3. smartphone(1)
「メリノさん。お世話かけてすみません」
「ええがて。それより気持ちいいかえ?」
「はい。とっても」
ユキはメリノの家の食堂の奥にある厨の隅の衝立に囲まれたタライの中に座っていた。側ではあの食事を振る舞ってくれたふくよかな女性、メリノが桶から水を汲み、ユキの頭の上から注いでくれていた。汗と泥にまみれた体から一枚するんと抜け出せたようで、久々にすっきりとした気分を味わっていた。
トーレスという町の西にあるこの小さな村、パロ村は近くの小さな池から引いてある細い水脈が村人にとっての唯一無二の大切な水なのだそうだ。
その貴重な水を水差しからまたそっとユキの頭上からメリノは流してくれた。
さわやかなハーブの香りの中で、ユキの頭の中の靄は次第に薄れていく。
そして人も家も、食事も水の冷たさもあまりにもリアルで、これは夢なんかではなく、現実の出来事だという暗い確信が生まれていた。
夢でなければ私はどこにいるんだろう?
「しっかし、ユキちゃんは肌がえらい白いね。あたしゃこんなに肌のキレイな人を初めて見たえ。まるでガジャラの花みたいだわ」
どんな花なのかはユキにはわからなかったが、綺麗だと花に例えられることが初めてで真っ裸の自分が恥ずかしくなった。
「ああごめんよ。ジロジロ見ちまって」
ユキの身じろぎに気付いたのかメリノは顔を逸らしながら謝ってきた。
「いいえ。花に例えられるなんて光栄です。恥ずかしいけど」
せっかく褒めてくれたメリノに悪くて慌ててユキは答えた。
確かにこの国の人々は髪は茶色っぽく日本人の髪よりも色素が薄い。その代り日差しが強いせいなのか、肌の色は日本人より少し暗めで小麦色をしていた。
その肌の中で瞳はいろんな色をしている。
あの若者は空色。
モリは紫色。
このメリノの瞳は薄い黄色だった。
大判の綿布をメリノが出してくれたので、それで体を丁寧に拭くと、ユキはリュックサックの中から、今日着る予定だったTシャツとデニムのショートパンツを出して履いた。
マリカの家に泊まる予定だったからこそ、着替えを持っていたのだ。
これってラッキーなことなのかな?
そんな考えが頭をよぎった。
「あの、メリノさん。今着ていた服洗ってもいいかなあ?」
着替えの間、裏戸から外に出ていてくれたメリノに声を掛けた。手をエプロンで拭きながら外から入ってきたメリノは、ユキの姿を見てギョッと顔をしかめた。
「ちょいとお待ちな! ユキちゃん。またあんた……そんな姿で表歩く気かえ?」
「え? 何か変ですか?」
メリノの驚いた様子にユキもギョッと顔をしかめた。
「あんた、そんなに足出して歩いとったら、嫁の貰い手もおらんくなるで」
「……どういう事ですか?」
「こん国ではそんな足出してるおんなご(女子)なんておらん。ほれ、わしだってここまでのパテロ履いてるえ?」
そう言ってメリノは自分の足首の辺りを指さした。
よくよく聞いてみると、このサマルディア皇国では女性は皆、「パテロ」という今メリノが履いているゆたりとしていて裾をすぼめた、いわゆるモンペに近いズボンを着用するか、「カーテル」という丈の長い巻きスカートを履くのが一般的なのだそうだ。
なるほど
ショートパンツに膝の見えるシフォンのスカートではギョッとされても仕方がない
「でも、私これしか服もって無いんだよね……」
ユキの困り顔を見てメリノは、
「ちょいとお待ちな」と食堂の方から出て行ってしまった。
次に戻るとメリノの手には数枚のパテロがあった。
「こりゃ私の若い頃のもんえ、色も派手で着やせんで、これをお履きな」
そこからやまぶき色のパテロを受け取るとショートパンツをリュックに詰め込んだ。見かねたメリノはもう一枚桃色のパテロをリュックの中に入れてくれた。
厨から食堂へ恐る恐る出ると、モリはもうそこにはいなかった。
気配を消しながらそろりそろりと部屋に戻った。
扉を少し開けてみたが、そこにもあの若者もモリの姿も見えなかった。
ユキはホッとしてドサリと寝床に転げた。
あの二人はどこかへ行ってしまったのだろうか?
盗賊を追っていたというけれど、この村の人間には見えなかった。厨でメリノに事情を尋ねられた時、ユキは盗賊に襲われた話をした。
その時彼女は、「トーレスの町でも襲われたのかね」と顔を歪ませていたのだ。
彼らはトーレスという町の人間だったのかもしれない。
警察とか……兵士とか……。
ユキは深く息を吸って、一気に吐き出した。
ともかく自分はこれからどうしたらいいのだろう?
どうすれば家に帰る事が出来るのだろう?
外国に迷い込んだ事は確実だ。
その方法も理由も、何もかもがわからないけれど……
コンコン。
その時ユキの部屋の扉をノックして声をかける者がいた。
穏やかで深いモリの声だ。
この村から出て行ったわけではなかったようだ。
のそりと寝床から起き上がると、ユキはそっと扉を開きモリを部屋に招き入れた。
「お休みでしたか?」
問われてユキは、首をぶるぶると横に振った。
「あの……。さっきは取り乱してしまってごめんなさい。変に思うかもしれないんだけど……私がここに来た時のことを聞いてくれませんか?」
泣き叫んでも現実逃避しても、もはやどうしようもない。
ユキはこの状況をどうにかすべく、自分の身に起きたことを正直に話そうと決意した。
「ええ、もちろんです」モリは快く了承した。
「よければ部屋に一緒にいました、私の連れも同席して良いでしょうか?」
「……ええ、はい。もちろん大丈夫です」
ユキはほんの一瞬だけだが心の底からげんなりとした。
でもそれを気づかせない早さで快諾を装った。
ホントの所モリだけに話を聞いてもらいたい。
しかしユキは、誠実な響きを持つモリの声に「あの人は嫌です」……なんて子どもじみた事を言うのは気が引けてしまったのだ。