4. 暗闇の月(2)
日が地平線の彼方に達した頃、トーレスの町に着いた。
パロ村に比べると、その町の規模は雲泥の差で、多くの人が行き交う商店や酒場、宿場を囲み、二重、三重に赤い土壁の建物が乱立していた。
一番近くにあった食堂のような場所に馬を繋ぐとモリは、「宿を押さえてまいります」と言い残し雑踏の中へ消えてしまった。
先に馬から飛び下りたアルスに手を引かれ、ユキは何とか馬から降りることができた。
体中が強張り、お尻に至ってはそこに付いているのを疑いたくなるくらいに麻痺してしまっている。
ユキがお尻の在処を確認している間に、アルスの手には小さな黄土色のカップが握られていた。
「ほら」と手渡され、恐る恐る口をつけると、それはとても冷たく甘酸っぱい飲み物だった。
「――おいしい!」
ユキはそれを一気に飲み干してしまうと体が少し軽くなるのを感じた。シュワッとはじけることはなかったが、ユキにはレモンの炭酸飲料の様に感じたのだ。
そうこうしているうちに人ごみの中からモリが顔を覗かせた。
「こちらです」
モリに続いて歩いて行くと、中央の広場沿いにある立派な宿屋に着いた。
赤土の乾いた建物が並ぶ中で、その建物の入り口には白い大理石のようなものが貼られ、初めて訪れたユキにもそこが高級な宿場に違いない事がすぐにわかった。
「こんな所に泊まるの? お金無いけど……」
言い終えてユキはハッとした。
その顔のままバチリとアルスと視線が合う。
「別に期待はしていない」
そう言うと、笑うのを精一杯堪えているように、アルスは口元に手を当てた。
悔しいけれど……
間抜けな事に、ユキは今頃自分の置かれた現状に気がついたのだ。
リュックに収まった金の蝶のモチーフの付いたお財布の中には七千と二百五十一円。
それによく買い物をするショッピングモールのクレジットカードが一枚、ポイントカード複数枚に、カラオケのクーポンが一枚。
そのどれもがここではただの紙切れで、何の価値もないものだった。
つまるところユキは一文無しだったのだ。
二十日の間アルスとモリにおんぶに抱っこで頼り切った生活をする事になる。
それどころか首都のサインシャンドに着いたとしてもユキには稼ぐ当ても、頼る人も家すらも何も無いということなのだ。
ここに来てから何度目かのウンザリ感を味わいながら無言でアルスの後に続いた。
「ユキ様のお部屋はこちらです」
モリはユキの為に一人部屋を用意してくれていた。
部屋は寝台と小さな机とイスの置いてある小ざっぱりとしたものだった。白い布のかけられた寝台は清潔そうだ。
「ありがとう」ユキはホッと胸をなで下ろした。
「先ほど宿の者に聞いたのですが、ここには温泉があるそうですよ」
部屋に足を踏み入れていたユキが飛び上がるように振り向いた。
「え!? 温泉!? 温泉ってあの温泉!?」
「ええ、あの温泉です」
モリがユキのあまりの勢いに、思わず笑った。
まさか温泉に浸かれるなんて!
ユキは部屋に荷物を放り投げると、小躍りで中庭の向こうにあるという温泉に繰り出した。
黄色く変色した大理石に囲まれたその温泉は、白濁していてお湯はさらさらとしている。日本の温泉というよりも「スパ」という言葉の方が合う気がした。
一歩お湯の中に足を踏み入れると、ジンジンと体の中に染みこんでくる。
メリノに入れてもらった水浴びも嬉しかったが、湯にどっぷりと浸かるというのは何とも言えず気持ちが良かった。
体に凝り固まった疲れを溶かしだす、究極の癒しだと身を持って感じた。
ここが日本ではないなんて
こうしていると信じられない気持ちがした。
温泉の後アルスとモリと合流して夕食を囲んだ。食べていると、そばから瞼が重くなってくるのを感じた。
温泉って凄い!
早々に席を立つとユキは自分の部屋に戻りすぐに眠りに落ちてしまった。




