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10. 女神マニア(2)

 別館の翡翠宮は中央の紅玉宮(中央棟)の西側から渡り廊下で繋がっていた。紅玉宮よりも百年ほど新しく建造された建物だ。一階には書庫と湯殿や中規模の広間があり、二階が居室になっている。

 ユキの為に準備された部屋は〈白鹿の間〉といわれていた。中は白を基調としていて、豪華なレースやフリルのついたシルクで飾られている。

 アルスは「もっと広い部屋を用意しろ」といっていたけれど、藤城家の1階と2階がすっぽり収まるほど広々としていた。

 

 あかつきの宮殿へ来てから、数日が過ぎようとしていた。

 ここ最近、アルスの姿を全く見かけない。到着した日の翌朝、食事の時に顔を合わせたきりだ。昼食も夕食も一緒に取ることは無かった。


 皇太子のアルスの事だ、そりゃあ忙しいよね


 ユキはおいてけぼりをくっているような気持ちになったが、すぐにそんな思いは心の隅に追いやられた。

 ユキに待ち受ける『課題』は、大学の比では無かったのである。



 ユキはまずググンの収集したという「女神の書」関連の本を読むことにした。書庫の中を案内してくれたググンが、たくさんの本を出してくれて、あれやこれやと説明する。

 ユキは少し気合を入れて、本を手に取った。

 サマルディア語で書かれた本を、どれほど自分が読めるのかわからなかったからだ。

 しかしそれは杞憂に過ぎなかった。


「難しい古語も使われております」

 とググンは言っていたのだが、ユキには全く関係なかったのだ。 

 ユキが古文をスラスラと読む姿を見て、ググンは歓喜に震え、また胸に手をあてて何やら祈っている。


「……ねえ。それちょっと止めてよ」

 ユキは苦笑混じりに、ググンを止めた。

 ググンはどれほど素晴らしく、神秘的な事かと切々と説明してくる。

 

 バトーの〈女神マニア〉という言葉が頭の中でチラつく。女神に対する真剣な思いが、ユキにはどうしても滑稽に見えてしまうのだ。

 

 ユキは気になってアルスの様子を聞いてみた。暁の宮殿にも帰ってきておらず、ここが本当にアルスの住まいなのか疑いたくなるようだ。

 

 ググンが言うには、もともと多忙な皇太子が、何とか調整して遊学に出発したそうだ。本来1か月半の予定で戻る所を、半月もオーバーしてしまったらしい。

 おそらく自分のせいだとユキは思った。

 仕事が溜まっているのも仕方がないとググンは言うのだ。


「それは大変だね。……でも一日くらい、休みを取った方がいいんじゃない?」

 熱弁するググンにそっと言うと、

「あと三日がヤマです!」 

 ググンは毅然として言いきった。

 

 これはアルスも大変ね

 

 ユキはその忙しさにいささか同情してしまった。


 

 それから数日が過ぎた。

 ユキの日々の日課が固まりつつあった。

 一番重要な事は〈女神の書〉の作成だ。

 

 ユキはサマルディア語を文字で書く事にも、困ることはなかった。日本語は頭の中で、すんなりとサマルディア語の文字に変換する事ができていたのだ。


 ――――問題は筆記の技術だった。

 まず羽ペン自体が使いこなせない。

 ペン先にインクを吸わせ書く事に慣れない。滲んでしまったり、かすれてしまうのだ。文字を書く力加減も微妙で線がぶれてしまう。


 こればかりはすぐに慣れるものでもないので、ユキは持っていたボールペンを使う事に決めた。

 初め、消しゴムで簡単にやり直せるシャープペンシルで書いていたのだが、「消えてもらっては困る」とググンに説得されて、ボールペンになったのだ。


 インクがどれほど持つかはわからないが、消えないという事が重要らしかった。

 

 次に問題になったのは、サマルディア語の文字の汚さである。書きなれない文字は、終始カタコトの言葉を話すように安定しない。

 

 サマルディアの文字を見慣れないユキにでさえ、自分の文字が下手くそな事は嫌でもよくわかった。

 

 ユキはここにきて自分ではピカ一のアイディアをググンに伝えた。

 それは、筆記役を誰かに頼み、ユキが本を読んで話し言葉で伝えるという作戦だった。

 これもググンにはあっさとり却下されてしまった。女神マニアの話では、女神自身が書を記すことに意味があると言うのだ。


 仕方がないので、ボールペンで記入しつつ、ググンの部下であるヒシグにじっくり毎日2時間、手習いの指導をしてもらうことになった。


〈女神の書〉作成の他は、このサマルディアにおける医術関連の書を読み漁った。何の医学的知識も無いユキだったが、この地の医術を知る事は、翻訳する上では当然必要不可欠の知識だった。


 医術の書を読みすぎて頭がショートしてしまうと、今度はググンの収集した女神の書関連の本を読むことにしていた。

 各地の女神の伝説は物語のようで、意外と楽しく読むことができたのだ。それに付随してどのように女神の知識が世界に浸透しているのか、という事もユキの興味をそそった。

 

 とにかく古文でも現代文でも関係なく読めるユキではあったが、サマルディア独自の言葉には少し骨を折った。

 この国独特の物や習慣で、ユキの世界に存在しない物などは人に聞いたり、調べたりしないと意味がわからない。先に読み進められないのだ。前後の文脈でわかるものもあるのだが、ちんぷんかんぷんで終わってしまうものも多かった。

 

 あと3日がヤマだとググンは言っていたが、すでに5日目の朝が過ぎてしまった。

 ユキがいつものように書庫で奮闘していると、久々にアルスが顔を見せた。


「どうしたの!? やっと仕事が終わったの?」ユキが驚いて声をかけた。

 アルスはまだ寝ぼけ眼だった。

「明け方までかかって、ようやく目途がついた」

 

 今は朝食もとっくに終わり、3の鐘(およそ午前10時)が鳴ったばかりだった。

「明け方までやってたの? お疲れさま。それならまだ、寝てたらどう?」

 ユキはアルスを気遣って言った。


「割と眠れたから大丈夫だ」とアルスは答える。

「それよりも準備しろよ。外に出よう」

「え?」

 アルスが言うには明日からまた忙しいので今日街へ出ようということだった。


「今ヒシグに教えてもらっているし……」ユキがペンを握ったまま困り顔で答える。

 アルスはヒシグに「今日は終了だ」と言い渡した。

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