9. かわいくないひと(4)
朝からユキの部屋ではヘレムとサラナが忙しく荷造りをしている。明日このエレノワの宮殿を出て、いよいよ首都のサインシャンドへ出発するのだ。
今朝は朝食の時にアルスと顔を合わせたが、いつもと変わらない態度で接する事が出来た…………と思う。
部屋の喧騒を横目に(手伝うと言ったのに2人に却下された)やる事もないので、昨夜の件について考察することにした。
1、 幻聴。
2、 アルスは酔っぱらっていた。
3、 実はいつの間にか酒を飲んで、自分の方が酔っていた。
4、 本当に言われた。
この中では1か2が本命だと思った。3だと自分が怖いし、4は大穴である。
暇なのでそんな馬鹿な事を考えていたが、どれが真実にしろいつもと同じ態度でアルスに接する以外ユキにできることは無い。
バトーなんてそんな事を毎日ユキに言ってくるのだから、少しは免疫も付いたというものだ。
それでもユキは、暇なくせに外には出ようとしなかった。万が一アルスに会ってしまったら、どんな態度をとればいいのか、結局わからなくなりそうだったからだ。
トントン
部屋の扉がノックされ、ユキは飛び上がった。サラナが応待する。
「ユキはいるか?」部屋を訪れたのはアルスだ。
振り向くサラナに、死角からユキが大きく腕でバッテンをして、頭をこれでもかと言うほど横に振った。
「…………先ほど外へ散策に出られましたわ」サラナは仕方なく答えた。
「そうか……」とアルスは引き返して行った。
胸をなで下ろしたユキに、ニヤニヤとしてヘレムが声をかけた。
「昨日あれから、何があったのですか?」
昨夜はアルスに抱きかかえられたユキが、挙動不審で部屋に帰ってきたので、ヘレムとサラナは密かに盛り上がっていたのだ。
「何もないわよ。靴擦れしたと言ったでしょ?」
見るとサラナもニヤニヤしている。
この二人とは同世代の女同士という事もあり、話すのが楽しい。いつの間にやら打ち解けていて、学校で友達と話している感覚に陥るのだ。
「相談に乗りますわぁ」
サラナが甘い言葉をかけてくるのだが、ユキは今の所黙秘することを選んでいた。
このくらいの事で相談しても茶化されるのが関の山だという事を、21年女として生きてきて知っているのだ。
出発の時、門の前には大勢の人が集まってくれていた。見送りの人へとユキは頭を下げる。
「エレノワ様、大変お世話になりました」
エレノワが美しく微笑む。
「ユキ、お前にこれを渡そうと思っていたのだ」
エレノワの白い手の平には、金色の三日月にダイヤの入った、小さなネックレスがあった。
「お前の滞在中に渡せるよう、職人に急がせたのよ」
側にいたサラナがユキの首にそれをつけた。
「よう似合っておるわ」ユキが胸元に手を当てた。
小さく作られたペンダントトップのおかげで華美になりすぎず、普段から付けていられそうだ。
胸がジンと温かくなる。
「エレノワ様……本当にありがとうございました」ユキは涙目になった。
「いつでもこの宮へおいで」
そう言うと、エレノワはユキを抱きしめた。ユキもギュッとエレノワの細い肩を抱きしめた。
「叔母上、お世話になりました。またいずれ……」胸に手を当て、アルスはピシリとお辞儀をする。
「アルス。お前、ユキをくれぐれもたのむぞ」
「もちろんです」
にこやかな笑顔を浮かべると、アルスがユキに手を差し出した。
「ほら、行くぞ」
「あ、それなら私はヘレム達の馬に乗るから大丈夫よ」
「そんなナリで馬に乗る気かよ?」
ユキはアルスの目線に追随して自分の足下を見る。
そういえば今日はパテロではなく、長いカーテルを着せられていたのだ。
「散歩くらいならいいだろうが……今日は馬車だぞ」
見ると前方には豪華な屋根付きの馬車が控えている。サインシャンドまで同行してくれる事になった、ヘレムかサラナの馬に乗せてもらうつもりだったので、大きな誤算だ。
「ほら、手を出せ」
渋々アルスの手を掴んで馬車に乗り込むと、アルスもユキの後ろに続いた。
ここから半日アルスと馬車で過ごすと思うと、嫌な汗が出てくる。
シーン――――
……なんて、沈黙に陥るのだけは避けたかったのだ。
ユキは見送りの者達に手を振った。馬車が動きだすと、人々も道の向こうに小さくなって行き、見えなくなってしまった。
それでもユキは馬車の窓から、しつこく後ろを振り返っていた。
とうとうアルスと2人きりだ。
覚悟を決めて座り直すと、ユキはアルスを質問攻めにした。マシンガンのようにしゃべりまくる。
聞こうと思えばこの国でユキの知らない事なんて、山ほどあるのだ。
一通り思いついたこと、目についたことを話してしまうと、口の中がカラカラに乾いた。
どうしようか?
何を言おうか?
ユキが高速で考えを巡らせていると、アルスが口を開いた。
「…………もう、俺がしゃべってもいいか?」
「ダメ」
ユキは即答してしまった。
あわわわ、やっちゃった
アルスがこれ見よがしにため息をつく。
「どうしてそんなに避ける?」
「避けてないじゃない。ずっと二人で話しているわ」
「どこがだ? ピーチク、パーチクどうでもいい事をしゃべり続けているじゃないか」
それに反論しようとしたユキに間髪入れずにアルスは続けた。
「俺が言ったことを気にしているのか? その……お前を可愛いと言ったことを」
ズバリ言われてユキはまた赤面した。
どうやら幻聴ではなかったらしい。
「可愛気が無いと言えば怒るし、可愛いと言えばこれだ」
アルスは更にため息をつく。
「どうしろと言うんだ?」
「どうもしなくていい。と……とにかく余計な事言わないでよ」
ユキはそっぽ向いた。
一ついい考えが浮かんだ。
このままユキは馬車の柱に頭を添わせると、目を瞑った。
アルスもそれ以上口を開く事は無かった。




