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皇紀2701年の零式  作者: SHOーDA
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第9章 再び神藤家 晶和116年(皇紀2701年) 7月1日

第9章 再び神藤家 晶和116年(皇紀2701年) 7月1日


 その日の夕方、北都宮の郊外にある自邸に帰ってきた洋一郎は、車から降りようとはしなかった。

梅雨時であり、朝から雨が降っていた。待ちかねたナンは、傘も持たずに玄関から飛び出し、百合華と百合菜も耐えきれずに続いた。ようやく出てきた洋一郎は、杖をついて、膝から下の左足を失っていた。

 美津姫は、実は洋一郎が軍律に背く行為をして負傷し、退役となったと軍から知らされていた。不名誉な息子をどう迎えればいいか決めかねていた。心配していないと言えばウソである。しかし、この軍人たるべき家系で、初陣で退役とは許しがたい。相反する感情を持て余していた。だから普段は気さくな女主人を取り巻く家僕たちも、今日は敬遠、まさに敬するが故の遠の状態だった。

 黒髪の百合華が洋一郎の肩を支え、金髪の百合菜が傘をさす。幼いナンが洋一郎のなくなった左足を見て泣いていた。その場の誰もが言葉を失っていた。

広い玄関の中、美津姫は動揺を抑え、無言のままで迎えた。その前に立った洋一郎は右頬に傷跡を残したやつれた顔で

「母様・・・すみません。」

 と言って、頭を下げた。

 パシッ。

 美津姫は、無言で、左頬をその平手で打った。自分より長身の洋一郎である。頭を下げているくらいが丁度たたきやすい。そう思った。

 洋一郎の肩が震えた。何かをこらえていた。片足のせいか、グラグラと揺れている。

「すみません。・・・すみません・・・。すみません・・・。」

何度も繰り返す息子を、美津姫は、こらえきれずに抱きしめた。

 洋一郎は、ついに泣きだした。泣きながら謝り続けた。


 工藤は、2年ぶりに北都宮に帰ってきた。府内の隊に転属が決まったが、故郷に帰る理由ではない。生まれ育った、しかし自分たち家族を追いやった、故郷だ。懐かしさより、そうでない感情の方が強い。ゴーグルにヘルメットを見につけ、単車で乗り付けたが・・・しかし正直途方に暮れた。なぜ自分は帰ってきたのだろう。他にも手立てはあったのに。

 2年前のことである。工藤が退学を決めた時、洋一郎は校長に直訴に行った。工藤を責めず助けようと動いたのは洋一郎だけだったが、しかし、何も変わらず、変えられず・・・そのことを洋一郎は工藤に「貸し」を作ったと言った。

 工藤からすればたまったものではなかった。敢えて否定しなかったが、心中では自分こそ大きな「貸し」を作ったと思っている。だれか一人でも、あの状況で味方になってくれたということが、たとえ報われなかったとしても大きな心の支えになっていた。そのことを感じもしない洋一郎を大バカと罵っていた。そして、自分が曲がりなりにも軍に入りなおして生きていけるのは大バカのおかげかもしれないとも思っていた。

 しかし、アラスカ戦役で洋一郎は捕虜になった。工藤が見捨てた友軍兵を、救助に行って自身が捕まった。加えて、自害すればいいものを、年少の同乗者を気遣って諦めたらしい。

特機校ではこざかしい理屈屋という面があったが、どうやら本性は大バカも大バカ、超バカらしい。

 気が付けば、工藤は軍の単車を走らせて、北都宮に居た。

「工藤さん・・・洋一の先輩の・・・工藤さん?」

 気づかれた。自分はこの町では忌まわしい存在。見られてはいけない。慌てて単車を走らせようとした。

「わたしです。洋一の侍女、百合華!覚えてませんか?」

 2年ぶりに見たその娘は、以前より美しく成長し、しかし、少しやせたように思えた。


 あれから二日後の昼。 

 美津姫は、執務室で北紅玉茶を喫していた。話し相手は男装の女家令長谷つばきである。

 洋一郎の先輩であった工藤大路から、どうやって知り得たのやら、例の一件について詳細な知らせが届いていた。

「真相は、上坂提督のゴコウイで厳重に秘されている、とのことです。」

「ゴコウイね。いえ、提督にもお礼を。・・・道理で、あの子。」

 洋一郎は、部屋から出てこない。

真相を聞いて、軍への怒りも強い。が、自害しなかった洋一郎も情けない。

「奥様。自害なされていては、完全に神藤家は・・・。」

 冷静に指摘するつばきだ。20代半ばの若さに似合わず屋敷で働く家僕たちに信頼されている。

「そうね。不幸中の幸い、洋一さんに後継ぎを設ける機会ができたわ。」

で も、このままでは洋一郎には家を継がせられない。許嫁が結婚できる年齢になるまで

 あと4年ほどか。ざっと計算する。生まれる子を四代目にして、それまで自分が当主代行のままでいるしかない、と思った。自分の親類である大伴家の娘との縁組を決めて8年。まだ一度も会ったことのない許嫁だ。・・・婚約は破棄されるかもしれない。

 やはり、あの子たちに奮起してもらうべきか。

 だがその前に・・・あの足。また、左足。あの子の武勲の証が失われ、不名誉の証に・・・。

「・・・くっ。」

 思わず美津姫は口を覆った。目の前の風景が滲む。あれ以来、息子を正視できない。机を平手でたたいた。それが二度三度と続いた。

「奥様・・・。」 

 つばきも主人からつい目を背けた。大好きなこの母子が、あれ以来あっていない。洋一郎は、一人にするのは不安な状態だ。自称洋一郎付きの3人が交代でつくようにはしているが、苦労しているようだ。

 

 あの日以来、眠った記憶はない。変な言い方だが、寝て起きる、ということをしていない。意識を失うことはあったかもしれないが、それを寝たとは言わないと思う。

 いつも、あの日を思い起こしては、繰り返し苦悩する。絶望する。あの日以来の、周りの失望の目が、自分を責める。そして、家族に失望されるのではないかという不安や、家族が非国民と罵られるのではないかという恐怖や、そんな負の感情が無限にこみ上げる。 そして、きっとあの子も自分を責める。何で一緒に死んでくれないのか、と。

 それでも、家に帰ったせいか、ついに寝たようだ。だから・・・夢を見た。

 自分は空を飛んでいた。地平線を正面にして、山があり森があり、町がある。右の向こうには海が広がる。水平線だ。上昇する。雲を突き抜け、白い絨毯を眼下におさめる。あとはひたすら青い空。広い空。高い空。それは全部自分とあの子のものだった。

 どこまでも高く速く飛べた。自分の背中には、小さく暖かいものがいた。

 俺のツバサだ。あの子は俺の翼だったんだ・・・。

 突然左足が引っ張られた。鎖につながれていた。反動で背中の温かいものがはがされた。

手を差し伸べようとして、止めた。俺はもう飛べない。俺にあの翼はもったいなさ過ぎる。翼だけでも自由に飛んでいてほしい。キミだけでも。


 夕刻まで待った。洋一郎は、部屋から出てこない。誰も入れない。食事もとろうとしない。ケガも心配だ。ついに百合華が強引に入った。百合菜は怖気づいたのか、入れない。ナンは無理やり休ませた。体力の限界だった。

「・・・洋一。・・・入るよ。」

 洋一郎の部屋は、相変わらず殺風景なままだ。唯一の飾りは、空だ。厳密にいうと、わざわざ寝台を窓際に寄せている。以前勝手にやられたので、あの時の百合華は叱った。今は・・・

雨の空が見える。遠くの八甲田の山々も、雲でよく見えない。せめて青空だけでも洋一郎に見せてあげてほしい、と思う。

「洋一・・・返事してよ。」

 洋一郎は寝台にいる。体を起こしてはいたが、顔は窓の外を見たままだ。・・・左足の上には毛布がかかっている。見られたくないんだ・・・と悲しく思う。見るのはつらい。でも隠さなければならない洋一郎が、かわいそうで、もっとつらい。

「これは僕の武勲だ!」

 あの時の、洋一郎の叫びは、今でもはっきりと覚えている。しかし、今はそれすら奪われ、前よりも傷ついている。

 百合華は洋一郎の先輩から、書状を預かった。その際に、強く言われた。

「誰か一人でも、信じ支えてくれる人がいれば、人は生きていける。キミが洋一郎を支えるんだ。頼む。」

 そう言われ、そのもらった勇気でここまで入った。でも、今、百合華は、何も話せなくなった。気がつくと声も出さずに泣いていた。微かな百合華の泣き声を雨音が消していた。

いつの間にか隣に百合菜がいた。

百合菜は勇気を出して入ってきた。先に百合華に入られた時は百合華の勇気に負けた、と思った。でも負けられないと思いなおして入った。その百合華が今は動けない。・・・奥のヨーイチ様は、自分を見てもくれない。

 悔しかった。何に悔しいのかはわからない。おそらく全部だ。一番は自分だ。そして。

「ヨーイチ様!落ち込むのもいい加減にしてください!」

 百合菜は洋一郎の前に立った。彼女にしては、最大の声を出した。覚悟とともに。

「左足の一本や二本が何ですか!わたしは、わたしたちは、そんなこと気にしてません!あなたの武勲は決して失われていません!わたしがここにあるのは、あなたの武勲です!」

 百合華が凍った。が、洋一郎は氷が解けたように、静かに動き、百合菜を見つめた。

「わたしたちが、足の代わりになります。どこにでもお連れします。ヨーイチ様のためなら、何だってします!死んだっていいんです。本気です。ね、百合華ちゃん!」

「そうよ。逆に洋一が今のままなら、私たちだって、ずっとこのままだから。ずっと笑えないから!洋一と一緒じゃないと、ダメなんだから!」

 百合華も泣き止んで、負けずと叫びだした。百合菜の覚悟に負けた、と思った。でも負けられないとも思った。

 必死の二人を見て、洋一郎の口元が、何かをこらえるようにゆがんだ。

二人の声を聞きつけたのか、休んでいたはずのナンまで部屋に入ってきた。

 声は出ない。でも姉代わりの二人に続いて、口を大きく動かして、何かを必死に伝えようとし始めた。泣き顔だ。

「ほとんど脅迫だな、お前ら。ふつう、けが人を、脅迫する、か・・・く」

 笑いながら話し始めた洋一郎の声だったが、最後は裏返っていた。

洋一郎は、左手で顔を隠し・・・うつむいた。肩が震えている。

「・・・みんなが俺に言うんだ。なんで死ななかったんだって。何で生きているんだって・・・。でも、あそこじゃ死ねなかったんだ。俺は・・・死ねなかったんだ・・・。」

 しばらく肩を震わせて泣いている洋一郎を、三人は見ているしかできなかった。

「こんな足になって、みんなも非国民の仲間って罵られるかもしれなくて・・・神藤の家名も・・・わかっていても・・・死ねなかったんだ・・・ゴメン、百合華。もらった写真、なくしちまった・・・。」

「バカ!」

 百合華が洋一郎に飛びついて抱きしめる。

「そんなのいいの。どうでもいいいの。洋一が生きていれば、いいの!」

百合菜が、ナンが、負けずと洋一郎に飛びつく。

 四人は、抱き合って泣いた。

「生きてて、いいのかな。俺。生きてて、いいのか?」

 洋一郎は、その後も何度もそう繰り返し、そのたびに、百合華にバカと言われ、百合菜に死なないでと泣かれ、ナンにほおずりされた。

 どれくらい、そうしていただろうか。雨音と泣きじゃくる声だけが、室内に響いていた。

 いつしか、日が暮れ、部屋が暗くなった頃、ようやく洋一郎は泣き止み、自分を抱きしめてくれる三人の少女に告げた。

「・・・なんか腹減ったな。食事にしようか。」

 自称洋一郎付き侍女の三人は、それぞれ泣き笑いの表情を浮かべ、無言でうなずいた。

 

 三人に給仕されて、というより見張られて、洋一郎は夕食をとった。味はわからない。厳密には甘いとかしょっぱいとか、味覚の反応はあるのだが、それだけだ。味わうという感じがまるでない。きっと山際さんがつくってくれた絶品のはずなのに、もったいないな、と思う。自分は貧乏性だ。

 洋一郎は、自分が食べ終わったのに、三人が動こうとしないのは、きっと何かを待っているんだろう、と思った。

「ゴメン。心配かけた。」

 ナンが喜色を上げたが、両肩を左右からつかまれて、止まった。左右の姉貴分が首を振っている。そして洋一郎を無言のまま見つめている。圧力に負け、洋一郎は大きく息をしてから一人一人の顔を順番に見つめながら、ゆっくり話し出した。

「・・・正直、何を話せばいいか、わからない。今は。」

 わからない、と言いながら、口調は随分と落ち着いてしっかりしたものだった。

「お前たちのおかげで、頭が冷えた。・・・ありがとう。自分の不幸に浸ってるわけにはいかなかった。だけど、少し時間をくれ。明日の朝にはちゃんとするから。しばらく一人で考えさせてくれないか。」

 百合菜とナンは百合華を見た。首席侍女の判断を仰ぐ形だ。百合華は迷い、そして首を振った。

「ダメ。・・・時間はあげてもいい。明日?とても早くて心配なくらい。でも一人にはさせてあげられない。邪魔しないから、誰か一人そばに置かせて。奥様も心配なさってるのよ。わたしたちだって・・・。」

「・・・どうしても、かい?」

 憮然として聞く洋一郎。

「どうしても、よ。大丈夫。洋一が泣いても暴れても知らないふりしてあげるから・・・でも、甘えたいなら、うんと甘えていいからね。」

 百合華がウインクして言うと、百合菜とナンの目がギラッと光った。

 自分を選んで、そういう視線が百合華に刺さる。

 百合華だって、本当は自薦したい。しかし冷静に判断せざるを得なかった。それが「洋一様の首席侍女」を自任している矜持なのだ。

「ナン、お願いね。」

「え~っ。」

「ん。」

 百合華は、肩を落とす百合菜の手を引き、喜ぶナンの背中を押して、退室した。間際に

「首席侍女、お疲れさま。」

 というかすかな声が聞こえた。百合華は、誰よりも洋一郎に、自分の真意をわかってもらえたことが誇らしかった。部屋の外で百合菜が聞いてきた。

「ねえ、どうしてナンなの?」

 主席の決定に異論とは、かなり珍しい。暗に自分にしろと言っている。

「わたしも百合菜も、どうしても洋一にかまい過ぎちゃうの。話したくなるし・・・いろいろモウソウしちゃう。」

「ま、まあ、それは否定できないけど。」

モウソウと聞いて何を連想したのか、百合菜は顔を赤らめた。

「だから、ナンが丁度いいの。甘え上手で、適当に甘えたら後は疲れて寝ちゃうから。」

「ナルホド・・・さすが、百合華ちゃん。」

 その通りだった。ナンは、洋一郎にかまわないという話を無視して、さっさと寝台に上がって洋一郎に抱き着き、甘えていたが、もともと疲れてもいたので、しばらくしたらスヤスヤと眠り始めた。

 洋一郎はナンを左手で抱きながら、そのぬくもりを感じていた。右手は手枕だ。

「確かに一人でウジウジしてるよりは、落ち着くな。」

 これが百合華や百合菜相手なら、さすがにこの姿勢では落ち着くどころではないかもしれないが。ふと、さっきのことを思い出した。

 さっきの百合華も百合菜も、言ってることは滅茶苦茶だ。でも、そう、自分を励ましてくれた。信じている、一緒にいてくれる、と。そして3人とも一緒に泣いてくれた。

 母様の期待に応えられず、軍人としての生き方も見つからず、傷を負って、大事なものをうしなって、失望された自分。

こ んな自分でも・・・。こんな自分を、あいつらは!自然にまた涙がこみあげ、あふれた。流れる涙が、でもさっきとは違う、と洋一郎は感じた。

 これまで、自分に吹き荒れ、押さえつけていたものが、とても穏やかになっている。

「俺がやりたいことは・・・何だろう?」

 腕の中の無邪気な寝顔は、洋一郎の心を温かく満たす。お前もありがとう、とつぶやき、ナンの髪を撫でる。

 明日まで、ゆっくりと考えることにした。

 皇島国、アメリゴ、謎の光体、気象兵器、戦神機、不死の人たち、そして・・・この場にいない、別な少女のことを洋一郎は考え始めていた。自分の足のことをようやく忘れていた。


 洋一郎に届け物が来た。女の名だ。紅茶のセットと書留の封筒を乗せたワゴンを押しながら百合菜が入ってきた。百合華はつばきに現状の報告しに行ったままだ。

「ヨーイチ様?」

「いいよ。」

 あっさり許可が下りた。ずいぶん穏やかな声だ。寝台までワゴンを押していこうとして、洋一郎に抱かれたまま寝ているナンを見てしまった。

「・・・危険よね。」

 ナンの年齢は実は正確にはわからない。が、仮に11歳、と考えている。11歳と言えば、自分はもうとっくに心に決めていた。きっとナンだって。それにしては無邪気過ぎるけど、ヨーイチ様と、少し年の差があるせいかも・・・・。

「百合菜?」

 呼ばれてハッとした。

「いえ、そろそろナンを起こさないと・・・。」

 発作的に言ってしまった。後で謝るから、百合華ちゃん。ナン。

「そうか。ま、こいつ、飯もまだだしな。」

「ヨーイチ様は、軍に入って、少し言葉遣いが乱れましたね。」

「やっぱりそうか。よく注意されたよ。風紀だの品格だの。ち。」

 そう言いながら、優しくナンを起こす様子は以前と変わらない。いや、もっと優しくなった。百合菜は、いいなあ、と思っていた。自分もあんな風に起こされてみたい、そう思って赤面し、うつむく。

 しかし、顔を上げてもう一度見た時、起き上がったナンと話している洋一郎が、少し寂しそうに百合菜には感じた。

 百合菜は紅茶の用意をしながら、

「ヨーイチ様に、お届け物が来ていますよ。・・・女の方から。」

「心当たりは一人半・・・いや一人しかないが。」

 百合菜は、つぶやく洋一郎の声の聞きながら、半ってどういうことだろう?と首をかしげながらも、封筒を渡した。

「本・・・源氏物語?これはこれは。」

 洋一郎の声が踊っている。そんな声を聞いたのは・・・初めてかもしれない。

 

 ナンは、夜中に自分の寝台で目を覚ました。なぜここにいるのか?きっと百合菜が連れてきてここに寝せたのだろう、と思い至る。おせっかい。ちぇっ。

 舌打ちはどこかの親子の悪影響だろうが、舌足らずのせいか、かわいらしく聞こえる。

 ナンが思うに、実はあの人は甘えたがりで、だから自分が甘えてあげることで、あの人も自分に甘えてくれているのだ。だから、今のようにつらい時こそ、自分が甘えてあげないといけないと信じている。だからずっとあの人の寝台においておけばよかったのだ、と思う。残念ながら、自分はまだ子ども扱いだから、百合華や百合菜が心配することにはならない。2年後はわからないぞ、と思うけれど。

 さっきまで夢を見ていた。いつもの夢だ。

 外の人間は、あの人を「洋一郎」とか「若様」とか呼んでいる。

 屋敷の人たちは「洋一様」と呼ぶ。

 三人だけ例外がいる。

 ご主人様は「洋一さん」と呼ぶ。母親でも「さん」。でも、とても愛情深い声。

 でも百合華は「洋一」と呼ぶ。呼び捨てだ。・・・あの人と一番、仲がいい。近すぎ。

 百合菜は「ヨーイチ様」。音だけ聞けばみんなと同じだけど、抑揚が違う。響きが甘い。

 3人は、自分だけの呼び方をすることで、あの人を自分の一部にしている。

 ・・・だが、自分はできない。声が出ないから。みんなと違う。みんなはズルい。

 なぜ、自分だけ、あの人を自分の呼び方で呼べないのか。

 夢の中で、あの人の近くに行く。

 あの人はいつも考え事をしているか、難しい本を読んでいて、自分が近づいても気が付かない。だから、音もたてずに近寄って、あの人の耳元でささやくのだ。あの人を、自分だけの呼び方で。

 そうしたら、どんなにびっくりするだろう?どんなに喜んでくれるだろう?いつものように抱きしめて、いつも以上に優しく髪を撫でてほしい。

 でも、いつも、そこで目を覚ます。

 ナンは、天井を見ながら、口を開いて呼んでみる。

 YO・U・NI・I・SA・MA・・・。そう唇を動かした。

 でも、口から出るのは、虚しい空気だけ。夢の後は、いつも泣いてしまう。

 大丈夫、朝までにはいつもの自分に戻る・・・ナンはそう自分に言い聞かせる。


 翌朝、百合華がナンを起こしに来た。いつもより早い時間だったが彼女はとっくに起きていた。百合華がある頼みごとをすると、ナンは大喜びでうなずいた。百合華に感謝を込めて抱き着く。百合華自身は複雑な表情だが。

 二人は洋一郎の部屋に向かった。

 ナンがノックをする。

「・・・3回だけど、ナンだよね?いいよ。」

 この屋敷では,3回ノックをしてから名乗り入室の伺いを立てる習慣だ。名乗れないナンは5回ノックすることで、自分であることを部屋の相手に教えている。でも、洋一郎は何故か3回でもナンとわかる。今も試してみたが、やはりわかってくれた。

 ところが、ナンに続いて入室してきた百合華が、いきなり仁王立ちで宣言した。

「洋一様、お風呂に入りましょう!洗ってあげる!」

「お、お前、何言ってるんだ!」

 さすがに動揺著しい洋一郎だ。

「ダメよ。もう何日も入ってないでしょ。今日はお部屋から出てもらうけど、その前にシャンとして。」

「いや、だからって、お前。」

「へへへ、残念だけどわたしは遠慮するから、この子に手伝ってもらいなさい。」

 と言いながら、百合華はナンの背中を押し出す。

 ナンは、わかっていた。ここで自分がためらったり恥じらったりしてはいけないのだ。あくまで、子どもとしてふるまい、かつ家僕として以前より不自由になった洋一郎のお世話をしなくてはならない。おそらく自身ではまだ触れられない傷跡も、自分がじょうずに洗ってあげないといけない。これは百合華にも百合菜にもできないお仕事だ。だから笑顔のまま洋一郎の手を握り、かなり強引に浴室へ連れて行った。ちょっとウキウキしていた。

そ の様子を見送った百合華は、こんな提案した自分を忌々しく思い、笑顔のまま壁を蹴飛ばした。


 百合菜に支えられて小広間に来た洋一郎は、美津姫と朝食をとった。以前と同じように、右に百合華、左に百合菜が控え、ナンはちゃっかりひざ元にいた。

 美津姫は、最初息子が部屋から出てきたことを喜び、しかしいざその姿をすると目のやり場に困った。左足を再び失い、退役した息子を正視できないのだ。

 一方、洋一郎は以前と変わらない、いや、むしろ以前よりも自然体でいるようにつばきには思えた。三日前とは別人のようだ。

 そして、言葉少なに終わった朝食の後、洋一郎は母に人払いを頼んだ。

 意を受けて、退室した4人だが、不安げだったのは自分だけのようにつばきには思えた。百合華、百合菜、ナンでさえ、ひどく落ち着いている。何があったのかしら?


 四か月前にも、ここで二人で話した。

 あの時とは、状況は大きく変わったが。

「洋一さん・・・お話ってなにかしら?」

 美津姫は、あの時の比べると、外見上の変化はない。しかし表情に暗さが見える。何より、洋一郎を正視するのをためらっている。

 一方、洋一郎はやせた。右ほおには微かな傷跡が残っている。そして膝から下の左足を失った。しかし、以前の鬱屈した様子はむしろ消えていた。

「その前に、母様。母様なら僕の退役の事情を知っているはずです。なら母様は、僕に聞くべきことがあるのではないですか?神藤家の主として、聞くべきことが。それを聞いてください。」

「あなた、わたしにそれを聞けと言うの?」

「はい。母様は聞くべきです。大丈夫です。僕は母様を愛しているし、母様が僕を愛してくれていることも知っています。だから、聞かれても平気です。」

 大きくため息をついて、美津姫は左手で顔の半分を隠し、椅子にもたれて天を仰いだ。

「いい根性ね。・・・。わたしにも覚悟を決めろ、と。」

 洋一郎は微笑んだ。その表情を見て、美津姫もいつもの彼女に戻ったようだ。

「わかったわ。・・・では、当主代行として聞きます。神藤洋一郎、あなたはなぜ自害しなかったの?捕虜になるということがどれほどこの家の家名を、いえ皇島国軍の名誉そのものにまで関わる一大事と知っていながら。・・・捕虜になったということが公表されていないのは、たまたまなのよ。まさか、臆したの。」

「僕は自害そのものは怖くありませんでした。自分でも不思議なくらいです。ただ、あの時、僕が死ねば、それを離れた場所で見ていた僕の戦友も自害した。僕は戦友を、僕よりまだ幼いそいつを死なせたくなかった。」

「戦友?」

 息子が、屋敷の外の誰かと、深く交流したことは余りない。工藤は親しい方ではあったがそれでも友人と言えるかどうかという関係に思えた。それが生死にかかわる間柄を持ったということか・・・。

「でも。あなた、その方と神藤家、どちらが大切なの?」

「それは神藤家です。母様とつばきさん、百合華たち、みんなが大事です。・・・ただ、神藤家の家名はどうかな?まして皇島国軍の名誉なんか今更価値もない。」

「何を言うの?洋一さん!」

「だって、僕が自害しようと捕虜になろうと、あの時点では御家断絶のはずだ。なら家名だけ残ったってしょうがない。・・・まあ、昨日までは家名のことを考えていたけど、今ならはっきり言える。そもそも敵前逃亡や投降じゃあるまいし、捕虜になるなっていうのが間違いだ。この国は間違いだらけだ。」

 母と息子は、しばらくにらみ合った。

「なるほど、それを言いたかったのね。非国民な物言いですこと。」

「言いたいことの一つです。」

 息子は随分吹っ切れたようだが、それがいいかどうかはまた別だ。この言動では冗談ではなく非国民として特別高等警察に連れていかれかねない。昔のように共産主義者のとりしまりこそしていないが、国家や軍に批判的なものには容赦しない。いくら伯爵家の公子でも危険だ。吹っ切れた先に何がある?見極めなければならないし、息子もそれを見ろと言っているのだろう。

「あなたは、国民の生活を気にかけ、今度は国が間違っているという。では何、政治家にでもなるの?あるいは革命でもしたいの?」

「僕は、このバカげた戦争を止めたいだけです。そうすれば、まあ、いろいろみんなも気づくでしょう。後はみんなに任せますよ。・・・そのために戦います。」

「軍をやめたのに?」

「やめたから、僕は戦えるのです。母様。ちなみにこれは精神的な意味だけじゃないですよ。」

「本当に、戦闘行為をする、ということね。」

「はい。しかも、法に基づいて。」

 お手上げだ。これ以上は、謎解きになってしまう。

「ただ、僕が僕の戦いをするにあたって、お願いがあります。」

「これが本題?」

「その一つです。・・・僕が捕虜になったことが知られていないのは、母様の言った通り、たまたま・・・ 政治的な利害からでしょう。逆に言えば、知っている者からすれば有効に使える手札、ということです。」

「神藤伯爵家を利用する手札、ね。」

「はい。なにしろ救国英霊の家系ですから。だから、利用される前に、僕を廃嫡してください。」

「・・・あなたから言い出すとはね。考えてはいたけど・・・。もう少し、話をしてからね。・・・ねえ今夜久しぶりに飲まない?」

 息子に対する申し出とは思えないほど、かわいらしく微笑む。

「すみません。酒は絶とうと思いまして・・・あ、いや、絶ちません。ただしばらくはダメです。」

美津姫のあまりに残念そうな表情に、洋一郎の禁酒は始まる前に終わった。

「・・・じゃ、そのうちね。でも、話はするわよ。あなたが、今はわからない。何を、どこまで広く深く考えているのか、わからない。」

「僕の最終目標は、先ほど言ったようにこの戦争を終わらせることです。ただ、どういう道筋でそこにたどり着くかは、まだ決まっていません。最短では・・・今晩にでも始まっちゃいますが。」

「本当にわかんないのよ。あなたのお話。まずそもそもアラスカ戦役はもう終わったのよ。・・・突然の異常気象による行動不能ってことで。」

「あれは前哨戦です。向こうからすれば。だから再戦は最短で今夜。・・・母様、僕と賭けをしませんか?」


 洋一郎と美津姫の話が終わった。

 つばきは美津姫と、彼女の執務室に行った。

「奥様・・・何かウキウキしておられますね。」

「えへえ~わかっちゃう?」

 そんな顔をしてわかるもなにもないだろうと思う。よろこびの垂れ流しだ。本当に幼く見える。さすがは「永遠の17歳」だ。・・・息子より年下設定ということに、つばきはうかつにも今初めて気づいた。

「あの子、すごいよ~。何で私の息子なんだろ。もったいない。」

「・・・今何気に危険な発言がありましたが。」

「うん。息子に惚れ直した。・・・若くて危なっかしいけど、吹っ切れたあの子は、わたしの武勲よ!でも、今回の賭けはさすがに無謀よね。ま、次回か次々回には譲ってあげてもいいけど。」

 賭けという言葉にこの主人は弱い。だが、賭けそのものは滅法強い。

「賭け、ですか。どんなことをお賭けになったのです?」

「洋一さんの推理だと、早ければ今日明日にもアメリゴの攻撃があるんじゃないかって。しかも皇島国本土に。」

 話を聞いたつばきはさすがに信じかねた。いくら何でも、というところだ。そんなに情勢が急に変わるとは思えない。美津姫から中身を詳しく聞いてみた。その結果、理屈にはかなっているようだが、どこか見落としがあって、実行されるにしてもっと後だろう、と考えてしまうのは当然だ。

「で、何をお賭けになったのですか?」

「廃嫡か、孫か、よ!」

 洋一郎が勝ったら、廃嫡を認める。後継ぎ問題は重要だが、しばらく待つ。

 美津姫が勝ったら、もう猶予なく、相手(複数可)を選んで後継ぎをつくる。

「ま、できれば、ヤマネコが一番よね。やっぱり最初は純血じゃなきゃ。二人め三人めは、こだわらないけど。ウサギもリスもけなげだし。・・・リスはまだ早過ぎね。」

 と、心中のモヤモヤを無視して言い放つ。

「これは・・・勝算の高い勝負ですね。総得点もヤマネコです。」

 実はにやにやしていたのは、分のいい賭けで孫ができそうということもあるらしい。

「急がなきゃ、ね。聞いてよ、つばき。あの子・・・やはり大事な戦友がいたんだって!」

「ま、まさか、白昼劇場ですか?」

「そうかもしれない!だからもう急がないと!向こう側に行っちゃう前に!」


 しかし今日明日・・・。さすがになあ・・・早まったか。せめて今年の内にとか・・・しかし、実は洋一郎には急ぎたい事情ができた。いや、もともとあったのだが、昨日の書留であらためて気づかされたのだ。

 勝負を急ぎ過ぎたか。あるいは母に誘導されたか・・・。負けても実害は・・・いやどうだろう、ちょっと動悸がしてきた。

「洋一様、お顔が赤いですよ・・・お熱ですか?」

 小広間に残っていた洋一郎に、百合華が話しかけてきた。なまじ幼馴染状態でないだけに、却って今はドキッとした。

「い、いや、なんでもない。・・・出かける。」

「本当に、ですか?いいえ、今朝も聞きましたけど・・・大丈夫ですか?」

「ゴメン、じゃないな。心配ありがとう。だが、急ぐ。」

・・・百合華の動きが一瞬止まった。

「どうした?」

「へへへ、今、いい顔してたね。洋一。あ、今、さらに赤くなったよ。」

「からかわないでくれ。・・・百合華、予定通り頼む。」

「・・・は~い・・・。」

 百合華のテンションが急に低くなったのは、昨日から自分が貧乏くじを引いていると自覚しているからだ。

 今日、百合華は図書館行き。単独で外出して比較的安全なのは3人で自分だけ。

 ちなみにナンは、自称洋一様付き3人衆の仕事を一手に引き受けるお留守番。ざまあ見ろ、昨日に今朝といい思いし過ぎたのだ、と百合華は大人げなくつぶやく。

 そして、洋一郎には百合菜がついて行く。まあ、昨日のご褒美だ。百合華は、百合菜が「覚悟」を見せたから洋一郎は動いた、と評価していた。そう、左足を隠していた洋一郎に、自分は踏み込めなかった。でも左足の一本や二本・・・洋一はタコじゃないけど、気持ちは伝わったんだ。自分たちは洋一がどうなってもついて行く、と。負けたなあ・・・。しかも、今朝のあの私服選びの至福の顔・・・。あんな服、持ってたんかい!ほとんど外出しないくせに!

「百合華?どうした、さっきから百面相の練習かい?うげえっ!」

 百合華は、主人の残った右足を思いっきり踏み抜いた。

「軽井さんには話、通しといたから、さっさと行け!」

 

 下弦四式は快調に走る。運転手の軽井の後ろに洋一郎、その左に百合菜が座っている。百合菜は、普段外出しない。5年前の一件がある上に、近年更に治安が良くない。屋敷でも外出が必要な用事は百合菜やナンには頼まないようにしている。が、屋敷も今は忙しい。今日のように人通りの良い場所なら、ということでついてくることになった。正直に言って、片足で、まだ義足もない洋一郎には、皇島国の街は不便極まりない。よほど重要性の高い建物でなければエレベーターはおろかエスカレーターもなかなかない。歩道も段差ばかり。おまけにところどころ老朽化している。百合菜が付き添ってくれるのはありがたい・・・のだが。

 ちらっと左を見る。・・・こいつ、今日気合入りすぎだろうと思う洋一郎だ。これでは、いくら人通りが多い場所でも目立ち過ぎだろう、わざわざ無用なトラブルを招きそうなくらい罪つくりな・・・。左手で顔半分を覆って、天を仰ぐ。

 人の気も知らないで、なにやら上機嫌な百合菜が、ウキウキという感じで話しかけてきた。

「今お屋敷も星天祭の準備で忙しいのに、お車を出してもらって助かりましたね。」

「そうだね、軽井さん、わざわざ、ありがとう。」

「どういたしまして。ま、ついでに買い物とかいろいろ頼まれまして。ちょうどよかったんですよ。」

 星天祭。すっかり忘れていた。神藤家では、ここ数年、七夕を星天祭と呼び盛大に行う。

「ヨーイチ様、今年の星天祭、短冊に何をお書きになりますか?」

「え・・・何も考えてなかった。・・・百合菜は?」

「わ、わたしは毎年同じなんですけどね・・・ははは。」

軽井は、ちらっとバックミラーの中の百合菜を見た。内心で声をかける。頑張れ、ウサギ。最近ヤマネコやリスに押され気味らしいが、応援してるぞ。と。もちろん彼も「参加者」である。


 北都湾を見渡す産業物産会館の展望室。下弦から降りた洋一郎は百合菜に支えられながら階段を上っていく。帰りは屋敷に迎えをよこすよう公衆電話で連絡する予定だ。アメリゴやエンパウロでは個人用の電話が流行しているそうだが、皇島国では軍、政府の上層部以外、まず見ない。

 しかし・・・目立つ。洋一郎は片足で目立つ。加えて寄り添う百合菜が超目立つ。もともと金髪美少女で目立つのが、今日は微かな化粧に薄い口紅、腰まで伸びる黄金色の髪を赤いリボンでまとめている。服も白を基調とした清楚な服に青のスカート。洋一郎にはよくわからない服飾だがとても似合っていると思わざるを得ない。

 案の定、すれ違う人々は二人に必ず視線を向ける。が、珍しく奇異な視線は少ない。百合菜に向ける、讃嘆の視線が多い気がする。・・・が、やはり来るものが来た。ち。全く、この街・・・いや、この国はイヤなヤツらが多すぎる。

「おい、片足のあんちゃん、オリ人なんか連れて、いいと思ってグエ」

 洋一郎は無言で、そいつの喉を杖でついた。

「え、ヨーイチ様?」

 洋一郎が人に暴力をふるうのを見たことはない。5年前も、彼は殴られる一方だった。

 しかも今はためらいが全くなかった。

「ててめえ」

「百合菜、ちょっと支えてくれ。」

「え、え?」

 丁度、人の気配が途絶えた階段の踊り場で、百合菜の腕をつかみ因縁をつけてきた4人組を、洋一郎は容赦なく階段から叩き落した。下で這いつくばった4人に

「傷痍退役した、特機のもと少尉だ。文句があったら神威省に言え!」

 と言って襟の退役章を見せる。

 這う這うの体で立ち去る4人をしり目に、洋一郎は階段を登ろうとして、

「あ、っと・・・ゴメン。支えてもらってありがとう。」

 百合菜は、洋一郎の動きに合わせてダンスのようにステップを踏んでその動きを助けていた。5年前、洋一郎が最初に左足を失った後も、リハビリなどに付き従い、支えていたのだ。洋一郎は先ほどから左半身を百合菜に預けたままで、腕はしっかりその豊かな胸元に抱きかかえられている。洋一郎はそれに気が付くと、顔を赤らめた。やれやれ、今日は赤面ばかりだ、と思う。

「え、いいえ。・・・大丈夫です。・・・いつでも支えますから。」

 つい百合菜も頬をピンクにしてしまう。しかしこの左腕は離さない。そして言いたいことは言った。洋一郎にも百合菜の意図が伝わり、彼はうれしそうに微笑んだ。

 少しして

「あの~、ヨーイチ様・・・随分と、その、乱暴になったというか・・・」

 ためらいがちに百合菜が尋ねる。

「今のかい・・・ん・・・我慢するのに飽きた、からかな。」

「我慢・・・ですか?」

「ああ、百合菜は何も悪くないのに、きれいなだけなのにオリ人とか言って要は連れて行きたいだけさ、あんなヤツら。そんなのを見ているのもイヤだし、百合菜が連れていかれるのはもっとイヤだ。」

「KI、KIREI?」

 思わず舞い上がってしまった百合菜である。

「あの手合い、言っても聞かないのはもう経験済みだし、我慢するだけ無駄さ。やっちまったもん勝ち。・・・途中から聞いてないだろ、お前。」

「え、あ、はひ。」 

 慌てて舌をかんだ百合菜だが、洋一郎が以前より楽しそうに見えた。

「少尉、こっちっス。初日で助かったっス。」

「もと少尉だよ、柴田。久しぶりだ。」


 昨夜、白鳥七瀬から届いた書留。間違いなく「検閲済み」だが、重要なのは同封していた新書の源氏物語だった。若紫の章の、ところどころ文字脇に微かな点があった。順に読んでいくと、ちゃんと文章になった。若紫で重点的に何かを探そうとしなければわからない、そういう細工だ。「今月四日から六日観光物産会館展望室ひとひとまるまる」となった。


 私服の柴田一整曹は、さっきの連中と大した変わりない服装だが、さすがに軍人で、いい加減そうに見えてもやはりどこか違う。

「しかし、少尉、すごい別嬪さんをお連れで。これじゃあの連中の気持ちもちょっとわかっちまうっスよ。」

「お前、見る目があるな。あいつらも素直にきれいだって言って終わればいいものを。差別語使って百合菜を貶めるからああなるんだ。」

 また、きれい、と言われて百合菜は舞い上がりっぱなしである。

「しかし、少尉・・・失礼ながら、そのお足なのにお強いっスね。」

「・・・中等学校以来、剣術の稽古は、なぜか義足を外してやらされたよ。」

 最初は義足をつけていたが、その洋一郎に負けた者が言い出した。こいつは足に細工しているかもしれない。そんなものをつけるのは卑怯じゃないか。・・・結局それ以来洋一郎は義足を禁止され、不安定な体勢で稽古をしていた。

「不利になると、みんな体当たりしてくるんだ。当然転ぶ。一度転ばされたらこっちはもうダメさ。けられたり、まあ。・・・特機校になるとさすがに俺もよけるのがうまくなったがね。だから、段持ちならともかく、まあ素人に負ける気はしないな。」

 聞きながら、百合菜は悔しいと思った。でも、それも洋一郎の「我慢」の一つなのだと思う。体が不自由であること、皇島国人でないこと、人と違う意見を言うこと・・・いろんな差別がこの国にはある。きっとどこの国にもあると思うけれど、差別を正当化しているのは許せない。洋一郎は、無用な我慢をやめたのだろう。

「ところで・・・そろそろ本題、いいか?」

「・・・っス。場所、変えていいっスか。」

 柴田の案内で展望室のなかにある食堂に移動した。

「個室とは、用意がいいな。」

「ま、こちらはともかく少尉は、余計なお供もいるかもしれませんし。ここ、俺の知り合いが勤めてるんで大丈夫っス。」

 まだ昼の混雑には間がある。早々に注文した料理がきてから、柴田が事情を話しだそうとして、百合菜を見る。洋一郎は察して答えた。

「・・・この子は信用できる。」

 百合菜もうなずいた。

「わかったっス。・・・まず白鳥中尉は、動けないっス。事情は書いてたっスか?」

「ああ。かなり特機の開発部も大変そうだな。個人的には敷島ざまあ見ろと言いたいが。」

 零式が動かない。神剣すら発動させた唯一の実験成功機であるにもかかわらず、今は起動すらしない。そして・・・。

「で、そのう~若紫なんスけど・・・。」

 一見表情を変えない洋一郎だが、かなり努力してそうしているのが百合菜にはわかる。急に室温が下がったような気すらする。

「中尉は、その、若紫のお世話にかかりっきりで・・・正直、中尉が眼を離すとかなりやばいっていうか、まだ壊れないのが不思議っていうか・・・。そんな感じらしいっス。ま、もともと機密に浸かってるうちは上陸許可も下りないでしょうが。」

 若紫?百合菜も題名くらいはわかるが、ここでは、誰かのことを指しているのだろうとしかわからない。ただ、洋一郎の沈黙が、彼にとっての、その人の存在の大きさを感じさせた。

「・・・?」

「・・・。」

 洋一郎は、食卓に指で、どこだ、と書いた。

 柴田も同様に、おおみなと、と書いた。

「少尉。俺は、その、整備やってる機械好きなだけの男ですが・・・零式も、もちろん若紫も・・・少尉を待っています。そうとしか思えないんス。非科学的なんスけど、でも、あの・・・戦神機とかって、そういう乗り物じゃないですか。余計にわかるんス。」

 吶々と語る柴田の様子を見て、百合菜には、この人は少なくても嘘は言っていない、本気で洋一郎にそれを伝えたかったんだ、とわかった。

 そして、洋一郎も言った。

「俺も、会いたいよ。あいつらに・・・会いたい。」

 その、絞り出すような声は、百合菜の胸を苦しくさせた。今にも洋一郎が泣き出しそうに感じたのだ。

「だが、もう少し待ってくれ。」

「待つ・・・待てば何かあるんスか?」

「チャンス・・・いい機会が。確約はできないが、次に敵が大きく動いた時がチャンスだ。これを、届けてくれるか?」

「少尉の階級章・・・。」

「本物ははがされちまったよ。これは退役する時の、まあ記念品みたいなもんだ。」

「・・・?」

 柴田は、何か隠してます?と書いた。

 洋一郎は答えなかった。

「しかし少尉が少尉で傷痍退役なんて、しゃれにもならないよ。普通階級上げるだろ、一個くらい。そしたら少尉が中尉で傷痍退役。当たり前だが。」

 柴田は困惑した表情で言った。

「そりゃ、あん時の事情が事情スから、不名誉除隊にならなくてよかったっスよ。」

「やれやれ、みんなが俺に死ねと言う。しかし、生きてたからこその大逆転が待ってるかもしれんのだ。つまらん理由で死んでたまるか。」

 不敵な表情になった洋一郎に、柴田は首をかしげた。洋一郎が、どこか変わった気がする。

「だいたい敷島くらいは俺に感謝しただろうよ。これで実験が続行できるってな。」

「あ、それ当たりッス。」

「マジか!」

「マジっス。有名っすよ。内部じゃ。」

「・・・ほぅ。で、お前はいつ内部に入ったんだ?」

「・・・。」

 正直な男である。顔に出ている。ただの海軍の一整備兵が、実は開発部と、か。

「ま、もともと零式の後ろの座席って話し辺りから、気にはなってたんだが。言えなきゃいい。勝手に想像する。別にお前を疑ってるわけじゃない・・・今日はありがとう。危ない橋を渡らせたようだ。」

 握手を求める洋一郎。皇島国ではなじみのない風習だが、洋一郎には不思議と似合った。

 柴田もその手を握る。

「俺なんて下っ端の下っ端なんで。平気っス。・・・ところで、少尉。お帰りになる前に。」

 柴田が店員を呼ぶと、店員は包みを持ってきた。

「船医から、足のことを聞き出して作りました。寸法を調べるのは中尉にも手伝っていただきましたが。・・・よろしければお使いください。」

 洋一郎は、ニヤリと笑い、包みの中身を出した。

「ほう、自信作か。ありがたく使わせてもらうが・・・大急ぎで慣れないとな。」

 一般向けのものや、傷痍兵用のものとは大きく違う素材だ。軽量柔軟かつ頑丈・・・?

「おい、これ、まさか、あれか?」

 あれ?首をかしげる百合菜を置いてきぼりで話は進む。

「はい。マルヒっス。いろんな意味で。」

 自慢気に話す柴田の腹に軽く拳を入れる洋一郎。その後首を引き寄せ耳元でささやく。

「やってくれるじゃないか。・・・大丈夫なのか?」

「なにしろ、内部ですから。これくらいは。」

「もう一度、礼を言う。ありがとう。・・・ところで、前にお前から借りた、とんでも兵器図鑑に義足から小型噴進弾が出るってのがあったが?」

「ああ、さすがにあれはムリっス。・・・22口径ロングライフル弾で勘弁してください。」

「マジか?」

「ウソっス。」

 しばらく二人は見つめ合い、その後腹を抱えて爆笑した。

 百合菜は、屋敷の外で、特に男同士で話す洋一郎を見るのも今日が初めてだ。言葉遣い、に表情、いつもの洋一郎とは違って、新鮮だった。

 だから、この光景に見入って、去り際に洋一郎が言った言葉は覚えていない。

「空だ。空に何かが起こったら、その時だ。早ければ、今夜。ここ二、三日中にでも。」

 そう言って洋一郎は、勘定を払い、百合菜に寄り添われて帰っていった。

「ゴチになりました・・・ホント、うらやましいっス。少尉。」

 見送った柴田は、そうつぶやいた。


 昼過ぎだ。本来は帰宅する予定だったが、洋一郎は寄り道することにした。

「ゴメンな。百合菜。付き合わせて。」

「いいえ。平気ですよ。ヨーイチ様。お気遣いいただきありがとうございます。」

 小々重い贈り物はありがたかったが、装着するには訓練が必要だろうし、今は荷物にしかならない。結局百合菜が右手で洋一郎の左腕を抱え、左手に荷物を持つことになった。百合菜が風呂敷を持参していたので、片手でも大丈夫のようだ。

 幸い、目的地は遠くない。

 昨日、百合華が工藤に会ったという。その際、書付を預かっていた。

「アメリゴの用意が出来過ぎだった。とすれば次の一手で詰みがあるかもしれない。」

 偵察隊にいたせいか、工藤はかなり詳細にアラスカ戦役の分析をしていた。それは戦闘中に自分が感じていた違和感を裏付けるものだった。

「でも、まさか電話で即日面会してくださるとは・・・意外でした。」

 観光物産会館の公衆電話で照会したら、即答で許可が下りた・・・怪しすぎだ、と洋一郎は思うが、半ばは期待しての電話であった。

 カツ、カツ、カツ。

 百合菜に寄り添われながら洋一郎は歩く。右手の杖が歩道のタイルを打つたびに響く。

 行きかう人々は、やはり二人を注視している。概ね百合菜の美しさに見とれているだけだが、時折イヤな言葉が聞こえてしまうのも事実である。

 こいつらも、世情が変わればマシになるんだろうか、それとも変わらないのだろうか、と洋一郎は考える。もしも、全てが自分の思い通りになったとして、一度は機会をやるが、それでも変わらなかったらどうしてやろうか?

 ふと、百合菜の横顔を見る・・・やはり、今日のこいつは気合が入りすぎだ。目立つ。自分もだが。

「百合菜・・・さっきのあの4人のこと、どう思う?」

階段から叩き落した連中だ。

「頭に来ました。何ですか、ヨーイチ様に向かって片足のあんちゃんですって?ひっぱたく所でした!」

 白磁のような頬が一瞬で赤くなった。怒っている。自分のことで怒ってくれてるのがうれしくて恥ずかしい洋一郎だ。

「でも、かわいそうな人たちです。」

 百合菜はしばらく間をおいて、ポツリと言った。

「かわいそう?階段から落ちてか?」

「いいえ・・・。きっとあの人たちも、お屋敷で働いていれば、あんな風にはならなかったのかなって、ちょっと思いました。」

「俺んちにあんなヤツら入れるもんか!」

「・・・ぼくんちの方がかわいいです、ヨーイチ様は。」

 しばし、洋一郎は困惑した。百合菜を見るが、真剣なようだ。・・・俺と僕。自分、小官。

「・・・まあ、そうだな。俺だって屋敷の中と外、軍にいた時で言葉遣いや言動は変わっている。」

「はい。」

「だから、まあ、百合菜が言いたいことは、わかった気がする。」

 環境によって変わる自分と変わらない自分がいる。俺たちをバカにするヤツらも、環境で、世情で変わるかもしれない。まあ、自分がうまくいくとも限らないし、うまくいったとしても、機会をやる、なんて見下した考え方は改めよう。この、やたらときれいな今日の幼馴染に免じて。

「ところで、百合菜。」

「はい。」

 話しかける度に、自分に微笑みかけてくれる、大切な幼馴染だ。

「お前、何で今日、そんなにおしゃれしてるんだ?」

「まあ!」

 幼馴染は一瞬で柳眉をつり上げ、そのかかとで洋一郎の右足を踏みつけた。本日二度目のダメージで、しばらく彼はうずくまることになった。彼女が洋一郎に付き添うためにハイヒールを履いていなかったのがせめてもの慰めである。


「天文部長殿と面会の約束をした者です。ついさっきですが。」

 神威省。ほとんでの省庁は政都東京府にあるが、ここ北都宮には神威省がある。皇室系の伊勢神宮や熱田神宮とは似て非なる北都神宮などを管轄し、その特異な心霊術と科学との融合から戦神機を生み出し、特機隊を管轄する。現在の皇島国を代表する権力機関の一つである。

 天文部は、天体の動きを観測し、報告する部署である。同様の部署は他の省庁にもあるが、目的は、暦法や占星のための観察であり趣旨が違う。とは言え洋一郎が知りたい情報も持っているであろう。

 受付の男は、まだ若い男女、しかも男は片足、女は異人という目立ちすぎる組み合わせに顔をしかめた。

「キミ、誰かの紹介状を持ってないの?」

 ち。年上だからと思って敬語で話すと、これか。

「神藤洋一郎です。伯爵家公子で侍機士。部長殿はご承知ですよ。」

「し、失礼いたしました。今すぐお取次ぎいたします!」

 慌てふためく受付を見て、洋一郎は憮然とする。

「ふふっ。」

「何か、おかしかったかい?」

「最初から正式にお名乗りしていればよかったのに。」

「・・・。」

「ご身分をひけらかさないところも好きです。」

 さっき踏んづけたくせに。

「・・・そりゃ、どうも。」

 自分はこういうところが未熟なのだろう。いろいろと恥ずかしい洋一郎だった。

 ところが、やってきた天文部長は、あいさつも早々に、別の部屋に彼を案内した。

 百合菜は控えの間で待たされることとなった。やれやれ、義足なしの不自由な身で予想外に大臣閣下とご面会、かなりハードルが高い、とつぶやく洋一郎だ。

 通されたのは、広くはない応接室だが、調度品には金を惜しんでいない。しかし使い込まれた名品は、その歳月を品格に変える。黒檀の卓を挟んで洋一郎は武内と向かい合った。

「ようこそ、神藤洋一郎。・・・なるほど、直登の面影があるな。」

 いきなり、これだ。100年以上生きている、ということを当たり前に話す男。しかも自分の曾祖父と知り合いという男がまだ三〇過ぎくらいにしか見えない。かなりの違和感と威圧感である。一〇〇年前の皇島国ではかなりの長身だっただろう。洋一郎より一〇㎝は高い。技術将校出身のせいか、身分のわりには簡素な服装で好感を持てた。

「はっ。お初にお目にかかり、光栄です。」

 つい敬礼で返してしまうが、退役運人なので問題はない。しかし片足で体勢が不安定だ。

「座り給え。遠慮は無用だ。」

「では、失礼します。」

 早速座らせてもらう。洋一郎は、当然緊張しているが、冷静さは保っていた。まずは茶を飲んで落ち着こうとする・・・味はわからないままだ。きっといい茶葉使ってるんだろうに。

「吉村に面会の申し出ということだったが、こちらで話したいことがあってな。急に変更させてもらった。」

 待つということをしない、とも聞く。長命だが短気。そういう噂だった。

「はい。承ります。」

大 臣自らの話。さすがに何が飛び出すやら不安である。

「貴様、なぜ死ななかった?」

 母や柴田の時は、親しい相手であったし、備えてもいた。しかし、初対面の相手からいきなりの質問に、心の用意をしていなかった洋一郎は、心臓をえぐられる思いだった。

「貴様が生き延びたことで、どれほどの災厄がお前の家族を襲うか、皇島国軍の名誉とやらが汚されると軽輩が騒ぐか、想像はできたであろう。貴様自身ちゃんと出撃前にご立派な遺言状を書いたではないか。」

 そう言って、武内は洋一郎が海神に遺してきたはずの遺言状を、卓上に放り出した。

「捕虜になった一件が騒がれず、無事に帰還できたのは僥倖にすぎん。」

 武内の一言一言が硫酸のように、洋一郎の心身を責め苛む。

「それでも、なお生きて恥をさらしているのはなぜだ。神藤洋一郎。」

血涙とともに自らに幾度、問うたことだろう。しかし、事情を知る者は少なくない。生きていく限り何度でも聞かれるのだ。洋一郎が3人の少女を、そしてもう一人の少女を思い浮かべ、改めて覚悟をするまで数秒を要したが、話し出した時の声は決意に満ちていた。

「・・・多くの理由があります・・・答える相手に合わせて答えられるほどには。」

「ほお・・・。私には、どう答える?」

 母に答えた。柴田に答えた。違う答え方だったが、どちらも本心だ。そして、

「謎の敵。見えない敵。この存在を無視できませんでした。あれを残してはいけません。」

 これも本心だ。第一潜水戦隊の報告や零式の戦闘記録だけでは伝わらないものがあるはずだ。洋一郎は、自分の「最悪の予想」を、嘲笑される覚悟で全て打ち明けることにした。今、覚悟を決めた。母ですら半信半疑というところだったが、この国の最重要人物と話せる今こそ最大の機会ではないか。

 顔を上げて話し始めた洋一郎に、細面の顔が興味を浮かべたようだ。


 洋一郎は考えた。アラスカ戦役は戦う前に必敗と決まっていた。アドミラルティ島に敵の気象兵器が完成した段階で、皇島国軍は上陸作戦を封じられることになっていた。それなのにノロノロ判断を遅らせ、後続部隊や別動隊を戦略攻撃機に捕捉され、奇襲の餌食になった。

 零式で気象兵器を破壊したところで手遅れだったのだ。

 つまり、そういう敵がいる。最初の一手で相手の作戦を全て無効にする。そういう目を持った敵が。光体とか無人機は、それと比べたらおまけでしかない。

 そして、洋一郎が考えたところ、その敵がいた場合に、一番こちらの打たれたくない一手が、再びの人工衛星設置と、それに伴う高高度戦闘なのだ。

 洋一郎は、ジュノー攻略戦でのサンダーバード戦隊の運用とその威力から、アメリゴの高高度戦闘での圧倒的優勢を感じた。そして10年前の外気圏戦役~皇島国上空に静止衛星を設置しようとするアメリゴ軍と皇島国軍の戦い~を再検討した。もしも、再び人工衛星の設置をアメリゴが目論んだ場合、防ぎうるのは戦神機のみ。しかし戦神機ですらアラスカ戦役で多数撃墜されている。もしもアラスカでの高高度戦闘が、この第二次外気圏戦役とでもいうべき戦いの実戦データ集めであったならば・・・。現有戦力では皇島国軍は必敗する。そして人工衛星に、気象兵器や光線兵器、或いは数十年前から噂のあった「神の杖」と称される高運動エネルギー弾が装備されていたら・・・。

 そして、今日は7月4日。アメリゴが旧本国ブルトンから独立した記念日である。しかも、第三次太平洋戦争でハワイを失った日でもある。派手な作戦を開始するには絶好の日。

 アメリゴ東部と皇島国の時差は14時間。洋一郎がアメリゴの大反攻の開始を最短で今日明日と予測したのは、こういう状況分析からであった。


 いつしかすべてを語り終えた洋一郎は、武内の双眸が銀色に輝いているように思い、慌てて見つめなおした・・・気のせいのようだ。

「・・・アメリゴ東部時間では、今、ちょうど7月4日になった。」

 はっと時計を見る。1400。確かに。

「貴様はわたしをこの国で一番偉いと思っているかもしれないが、そうでもない。」

 何の話だろう、と思いながら、洋一郎は大人しく最後まで聞くことにしていた。

「あの終戦直後は、まあ相当のことができたが、あの時追放した馬鹿どもの仲間が増殖してな、この100年で、神野もわたしも随分と力は衰えた。馬鹿は馬鹿を呼ぶ。そして、賢いヤツらは見て見ぬ振りだ。」

「・・・はあ。」

 武内は、ちら、と洋一郎を見た。

「わかるか、洋一郎。直登の血筋の者。この国で今一番の権力者が誰か?」

 洋一郎は、ここぞと答える。

「世情、世の雰囲気。そういうものではありませんか?自分の意見を言えず、周りの愚かな考えに盲従する。同調しなければならないよう、感じ過ぎてしまう・・・。」

「・・・貴様は、そう言うか。まあ、そう変わらん気もするが。直登も似たようなことを言っていたよ。空気を読む、出る杭は打たれる、とな。貴様、あいつと話したことはあるか?」

 洋一郎には、いささか返答に困る質問だった。しばらく沈黙する。

「・・・いいだろう。」

 武内はその沈黙から何かを感じたようだ。あるいは単に待たなかっただけかもしれない。

「わたしの、わずかばかりの情報網によればだが、数か月前からアメリゴ南東部のヒューストンで、ロケットの打ち上げ準備が行われていた・・・秘密裏に。あと数分待ちたまえ。吉村から報告が来るだろう・・・貴様が天文部長に面会しようとした用事は、これだな。」

 洋一郎はお手上げ、という仕草をする。優れた情報収集力、化け物じみた洞察力、どこが衰えただって?

「ただ、な。ロケットの打ち上げの結果そのものはボンクラな科学技術庁の天体観測でもわかる。素人の観測者でもな。問題は、それが何を意味するか、誰も知ろうとせんことだ。」

「閣下はこの情報を?」

「もちろん伝えている。閣僚、陸軍省、海軍省、各諜報部・・・まるでダメだ。せめて、と思い、特機の戦神機に超高高度装備を用意するように指示を出すべきか、悩んでいたところだ。・・・そこにのこのこと貴様がやってきた。アラスカ帰りの退役軍人が、天文部長に面会!情報源には持ってこいだ。で、まあ、最初に一撃加えたら、実にいろいろ話してくれた。」

「はあ。」

 いきなりの一撃を、初対面の相手に使う・・・確かに短気な人らしい。

「謎の敵は、敵の策士。で、貴様の戦闘記録にあった、あれが見えない敵、とやらだな・・確かにあったというか、なかったというか、見えない何かと戦闘した、と思える。」

 やはり、映像にあの光体は映っていなかったようだ。曲がりなりにも霊視できる自分にすら光体にしか見えなかったのだ。

「あれの価値をわかれ、というのは、今の皇島国では難しいのだろうな。想像力がなさすぎる。なにかあったら想定外で済ませて終わり。・・・この100年は何だったのやら。」

 奇跡の大逆転、その後の大政復古、戦後の復興、満州経営、茶那内戦への不介入、東南アジアの独立支援、自由インド共和国との同盟、ソ連との不可侵条約・・・ここまでだ。おそらく神野と武内は、ここまでで力尽きた。この後の豪州侵略、ハワイ独立は、彼らの意図ではなかったのだろう。第二の鎖国ともいわれる貿易文化統制や、解体したはずの特別高等警察などが復活したのも、おそらくは・・・・。

「軍や省庁の官僚たちは、実に巧妙に我々の力をそいでいった。研究やらなにやらに追われているうちに、人事、財務、法律・・・どんどん俗物どもに有利なものに変えられていったよ。神威省も、気が付けば辺境の一省庁だ。ついには戦神機までもわたし抜きで開発を始めた。」

「では、凱号の開発は・・・」

「ああ、獅子王計画というようだ。立花という男が中心になって、不死族、と言っても二人だが、我らの力を使わず、人の力だけで奇跡を起こす、神を降ろせる、そういう機械をつくった。・・・零式は、その唯一の成功例だが、まさかそれに直登の曾孫と立花の娘が乗り組んでいたとは。・・・話し過ぎたな。あまり知ると、貴様も危ない。」

「・・・散々一方的に話して、今更ですよ。もうとっくに手遅れ、という自覚はあります。」

 武内は、ここで再び、今度はじっくりと洋一郎を見た。

「貴様の面相、一度見た時とは、ずいぶん変わったな。その頬の傷のせいか?」

 かすかに残る右頬の傷。そっと自分の左人差し指でなぞる。洋一郎は、初対面でアレはないだろうと思い出し、クスっと笑う。

「そうです。この頬の傷のおかげです。」

 失った左足はもう忘れられる。だが、この傷は、絶対に忘れない。

「・・・やはり、閣下は自分を見にいらしたのですか、卒業式に。」

「ついで、だったがな。直登の縁の者は、一度は見ることにしている。」

 

 黒峰百合華は府立図書館にいた。神藤家から近いので徒歩で出向いた。星天祭の準備の喧噪を背に、忙しい中、手伝いもせず出かける後ろめたさがない訳ではなかったが、彼女たち自称洋一様付き3人衆にとっては、洋一郎の依頼が優先される。また概ね屋敷のみんなもそれに好意的である。5年前の「若君の武勲」のおかげだ。

 しかし、その百合華は、閲覧室で突如立ち上がり、両手で頭を押さえて天井を仰いでいる。周りの善良な市民たちはざわつき始めた。

 ようやく失態に気づいた百合華は何事もなかったように平静を装って、読んでいた本を閉じ、もとの書架に戻すため歩き始めた。

 しかし、その心中は穏やかではなかった。

「ぬかった。うかつだった!」

という思いでいっぱいである。

 彼女が持っているのは動物図鑑である。洋一郎の指示した調べ物は少々難しいので、お昼休みに息抜きとして見ていた。動物好きの百合華からすれば、大判の写真に写された動物たちの姿は、思わず頬が緩むかわいさである。が・・・猫の生態の項目で知ってしまった。

 印付け(マーキング)。

 猫は、飼い主の人間に対して自分の体をよくこすりつけている。今まで百合華は猫の愛情表現なのだろうと微笑ましく思っていたのだ。しかし、実はこれは、猫が自分の体臭や分泌物をこすりつけて「これは自分のものだ」という強い独占欲を示している行為だというのだ。

 百合華には、いつも洋一郎にしがみついているナンとだぶって見えた。今まで見逃していたあの抱擁やほおずりは、百合華や百合菜、そして洋一郎自身に対して「これは自分のものだ」と主張し続けていたのではないか!

 まさに青天の霹靂。

 そんなナンに対し、自分は昨日と今朝、その独占を認めるようなことをしてしまった。

 まさに痛恨の極み!

 書架の前で立ち止まり、右の拳を握り震わせる百合華を、市民たちは目を合わせないようにして大きく迂回していった。

 百合華が悔恨と自失から覚め、動物図鑑をもとの位置に戻すまで、少々の時間を要することになる。

 その後、気を取り直して特別閲覧室へ向かう。この施設も神藤家は支援している。文化事業や福祉・慈善事業への支援は、神藤家の特異な点である。直接営利に結びつかないことに手を出す華族や貴族は皇島国では少ない。

 そのせいか府立図書館は国内でも屈指の書籍を保有している。百合華はいつもの侍女姿であるが、神藤家の侍女であるということもあってか、司書たちも好意的に作業を手伝ってくれた。

 3時ころ、ようやく必要な資料を受け取り、係員に厚く、優雅に礼を言って百合華は図書館を去った。

 ・・・が。

 道中、見てしまった。

「何で最近あんなダメ男ばかりなのよ!」

 とつぶやき憤然と歩きだす。

 二十歳前ほどの男たちが、子猫に石を投げて遊んでいるのである。子猫は、後右足を縄で縛られ、木の枝につるされていた。エサにつられたのだろうか、足元に小魚があった。

 男たちはニヤニヤ笑いながら子猫に向かって交代で石を投げ、誰が最初に当てるか競っているらしい。

「あんたたち、やめなさいよ。かわいそうでしょ!」

 さっき猫の生態で衝撃を受けたが、そんなことはとっくに吹っ飛んでいる。主人がいたら許さないし、自分も許せない。義を見てせざるは勇なきなり、であり、百合華には「勇」は有り余っている。ためらわず石を持っている男たちに近づいていった。

 男は、自分たちの邪魔をしようとする侍女姿の少女を見て、ナイフを出して腕をつかんだ。

「姉ちゃん、いいところに来たな。大人しく俺たちと」

 不用意に百合華の腕をつかんだ男は、腹を右正拳で突かれた。そのまま男はうずくまる。本来は親指を中に仕込んだ竜頭拳でこめかみを打ち抜くところだが、さすがに百合華は手加減をした。続いて、後ろの男たちが肩をつかもうとしたところを、振り返りざまの左肘でそのあごを砕く。重心が移った勢いで、体を回しながら三人目の腹に右膝蹴り。更に勢いを止めずコマのように回転したまま四人目の膝を蹴り砕いた。回転を止め、腰まで届く髪をたなびかせて5人目をにらめば、そいつは仲間を見捨ててあさましく逃げた。

 全部で5秒ほどである。

「ふん。刃物なんか出すからよ。女の子に向かって。」

 ・・・説明せねばなるまい。

 明治以来、本家ブルトンから皇島国に伝わった家僕業も独自の発展を遂げた。とくに晶和

に入って100年以上が過ぎ、尚武を謳う皇島国では主を守るために、家僕、そして侍女の護身術が発達したのである。

 黒峰百合華は、黒峰流護身術を修めている。百合華の祖母を始祖とする流派である。

 黒峰流の神髄は、他流ではスキが大きいと言われ、多用を戒める大技を、間合いや位置取り、体重移動に体裁き、技の連携で補い平然と連続して繰り出す、その破壊力である。

 主が多数の刺客に襲われた場合、一人の敵を倒すのに小技で時間をかけては主が危うくなる。故に大技の一撃で倒し、その連続ですべての敵を一瞬で打ちのめして主を救う。この多数に対する一撃必殺こそが黒峰流!

 華族・貴族の屋敷がひしめくこの北都府で、年若いながらその四天王の一角と謳われる実力者、黒峰百合華に出会った悪漢は、この台風に見舞われることになる。

 ちなみに百合華台風は二、三か月に一度程度は発生するというが、子猫を解放して抱きながら撫でている様子からすれば、たいそうかわいらしい台風である。

「・・・さっきからの、この変な解説、何よ!」

すいません。勘弁して。


 その夜。自室にいた洋一郎は、百合華から頼んでいた書籍と資料を受け取った。

「ん。ありがとう。百合華。」

「どういたしまして。ふう。」

「・・・なにかあった?」

「ん~うかつだったこと、頭に来たこと、ちょっと癒されたこと。でも、まあ普通かな。」

「経験上、お前の普通は、常人にとっての波乱万丈に値すると思ってるけどね。」

「気のせいよ・・・あんたに言われたくないわ。」

 二人の事情を知っている百合菜は、一人でクスクス笑い、ナンに不思議な顔をされていた。百合菜は、ナンに話しかけた。

「そうだ。ナン。去年の今頃、あなた風邪ひいてたから、星天祭、初めてよね。・・・七夕って言って、この短冊に願い事を書くの。あなたも書いて・・・中身は見せないでね。この封筒に入れるから。・・・明日まででいいよ。」

 ナンはコクコクうなずき、何を書こうか考え始めた。

「どうしたの、洋一?」

 百合菜とナンを見ていた洋一郎の表情を見て、百合華が聞いた。

「ん・・・何か、引っかかってね。」

「あんたはもう書いたの?」

「いや、まだかな。」

「じゃ、あんたも。はい。」

 百合華から短冊を受けとった洋一郎だが、後で書くよ、と言って報告書を読み始めた。

 三人は、洋一郎の邪魔にならないよう、そっと退室した。


 工藤は、大湊海軍基地で、護衛任務に就いていた。一年以上の間、例の部隊にいたが、ようやく放免となったのだ。初任務は、二重三重に梱包され冷却されている液体水素の搬入を護衛することだ。うまくいけば、あいつの復帰の役に立つだろう、と工藤は考えながら、周辺に気を配った。・・・何もない。無事に終わった。基地の警備に任務を引き継ぎ、任務を終了した。

 ふと洋一郎のことを思い出した。あいつは立ち上がれるだろうか?そして、気づけるだろうか?・・・ま、あの娘が付いていればきっと大丈夫だろう。ならば・・・。

 何とはなしに液体水素の保管庫に向かった。保管庫では、一人の軍曹を見かけ、なぜか気になった。向こうも工藤を気にしている。そういう気配の感じ方は、前の部隊でうまくなった。

「・・・開路兄さん?」

 まさかと思い、工藤はつい声をかけてしまった。

「大路、やはりお前か!」

 パン、パン。

 軽い銃声が二つ。工藤の背中に銃弾が当たる。工藤はうつぶせに倒れた。

「知り合いか?」

「・・・弟だ。」

「知られたからには、始末しろ。」

 工藤は自分の血をまき散らしながら、転がり、物陰に向かう。立て続けに銃声が響き、工藤の左腕にも激痛が走った。

「ぐっ。」

 それでもかろうじて隠れた。

「こんなところで、ソイツに何かあったら、どうなるかくらいわかるだろう?」

 工藤は痛みをこらえ、できるだけ普通の声で呼びかけた。向こうも意味は分かったらしい。 もしも液体水素に引火したらどうなるか?考えれば銃撃はない。

「ちっ。人が来るとマズイ。逃げるぞ。」

ど うやら兄は退きそうだ・・・このケガでは追えないか。

「・・・ああ。だが、その前に。」

 別の声がする。

 ヅン。

 鈍い銃声・・・密着した位置からの銃撃だろう。そして人が倒れる音。走り去る足音。

「兄さん?開路兄さん?」

 工藤はヨロヨロと歩き、倒れている人間に近寄って行った。

彼の兄は心臓を打ち抜かれ倒れていた。即死だろう。工藤は近くの壁際にもたれ、ズルズルと滑るように地面に崩れる。

 ・・・工藤は、薄れゆく意識で考えた。何故捕虜になったはずの兄が?まさか敵に・・・。洋一郎、俺はここまでだ、やはりちゃんと会っておけば。・・・ゆ・・り・・・。


 翌日。洋一郎は柴田からもらった義足をつけ、歩く練習を始めた。

 通常の手順とは大きく異なる流れだが、急いでいる洋一郎は全て省略した。精神的な問題は自分で解決したと言い張り、そのほかの理由は柴田からもらった義足が概ね解決してくれると言い張って、主治医の鎌田医師の言うことを聞かなかった。実際に、秘密厳守の約束で実物を見せられた鎌田は、最後は諦めたが、それでも

「傷そのものは手術後4週間ほど経過して安定していますが、やはり体重がかかるので当分は装着の度に痛みますよ。幻肢痛も・・・どちらも5年前に経験していたでしょうが。」

と念を押すことを忘れなかった。

 柴田からもらった義足は、寸法などは完全で、機能的にも負傷カ所への配慮も一般のものよりはるかに優れていた。特に素材が。

 屋敷の庭で、痛みをこらえ、ぎこちなく歩く洋一郎の左肩を、百合菜が支えている。

「ヨーイチ様。柴田さんがおっしゃっていたマルヒって何だったのですか?」

 5年前も洋一郎のリハビリに付き合っていた関係で、今日も百合菜がつきそいである。

「ん~。知らない方が身のため、かな。軍のヤバいヤツ。」

「・・・聞きません。」

 結局その秘密は誰にも言っていないが、要するにヒヒロイカネであった。戦神機の中心部、霊力伝達系に多く使われるこの金属は、武内大臣がもたらした精錬方法でのみ生産される。

 もちろん、ほぼ100%神威省の特機軍で管理されている。硬度柔軟性耐久力どれをとっても既存の物質より優れているが、生体との親和性も極めて高い。柴田が洋一郎に提供した義足は、主要部分がヒヒロイカネで作られており、おそらく柴田ではない、専門的な技師が設計したと思われた。何より、洋一郎の霊力に感応してか、左足の微妙な感覚も戻っているようだ。ただあまりその感覚を戻すと、その後の幻肢痛がひどい。

 幻肢痛。失った部位が、なぜかかゆくなったり痛んだりする。ないものが痛むのは、失ったことを認めたくない自分の心が弱いのか、5年前もついそう感じてしまったが。

 今、洋一郎はその痛みに耐えている。百合菜が痛み止めを差し出そうとして、止められた。

「・・・できるだけ、それ、なしでいこう。」

 感覚を保ったまま、長時間耐える必要がある。それこそ今すぐにでも。

 ・・・結局、アメリゴ東部時間の7月4日中に、ロケットの打ち上げはなかった。神威省から連絡があったのだ。現地の天候で延期になった可能性が捨てきれない、という捕捉が付いていた。実際、大統領の独立記念大会の演説内に、反攻を思わせる表現が何カ所かあったとも。

 ・・・自分とこの天気は気象操作しないのか?それほど自由に使えないのかもな。

 何度かの練習と休憩を繰り返し、皇島国時間での7月5日が終わり6日も過ぎた。

 そして、皇統国時間にして7月7日午前4時。


 ニューヨーク。

「作戦開始。」

 大統領の意を受けた司令官の、全軍に告げる声が室内に響く。

「お珍しいですね。カトー氏。あなたが自ら作戦を立案したとは。」

 スチーブンソンは一見30前の好青年である。比較的温和な顔立ち、外見的にはメンバーの最年少者ということで、委員会のメンバー誰にでも気安く話しける男だ。

 カトーは、彼を一瞥し、映像パネルを操作するために、ネオグラスに触れた。パネルには、ヒューストンでの打ち上げの様子が映し出された。

 委員会のメンバーは、今日はここにいないはずだったのだが・・・。再び自分を見るカトーに気づき、スチーブンソンは微笑みかける。

「いえいえ、あのカトー氏が、わざわざのご立案。そのご真意と顛末、実に興味があります。」

 ラスプーチン、サンジェルマンとスウェーデンボルグらとは違い、カトーは本星の技術を転用することに興味を示さない。ただ、この星の既存技術をいかに活用するか、そちらに意識を置いているように思える。そして、軍の作戦に関わるときは、最低限の一手のみ。戦略戦術、そういうものに興味を持っているようだが、深くかかわることはしなかった。どうせ勝つのだから、一番効果的な手だけ打つ。それが「効率」。変質的なこだわりだが、前回のアラスカ戦役では、誰も知らないうちに製造された気象兵器を起動した瞬間、アメリゴの勝利が決まった。その前の防衛施設建設も、その後の敵部隊への空襲も、彼に言わせれば誰がやってもいい雑務なのだろう。

 そのカトーが、最初に一手指したからには、この作戦は発動した瞬間勝利が確定しているはずだ。ただ最低限の一手、というにはいささか関わりすぎだ。今回は作戦の全てをカトーが決めた・・・もっとも100年以上続く皇島国との戦いが、この程度の戦力で終結することを考えれば、かれの大好きな「効率」に沿っているのだろう。

 敵の中枢部は破壊され、戦神機はほとんど撃墜される。これで抵抗力は皆無になる。

 作戦にはメンバーも同意した。もっともカトーの知らないところで関わっているものもいる。自分以外にも。

「ああ。なるほど。ZERO、ですか。」

 カトーが珍しく、おそらくは初めて、あの笑みを忘れてスチーブンソンを見た。

「アラスカ戦役で、予想外の健闘をしながら、その後出現しなかった、あのデモン。」

 あれがいなければ、カトーの策を使わずして圧勝できていた。逆に言えばZEROのおかげで、カトーが今まで何をやっていたのか、スチーブンソンはようやく理解したと言っていい。他のメンバーは、未だ理解していないかもしれない。

「カトー氏は、ずいぶんとあれを評価しているのですね。わかります。」

 もっともカトーは知らないはずだ。ZEROはもう出撃不能。せっかく見込んだ敵が出てこないとは、おかわいそうに、とスチーブンソンは密かに嘲笑した。なにしろZEROの出撃不能は、カトーにはわざわざ黙っていてやったのだから。


 アメリゴ東部時間7月6日午後2時。打ち上げが行われた。

 


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