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暗闇に太陽  作者: ゲーカー
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第五章 犯人

次の日は午前十時にマックを出て、昨日男と遭遇した場所に僕達は向かった。

『この男で間違いない!』と、踏んでいるのか、すみれさんの鼻息は荒い。

かなり通行量の多い、狭い歩道を歩いているのに、不思議と前を歩く彼女は、全く歩調が乱れないし、まるで線路の上を通る電車のように、真っ直ぐに歩いている。

そのお陰で、人の波が分断され僕は非常に歩きやすい。

「すみれさん、この辺りです!」

「一件屋とマンションが混ざっているわね。写真を見る限り年齢は二十歳前後だから、一人暮らしも実家暮らしも、どちらも可能性はあるわね。あんたの話だと、駅から自宅に向かっていたと思って間違いなさそうだし、自宅の方向はあっちね。在宅率から考えると、まずは一軒家から聞き込みした方が良いわね」

そう言うと、僕の返事を待たずに目の前の一軒家に向かい、壁に付いている呼び鈴を鳴らした。

 すぐに、玄関から奥さんであろう六十歳くらいの女性が現れた。僕達二人を見て不思議そうに首を傾げている。

「お忙しい所すみません。人を探していまして、ご協力をお願いできないでしょうか?」そう言って、すみれさんは写真を取り出し、その女性に見せた。

その写真を見た直後、一瞬だけ女性の顔が曇った事を、僕は見逃さなかった。

「さぁ……ちょっと存じ上げないわ……すみません、火をかけていますから失礼させてもらいますね」と言って、玄関のドアをバタンと閉めた。

「すみれさん、あの人知っていて嘘をついてるんじゃないですか?」

「あんたも気付いたんだね。なんでだろ……取り敢えず、次の家にいきましょうか」

すぐ隣の家の呼び鈴を鳴らすと、今度もさっきと同じ位の年齢に見える女性が玄関のドアを開けて顔を覗かせた。

 さっきと同じ台詞で、すみれさんが写真を見せる。

が、またも知っている事を隠しているような、そんな言い方をされ、玄関のドアを閉じられた。

「ちょっとおかしいわね……なんで隠す必要があるんだろ」

僕も同じ事を考えていたが、二人とも首を捻るだけで答えが見つからない。

 それから五件の住民に聞いてみたけれど、みな同じく知らない振りをしているようにしか見えなかった。

次の家でも同じ感じだったら、「考えをまとめる為にも、取り敢えず昼ご飯にしよう」と、彼女が言った時に、頭の中で閃きがあったので、彼女を制して僕が呼び鈴を鳴らした。

今度は、初老の男性が玄関から現れ来訪の要件を聞いてきた。

「実は、彼女が一目惚れをした男性を探していまして……」

「ちょ、ちょっと――」と、予想外の展開に慌てるすみれさん。

「電車で良く見かけるらしいんですけど、恥ずかしくて話しかける事が出来なかったみたいで。でも、携帯電話を使ってこっそりと写真を取っていたらしく、今日は意を決して告白をしたいと彼女に相談されまして、この写真の男性なのですが御存知ないですか?」

僕の意図を理解した彼女は、さすが女優を目指しているだけあって、その役を立ち振る舞いで演じている。

その男性は、写真を見て一瞬戸惑っていたが、彼女のいじらしい表情に感化されたのかは分からないけれど、やっとその重い口を開いた。

「なるほどな……まぁ、そう言った事なら問題はないじゃろ。その彼の自宅は、この道を真っ直ぐ五分ほど歩いた所に建っている豪邸じゃ。門の前に人が立っているはずじゃから、行けばすぐに分かるはずじゃよ」

意味深な発言をした初老の男性は、頑張りなさい、と笑顔を作り、玄関のドアを静かに閉めた。

「どう言う意味かしら? それより、やるならやるで先に言いなさいよ! こっちにも心の準備があるでしょうが!」

「とっさに思い付いたんだから、仕方ないじゃないですか。でも聞き出す事が出来たし良しとして下さいよ」

今にも殴りかかって来そうな雰囲気だったけれど、また一歩先に進めた事で、なんとか納まりがついたようだ。僕達は容疑者の自宅に向かって歩き出した。


しばらく歩いていると、僕達の目の前に豪邸と呼ぶに相応しい一軒家が見えてきた。木で出来た立派な門の両端には、サングラスをかけた黒スーツのいかつい男が立っていて、表札の代わりなのかわからないけれど、大きな木の板に有名な書道の先生が書いたような文字で、『武田組』と、書いてある。

「す、すみれさん! あ、あれじゃないですか? これは……」

「段々と、点が線でつながってきたわね……」

その豪邸をじっと見つめながら、彼女は右眉をピクリと上げた。

「どう言う事ですか?」

「いったん食事にしましょう。その後で、奥様に確認したい事があるから連絡をするわ。その内容次第では、その男が犯人の可能性がかなり高くなる」

そう言うと、くるりと豪邸に背を向け歩き出した。

かなりお腹を空かしているのか、駅前に向かうスピードは、いつもの倍以上だ。僕は置いて行かれないように、彼女の広い背中を追って小走りでついて行った。


 駅前にあるファミリーレストランに入った僕達は、一番奥の窓際の席に腰を降ろし、メニューを開いた。

僕は、ハンバーグランチを頼み、彼女がどれだけ沢山の注文をするのか、とても楽しみにしていたのだが、注文を受けに来た店員に対して、

「ミネストローネとサラダね」と、注文をした。

大方の予想を裏切られ、唖然とした表情の僕に、

「なによ、なんか文句でもあんの?」

と、目を線にして睨みを利かせたので、恐ろしくなり首を左右にぶんぶん振った。

「……犯人捕獲までもう少しの所まできてるから……本気でダイエットしてんのよ」

「……そうなんですか。なんかすみません、僕だけ食べちゃって」

「あんたが謝る事じゃないわよ。気にしないで食べて。……ここまで来られたのは、あんたのおか……げ……だ……」

最後の方は、フェイドアウトぎみだったから良く聞こえなかったけど、彼女の表情と雰囲気で、僕に対する感謝の言葉を言っているのは理解出来たから、聞き返したりはしなかった。

食事を終えると、すぐに彼女は携帯電話を取り出し、西園寺さんに電話を掛けた。

「もしもし、お忙しい所申し訳ありません、水森です。奥様、少しだけお時間頂いても宜しいですか? あの、ここ数カ月の間に危ない感じの人達と、もめ事はありませんでしたか? えぇ、はい……なるほど、分かりました。いえ、また御連絡致します」

携帯電話を切って、ポケットに入れた彼女は、両腕を組んで右眉をピクリと上げた。

「まず、あいつで間違いないわね。今から二か月ほど前に、ヤクザ事務所の立ち退き運動を、奥様方が先頭に立ってやったらしいわ。そのおかげで、あいつの父親は事務所を立退かなければならなくなったみたいね」

「それと、どう関係があるんですか?」

「被害者がお金持ちの家ばかりだったでしょ。お金持ちと言う事は、町内でもそれなりの権力や発言力を持っている可能性が高いのよ。そして、容疑者の父親はヤクザ。と言う事は、その間で何かもめ事が起きているとするならば、『相手を無理にでも納得させる為の嫌がらせ』『逆に納得させる事が出来ずに恥をかかされた為の報復』のどちらか。今回は、どうやら後者だったようね」

「でも組長から、『恥をかかされたからペットを虐めてこい!』って、命令が下りますか?だったら、犯人は違う人物になりますよね?」

「父親が恥をかかされた事を知った息子が、何か仕返しをしたくて事件として立件しにくい、言葉を持たない動物達を的にかけた。とも考えられない? 元々、犯人は動物が嫌いなのかも知れないわ。だって、いきなりあんたの犬を蹴り飛ばそうとした訳でしょ?」

「でも、相手はヤクザの息子ですよ。これ以上は危険なんじゃないですか?」

「……確かにそうね。だから、証拠写真を撮って警察に届ける所までやりましょう。本当は自分達の手で捕まえたいけれど、犯人との接触はかなり危険だしね」

そう言って、彼女は悔しそうに唇を噛みしめた。

この時、両親や美冬さんの言葉が脳裏をよぎっていたのだが、同じ年の彼女がそう言っているのに、男の僕が引き下がるのがとてもかっこ悪く思えて、その意見に同意した。

「でも、美冬さんは、それを納得してくれますか?」

「納得する訳ないじゃない。だから犯人がヤクザの息子だと言う事は黙っておくわ。あんたの親だって本当の事話したら納得しないでしょ? 西園寺さんにも、詳しい事は話していないからばれる事はないし」

「なるほど……あ、でも、深夜に張り込みする訳でしょ? すみれさんがどこに住んでいるのか知りませんけど、その時間は電車動いてないでしょ?」

「そうね、目黒だから自転車で行けない事はないけど……ちょっときついわね。犯行時刻は多分深夜だから、最終電車でこっち来て、それまであんたの家にいるわ」

「えぇ――! 僕の家ですか!」

女の子(一応)を、理由はどうであれ、そんな遅くに自宅に招いたりなんかしたら、両親はびっくりして腰抜かすんじゃないかな。

「別にあんたと私の間に、恋愛感情なんか一ミクロンもないんだから、特に問題ないでしょうが。泊まりに行く訳でもないんだし。張り込みが終わったら始発で帰るわよ」

「ま、まぁ、そうですけど……」

「じゃ、決まりね。さっそく今日から張り込みするわよ。いったん私は帰るから、あんたも帰って寝なさい。あ、ちょっと調べてみるわ。最終電車に乗って大森駅に着くのは……深夜の一時五分ね。あんた駅まで迎えにきなさいよ。じゃ、そう言う事で、御馳走さま」

僕の返事を聞く事もなく、彼女は席を立って帰って行った。

 たたみ込まれるように喋られて、真っ白になっていた僕の頭の中が、徐々に現実を把握出来るようになってきた。

「あ、金払わずに帰りやがった! いやいや、それはどうでも良いんだ。しかし、まいったな。張り込みをする事を両親に言ったら、どんな対応するんだろう? 納得させる事は出来ると思うんだけれど、深夜にすみれさんが自宅に来るって事は納得するのか?」

まぁ、もう既に彼女の中では、それで決定しているみたいだし、頑張って説得するしかないか……。

 この話をする為に、両親が帰って来るまで待っていると、そわそわしていてもたってもいられなくなりそうだったから、今から職場に行ってお客さんがいなかったら、奥で話をしようと思い、念の為に先に電話を入れてみた。

父さんは、息子に頼られている事がよほど嬉しいのか、電話の声が弾んでいる。了承を得て電話を切った僕は、重い腰を上げ五分ほどで着く父さんの店に、さらに重い足を引きずりながら向かって行った。

 外から店内を覗いたけれど、お客さんは一人もいないみたいだ。横開きのガラス戸を開けると、待ち構えていたかのように、笑顔の二人が奥の部屋に僕を迎え入れる。

……いったい、二人はどんな表情をするんだろう。もしかして喜ぶのかな?

 事務所の奥に案内されて、三人はパイプ椅子に腰かけた。二人は昨日と同じようにキラキラと瞳を輝かせて、僕が話し出すのを待っている。

「あ、あの、実はね、犯人をある程度特定出来たんだ」

「おぉ、そうか! それは大したものだ! この短期間ですごいじゃないか!」

息子の活躍に、二人は手を取り合って大はしゃぎだ。

が、ここからが問題だよ。

「で、でね、犯人が犯行に及ぶ瞬間を、カメラで押さえる為に張り込みをするんだ」

「なるほどな。それなら、父さんのカメラを貸してやろう。暗闇じゃあ、携帯電話のカメラでは映らないし、シャッター音で犯人に気付かれたら危ないからな。父さんのカメラはシャッター音を消す事も出来るし望遠もかなり効く。さらに、フラッシュをたかなくても昼間のように映す事も出来る」

「ありがとう。でね、犯行は深夜二時頃だから、一緒に捜査している友達が最終電車で家に来て、その時間まで待機する事になっているんだ」

「そうか、友達が来るのか! お友達が家に来るのは小学生以来じゃないか? じゃあ、おもてなししなくちゃな、なぁ母さん!」

母さんの脳内は、既に買って帰る食材やおやつ選択に切り替わっていた。

銀一郎、核心いきま――す!

「あ、あの、その友達は……同じ年の女の子なんだけど……」

室内の空気がピンと張りつめ、二人の顔から表情が一瞬だけはげ落ちた。

ま、そうなるよね。

「お、女の子なのか? し、しかし、その彼女の御両親はそれを納得しているのか?」

「さ、さぁ、それは分からないけど、納得しなかったらこの話はなかった事になるだけだし、それなら仕方ないからね」

短い付き合いではあるが、多分、いや確実に彼女は納得させて来るだろう。

そう言う人だ。

「そ、そうか。しかし友達と言うのは女の子だったのか。その、なんだ、その彼女は、その、銀一郎の彼女なのか?」

「ち、違うよ! 全然タイプじゃないし、向こうも僕の事なんか、なんとも思ってないよ! 色々あって、その人と一緒に捜査する事になっただけだよ」

「そうか、いや、まぁ、別にそれはどっちでもいいんだけどな。その彼女の御両親が納得して来るのであれば、別になんの問題もないからな、な、なぁ母さん?」

「え、ええええ、ええ……そうね。うん、その通りだわ、ええ……」

二人にとっては、僕が女の子を家に招くと言う、大地震と大津波と大火災が同時に起きたような、そんなまさかの事態に心を鎮めるのに必死のようだ。

「じゃあ、僕は家に戻って少し休むよ」

借りてきた猫のように、落ち着かない表情を浮かべた二人に見送られ、飼育員に育てられたペンギンが群れに戻る時のように、落ち着かない表情を浮かべた僕は、重い足取りで自宅に向かった。


 自宅に戻ると、佳代子さんが出迎えてくれた。掃除機を持っているから、どうやら掃除の最中だったみたいだ。

僕は階段を登って自分の部屋に入った。結構きれい好きな僕の部屋は、散らかってはいないから改めて掃除をする必要はない。ただ、どうも落ち着かない僕は顎に手をあてて、部屋の中をぐるぐると回っていた。

「しかし、その時間まですみれさんは僕の部屋にいる訳だよな……美冬さんが来るのなら話は別だけど、すみれさんを女性として意識している訳じゃないし、緊張する事もないけど……あぁ、これが美冬さんだったらなぁ。最高なんだけどなぁ。でも仮にそうだったら、緊張しすぎて倒れちゃうかも知れないな……」

来るのが美冬さんではなく、すみれさんだと改めて思うと、なんだかリラックスしてきて眠たくなってきた。

「張り込みに備えて、ひと眠りするか」

まだ昼の三時だし、勝手に目が覚めるとは思ったけれど、念のために目覚まし時計をセットして、ベッドにもぐり込んだ。色々と考え過ぎたせいか、すぐに睡魔がやって来て僕の意識を奪って行った。


 遠くから音が聞こえる。聞き覚えのある電子音だ。徐々に睡魔に奪われていた意識が覚醒していく。

アラームか……違う、これはアラームじゃない。

と言う事は……。 

ガバッとベッドがら飛び起きて、テーブルの上に置いていた電話を手に持ち、二つ折りの上部を開いた。

「み、美冬さんだ!」

慌てて通話ボタンを押して耳にあてた。

『銀一郎君? 美冬です。もしかして寝てた? 起しちゃったのならごめんね』

「ぜんっぜん、問題ないです!」

『今日、すみれが銀一郎君のお宅にお邪魔するでしょ。うちの両親も私も無理はしないって約束で了承したんだけど、銀一郎君の御両親は大丈夫なのかと思って電話したの』

「あ、はい、特に問題はないみたいです」

『そう、それは良かったわ。でも、すみれ一人で行かすのは、御両親にちゃんと御挨拶出来るのか不安だから、今日は私も一緒に伺うわ。私は先に帰るから終電で行く訳にはいかないし、今からお邪魔しても大丈夫かしら?』

「え、えぇ――――――――――――!」

美冬さんが家に来る! 多分僕の部屋にも来る! うわぁ!

『私がお邪魔したら駄目かしら……』

「いや、いや、全然問題ないです! ちょっと驚いただけですから!」

直立不動だった僕は、産卵前の鶏のように、気持ちを落ち着かす事が出来ずに、部屋の中をぐるぐると回っていた。

『良かった。じゃあ、一時間後には駅に着くと思うから、良かったら迎えに来てもらえる?』

「は、はい! 了解しました!」

て言うか、いったい今何時なんだ? 電話が切れたと同時に、時刻が画面に表示された。

「一九時だ。もう両親は帰って来ているはずだから、降りて行って話をしなくちゃ。そうか、美冬さんの話をするのなら、最初から話さなくちゃいけないな。自殺を止めようとした所からか? いや、それは話す必要はない。じゃあ、たまたま仲良くなったと話せばいいのか? いや、たまたまあんな美人と仲良くなれるもんか。どうしよう……そうだ、部屋掃除しなくちゃ! いや、その前に両親に話さなくちゃ。いや、シャワー浴びなくちゃ!」

もうなんだか頭がこんがらがって、僕はしゃがみ込んで頭を抱えた。しかし僕に残された時間は、迎えに行く時間を差し引けば、四十分ほどしか残されていない。

悩んでいる暇なんてない、急がなくては! 

「よし、まずは両親に話をしに行こう!」

すぐに部屋を出て階段を駆け下り、両親のいる居間に向かった。慌てている僕を見て、何か事件でも起きたのかと思った二人は、草むらに潜むライオンを見付けたトムソンガゼルのように、カッと目を見開いている。

「ど、どうしたんだ。なにかあったのか?」

父さんは、急いでテレビの電源を切った。母さんは、済ませた食事のかたづけをしていたようで、皿を手に持ったまま固まっている。

「あ、あのさ、今日友達が来るって言ったんだけど、元々その友達って言うのは、ペットショップの社員さんの妹で、その人と先に友達になっていて、いや、その友達って言うのもそこでアルバイトで働いているんだけど、だから、えっと……」

全く話の筋が見えてこない事に自分で気付いて、話を止めて一旦大きく深呼吸をした。

「えっと、この捜査の依頼を頼まれたのが、水森美冬さんと言う社員さんで、一緒に捜査をしているのが妹のすみれさん。僕の報酬は話したよね、すみれさんはタレントの卵で、報酬はドラマ出演なんだ。と言うのが、元々の依頼者は店のお得意様で、旦那さんがテレビ関係者みたいでね。それで、利益が一致するって事で、現在に至るって訳。で、今日はすみれさんだけが家に来る予定だったんだけれど、お姉さんである美冬さんも挨拶に来るって電話があったんだ。二十時には来るみたいだから。よろしく」

二人は、僕にとっては非現実的な話に目をパチパチさせている。その表情に不安を覚え、

「あ、あの、理解出来た?」と、聞いてみた。

「あ、あぁ、理解は出来たよ。二十時か……あと三十分後じゃないか! 着替えないといかんな!」

父さんは立ち上がり、急いで衣裳部屋に駆け込んで行った。

「ちょっと銀一郎! その方達は食事は済ませているの!」

何故か分からないが、母さんはブチ切れている。

「い、いや、それはちょっと……」

「なんで、それくらい聞いておかないの! いいわ、取り敢えず作っておきましょう」

あてにならない息子に背を向けて、勢いよく冷蔵庫のドアを開け食材を取り出している。

女の子が家に来るってだけでも、二人にとっては天変地異みたいな事なのに、それが急に時間が繰り上がって、二人も来るって言われたらびっくりするよな……。

「やばい! シャワー浴びなくちゃ!」

急いで部屋に戻り、着替えを手にして風呂場に向かった。ものの五分ほどで風呂場を飛び出して部屋に戻り、髪を乾かしてヘアワックスで整えた。時刻は一九時五十分。

「やばい! 急いで迎えに行かなくちゃ!」

僕は急いで自宅を飛び出し、転ぶ事なんか気にせずに坂を駆け下りて行った。


 息を切らせながらも、大森駅の改札前には五分前に着く事が出来た。もうすぐ美冬さんが僕の目の前に現れる。高鳴る鼓動を抑えながら、改札をくぐる人の波を凝視して、僕は彼女を探す。

人の波が落ち着いて来た時に、現れた。

まるで彼女の周りだけが光り輝いているように見える。彼女は僕に気付いて、大きく手を振っている。僕は照れながら小さく手を振り返した。

一歩、また一歩と彼女が近づいてくる。

ふわふわしたショートブーツを履いて、シンプルな純白のコートを羽織っている。髪はキラキラと輝いていて、そのコートの色と協和してなんだか大草原の雪景色のようだ。

僕は眩し過ぎて目を細めた。

僕には見える。彼女の周りにいる小さな天使達が。

「ごめんね。わざわざ迎えに来てもらって。今日は気温が低いから、待っているの寒かったでしょ」

「いえ、全然寒くなんかないですよ!」

喜びが極限を過ぎると、寒さなんか感じないのだ。

その時、重大な事に気付いた。

今の今まで、美冬さんしか見ていなかった事に。

視界の隅に悪魔がいた。

漆黒のマント(コート)を羽織った悪魔の目が線になっている。

僕にはその姿が、人肉を食らう獣にしか見えなかった。背中を嫌な汗が流れ落ち、体が急激に寒さを感じ始めた。

「アホづらぶら下げてないで、早く案内しなさいよ! 寒いじゃない!」

「こら、すみれ! そんな言い方しないの! ごめんね。この子こんな言い方しか出来ないけど悪気はないのよ。じゃあ銀一郎君、お家まで案内してくれる?」

「あ、はい。わかりました」

女を怒らせると、後が怖い事は僕の体に染みついている。

僕を先頭に、緩やかな坂道を登って行く。振り向いて美冬さんの顔を見たいけれど、隣にいる獣と目が合うのが怖くて振り向けない。

「この辺りは高級住宅街なんだね。有名人と会ったりもする?」

「あ、はい。たまにですけど、ランニングしている元格闘家の角田さんを見かけます」

振り向かずに、前を向いたままそう答えた。

獣は沈黙している。

「へぇ、やっぱりテレビで見るようにガッチリしているの?」

「はい、なんだか戦車みたいに見えますね」

 後ろにも、戦車が一台いるが。

「そうなんだ。そう言えば、私が来る事御両親にお話ししたの?」

「はい。女性が家に来るのも初めてなのに、それが二人も来るって事でかなり驚いていました。あ、そこです」

自宅前に着いたので、駅を出て以来初めて僕は振り向いた。美冬さんの表情にやや緊張が現れている。

それとは対照的に、獣は大きなあくびをしていた。どうやら襲いかかってはこなさそうだし、砲撃もなさそうだ。僕は、やや震える手で玄関のドアを開けた。

「いらっしゃい」

 すでにそこには、お出掛けようのファッションに身を包み、さっきまでブチ切れていた母さんが、完璧なメイクを施し満面の笑みを浮かべて立っていた。

その姿を見た美冬さんが口を開く。

「こんな夜分に、お邪魔してしまって申し訳ありません」

「とんでもない。うちの銀一郎がお世話になっているみたいで」

母さんが話し終えると、今度はすみれさんが口を開いた。その顔には、西園寺さんに見せた極上スマイルを浮かべている。

「いえ、逆ですよ、お母様。銀一郎君が協力してくれているお陰で、ここまで頑張れたんです。本当に銀一郎君は頼りになります」

「そんな、とんでもない。さ、さ、どうぞ、どうぞ。遠慮なさらずにお上がりになって下さい!」

それを聞いた母さんの顔は、求愛行動をとる孔雀の羽のように、パァと輝きだした。

「お父さん、お綺麗なお嬢さん達がお見えになったわよ」

父さんもまた、お出掛けファッションに身を包み、その姿は完全に気取っている。

いかにも、彼女達の来訪を気にも留めていなかった風を装い、出勤前既に読み終わっているはずの、広げていた朝刊をたたんだ。

「おぉ、いらっしゃい」

「お邪魔します」

二人の極上スマイルに、娘が欲しかったらしい父さんはニヤケ顔だ。そんな父さんに促され、僕達は居間の三人掛けソファーに腰を降ろした。母さんはキッチンで飲み物の準備をしている。

「いやぁ、うちの愚息がこんなに美しい女性を二人もお連れするとは驚きました」

どうやら、父さんも上機嫌のようだ。すぐに母さんがやってきて、湯気が立ち昇るコーヒーと、クッキーやチョコレートが入った器をテーブルに置いた。

「有難う御座います」と、二人の声が綺麗に重なり合う。

すみれさんの隣で、何をどうすればいいのかわからない僕は、生まれたての小鹿のように、プルプルと足を震わせていた。

「お父さん、銀一郎は役に立っているみたいですよ」

どうやら母さんは、先ほどの話を父さんにも聞かせたいらしい。

「えぇ、そうなんです。銀一郎君の大活躍で、ほぼ犯人であろう人物に辿り着く事が出来たんです」と、すみれさんが見事な外面を披露した。

「そうですか! 御迷惑をお掛けしているのじゃないかと心配しておりました。ささ、どうぞ、お飲みになって下さい。母さん、お二人に何かお出しして」

「いえ、そんな、どうぞお気になさらないで下さい」

美冬さんは、予想以上の歓迎振りに恐縮し困惑している。

母さんの後を追うように父さんが席を立ち、キッチンに消えた瞬間、わき腹に鈍い痛みを感じた。

「ウゲッ!」

「あんた、私がダイエットしているの知ってるでしょ。お姉ちゃんも食事済ませているから、食べ物を出さないように上手い事言ってきなさい。ほら早く行きなさい」

すみれさんが、耳元で地鳴りのような声を出した。

「……はい」

すみやかに僕は席を立ち、キッチンへ向かい、『上手い事』その旨を伝えて席へと戻った。すぐに両親が、居間へと戻って来る。

「お食事を済ませて来られているのね……」

母さんは、自慢の手料理を披露出来なくて残念そうだ。

「えぇ、そうなんです。気を使わせてしまって申し訳ありません」と、美冬さん。

「いや、しかし、こんな美人さんと、よくうちの銀一郎がお知り合いになれたなと、妻と向こうで話していたんですよ、なぁ、母さん」

「あ、お二人は、お聞きになっておられないですか?」

「え? 何かあったんですか?」と、両親は興味津々だ。

「えぇ、私は銀一郎君に命を救ってもらったんです」

いや、そんな大げさな……。

「い、命を救った? 銀一郎がですか?」

いや、だから、その……。

「はい。私が生きる希望を持てたのは銀一郎君のお陰なのです……」

美冬さんは、やや大袈裟に僕との出会いを両親に話した。病気の部分は、直観的に僕がそう感じ取った事に変換して。

「そうですか……そんな事があったんですか。銀一郎はそんな事は一切口にしなかったものですから……」

父さんは、息子の意外な事実に感動して涙ぐんでいる。隣の母さんは涙を通りこして、嗚咽をもらしている。僕は、穴があったら入りたいほどの恥ずかしさで体じゅうが火照っていた。

「そ、そうだ! 僕の部屋に行きましょうよ!」

この空気の中にいたら窒息してしまいそうだったから、僕は両親の了解を待たずに二人を部屋に案内した。

「お姉ちゃんも人が良いわね。こいつの為に、大袈裟に脚色までして……」

すみれさんは、僕に断る事もなく、ベッドの上にドスンと音を立てて座った。いつもの彼女に戻っている。

「まぁ、多少はそうだけど、ほとんど事実じゃない。ねぇ、銀一郎君」

どうやら、美冬さんも両親の面前から解放されてリラックスしたのか、すみれさんの横にストンと座った。

「いや、まぁ、その、なんと言うか……」

僕の部屋なのに、何故か僕だけが壁際に突っ立っている。

「銀一郎君は、きれい好きなんだね。あ、これ、通販でしか売ってない奴でしょ! 見たかったんだよね。ねぇ、見ても良い?」

そう言って、美冬さんは、誕生日に両親からもらったDVDを指差した。

「あ、はい。いいですよ。どれにしますか?」

美冬さんは、迷う事なく、『南太平洋の生態系』を選んだ。

僕は心の中でガッツポーズを作った。何故なら、僕が一番好きな物を美冬さんが選んだ

からだ。

やはり僕と美冬さんは相性が良いのだ。

「それ、つまんないよ。こっちにして!」

「もう、すみれったら、仕方ないわね。じゃあ、銀一郎君それでお願い」

彼女が要らぬ口を挟まなければ、画面一杯にきれいなエメラルドブルーの海が映し出され、雄大に泳ぐマンタが現れる所から始まっていたのに、ディスクを入れて画面に映し出されたのは、


グロテスクなウミイグアナの群れだった。


ちょうど、入れたディスクがエンディングを迎えた時に、美冬さんが立ち上がった。すみれさんは、勝手に次のケースを取り出して、ディスクを取り替えている。

「じゃあ、そろそろ私は帰るね。二人とも、絶対に危険な事はしないでよ。銀一郎君、すみれの事お願いね」

「あ、はい。じゃあ、駅まで送ります」

まるで我が家のように、ベッドで寝転がっているすみれさんは、どうやらここで待っているつもりみたいだ。

「ごめんね。じゃあ、御両親に挨拶して帰るわ」

僕は、美冬さんを居間に案内した。僕が先に居間に入ると、何故か二人は昔のアルバムを引っ張り出して、懐かしむような顔で見入っていた。

「美冬さんが帰るって」

「おぉ、そうか」

「どうも、お邪魔しました。妹がもう少しお邪魔しますけど、宜しくお願いします」

「いえいえ、なにもお構い出来なくて済みません。御迷惑をお掛けする事もあるかも知れませんが、これからも銀一郎の事宜しくお願いします」

父さんがそう言って、二人は深々と頭を下げた。

「いえ、こちらこそ妹共々これからも宜しくお願いします」

美冬さんも頭を下げた。僕だけが突っ立っている。

こう言う時はどうしたらいいんだ? 

玄関まで両親に見送られて、僕と美冬さんは駅に向かった。街灯が夜道を明るく照らしているが、辺りは真っ暗でしんと静まり返っている。右側を歩く美冬さんが、僕に視線を送り微笑みを浮かべた。

「とても素敵な御両親ね。銀一郎君の育ちの良さが理解出来たわ」

「いえ、そんな事ないですよ。でも、ありがとうございます」

二人きりで夜道を歩いていると言う現実が、まるで夢のようで、なんだか雲の上を歩いているようなふわふわした感覚がある。

急に、美冬さんが立ち止った。数歩進んでしまった僕も立ち止り、忘れ物でもしてしまったのかと後ろを振り返った。

「銀一郎君……」

二人の間に沈黙が訪れた。美冬さんは、じっと僕を見つめている。

 こ、こ、これ……これは……も、ももも、もしかして。

「……たぶん、銀一郎君が部屋に帰ったら、部屋の中が酷い事になっているかも知れないの……あの子ダイエットしているでしょ。夜中は空腹で苛立って物にあたるのよ。でも怒らないであげて。あの子、辛いのに本当に頑張っているの」

「は……はぁ。わかりました」

なんだか一気に力が抜けて、その場にへたり込みそうになったけど、なんとかそれを我慢した。

「でも、なんだかんだ言って、二人は良いコンビだね。さっきも言ったけど、あの子が突っ走らないように、銀一郎君が上手く引っ張ってあげてね」

美冬さんは、呆然と立ち尽くす僕の横を軽快な足取りで通り過ぎて行く。慌てて僕は美冬さんを追って、駅までの短い道のりを歩いて行った。

改札口を過ぎて、笑顔で僕に手を振ってくれている美冬さんに、力なく手を振り返して、先ほどの話を思い出し、自分の部屋に帰るのが恐ろしくなり、寒さも手伝ってか僕は小動物のように震えていた。


 自宅に戻って階段を上がり、一応声をかけて恐る恐る部屋のドアを開けた。不安とは裏腹に、部屋の中は出て行く前となんら変わりはない。

ベッドの上には、一匹のウミイグアナ……いや、すみれさんが寝そべってDVDに見入っている。

「おかえり。お姉ちゃんとキスくらいは出来た? ふっ、あんたが出来る訳ないか」

「は? そんな事考えてもいませんでしたよ。な、なに言ってるんですか?」

なんだか、一部始終を覗かれていた気がして、恥ずかしさを隠すために部屋を出て階段を降り、両親がいる居間へと向かった。

なんなんだあいつは、ほんとムカつく!

「おぉ、銀一郎。ちゃんと送ってあげたか?」

「うん。そうだ、父さんカメラ貸してよ」

「おぉ、そうだったな。ちょっと待っていろよ」

父さんは立ち上がって、物置きへと向かった。母さんは時折鼻をすすりながら、まだアルバムに見入っている。

よっぽど嬉しかったんだな。引きこもっていた僕が、人の命を救ったなんて聞かされたら、そりゃ喜ぶよな。

 しばらくすると、カメラを手に持った父さんが、物置から戻って来て、僕の隣に腰を降ろした。

「使い方は簡単だから、いま教えるから覚えなさい」

そのカメラの使い方は、実際かなり簡単だった。父さんにお礼を言って、カメラを手に持ち僕は二階へと上がって行った。

先ほどと同じく、一応声を掛けてドアを開ける。テレビには、サバンナで暮らすライオンの親子が映し出されている。

「すみれさん、飲み物いりますか?」

返事がない。

得意のシカトかと思って、そのまま部屋の中央まで行くと、静かな寝息が聞こえてきた。ベッドで横になっているすみれさんの顔を覗くと、握った両手を口元にあて目を閉じて眠っている。

「なんだ、寝ているのか……」

少しの間、僕はすみれさんの寝顔を見下ろしていた。

 ……ん? 僕は、すみれさんの寝顔が可愛いと思ったのか? 

いやいや、どんな凶暴な動物でも寝顔は可愛いものじゃないか。

 その時、ちょうどテレビには、マウンテンゴリラの寝顔が映し出されていた。

「ほらね」

僕は、彼女を起こさないように、くすくすと静かに笑った。


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