3. smartphone(2)
「俺はアルスで、こっちがモリだ。いいぞ、説明しろよ」
アルスと名乗った若者主導でその場はスタートした。
ユキへの心使いも配慮も何も無いつっけんどんな態度だ。
ユキは心からうんざりとしてモリを見た。
「大丈夫ですよ」
モリが目尻を下げて微笑む。
ユキはその気遣わしげなモリの眼差しに頷いた。
そして奮い立つようにして、傍若無人な若者に視線を向けた。
挑む様にアルスを見ると、口を開いた。
ユキは時折、目線をアルスからモリ、部屋の壁に飾ってあるキリムに向けながら話した。
自分に何が起きたのか一つ一つ確認するように――――
その瞬間大学の校舎にいたこと。
友人と電話をしながら扉を開くと、あの荒野にいたこと。
それから盗賊に追われ。、二人に助けられたこと……。
ユキが話し終わるまで、二人は質問など入れずにただ耳を傾けてくれた。
初めに口を開いたのはアルスの方だった。
「そのスマホというのは何だ? 友人と話していたと言っていただろう?」
「携帯電話の事だけど」
答えながらユキはリュックのポケットからスマホを取り出した。
「これで話すだと? 手紙のような意味か?」
アルスもモリも困惑した顔でユキの顔を見つめた。
からかわれているのかと少しムッとしながらスマホのサイドにある電源を押した。
今日日この世界で携帯をしらない人間がどれくらいいる?
サバンナでだって、アマゾンでだって携帯を使っている人をテレビで見たことがある。百歩譲ってお年寄りならそういう事もあるかもしれない。でもこんな若い人間で携帯を知らないなんてあるもんですか。
スマホの画面をタップしたが何の反応も無く沈黙したままだ。
慌ててユキが画面を覗き込む。
少し傾けると、画面がクモの巣のようにピシピシとヒビ割れているのがわかった。起動しようにも壊れてしまっていたのだ。
盗賊から逃げている時だ!
あの時は手に持ったスマホの行方さえ頭になかった。ここにスマホがあること自体この二人のおかげだったのだ。
壊れてしまってはいるけれど、起動できなかったスマホを耳に当て、こうしてマリカと話していたのだと伝えるしかなかった。
解せないという顔でアルスが睨みつけてくる。
モリはただ困ったような顔をして微笑んでいる。
アルスが一旦マリカとの会話の件を保留にし、(ユキにしてみれば切り捨てられたも同然だった)ユキのいた場所についてもう一度聞いてきた。
学校、東京、日本――――
こことは全く違う都会だということ。
突然の光に一瞬だけ目を瞑ったこと。
そして目を開けると今までいた五階建ての校舎も、学校も人も町も全て消え去っていたこと。
これらを何度口で説明してみても、それはあまりに突拍子もなくて、言っている自分ですら空を切るような気分だった。
アルスが食い入るようにユキの顔を見る。
悪い事をしているわけではないのに、アルスの視線は痛い。
深海から抜け出し息継ぎする思いでユキはモリの顔を見た。
モリは重い空気を察してなのか、調度考え事がまとまったのか口を開いてくれた。
「フジ・・・ウジシ・・・。」
「あのユキでいいです」
「フジシロ」はここの人には発音しにくいのだろう。言葉を噛むモリにちょっぴり心を軽くしながら、ユキは次の言葉を待った。
「失礼しました……。それではユキ様。ユキ様がニホンという国から来られたという事は真実だろうと思います。このスマホというものもそうですが、あなたの肩下げ袋、中の書物、筆記具、靴や衣服。失礼とは思いましたが少し拝見させてもらいました。この一つ一つがサマルディアにはない材質と技術で作られたことがわかります。他国との貿易品にも珍しいものがありますが、ここまでの物を私は目にしたことがございません。少なくともこの国との国交のない国だろうということがわかります」
これにはアルスも納得したのか一つ頷きながらひび割れたスマホを眺めている。
「サマルディア皇国の事はご存じですか?」
モリはユキに優しく問いかけた。
ユキは首を横に振る。
地理は苦手だった――――
パズルのような地図に辟易するし、その首都やら特産やら国旗やらがどうしてもユキの頭に定着することはなかった。だからユキは高校では日本史を選択していたのだ。
「ごめんなさい。聞いたこともなくて。どの地域にありますか? ヨーロッパとか中東とか……」
おずおずと尋ねるユキに答えたのはアルスだった。
「ヨーロッパもチュウトウもどういう言葉だ? 国の事か? よくわからないな」
言葉が通じていないのかと疑ったが、これは入浴前にモリと話していた時も感じた、あの違和感だった。
言語自体は通じている。
「ヨーロッパ」や「中東」という言葉が通じないのだ。
「……サマルディア皇国以外の……他の国の名前も聞かせて」
ユキはまた少し体に熱を帯びるのを感じた。
「北のロベリア、西には大乾山を挟んで東トロイ国。南にはアカンティ。ベルサド王国。大海の向こう、東には黄麗国がある」
アルスが淡々と答えた。
どれも聞いたことがない。
さすがにこれだけの国を聞いたことがないなんてあるのだろうか?
地理は苦手だったけれど――――
世界の国々の一つ一つがどの場所かと問われればわからない国もたくさんあるけれど。
でも名前すら知らないなんて。
ユキは同じ質問を今度は二人にすることにした。
「アメリカは? 中国は? イギリスやロシアやフランスは知ってる?」
「それは国なのか?」
表情なく即答するアルスの声にユキは凍りついた。
――――絶対に無い
日本は知らないけれどアメリカや中国のような大きな国を知らない人がこの世界にいるだろうか?
ユキの心にはまた不穏なものが広がろうとしていた。
ここはユキの知る世界とも違うのではないだろうか?
可能性としてはいくつかあったのだ。
旅行中に記憶喪失に陥ったとか、眠っている間に誘拐されたとか。
どちらも有りえない話ではあるが、それならユキの常識の中に収まりも付くのだ。でもこれはそんな有りえない話の更に外側にあることがわかった。
できれば二人が大ウソつきであって欲しいと願った。
二の句を継げないでいるユキに今度口を開いたのはモリだった。
「サマルディア皇国をご存じでないユキ様が流暢にこの国の言葉を話されるのはどういったわけなのでしょうか……」
それは問いかけているようにも、独り言のようにも聞き取れた。
ひきつりながらユキは本当の事を言っていいのかわからなかった。
自分でも当に感じていた違和感。正面から確認するのが恐ろしかった。
サマルディア皇国の言葉なんて知らない。
知るわけがない。
初めから自分は日本語しか話していないのだから。
沈黙が広がる中でその息苦しさを絶ったのは意外にもアルスだった。
「よかったな。言葉が通じて」
何一つ解決はしなかったが、話の区切りも付いたのでモリから提案があった。
自分達よりも知識に富む知り合いがこのサマルディア皇国の首都に複数人いるという。
彼らならユキの身に起こったことにも答えを導き出せるのではないか?
そういう事だった。
モリとアルスは北のロベリア国からサマルディアの首都サインシャンドへの帰路の途中だったそうだ。
トーレスの人ではなくこの国の中心に暮らしている人達だったのだ。
「盗賊を追っていたと言っていたから、トーレス? という町の警察とか兵士なのかと思った」
「困っている方々がいたので手を貸していただけなのです。私もアルス様も……」
言葉に詰まったモリの後を、すかさずアルスが続けた。
「まあ俺もモリも学生だな。ロベリアに遊学していたのだから」
「全然学生には見えないんだけど」と口に出そうとしたがユキは止まった。
自分だってきっと学生には見えないだろう。
そういえばアルスは『旅芸人か?』と聞いてきた。この国の人から見ればヒラヒラのミニスカートで足出して歩く人間が学生になんて到底見えない。
とりあえず二人はあの恐ろしい盗賊から救ってくれ、この家に運んで介抱してくれたのだから、悪人ではないようだ。
ここにいても何も解決しない事だけはユキにも理解できる。
二人について首都を目指すことを決めた。
出発は明日の早朝だと言われ、もう一晩メリノの家に厄介になることとなった。