12. サマルディア皇国(1)
翌日ユキが昨夜書庫に置き忘れた本を取りに行くと、ググンがユキを訪ねてやって来た。
「ユキ様少しよろしいですか?」いつもよりも何やら神妙な顔をしている。
ユキが頷くと書庫の大きな机に向かいあい座った。
一体何の話だろう?
ググンはこのサマルディアについて話したいと言う。ユキも勉強になる事だしと快諾した。
ググンはいつもの早口ではなく、彼にしては落ち着いてゆっくりと、この国の成り立ちやブレングル皇家について話してくれた。
ユキにはこの国の歴史の本までは読む余裕も無かった為、とても勉強になった。
「……ユキ様。東トロイという国をご存じですか?」
少し思い出すようにしてからユキは頷いた。
確か何とかという山の向こう側にある国だった気がする。
「大乾山という、大きな山脈の向こうにある国です。人がこの山脈を越える事は不可能で、
頂上は氷に閉ざされた神の国だと言われております」
ユキはなんとなくテレビで流れるエベレストの頂上を想像した。確かに良く体を鍛えて、最高級の装備をつけた登山家が、体を氷にさらされながらやっと登っているのだ。
ググンは続ける。
「この東トロイという国は、もともとトロイ王国という国でした。しかし20年ほど前に、軍部がクーデターを起こし、西の王家と東の軍部に分かれてしまったのです。王家の収める国は西トロイ王国となりましたが、結局5年ほどで、軍事国家となった東トロイに飲み込まれてしまったのです」
ユキはジッとその話に耳を傾けていたが、大きな山脈の向こう側の国が、サマルディアの何に関係があるのか、今一つみえなかった。
もしかしたら、ユキの見聞を広めるために話してくれているのだろうか……?と考えた。
「東トロイ国はまだ国内は安定していませんが、好戦的なランドルス将軍が治めています。戦力の回復が見込まれたら、周辺国への侵略も大いにありえる事です」
ググンは話しながら大きな地図を広げた。
「このサマルディアは東トロイに接してはおりません。大乾山が守ってくれていますし。ただ問題は南のベルサド王国です。ベルサド王国は東トロイ国と接している小さな国です。万が一この国が攻められる事になれば、火の粉はサマルディアにも届きます。」
ここで初めてサマルディアにとっても、東トロイ国が脅威なのだとユキはわかった。
「いいえ。もし戦いになれば、サマルディアもベルサド王国を支援することは間違いありません。二国が協力すれば、今の東トロイ国を退却させることもそれほど難しくは無いのです。」
ググンがフーッと息を吐く。
「問題はベルサド王国が戦わずして、東トロイ国と同盟を結んでしまうかもしれない事なのです。ベルサド国王はとても打算的な方です。条件によっては、簡単に東トロイに頭を垂れることも有りうるのです」
ユキは頷く。
「そこでベルサド王国と強い絆を保つ為にと文官たちが取りまとめようとしている事があります。……皇子の婚姻です」
ユキの瞳が大きく開かれた。
「皇子には複数の縁談話が来ております。どれも素晴らしいお血筋の姫君ばかりです。その中でも外交の今一番優先される、ベルサド王の長女、パリール様との縁談は我が国にとっても皇子にとっても申し分の無い良縁なのです」
そこまでの話を聞いてユキの心は大きく揺れた。
――――皇子の縁談
これはあのトルゴイ県知事の別荘で聞いたものだった。噂話程度だと思っていたが、実際にはたくさんあり、最も有力な花嫁候補はあのハスゴワの娘ではなく、ベルサド王国という他国の姫君だったのだ。
「皇子が遊学よりお帰りになられたら、この縁談を進めていく事になっておりました。しかし戻られてから、皇子は突然すべての縁談を断るように指示されて……。再三に渡り私も、大臣方も説得しているのですが、全くお耳をかしてはいただけないのです」
ユキは話してくれたググンの顔を見つめていた。
この人はどこまで自分とアルスの事を知っているのだろうか?
いつもはそのポヨンとした容姿に加え、おしゃべりも早く、大ざっぱで、繊細な所など垣間見ることはできない。「女神マニア」とバトーに言わせるくらい、ちょっと変わった所のある男だった。
でもその認識は間違いだったと気づかされた。
この人は皇子の側近中の側近であり、ブレーンである。その頭脳と話術で文官をまとめ上げているのだ。
きっと全て気づいているのだろうとユキは思った。
私に何ができる?
「私……ここを出て行きたいと思っているわ。この国にも慣れたし、『女神の書』を書く事ならどこでだってできるから。ググンには悪いんだけど、どこか別の家を手配してもらえる? それから……できればだけど、あなたの大切な収集本も貸して欲しいの」
ググンは頭を深々と下げた。
「ユキ様。ありがとうございます。最上の館を準備いたします」




