10. 女神マニア(3)
アルスから「目立たない服装で来い」という指示があったので、ユキはパロ村のメリノにもらった桃色のパテロと、サラナが準備してくれたシャツ。それにヴェールをかぶって準備した。
本当はリュックを持って行きたかったのに、それは目立つからと2人に止められてしまった。代わりにヘレムが、かわいらしい赤色の肩下げバッグを貸してくれた。それにタオルや化粧ポーチを入れて準備する。お財布やスマホが無いのでバッグは軽かったが、その身軽さがかえって心もとない気がしていた。
門の側で待っていると、いつものラフな格好でコルトに乗ったアルスがやって来た。頭には紺色のターバンを巻き、そのターバンの端を口元にまで巻き付けている。本人曰く、皇子だとばれない為のお忍びスタイルだそうだ。
ユキを自分の前に乗せると、アルスは門をくぐり出発した。
あれ? 私とアルス2人だけなのかな?
なんだか不思議に思ってアルスに声を掛けた。
「ねえ、今日モリさんは?」
「……モリがいたほうがいいのか?」少し間があって、アルスが答えた。
「別にそうじゃないけれど、いつも一緒だったし。何よりアルスの近衛隊長なんでしょう?」
「こうやって街に出る時はなるべく1人にしてもらう。それでも俺に距離をとって、護衛がついてるんだよ」
結構、この人お忍びで出歩いているのね
ユキはそれを聞いて妙に納得した。
皇太子であるアルスが町や村など庶民の暮らしにやたらと詳しいのだ。
それは知識と言うだけでなく、細々と体感してきたようなリアルさを併せ持ったものだった。
だからこそアルスに対して「皇子様」という人物像は言われるまで、終ぞユキの中で出てくる事は無かったのだ。
悪く言えば皇子のくせに世慣れていてガサツな感じ、良く言えば身分などどうでもいいといったような自由さや奔放さがアルスにはあった。
ユキは旅の途中の出来事も思い出していた。
知らない人間を盗賊から助けたり、湖で溺れる子どもの為に、何の躊躇も無く突進していったアルス――――
ヨデル湖で、青くなり慌てていたモリの顔が目に浮かんだ。アルスに仕える者の気苦労が知れる気がした。
「ところで今日はどこに行くの? なぜ私が一緒なの?」
ユキは思っていた事をそのままアルスに伝えた。
顔は見えなかったけれど、アルスが少しムッとしたのが伝わってきた。
「お前が馬車の中で、サインシャンドの街を見てみたいと言ったんじゃないか」
そんな事言ったっけ?
ユキは急いでエレノワの宮殿からサインシャンドまでの道のりを思い返した。
あの時は少しパニック状態で、手あたり次第話題を出してしゃべりまくったので、自分が「街を見たい」と言ったのかどうか全く思い出せなかった。
「…………そうだったね」
ユキは自分の記憶を呼び醒まそうとしながら、とりあえず上の空でアルスに返答した。
結局どうやっても記憶が戻らなかったユキは、話題を変えるべく、違う話をアルスに振った。
「でも、すごく忙しかったのに、宮殿で今日くらいはゆっくりした方が良かったんじゃないの?」
インドア派のユキなら絶対にそうするのだ。
「この数日間どれほど仕事していたと思ってるんだ? 毎日大宮殿(深碧の宮殿)に行っては、見たくもない大臣たちと顔をあわせての会議三昧。宮に帰ればググンとヒシグに挟まれて『あーでもない』『こーでもない』と言われながら書類の山を片付けていたんだぞ」
なるほど
アルスのストレス発散でもあるのか
そう思い、ユキは納得した。
コルトに乗り北へ向かうと、すぐに大通りへ出た。ここは馬車や馬に乗る人々、荷物の移動でごった返していた。
そこから東に向かう道へ入ると、ほどなくして商店や屋台の並ぶ市場に出てきた。アルスが一軒の食堂へ入った。そこの店主と知り合いらしく、コルトを預けると店から出てきた。
人ごみで危ないので、コルトはいつもここに預けているらしい。聞くと店主は以前宮殿で働いていた兵士だったのだそうだ。
市場の入り口に立つと、ユキは目を見張った。物凄い人の数である。夏の花火大会のようなエネルギーと喧騒がそこにはあった。
こういう場所へ来るとなぜか人はわくわくしてしまう。ユキも例に漏れずそのタイプだった。
「何してる? 迷子になるぞ」
アルスがユキの手をとった。
確かにこれは迷子になると大変だ。携帯も無いし、知り合いもいない。方角すら良くわからないのだ。道を尋ねる交番も無さそうだ。
ユキはそのままアルスに手を引かれ歩く事にした。
でも二人だけで手を繋いで歩くなんて、まるでデートみたいだと思った。少し前を歩くアルスを見上げた。何だか照れくさい気がした。
市場にはユキの見たことの無い物がたくさんあった。いろんな物がごちゃごちゃと店先に並べられていて、見ているだけで楽しかった。
ユキが「あれは何?」というとアルスが丁寧に説明してくれたし、食べ物なんかは次々に買うものだから、ユキはお腹いっぱいになってしまった。
しばらく進むとバッグや袋がたくさん並べられたお店が見えた。市場には専門店が多く、ヴェールはヴェールの専門店、パテロはパテロの専門店がそれぞれあるようだった。
ヘレムからの借り物のバッグが気になっていたユキは、店の前まで来ると歩みを止めた。ユキが店先のバッグを見ていると、店主のおばあさんが話しかけてきた。
可愛らしい花のモチーフの付いた肩掛けや、蝶の刺繍の入った手提げ、巾着型のピンク色のサテンの袋も可愛らしかった。
おばあさんにすすめられながらユキが手にとって見ていると、アルスが、「じゃあそれ全部くれ」と言った。
ユキもおばあさんもギョッとしてアルスの顔を見た。おばあさんが出してくれたものだけで五~六個あったのだ。
「私いらないよ。ホントに」
ユキは焦りながら言ったのだが、アルスはそれに耳をかさなかった。おばあさんとやりとりして、それらのバッグを全部包んでもらっていた。
店を出たアルスに慌ててユキも付いて行った。振り返ってユキの手を引こうとするアルスにユキは言った。
「私、そんなに出歩くわけじゃないし……」
アルスはジッとユキを見る。
「別に俺が買いたかったから買っただけだ」
「え? 自分で使うの?」
ユキはトンチンカンな質問をした。
「そんな訳ないだろ。ユキが欲しがっていたから、買いたくなっただけだ」
そう言うと、ユキにバッグの入った包みを渡した。
「ほら」
……私の為に買ってくれたのか
ユキが両手でその包みを抱えた。
「……でも重いだろ?」
そう言うとアルスはまたユキの手の中からバッグの包みを持ち上げた。もう一つ空いた方の手でユキの手を引いて歩き始めた。
前を歩くアルスの後ろ姿を見つめた。ユキはこういう場合の一番正しい方法を取る事にした。
「ありがとう」
ユキが微笑むと、アルスも振り返って微笑んだ。
美しい夕日が辺りを染め上げる。
アルスはコルトの手綱を持ち、その横をユキは歩いた。長い影法師が帰り道に伸びる。
「ユキ……。明日から1週間くらい遠出することになったんだ」
「へえ。ホントに忙しいんだね」
「ああ、主に査察だから昼間は忙しいが、夜はそんなに予定も無く自由なんだ」
「そうなんだ。よかったね」
「…………」
会話がそこで途切れる。
「ああ。……えーっと、観光もそれなりにできるし…………ついて来ないか?」
ユキはその言葉に、横を歩くアルスを見上げた。
「そうね…………」
ユキは考えた。
今のユキにはやることが山ほどある。ここで休みなんか入れてしまうと、覚えた事の全てが水の泡になってしまうような気がした。
「アルス。私さ、もう少し生活自体が落ち着いてから、いろいろなとこに行ってみたいなあって思うの」
「そうか……」
なんだかアルスの元気が無いような気がした。
自分だけでも側にいれば、こうやっていくらでも付き合える。少しはストレス発散になるのだろう。
あれだけ忙しいんだもんね……
ユキはボンッ!と、力いっぱいアルスの背中を平手で打った。
「がんばって来てよ、皇子様!」
少し茶化すようにユキは笑った。
ぶたれた背中をアルスがさする。
「何だよ? 急に」
「闘魂注入よ」
「トウコンチュウニュウ?」
「そうだよ。元気出たでしょ?」
アルスは笑う。「ああ……そうかもな」
――――夕日を浴びたアルスの笑顔は、いつもより眩しく感じた。




