第四章 捜査
やはり今日も、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。カーテンを開けて窓を全開にする。一気に冷気が室内に入り込んでくるが、寒さなど微塵も感じない。
何故ならば、僕の体は熱く燃えたぎっているからだ。
部屋を出て階段を降りて行き、動物達に朝ご飯を与える。居間に向かうと、チロが尻尾をぶんぶん振りながら駆け寄って来た。母さんはキッチンで朝ご飯の支度をしていて、父さんは椅子に座って新聞を読んでいる。
「おはよう」
そう言うと、二人は特に驚きもせずに、「おはよう」と返した。
僕は、部屋にご飯を持ち上がらずに、両親と一緒に食卓についた。二人とも何か言いたいのだろうけれど、僕に気を使っているのか、今日からの捜査については一切触れる事なく食事を終えた。
予定の時刻はまだ先なので、父さんにもらったDVDを部屋で見ながら時間を過ごす。
視線は映像に向けられているものの、頭の中は捜査の事で一杯で、内容は全く入ってはこない。
今までは、あっと言う間に時間が過ぎていたのに、今日はやけに遅く感じられる。
期待と不安、焦りと安堵、他にも色々な物がごちゃ混ぜになって、落ち着かなくなる。
じっとしていられなくなり部屋を出て、少しの間チロと戯れる。
でも、その間も捜査の事が頭から離れない。
もう一度部屋に戻り、今度はゲームを始める。
なんとか落ち着いてきた僕は、そのままゲームを続けていた。
出掛ける時刻が迫ってきたので、動きやすい衣服を身に付け、帽子もマスクもせずに家を出て、待ち合わせの場所である品川駅の喫茶店に、僕は向かった。
喫茶店に入り、空いている席に腰を降ろして時刻を確認すると、まだ三十分前。
ちょっと早く来すぎたかな……。
そう思った時に、入り口の扉が開いて、ジーンズに赤のスニーカーを履き、真っ白のダウンジャケットを羽織ったすみれさんが入って来た。
……白のダウン着ているから、さらに太って見えるな。
「早いわね。良い心掛けだわ。私、待たされるのって大嫌いなのよね。じゃあ、さっそく現場に行くわよ!」
注文を聞きに来た店員を跳ねのけて、ズカズカと入り口に向かって歩いて行く。
「ち、ちょっと!」
急いで伝票を手に持ちレジで支払い、前を歩く彼女に追いつくよう駆け出した。
「ハア、ハア……すみれさん、現場ってどこなんですか?」
江南口のエスカレーターに乗って、僕の一段上に立っている彼女に聞いてみた。その問いに振り向く事さえなく、
「大田区の山王一丁目」と言った。
「え、えぇ――! 家の近所じゃないですか!」
「そうなの? じゃあ、丁度良いじゃない。地理詳しいでしょ?」
淡々とした口調でそう言って、エスカレーターを降りた彼女は、人の波を押しのけ改札口に向かって歩いて行く。
それを、まるで子分のように、追いかける僕。
大森駅で降りて、作戦会議の為に駅前のマクドナルドに入った。僕は緊張しているせいか、食欲があまり湧かなかったからコーラを頼んだのだが、彼女はビックマックセットにフライドチキンを注文。
……確か、ダイエットしているんじゃなかったっけ?
じっと注文している彼女を見ていたら、その視線に気付いたのか舌打ちをして、キッと僕を睨んだ。
「なによ、なんか文句でもあんの?」
そう押し殺したような声で言った彼女の瞳は、瞼の肉と頬の肉で挟み打ちにされていて、その厚みにより一本の筋みたいになっていて非常に怖い。
「いえ、なにも文句はありません!」
僕達は、二階に上がって窓際の席に座り、彼女が紙とペンを取り出して、作戦会議を行う事になった。
「あんた、書記係ね」
「……はい」
「動物虐待犯人捕獲プロジェクト」
1、被害者宅を中心にペット(主に犬)を飼っている一軒家を中心に聞き込みをする。
2、聞き込みの結果、容疑者が浮上してくれば、その都度容疑者宅に聞き込みに行く。
3、容疑者宅では、何らかの方法で金田を驚かして、すみれが核心を突く質問を投げかける。金田の能力で心を覗き、白か黒かを判断する。
4、白ならば、最初に戻り繰り返して行く。
黒ならば、一旦その場を離れて、行動を起こすまで張り込みを続ける。
5、犯人が行動を起こした瞬間を、写真に収めて証拠にする。
弱そうな犯人ならばその場で捕獲。
手強そうな犯人ならば、後日警察に証拠を提出して捕獲してもらう。
「どうよ、これなら二人に危険が及ぶ心配は皆無でしょ? そして二人の希望は叶えられる。なにか異存は?」
そう言って、視線を向けた彼女は、僕が書いている間に頼んだ物全てを平らげてしまっていた。
「いえ、異存はありません。ただ、何らかの方法で脅かすっていうのは、どんな方法なんですか? なんか怖いんですけど……」
「はぁ? あんたバカじゃないの? 脅かす方法を種明かししたら、あんた驚かないでしょうが! ふんっ、お姉ちゃんの人選を疑うわ」
「そうですね……すいません」
確かにその通りだから言い返す言葉がない。しかし、この言い方は何とかならないのか? 優しさのかけらも感じられない。
「じゃあ、早速開始するわよ。これも一緒に捨てといて」
「ちょ、ちょっと、待って下さいよ!」
急いで二人分のゴミ(ほとんどすみれさんの)をダストボックスに入れて、僕は階段を駆け下りて行った。
「この辺りが一丁目なのね? しかし、なんでこんなに坂が多いのよ!」
まだ、五分ほどしか歩いてないけれど、坂が多いこの辺りは彼女にとって良いダイエットになりそうだ。
「そう言う地域なんだからしょうがないじゃないですか。でも、丁度良いんじゃ……」
やばっ、口に出しちゃった……。
あっという間に、彼女の目が線になっていく。ずいと目の前に詰め寄られると、まるで力士に土俵際に追い込まれたような感覚だ。
「はぁ? なにが丁度良いのよ。言ってみなさいよ」
「さ、坂が多いと、平地よりも身を潜めるのに都合が良いじゃないですか! いったい何だと思ったんですか?」
「……ふん、ま、そうかもしれないわね。じゃあ、取り敢えず奥様の家に挨拶に行くわよ」
ふぅ、助かった。これから言葉には気を付けないとな。彼女の場合は、一が十になって
返ってきそうだからな。
「ここですか、大きな家ですね!」
何坪とかは良くわからないけれど、取り敢えず敷地はバカでかいし、建物も三階建てで
かなり大きい。当然のように、停まっている車はベンツだった。大きな鉄柵の門柱に付いている表札も、大理石に金箔をあしらった豪華な文字で『西園寺』と、書いてある。
その下に付いている、カメラ付きのインターホンを彼女が押した。
「……はい。どちら様ですか?」
「奥様ぁ、こんにちは! 今回の依頼を受けました水森すみれでございますぅ! これ
から聞き込みを始めようと思いましてぇ、その前に奥様に御挨拶をしなくてはと思いま
して伺いましたぁ」
な、な、なんだ、この豹変振りは!
備え付けられているカメラに向かって、僕には一度も見せた事のない極上スマイルを作
っている。
「あら、あら、そうなの! 門を開けるから入っていらっしゃい!」
「ありがとうございますぅ!」
プツっとインターホンが切れる音が聞こえた瞬間に、くるりと僕に振り返り、いつもの
無愛想な表情を浮かべ、まるで地響きのような声で僕に言った。
「あんた、余計な事は絶対に言うんじゃないわよ」
「……は、はい」
二人は奥様にリビングに通された。そこは、舞踏会でも開ける位の広さがあって、並ぶ
家具はピカピカに輝いている。僕の身長の倍はあろうかと言う天井からは、シャングリラだったっけ? バカでかいそれが垂れ下がっていて、これまたバカでかい豪華なテーブルに座らされ、僕は辺りをキョロキョロと見まわしていた。
その時、足の親指に激痛が走った。
「い、いたっ!」
「ビシッとしなさい!」
「は、はい……」
僕達の為に、飲み物を取りに行った奥様が、高級そうなコーヒーカップを上品なお盆に
乗せて戻って来た。
「奥様、お気を使わないで下さい。すぐにおいとま致しますからぁ」
はい、極上スマイル。
くそ、なんだかこの顔を見るとムカついてくる。
「あなた達二人が頑張ってくれる訳ね。でも、犯人は危険な人物だと思うから絶対無理は
しないで下さいね。――あら、パールちゃん起きてきたの?」
奥様が視線を送ったドアの隙間から、少し足をふらつかせたポメラニアンが、尻尾を振
りながら近寄ってきた。奥様が抱きかかえると、嬉しそうに尻尾を振っている。
「あなた達、パールちゃんの足がふらついているのを見たでしょ。あれは後遺症なの。犯
人は庭で遊んでいたパールちゃんに、壁の外から肉を投げ入れて食べさせたの……それも
農薬入りの肉をね……」
奥様は、悔しそうに唇を震わせながらそう言って、怒りと悲しみを混ぜ合わせたような
表情を浮かべ、何度もパールの頭を撫でた。
酷いいたずらだとは聞いていたけれど、それはいたずらを超えている。なんの罪もない
動物を殺すつもりでやったのだ。
「この辺りは野良猫が多いのですけれど、たまに体に傷を負っている猫を目にするように
なってきましてね。最初の被害は、近所の奥様が庭で飼っている犬にペンキを掛けられた
って聞きましたの。それが何件か続いて……今では投げ込まれた農薬入りの肉を食べた犬
が何匹もいるのよ。だから、散歩以外では犬を外に出せなくなってしまったの……」
「その犯人……絶対許せないわ。奥様、私達で必ず犯人を見つけますから。もうしばらく
待っていて下さい!」
どうやら、すみれさんは詳しい事実を知らされていなかったようで、怒りに体を震わ
せながらそう言った。
僕自身も、その内容を聞かされて、心の底から犯人が許せないと思っていた。
「近所の奥様達には、あなた方が伺った時にお話をして下さるように頼んでいますから、
遠慮なさらずに聞き込みをなさって下さい。これが、ご近所で被害に遭われた方のリス
トになっていますわ」
「有難う御座います。それでは、早速行ってまいります。御馳走様でした」
奥様とパールに玄関まで見送られて、僕達はすぐに聞き込みを開始した。
奥様の自宅から三件隣に建っている、これまた豪華なお宅のチャイムを彼女が押す。
ボタンを押したのとほぼ同時に、玄関のドアがゆっくりと開いた。
このお宅の奥様であろうその女性は、どうやら出掛けるつもりで玄関のドアを開けた
ようで、僕達の存在に気付き、「どちらさまですか?」と、やや警戒のこもった眼差しを向けている。
「お出掛の所、申し訳ありません。西園寺さんから依頼を受けた、水森と言う者です。少
しお話を伺いたくてまいりました」
こんなに丁寧な話し方が出来るのなら、いつもそうすれば印象が全然違うのに……。
「あぁ、はいはい、お聞きしておりますわ。手短でしたら、今でも構いませんけれど……それでも宜しいかしら?」
「はい、それで結構です。金田君、メモの準備お願いね」
「はい、かしこまりました」
おぉ、初めて名前で呼ばれた!
ん? でもなんだか、僕は助手みたいな扱いだな……。
「奥様のお宅も、ワンちゃんが被害に遭われたのですか?」
「えぇ、そうなのよ。ボーダーコリーを庭で飼っているのですけれど、朝方にご飯をあげに行ったら、肉の塊が落ちていまして。その横に、ジュリーちゃんの吐物があったものですから、これは変だと思いまして保健所の方をお呼びして調べてもらったのです。すると、その肉から農薬が検出されたんですのよ。ジュリーちゃんは警戒心が強い方だから、ほんの少しだけ口にして、残りは食べなかったみたいですから、特に問題は無かったんですけれど……」
「そうですか……それで、不審者というか、見慣れない人物を見かけたとか、そう言った事はありませんでしたか?」
「えぇ、それも被害に遭った奥様方とお話ししたんですけれど、犯行に及ぶのが深夜のようなので、そう言った人物を見た方はいらっしゃらなかったんですの。お役に立てなくてごめんなさいね」
「いえいえ、とんでもないです。お出掛けの所お引き留めして申し訳ありませんでした」そう言って、すみれさんが頭を下げたので、慌てて僕も頭を下げた。
「大変でしょうけれど、出来る限りの応援は致しますから、宜しくお願いいたします」
そう言い残し、玄関横の車庫に停めてあった、ベンツに乗り込み僕達の横を通り過ぎて行った。
「困ったわね。不審な人物がいないとなると、手の打ちようがないわね……ちょっと、あんた間抜けな顔して突っ立てるけどちゃんと考えてんの?」
いつものように、蔑むような視線を僕に送ってきた。その顔には、どうせ何も考えていないだろ、と書いてある。
まぁ、図星なのだけど……ん? まてよ、もしかして?
「すみれさん! そのリストに載っている家は、全てお金持ちの家なんじゃないですか?」
「はぁ? 知らないわよ、そんなの。まだ一件しか訪問してないんだから。で、それがどう関係があるのよ?」
「僕の家もそうなんですけど、玄関付近を映す防犯カメラを設置しているんですよ。結構ダミーを置いているだけの家もあるみたいですけど、お金持ちだったらかなり高感度のカメラを設置しているかも知れませんし、良いカメラになると録画し続けても結構長く映像が残っているみたいですよ。その映像に犯人が映っているんじゃないですか?」
「自分の家がお金持ちだって自慢したい訳? ……ま、あんたの言う事も一理あるし、残りの家がカメラを設置しているかまわってみる価値はあるわね……」
右の眉をピクリと上げて、意地悪な言い方をしているけれど、さっきまで意気消沈していた彼女は、一筋の光が見えた事でやる気を取り戻していた。
ほんと素直じゃないなぁ。
またもや、ズカズカと一人で歩きだした彼女の大きな背中を追って、的を得た発言が出来た僕も意気揚々と歩き出した。
リストに載っている全てのお宅を訪問して、在宅していた数件の奥様に話を聞き、日が暮れてきたので、朝に会議をしたマクドナルドに僕達は向かった。
昼間何も食べなかった僕は、ハンバーガーを食べようと思っていたんだけれど、彼女は入店直後、笑顔の店員に向かって、
「コーヒー二つね」と、即座に言った。
「な、なん……」
と、反論しようとすると、グイッと胸ぐらを掴まれ、目を線にした彼女が小声で囁いた。
「夕方以降は食べないようにしてんのよ。あんたが横で食べてたら、それこそ罰ゲームでしょうが。あんた家は近いんだから、もう少しだけ我慢しなさいよ」
「……はい」
なんて我がままな人だ。でも、とても腕力では敵いそうもないし、口論でも敵わないだろうから、仕方なく僕は言う通りにする。
たまたま、朝と同じ席が開いていたので、二人はそこに腰を下ろした。
「あんたの言った通りだったわね。犯人がお金持ちの家を狙って、犯行に及んだのかどうかまでは分からないけど。後は、犯人がカメラに映っているかどうかの問題ね」
「すみれさん、さっそく西園寺さんに頼んで、被害者の方にカメラをチェックしてもらいましょうよ。これで犯行現場が映っていれば完璧ですけど、映っていなくても怪しい人が映っていれば聞き込みに行けますからね!」
このお手柄を美冬さんが聞いたら……ふふふっ。
「そうね。じゃあ、お姉ちゃんに頼んでオーナーから奥様にそう伝えてもらいましょ……な、なによ、その訴えかけるような眼差しは。分かったわよ……あんたが考えた案だって言ってあげるわよ。フンッ」
「いや、まぁ、別にいいんですけどね……」
素直に喜ぶと、ガキ扱いされてムカつくので、わざと強がって見せた。
「じゃあ、やめとくわ。フンッ」
すみれさんの鼻息で、テーブルの上の紙ナプキンがふわりと浮かび上がって、ひらひらと床に落ちて行く。
「う、嘘です。ご、ごめんなさい……お願いします、是非伝えて下さい!」
「最初からそう素直になればいいのよ。ガキみたいに見栄張るからでしょ?」
くそ、その視線や態度がムカつく。いや、全てが腹立たしい。
が、女は怒らせると後が怖い。完全にトラウマだな……。
「……す、すみませんでした」
「あれ? なんだか、誠意がこもっていないような気がするけれど?」
まるで、僕の心の中がわかっているかのように、彼女は嫌味ったらしくそう言った。
この、お腹ポンポコリンのサイコ女め!
「いやいや、本当にすいません。誠心誠意謝っております。宜しくお願い致します」
「ま、分かればいいのよ……
わ・か・れ・ば。
……じゃあ、今日はお開きね。明日は奥様の動き次第だから、自宅で待機してて。分かり次第連絡するわ。あ、ゴミ宜しく」
立ち上がった彼女は、ムカつく顔でそう言い残し階段を降りて行った。
「くっそぉ! 足元見やがってあのデブ! なんか勝手に上下関係作りやがってさ。ふざけ――」
その瞬間、階段を上がって来ている彼女と視線が合った。
その瞳は、一本の線になっている。
全身の血が、滝から流れる水の如く落ちて行き、一瞬意識が飛んだ。
そのまま無表情で歩いてきて眼前で立ち止り、僕の視界は完全に奪われた。
その、山のような頂きを恐る恐る見上げると、右眉をピクリと上げて。
「で、ふざけ――の続きはなんなの?」
「え? あ、あぁ、フザケスって熱帯魚知っているでしょ? あれ、欲しいなぁって思っていて……どうしようか考えていたんですよ!」
……ちなみに、そんな名前の熱帯魚は見た事も聞いた事もない。
世界中の動物学者の方々、今すぐに新種を発見してください。緊急事態ですので、熱帯魚かどうかは問いませんから。
そして、『フザケス』と名前を付けて下さい、お願いします。
「……あぁ、亜熱帯のごく一部に住む幻の熱帯魚って言われている魚ね。あんた、良く知っているわね、さすが引きこもり動物オタクだわ。でも、あの魚は輸入が禁止されているから、密輸入のルートでも知らないと無理よ。そうそう、一つ言い忘れていたわ。今日は、あんたがいてくれて助かったわ」
線が元に戻って、にっこりと笑顔を作り、彼女は手を振りながら階段を降りて行った。
「こ、こわっ! でも、いたんだ。フザケスって熱帯魚……」
僕の体は、まるで極寒の地に降り立ったみたいに、ぶるぶると震えていた。
佳代子さんが来る日でもないし、両親は仕事から戻っていない時間なので、何も言わずドアを開けて、玄関に座って靴の紐を外していた。すると、後から足音が聞こえてきて、仕事でいるはずのない父さんの声。
父さんは、駅前で不動産会社を経営していて、母さんは事務兼経理として一緒に働いている。二人が自宅に帰って来るのは、だいたい夕方の七時頃のはずだ。
不思議に思って振り向くと、満面の笑顔を浮かべた両親が並んで立っていた。時刻を確認したが、まだ一八時過ぎだ。
「あれ、仕事はどうしたの?」
「ん? あ、あぁ、あれだ、今日はお客さんが異常に少なくてな。それで、一時間早く閉めたんだ。そ、そんな事よりも、銀一郎お腹空いてないのか?」
「ぺこぺこだよ」
自然と出た僕の笑顔に、二人は感激して頷いている。
「そうだ、今日は出前にしよう! 母さん寿司だ! 特上だぞ! 銀一郎、すぐ届けてもらうから、先に風呂にでも入りなさい!」
チロも二人の盛り上がりぶりに釣られたのか、ジャンプしながら吠えている。
「うん、わかった。じゃあ風呂入ってくるよ」
僕は、先に動物達にご飯をあげて、一旦部屋に戻り着替えの準備をしてから風呂場に向かった。
服を脱いで、鏡に映る自分をじっと見つめた。
ここ最近、鏡を見る回数が段々と増えてきている。
「なんだか、少しだけ精悍な顔付きになったんじゃないかな?」
こう思えるのも、美冬さんに出会ったからだ。全てが、そこから始まったんだ。
彼女は、僕に生きる道筋を与えてくれた。
彼女は、僕に希望を与えてくれた。
彼女は、僕にまだほんの少しだけれど、自信を与えてくれた。
「よし! 明日も頑張るぞ!」
グッと拳を握り締めて、今日一日の汗を熱いシャワーで洗い流した。
風呂場を出て居間に行くと、これ何人分だよ、と首を傾げたくなるほどの、寿司の器がテーブルに並べられている。
なんだか大袈裟過ぎる振る舞いに、僕は頭を掻きながら笑顔を浮かべた。
その笑顔を見た両親も、嬉しそうに微笑んでいた。
「……ん? そうか、昨日はすぐに寝ちゃったんだな。いま何時だろ?」
目覚ましをかけた記憶がなかったから、少し不安になって壁に掛けてある時計を見たが、まだ朝の七時だ。
テーブルの上に置いていた携帯電話が、視界の隅に入った。そして白いランプが点滅している事に気付いた。
急いで立ち上がって、携帯電話を手に取り開いてみると、メールが一通届いている。
「美冬さんからだ! やっぱり銀一郎君は私が見込んだ男だわ、だって! 金田君から、銀一郎君に変わっている!」
僕は窓を全開にして、澄み渡った青空に向かって雄叫びを上げた。
今日は、連絡があるまで自宅待機だと言われたが、昨日と同じでなんだか落ち着かないし、体がウズウズしてくる。
「こんなにも、家でじっとしている事って苦痛だったかな?」
どうしても我慢できなくなって、チロを連れて散歩に出掛ける事にした。
いつもは、両親か佳代子さんが連れて行くから、僕がリードを持っているのが不思議なのか、それとも嬉しいのかは分からないが、家を出てからチロは何度も顔を見上げている。
しばらく近所を歩いていると、三件隣のおばあさんが買い物袋を手に下げて、前から歩いて来ているのに気付いた。以前の僕なら間違いなく物陰に隠れただろうし、そもそも散歩になんて出掛ける事はない。
でも、今の僕は違う。
段々と近づいてくると、向こうも僕に気付いたみたいだ。声が聞こえる距離になった時に、僕は言った。
「こんにちは!」
「あ、こんにちは。今日は散歩日和ね」
一瞬だけ驚いた表情を見せたけれど、すぐに笑顔を作って返事を返してくれた。たった一言の会話だけだったけれど、僕にとってはとんでもなくすごい事だ。
大袈裟かも知れないけれど、僕はこの世に存在しているのだ、そう強く思えた。
特に行くあてがあったわけじゃなかったから、適当に散歩していると、隣町まできてしまっていた。時刻を確認すると、すでに一時間以上歩いている事になる。チロは全く持って疲れていなかったけれど、僕は呼び出しが掛った時の事を考えて、そろそろ帰ろうかと思っていた。
前から男女が歩いて来ていたのは分かっていたから、これまでと同じようにリードを短めに持って、チロが飛び付いたりしないように用心はしていた。
以前、佳代子さんから聞いていたからだ。人懐っこいチロは、人が通るとすぐに寄って行って愛嬌を振り撒く。そして、撫でてもらうと喜んで飛びついてしまう事が良くあるらしい。
近づくにつれて、チロは二人に向かって行こうとしたから、リードを強く握りしめた。でも、逆に女性の方が僕とチロに近づいてくる。
「きゃあ、かわいい! この子ラブラドールでしょ! 名前は何て言うの?」
「あ、チ、チロです。あ、あの、こいつ飛び付くんで気を付け――」
「きゃあ!」
何度も撫でられて感極まったチロの、いきなりの飛び付き攻撃で、女性は尻もちをついてしまった。
その瞬間、隣にいた黒の革ジャンを着た強面の男が、ポケットに手を突っこんだまま、右足を思い切り振り被った。
「この、クソ犬がぁ!」
「ちょ、ちょっと、大丈夫だから!」
彼女が男を制していなければ、間違いなくチロのお腹に蹴りが命中していた。僕は情けないけれど、怖くて守ってやる事が出来なかったし、声を出す事も出来なかった。
チロは、その男に危険を感じて牙を剥いて唸っている。
「す、すみません……」
やっと声が出たけれど、震えていてちゃんと聞こえたのか不安だった。体は、ガタガタと震えている。
「ううん、私の方こそごめんね。変に驚いちゃったから」
彼女は、済まなそうに僕を見てそう言った。その男は、舌打ちをして道路に唾を吐き背を向けて歩き出した。
「ち、ちょっと待ってよ! じゃあ、ほんとごめんね!」
そう言うと彼女は、すぐに男に駆け寄って行った。恐怖で固まり立ち尽くしている僕に、チロは下から心配そうな顔を浮かべ見上げていた。
自宅に戻る頃には、やっとあの恐怖が記憶の一部に変換されていた。
「いやぁ、しかし怖かったなチロ。あの子が止めてくれなかったらヤバかったしな」
理解しているのか、チロは下を出しながら『ワン』と吠えた。それと同時に、ポケットの中から振動が伝わってきて着信音が聞こえたので、すぐに携帯電話をポケットから取り出し耳にあてた。
「もし――」
「マックに三十分後」
「え……もしもし? もし……切れてるし。なんなんだ、この人は!」
僕の自宅からマックまでは徒歩で十分ほどだから、そんなに急ぐ必要はないのだけれど、万が一でも彼女より遅れて行くような事があれば、何て言われるか分かったものじゃないから、急いで支度を済ませマックに向かい歩き出す。
少し急いで坂道を下り、マックの前にたどり着いた時には、あの一方的な電話から、二十分が経過していた。
入り口の自動ドアの前で、店内で待とうかどうか悩んでいると、横から声を掛けられた。
「今回も私を待たせる事はなかったわね。良い心掛けだわ。このまま西園寺さんのお宅に向かうわよ」
ピクリと右眉を上げた彼女は、そう言うといつものようにさっさと一人で歩き出した。
体型の割には、意外と歩くのが早い彼女の後を追いながら聞いてみた。
「すみれさん、結果はどうだったんですか? 犯人は映っていたんですか?」
「犯行現場は映ってないみたいだけど、近所では見かけない男が何人か映っていたみたいね。西園寺さんのお宅に、被害に遭った奥様方が集まっているみたいだから、詳しく話を聞いてみましょ」
「じゃあ、その中に犯人がいる可能性があるって訳ですね!」
「そうなるわね。ハァ、ただ問題は、怪しい男の住所が分からなかったら、また聞き込みから始めないといけないわね。ハァ、奥様方の中に、ハァ、大よその住所が……ハァ、分かる人がいてくれれば……ハァ、良いんだけどね……て言うか、坂道登ってる最中に話しかけるんじゃないわよ!」
くるりと振り返り怒鳴り声を上げた彼女は、大粒の汗を額に浮かべ、大きな肩で息をしている。
その姿を見た僕は、笑いを堪えるのに必死だった。どれ位必死だったかと言うと、堪え切れなくなったから、見えないようにポケットに手を入れて、思い切り横腹を抓ると痛みで涙が出そうになり、それもまた怪しまれるので、笑いと涙を同時に堪える事になって、これじゃ苦しみが増えただけだ、と自分の浅はかな行動を呪ってしまうほどだ。
西園寺さんの立派な門の前に着いた途端、彼女は両ひざに手をついて下を向いたまま、「ゼェゼェ」言っている。
あまりにも辛そうだったから、声を掛けようかと思ったんだけど、「大丈夫ですか?」と言った所で、「私が太っているからだって言いたい訳?」と嫌味を言われるのは目に見えていたから、僕は彼女の背後に立ったまま、息が整うのを待つ事にした。
「ハァ、あんたさぁ、大丈夫ですか、の一言くらいないの? 優しさの欠片もないわね」
結局同じか……。
やっと息が整った彼女は、インターホンを押して西園寺さんに来訪を告げる。すぐに玄関から奥様が顔を出して、僕達は昨日と同じリビングに通された。テーブルには被害者の飼い主であろう五人の女性が座っていて、すでに会議が行われていたようだ。その内の三人は昨日聞き込みで会った奥様だ。
「どうぞ、お掛けになって下さい」
僕達は、空いている二つの席に腰を降ろした。当然の事のように奥様寄りに彼女が座り、座ったと同時に口を開いた。
「西園寺さん、どうですか? 映っていた怪しい人物の事を、御存じの方はいらっしゃいますか?」
そう言うと、バッグからペンと紙を取り出し、さも当たり前のように僕の前に差し出す。
……また書記か。やるのは構わないけど、態度がムカつくんだよな。
「えぇ、それが、近所では見かけない人物が三人映ってはいたんですけれど、奥様方の中に見覚えのある方はいらしゃらないんですよ。映像をプリントアウトして、みなさんで手分けして御近所の方に聞いてまわったんですけれど……」
やっと一歩進んだ犯人探しも、すぐに暗礁に乗り上げてしまったようだ。すると一人の奥様が、手にしていたコーヒーカップを置いて口を開いた。
「西園寺さん、この写真を警察の方にお見せしたらどうでしょう?」
「それは、難しいのじゃないかしら……犯行が映っているのならまだしも、ただ通りすがりの映像でしかない訳だし、仮に警察の方がその人物を特定出来たとしても、理由もなく個人情報を教えて頂く事は無理なのじゃないかしら……」
確かに、西園寺さんの言う通りだと思う。すみれさんもそれに同意しているようで、両腕を組んで難しい顔を浮かべている。
何分間だか何十分間だかわからないけど、重い沈黙の時間が流れた。その沈黙を破ったのは、すみれさんだった。
「西園寺さん、そして奥様方。私が、その写真を元に範囲を広げて聞き込みにまわります! 私はその犯人が許せないし、必ずやその罪を償わせて見せます!」
彼女は、強い意思を含んだ口調でそう言うと、バンとテーブルを叩いて、勢い良く立ち上がった。体重が乗って強く叩きすぎたのか、みんなのコーヒーカップがガタガタと大きく揺れている。
それを聞いた西園寺さんは、憂いのある微笑みを浮かべた。
「水森さん、そのお気持ちはすごく嬉しいわ。ここに集まって頂いている皆様もわたくしと同じ気持ちだと思う。ただ、この近所だけならいざ知らず、どこに住んでいるのかも分からない訳ですから、そんな大変な事はお願いできないわ」
その発言に同意して、周りの奥様方も頷いている。
……完全に僕は助手扱いだな。
防犯用カメラを見る、って言う発案者は僕なのに……。
「いいえ、それでも私はやります! 絶対に犯人を見つけ出します!」
「……どうやら止めても無駄なようね。でも、途中でお止めになっても、わたくし達は誰一人あなたに文句など申しませんから、あまり無理をなさらないようにして下さいね」
そう言うと、西園寺さんは立ち止りテーブルの上に置いてあった三枚の写真を、すみれさんに手渡すと拍手をしだした。
自然と他の奥様達も立ち上がり、勇敢な彼女に対し惜しみない拍手が沸き起こった。
おぉ、これがスタンディングなんとかって奴だ!
座っているのは僕しかいないけれど、立ち上がるタイミングも分からないし、この状況で立ち上がるべきかどうかも疑問に思ったから、取り敢えず座ったままで、みんなと一緒に拍手をしてみた。
まるで、勇者の出発を城のみんなが見送るように、彼女は奥様方に見送られて玄関に向かっている。僕は、その奥様方の後ろについて歩いていたので、玄関に到着した時に体を小さくして、隙間を縫うように前に出て靴をはいた。
「では、良い結果をお待ち下さい! お邪魔致しました」
すみれさんが丁寧に頭を下げたので、慌てて僕も頭を下げた。
「さきほども申し上げたように、無理だけはなされなようにして下さいね」
そう、優しい口調で西園寺さんに言われ、僕達はもう一度頭を下げて、西園寺さんのお宅を後にした。
既に太陽は沈み、空は暗くなりかけていた。時刻を確認すると一七時を回っている。
「取り敢えず、今日はもう遅いから明日から聞き込みを始めるわよ。ところで、あんたの親って、何の仕事してんの?」
「え、不動産屋ですけど……それが何か?」
「じゃあ、この写真持って帰って見せてみなさいよ。もしかしたら、見覚えがあったり、あんたの所で部屋借りているかもしれないでしょ? じゃ、明日は午前中から聞き込み開始するから、マックに十時ね」
そっけなくそう言って、彼女は僕に三枚の写真を手渡し、笑顔も手を振る事もなく背を向け歩き出した。
やる気があるのは分かるけど、もう少し僕の存在を尊重してくれても良いんじゃないか? 西園寺さんのお宅でも、お菓子のおまけみたいな感じで、僕はいてもいなくても関係ないみたいな雰囲気だったしさ。
この写真だって、俺が防犯カメラの存在に気付かなかったら……
「……え、あ、あれ、こいつ知ってる!」
二人の男には見覚えがなかったけれど、一人の男は僕の脳裏に強烈に焼き付いていた。
昼間、散歩に出掛けた時に、チロを蹴り飛ばそうとした男だ。
その声に驚いた彼女は、パッと振り返って駆け寄って来た。
「詳しく話して!」
昼間の一部始終を話すと、彼女の目は次第に一本の線になっていき、右眉をピクリと上げて、「かなり臭いわね。じゃあ、明日はその近辺の聞き込みから始めるわよ……だから、その訴えかけるような眼差しは止めなさいよ! 分かったわよ、ちゃんとお姉ちゃんに伝えてあげるわよ。じゃあ明日ね」
またも、笑顔はなかったけれど、彼女はほんの少しだけ右手を上げて、坂を下って駅へと向かって行った。
「またまた、僕の活躍だよ! ま、厳密に言えばチロの活躍だけど……チロと俺は一心同体だからな。だから、僕の活躍って事で! 犯人かどうかはわからないけれど、当てもなく聞き込みをする事に比べたら、これはかなりの前進でしょ!」
今日は、チロのご飯を大盛りにしてあげる事にして、この件を聞いた美冬さんの映像を思い浮かべながら、僕はおよそ十年位ぶりにスキップを踏みながら自宅へと帰って行った。
自宅の前まで来ると、居間から明かりがもれている事に気付いた。
「……また店締めて帰って来たんだ」
玄関のドアを開けた直後、まるでスタートの合図と同時に走り出した陸上選手のように、抜群のタイミングで二人は僕の前に現れた。
「おぉ、おかえり。今日は何か進展はあったか?」
僕の報告を、二人はまるで子供のように目を輝かせて待っている。なんだか、嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気持ちだな。
「うん、また一歩前に進んだよ」
「そうか、それは良かったな。銀一郎、お腹すいたんじゃないか? 今日は母さんが作っているからすぐに食べられるぞ!」
……いったい何時間前に店締めたんだ?
ま、いいか。
「うん、はらぺこだよ」
その言葉が、母さんのスタートの合図となり、一目散にキッチンへと駆けだして行った。父さんは僕の腕を引き上げて、背中を押しながら居間へと進んで行く。
あっという間に、テーブルは料理で埋め尽くされて、和洋中とさまざまな料理が並んでいるけれど、とても三人で食べ切れる量ではなさそうだ。
「いただきます!」
まずは、大好きなハンバーグから箸をつけ、そしてご飯をかき込む。次は酢豚に手を伸ばし、ご飯をかき込む。お次は肉じゃがだ。またご飯をかき込む。
「おかわり!」
待っていましたと、母さんは茶碗を受け取りキッチンへと向かう。父さんは、ガツガツと良く噛みもせずに、お腹を減らした犬のように、胃にご飯を流しこんでいる僕を満足そうな表情で眺めている。
「あ! 食事中にごめん、チロにご飯あげなきゃ!」
名前を呼ばれたからか、チロは僕の足元に駆け寄って来た。ドッグフードを手に取り、いつもの倍の量を皿に入れてあげて、ゴシゴシと頭を撫でながら、チロのおかげだよ。ありがとう、と小声で言った。
すぐに、山のように盛られたご飯を母さんが運んで来た。それを受け取り、僕は次々におかずを平らげて、茶碗の上の大きな山はすぐに小さい山に形を変えて、ものの五分ほどで山は平地になった。
一息ついた僕は、今日の出来事を二人に話し始めた。二人はそれを聞いて、とても喜んでいたが、急に父さんが真面目な顔をして、厳しい視線を僕に送ってきた。
「銀一郎、捜査が進展しているのは良い事なのだが、これからは十分に気を付けてやりなさい。犯人と接触するようなやり方は絶対に避けなさい」
「うん。約束するよ」
「ねぇ、お父さん、銀一郎はここ数日で、ずいぶんと変わったわね。なんだか男らしくなってきたんじゃない?」
「そうだな、確かに男らしくなってきたな」
二人にまじまじと見つめられて、恥ずかしくなり聞いていない振りをして食事を続けていた。その時に携帯電話の着信音がポケットの中から聞こえてきた。
すみれさんかな? 明日の時間変更か?
「……はい」
ん? この声は……美冬さんだ!
「あ、こんばんは! いえ、大丈夫です! いや、そんな、お手柄ってほどの物じゃ……あ、ちょっと、ほんの少しだけ待ってもらえますか!」
携帯電話の下の部分を手で押さえて、
「ごちそうさま!」
と、二人に告げて、急いで階段を駆け上がった。部屋のドアを開けた時に足の小指をしこたまぶつけて、
「いっ、いてぇ――!」と、呻き声を上げてドアを閉めた。
「す、すみません。お待たせしました!」
小指がジンジンしていたが、そんな事は後回しだ。会話するに良いポジションが決まらずに、大して広くもない部屋をぐるぐると回っている。
『大丈夫? なんだか悲鳴が聞こえたけど?』
「はい、全く問題ないです!」
『すみれが喜んでいたわよ。銀一郎君のおかげで、また一歩先に進めるって。銀一郎君の推薦者として私も鼻が高いわ。でも……危険な相手なんでしょ、無理だけはしないでね。約束だよ!』
まぁ多分、「僕のおかげで……」なんて、すみれさんが言う訳ないけど、こうやって美冬さんから電話が掛ってくるのは、彼女のお陰だしな。
「あ、はい。わかりました。さっき両親にも同じ事を言われたから。無理はしません」
『……でも、私が心配なのはすみれなのよね……あの子気が強いから、危険だと思っても突っ走る可能性があるのよ。最初は自分の夢の為にやり出したんだけれど、あの子も動物が好きだから、今では犯人に対して異常なほどの怒りを持っているみたいなのよ。だから、あの子が危険な事に手を出そうとしたら、銀一郎君が注意して欲しいの』
「……はい。なんとか頑張ってみます」
果たして僕に、彼女を止める事が出来るのだろうか……。
あの戦車みたいな、すみれさんを……。




