが恐ろしいほど整った顔が大きく映る。これもさっき言われたクチフウジなのだろうか。
「わかっている。信じてくれて大丈夫だ。」
「はい。」
しばらく、その姿勢で見つめ合ったが、ようやく園香は顔を離した。
「・・・同調器・増幅器、停止確認。霊力機関・・・低位ですが安定しています。」
どうやら一段落だ。洋一郎は大きく、園香は小さく、同時にため息をついた。
「作戦終了。特機軍鮫島小隊は現時刻を持って通信管制を解除する。本隊への通信は・・・」本来は通信担当のはずの副操縦士が両手でバツ印をつくった。当然である。
「俺がやろう。」
確かに謎の少年兵に通信はさせられない。何しろ女で機密。長距離通信機を操作する。
「こちらコバンサメ、こちらコバンサメ。クジラ聞こえるか・・・。」
もう少し気の利いた符丁はないものか?やれやれ。
「サメは満腹した。サメは満腹した。後は鳥とカニの食べ放題だ。」
ニューヨーク。
エンジェルが切り裂かれ、爆散する映像が流れた。
「バカな。私の天使が・・・。たった一体だけとはいえ、原住民ごときに!」
「これは、予想を大きく裏切る結果です。」
「奴らが、ここまでの技術を供与していたとは?」
「協定違反だ!」
喧噪の中、40代と思しき、ひときわ小柄な男が右手でネオグラス・・・情報端末眼鏡を起動させ、視線で操作した。その何気ない一動作に、気づいたものがいた。
「カトー氏。今、何をしたのですか?」
カトーと呼ばれた男は、顔を伏せたままアルカイックな笑みを浮かべる。そして無言のままスクリーンを操作することで、一同に自分の行動の意味を知らせた。
「副長・・・三虹の堀内伍長たちが帰ってきました・・・大当たりですよ。」
先任下士官の仙台だ。その顔を傷は、見るからにヤのつく自由業だが、勤務態度などこの隊の中では極めてまともである。何をやってここにいるのか、みな不思議に思っている。
「当たったのか・・・当たんなきゃいいのに。」
「出た小便は引っ込みませんよ。出しちまったんですから。」
せめて好奇心猫を殺すくらいにしてくれ、しかもできればもっと前に言って欲しかった、と工藤は思う。
「仕方ないな。せめて詳細に観測・調査を徹底的に。」