7. true princess(2)
涼しい風が吹いてくる頃、ユキは大広間へと通された。
多くの人が席に並んでいる。金銀宝石を身に纏った男女から優雅な笑い声が聞こえる。甲冑の兵士も所々に立っていて、ユキが体験した事の無いような荘厳な空気感だ。
広間の西側前方に皇子一行の兵士の姿が見えた。
皆の顔が見えて、ユキはようやくホッと胸をなで下ろした。
ユキの席はトーガの隣に準備されていた。
「ありゃ? お姫様のお席はここですか? 皇子の隣じゃないんですね」
ユキが席に着くと案の定軽口を叩く。
「ちょっと変な事言わないでよ。私はこの席でホッとしているんだから。……それと『お姫様』は止めて。名前はユキよ」
するとトーガの隊の小隊長、ダライが口を挟んだ。
「良かったじゃないか、トーガ。今日はユキ様のような別嬪さんが隣だぞ。わざわざ宮仕えの女の尻を追っかけて、手ひどく振られる必要も無いな」
周囲は笑い声に包まれた。
「違ぇねえ」誰かが合いの手を入れた。
「そうよ。私がお酌くらいしてあげるから」
「ひでー」
ユキもからかうとトーガは膨れ面をしてみせて笑った。
一斉にラッパの音が大広間にこだました。ざわざわとしていた広間はシンと静まりかえる。
正面の大扉が開いて、アルスの姿が見えた。その隣には若い女性が立っている。
アルスは彼女の手を引いて前方の檀上まで進んだ。アルスはにこやかにその女性の為に椅子を引いてエスコートしている。
「ありゃあハスゴワ知事の娘だな」誰かがそう呟くのが聞こえた。
ユキの心臓がトクンと鳴った。
彼女は顔が小さく、切れ長の瞳にポッテリとした唇をしていた。紫の豪奢な刺繍の入ったパテロにシフォンのカーテルを纏っている。くるんとカールされた長い茶色の髪には金色の髪飾りが光っていた。
『……彼女は花嫁候補なのだろうか?……』
後ろのテーブルからヒソヒソと話し声がする。
ユキは耳を疑いながら、隣の席のトーガにそっと耳打ちした。
「皇子はまだ若いでしょ? 花嫁を探す年齢ではないわよね?」
ユキが驚いていると、トーガは、
「皇子はとうに成人にお成りだぞ。もう十九だ。この国なら結婚する者も多い。特に皇子は王位継承者だしな」とささやいた。
〈花嫁〉という言葉はユキの心に見えない棘のように刺さった。
目では確認できないくらいその棘は小さく細い。でも確かにユキの心のどこかでジクジクするのだ。
檀上の二人を見る。
何を話してるんだろ…………?
その声は壇上から遠く離れた、ユキの耳には届くはずがない。
ただその本当のお姫様に、見た事のない微笑みを浮かべるアルスは、自分の知っているアルスと同一人物とは思えなかった。
「お姫さん。もう飲むの止めろよ。アガナは飲みやすいけど、むちゃくちゃ強い酒なんだぞ」
トーガがユキの手からボトルを取り上げようとする。
ユキはそれを断固として拒んだ。
そういえばここに来て初めてお酒を飲む。甘い芳醇な香りのするアガナは、赤い果実酒だった。果実酒といえど、甘さはなく、スッキリとしていて飲みやすい。
ユキはこう見えてかなりお酒が好きだったし、強かった。これは遺伝的要素が強い。父も母も姉も、祖父母も従兄弟達もみんな酒が強く、親族一同が集まる席では缶やボトルが凄まじいスピードで空になり、資源ごみの袋を大入り満員にするのである。
だからユキはアガナのボトルを離すつもりは全く無かった。
「ちょっと、トーガ。邪魔しないでよ。私お酒は強いんだから大丈夫。それに姫なんて呼ぶの止めてよね」
ユキはそういうとグラスの残り半分を一気に飲み干した。
今夜はとにかく飲みたかった。
そこに見かねた小隊長のダライも止めに入ってきた。
「ユキ様、さすがにもう飲みすぎです。トーガ、ユキ様の手からボトルをお取りしろ」
ダライの命令でスルリとボトルは取り上げられてしまった。ムカッとしたユキは立ち上がろうとしたが足に力が入らない。
あっ このお酒ホントに強い
やっとわかった頃にはユキはすっかり出来上がってしまっていた。
「ううーん。……お水が飲みたい。暑いから外行きたい」
「ハセル。水持って来い!」
そう言うとトーガがユキの体を支え、外廊下の方へ連れ出してくれた。
外の庭園に面した廊下は、涼しい風が吹いていて心地良かった。廊下に置かれた長椅子にゆっくり座らせてもらうと、ハセルが調度水を持ってきてくれた。
グラスを受け取るとコップ一杯の水をあっという間に飲み干してしまった。
「大丈夫ですか?」
「飲みすぎだよ」
ハセルとトーガの声がしているが、夜風があまりに気持ちよくて耳に入らない。
目がトロンとしてきて、ユキはこのまま眠りたい衝動にかられた。
突然ユキの体が宙に持ち上がった。
ビックリして飛んでいた意識が急に体に戻った。見るとアルスがユキを抱き、立ち上がっていた。トーガとハセルは姿勢正しく敬礼している。
「な、な、な、何でアルスがここに?」
あまりにビックリしてどもるユキ。
だってアルスは檀上で美しいお姫様と一緒だったはずだ。
「『何で』じゃないだろ? 子どもがあんなに酒を飲むなよ」
アルスのその言葉に、ユキの中で鬱屈したものが一気に噴き出した。
「誰が子どもよ! 誰が。私はとっくに成人式も終わってるんだから。21よ! アルスなんかよりもずーっと大人なんだから!」
これにはアルスも驚いた。
「冗談だろ? 15、6かと思ってた……」
この言葉に更にユキの怒りの炎は燃え上がった。
21歳の女が15歳の少女に間違われるのは、若くてピチピチだという意味ではない。
それはつまり――「幼い」という事だ。
あの艶やかな女性の側にいたアルスに「幼い」と言われてしまえば、ユキは酒の力も加わって、怒るしかなかったのだ。
半泣きになってアルスに毒づくも、酔っ払いのユキでは何を言っているのかわからない。
うるさいと思ったのか、アルスはそのままユキを抱きかかえて、外廊下を歩きだした。
しばらく揺られていると、ユキは言いたいことを全てぶちまけたのか黙りこくった。
「大丈夫か?」
まだ怒っているのかユキは返事をしない。
「具合でも悪いのか?」
アルスはもう一度聞いた。しかしユキは返事をしない。
「……まさか寝てないよな?」
自分の腕の中にあるユキの顔を覗きこむと、ぐっすりと眠りこけていた。
「おい、おい。……部屋はどこだよ?」
アルスの言葉は独り言になった。




