第三章 事件
次の日の朝は、目覚まし時計なんか必要なかった。動物達にご飯をあげるために、毎朝八時には起きているんだけれど、今日は六時にパッチリと目が開いた。
昨日の夜も、色々な事を考えてなかなか寝付けなかったから、睡眠時間は少ないのに。
愛の力って偉大だ。
窓を開けて、外の新鮮な空気を取り込む。まだ太陽は顔を出してないけれど、雲が少ない空は青白い光が広がっている。こうやって、明け方の空を見たのはいつ以来だろう。それもこんなに清々しい気持ちで。
いつもと変わらぬ同じ空のはずなのに、今日は何故だか輝いて見える。
美冬さん、僕は頑張るよ。あなたに僕の存在を認めてもらいたいから。
「大丈夫かな……変じゃないかな……あぁ、やっぱり午前中に洋服買いに行けば良かった。もう、十二時まわっているから出掛けなくちゃいけないしな……」
そう、ぶつぶつ言いながら、部屋のドアを開けて階段を降りて行った。
「おや、銀ちゃん、今日もお出かけですか?」
「あ、あぁ、昨日買いそびれた物があってね。ちょっと、出掛けてくるよ」
佳代子さんに、僕の真の目的は分からないはずなのに、なんだか恥ずかしくて逃げるように玄関を飛び出して行った。
今日は、帽子もマスクもしていない。
何故なら、誰か知り合いに会って視線を送られても、挨拶くらい出来るような男にならなければいけないと思ったからだ。
僕は変わる。今日から変わるんだ!
その気持ちとは裏腹に、大森駅に着くまでに知り合いに会う事がなかったから、『近所の人に挨拶をする』と言う、一大決心を発表する場は訪れなかった。
内心、ホッとしていたのは言うまでもない。
大森駅の改札をくぐって、すぐにトイレに向かい鏡の前で立ち止り、映っている自分を確認する。自分で言うのもなんだけれど、顔の造り自体は悪くはないと思っている。
あの事件が起こるまでは、結構モテていたし、カッコいいとも言われていた。
まぁ、小学校の頃の話ではあるのだけれど。
しかし、あの事件以来自分に自信が持てなくなってからは、そんな自分を見るのが嫌だったから、まともに鏡を見る事さえなくなっていた。
よし、大丈夫! 別段かっこよくはないけれど、たぶん普通に問題なく見えるはずだ。
落ち着いて楽しい会話をするぞ、そう心で誓い、鏡に映る自分に頷き、ホームに向かって歩いて行った。
品川駅は昨日と同じように、大勢の人が改札から色々なホームに向かい、色々なホームから改札に向かって歩いている。その波に乗って、僕は改札口を出て江南口に向かう。
もう、すぐそこに美冬さんがいる、そう思うと、急激に鼓動が早くなる。
小さな穴が開いた風船のように、さっきまでの勢いがしぼんでいく。ピンと張っていた背筋が縮んで丸くなり、小さなため息を吐く。
だめだ、だめだ! こんなんでどうするんだ! がんばれ自分!
店の自動ドアの少し手前で立ち止り、大きく深呼吸。もう一度大きく息を吸い込み、背筋を伸ばして拳を握る。
よっしゃ、気合いが入ってきたぞ!
ガラスの中央に付いているボタンに手を伸ばし、指先で押そうとした瞬間、
「こらっ!」と、後ろから大声で怒鳴られた。
「うわっ!」
その声に振り返り、驚いた顔の僕を見て、声の主だった美冬さんは、お腹を抱えて笑い転げている。どうやら、笑い過ぎて涙が出たみたいで、手の甲で涙を拭きながら、
「ごめんごめん。ちょっと買い出しに出ててね、脅かすつもりはなかったんだけど、ドアの前にたったまま、なかなか入らないから、つい意地悪しちゃった」
『脅かさないで下さいよ、心臓止まるかと思いましたよ』と、言った。
つもりだった、が。
「ごめんごめん。ちょっと買い出しに出ててね、脅かすつもりはなかったんだけど、ドアの前にたったまま、なかなか入らないから、つい意地悪しちゃった」
やっと、涙が止まった彼女は、またもやお腹を押さえて、けらけらと笑いこけている。
「そっくり……そっくりだ……アハハ、やば、笑いが止まんない……クッ、クッ、アハハハハ」
これか、サディストと言うのは……でも、大笑いしている美冬さんも可愛いな。
ん? 何か僕に話しがあるみたいだな。
なんだろ?
「ごめんね。ちょっと、笑い過ぎだね。どうぞ、いらっしゃいませ」
そう言って、やっと僕を店内に招き入れてくれた。そのまま、彼女の後を続いて通路を歩き、熱帯魚のコーナーで立ち止る。
……そろそろ三分たったよな?
「み……よし、大丈夫だ。美冬さん、何か僕に話しがあるんですか?」
「え、なんでわかったの? あ、そっか! その時の感情もわかっちゃうんだったね! ちょっと、ここで待っててくれる?」
そう言い残して、スタッフオンリーと札の掛けられている部屋に入って行った。
なんなんだろ? お願いって。
入って行ったドアがすぐに開いて、笑顔の美冬さんが出てきた。その後ろから、もう一人の女性店員が付いてきている。
背丈はほぼ同じだけれど、横幅が一周り、いや、二周りは大きい。
だれだろ?
僕の目の前までくると、その後ろの女性はじろじろと、僕を上から下まで値踏みをするように見ている。
「金田君、紹介するね。妹のすみれです。私は社員だけど、妹は学校が終わってから週に四回位ここでバイトしてるの。そうそう、金田君と同い年よ!」
「あ……金田です。どうも」
確かに、言われてみれば、顔のパーツは似ているような気がする。
しかし、横にデカイ…。
でも、何故僕に妹を紹介してるんだろう……も、も、もしかして、
「私の新しい彼氏なの」みたいな?
いやいや、まだ付き合ってないし……しかし、親族を紹介するってのは良い意味なんじゃないの?
「お姉ちゃん、こいつ使えるの?」
まるで僕の思考を感づいたかのように、非常に冷めた視線を送っている。
こいつ使えるの? どう言う意味だ?
「ちょっと、すみれ! そんな言い方は、金田君に失礼でしょ! そうそう、金田君、昨日ペットショップで働きたいって言ってたよね?」
「え、あ、はい……」
「じつはね、うちのオーナーの知り合いでお得意さんがいるんだけど、ご近所でペットに対する酷いいたずらが続いてるんだって。それも、子供がやるようないたずらじゃなくて、ペットの命に関わるほど酷いやり方なの。警察にも届けたらしいけれど、まだ命を落とした動物がいないからそこまで真剣に取り組んでくれないらしくて困ってるみたいなのよ」
真剣に語る美冬さんも、また美しい。
いやいや、それがどう僕と関係があるの? あと、妹さんも。
「はぁ、それは酷い話ですよね」
「でしょ、酷いでしょ! でね、その知り合いの方は奥様なんだけど、その旦那様がテレビ局の大物プロデューサーなのよ!」
全く話が見えてきませんが……。
「うちの妹はね、こう見えてタレントの卵なの。事務所から貰う仕事っていったら、エキストラばっかりだから、なかなか芽が出ないのよ。まぁ、体型にも問題はあるとは思うけどね」と言って、チラリと妹さんに視線を送る。
「わかってるって! ちゃんとダイエット頑張ってるわよ!」
と、妹さんは頬を膨らませた……と思う。
「ここからが本題なんだけど、私もその場に同席してたから、その犯人を見付ける事が出来たら、旦那様に言って妹をドラマに出演させてもらえますか? って聞いてみたの。そしたら、旦那は婿養子だから全く問題ないわ、って言って下さったの!」
「……はぁ。で、僕との因果関係はどの辺りに……」
「オーナーに頼んだのよ。協力してくれる知り合いが、ここで働きたいって言っているから、解決出来たら雇って欲しいって。もちろん返事はイエス!」
「いや、あの、確かに働きたいのはやまやまなんですけど……そんな簡単に犯人を見付ける事が出来るものなんですか?」
なんだか、勝手に話が進んで行っているので、不安な表情を表に出したまま、素直に聞いてみた。
「そこなのよ、現実的には簡単ではないと思う。でもね、金田君には不思議な能力がある。かと言って、金田君一人だと心配だし、妹は人一倍度胸があるけど、そんな能力はない。だったら、二人で捜査にあたれば丁度良いと思ったの。二人の利益も一致するでしょ。もう一つは、金田君は社会に出て仕事を始める前に、何かを達成して自分に自信を付ける事が必要じゃないのかと思うの。今でも十分素敵だけど、この依頼を解決してもっと素敵な男性になっちゃったりしたら……」
憂いのある表情で、美冬さんは僕をじっと見つめている。
「やります! いや、やらせて下さい! 金田銀一郎、男になります!」
「やん、かっこいい金田君! 妹を宜しくね!」
美冬さんに両手を握りしめられて、僕は完全に舞い上がってしまった。
「ほら、すみれも金田君にちゃんと挨拶しなさい。これから、しばらくパートナーなんだから」
「別に私は一人でもいいんだけど、あんたの能力とやらを使った方が早そうだし、仕方ないから組んであげるわよ。足引っ張るような事だけはしないでよね」
そう言い残し、笑顔さえ見せる事なく、一人でさっさ歩いて出てきたドアに入って行った。その、笑うセールスマンのような後姿を見ていると、この人と上手くやっていけるのか、と不安に思えてきた。
「ごめんねぇ、あの子人見知りだから、あんな言い方しか出来ないけど、本当は金田君が協力してくれる事を喜んでいるのよ。あ、そうだ、金田君この後時間大丈夫?」
「え、あ、はい。大丈夫ですけど……」
「じゃあ、この前の喫茶店で待っててくれる?」
また、美冬さんの柔らかい手の平が、僕の手を優しく包みこむ。
「はい! わかりました!」
僕は、さっきまでの不安が嘘のように消えて、ウキウキしながら必要なペットフードを手に取って、レジで代金を支払い待ち合わせの喫茶店に向かった。
ランチタイムが終わったからか、僕以外には一組のお客さんがいるだけで、店内はがらんとしている。この前と同じ席が開いていたので、僕は入り口側の席に腰を下ろし、美冬さんの到着を待つ事にした。
美冬さん、なんの話だろう?
もしかして、この問題が解決したら付き合いたいの、とか? いやいや、そんな上手い話なんて……あるのか? いや、あるかも知れないぞ。だって、素敵だって言ってたし。
どうしよう……いやいや、どうしようって、オッケーに決まってるでしょ。
でも、もしも美冬さんが、言い出せなくてモジモジしてたら、男の僕から言わなくちゃ。
美冬さん……僕は……僕は……。
「ちょっと、妄想モード解除してくれる? キモイから……」
「うわっ!」
いつの間にか、目の前には妹のすみれさんが嘲笑を浮かべて座っていた。
「お姉ちゃんが来ると思ってたんでしょ? 悪かったわね、私で。取り敢えず、さっさと終わらせたいから打ち合わせするわよ」
彼女は、丸太のような両腕を組み、右の眉をピクリと上げた。
文句の一つでも言ってやろうかと思ったけど、驚いた事を思い出して右手で口を塞ぎ、了解した事を告げる為、二度頷いた。
「そっか、あんた驚いたらモノマネになるんだったね。しかし、変わった特技だよね? ま、私には関係ないし、どうでも良いけど」
こいつ、なんて冷酷な女なんだ。とても美冬さんと同じ血が流れているとは思えない。こんな奴と一緒に……ん?
僕の頭の中に流れ込んできたのは、お姉さんである美冬さんに対する、とても大きな感謝の気持ちだった。
口と態度は極悪だけど、意外と良い人かも知れないな。
「あ、あ――よし、喋れる。すみれさん、お互いの利益は一致してるんだし、協力して頑張りましょう!」
「そうね、ちゃっちゃと終わらせてお礼を頂きましょ。で、作戦なんだけど、まずは聞き込みからやるしかないと思うのよ。その中で怪しいと思われている容疑者をピックアップして行く。その後に、容疑者に対する聞き込み。そこで、あんたの能力の出番よ。容疑者と会話を始める直前に、私が何らかの方法であんたを驚かすわ。その後、私が容疑者に核心を突いた質問を投げかける。仮にその人が犯人だったとしても、当然嘘の供述を始めるはずだけど、あんたには心の中が丸見えな訳だから、そこで犯人が見つかるって訳」
自信有り気にそう言うと、彼女はピクリと右の眉毛を上げた。
「じゃあ、その場で逮捕って訳ですね!」
「はぁ……あんたさ、親に甘えて引きこもってただけあって、やっぱ頭ん中すっかすかだね。とても私と同い年とは思えないよ」
まるで、小さな水溜りに住んでいる微生物でも見るかのように、生きている事が無意味なんじゃないの? と言わんばかりの表情で、僕に視線を送る彼女。
「ひ、酷い……そうか、すみれさんも美冬さんと同じで、人を蔑んだりいじめたりするのが好きなんですね! 確か、サ、サイ……そうだ、すみれさんもサイコだ!」
あまりにも酷い発言と、それを上回るほどの視線で、僕は声の音量を気にせずにそう言ったら、どうやら思っていた以上に大きな声だったらしく、何人かいる店員さんとお客さんの視線が、彼女に集中した。
「ちょ、ちょっと、だれがサイコよ! 人を異常殺人者みたいに言わないでよ! それを言うならサディストでしょうが!」
「あ、そうだ、それだ。まぁ、この際どっちでもいいじゃないですか。で、犯人を見付けてからどうするんですか?」
毒舌で上から目線の彼女を焦らせてやったので、少しすっきりして落ち着いた僕は、話を進めるためにそう言った。
「ふん、まあいいわ。仮に犯人を見付けても証拠がないでしょ? 本音は、あんたにしか分からないんだからさ。だから、犯人を見付けたら張り込みをして、犯行を行った時にとっ捕まえるのよ! まぁ、相手によっては私達二人じゃ無理かも知れないから、その時は私のファンの男でも使うわよ」
彼女は、運ばれてきていたアイスティに、ミルクとシロップを何個も入れて、昨日の美冬さんと同じように、ストローを使って静かにゆっくりと掻き混ぜた。
が、通常の倍以上のミルクとシロップで、彼女のアイスティは水かさが増していて、ストローを入れた段階で、もう限界ギリギリだったのに掻き混ぜてしまい、だらだらとこぼれ落ちて、テーブルの上に小さな水溜りが出来上がった。
彼女は、その光景をじっと見つめていた僕に強い視線を送り、
「これが渋谷で流行ってる飲み方なのよ!」
と、僕が引きこもりだから何も知らないと思ってか、強引にたたみ込んだ。
あの……引きこもってても、テレビは見てますから。
「へぇ、そうなんですか! 勉強になります」
と、素敵な僕は言ってあげた。
そんな感じで、作戦会議は三十分ほどで幕を閉じ、連絡先を交換した僕達は、明日の一三時に、この店に集合する事にした。
「遅れるんじゃないわよ」
と、どすのきいた声で言うと、さっさと席を立って帰って行く彼女の背中を眺めていた。
しかし、本当に太ってるなぁ、と思った瞬間に、彼女はピタリと立ち止まったかと思うと急に振り返り、地鳴りのような足音を立てながら、僕に向かってきた。
もしかして、無意識に声が漏れてた? やばい!
「す、すみません!」
「は? あんた何に謝ってんのよ。バカじゃないの? 言い忘れていた事思い出してね。もう少し待っていられるなら、後でお姉ちゃんがご飯連れて行ってくれるらしいわよ。ま、あんたなら一年でも待つでしょうけどね……ふんっ」
蔑むような視線を僕に投げかけて、今度は振り返る事なく、彼女は店を出て行った。
「しかし、口が悪い人だな……でも、でも、でもぉ! この後、美冬さんと食事だ!」
そんなに慌てる必要はないのだけれど、感極まっている僕は、
『時間はいくらでもありますから、急がなくても大丈夫ですよ』と、美冬さんにメールを送った。
時刻を確認すると、一五時になる所だったから、昨日と同じ時間に美冬さんが仕事を終えるのならば、あと一時間半もすれば会える事になる。
美冬さんと会えて食事にまで行けるのならば、一時間半待つ事なんか楽勝だ。
しかし、まさかこんな展開になるなんか思ってもみなかったな。美冬さんとの捜索ならまだしも、妹のすみれさんが登場して一緒に捜索にあたる事になるなんて。
確かに顔の造りは似てるから、痩せたらそれなりに綺麗になるんだろうけど、残念な事に性格が酷い。酷いを通り越して醜い。あれじゃ、男が寄ってこないよ。さっきファンがいるって言っていたけれど本当なのかな?
まぁ、怖くて確かめる事なんて出来ないけれど……。
しかし、この捜査が美冬さんとなら良かったのになぁ。核心に迫った時に、美冬さんに危機が訪れて、僕がそれを命がけで助けて、
「銀一郎君がいなかったら私はこの世にいなかったわ」とか言われて。
当然そうなれば、お付き合いが始まる訳で、最初は無難にディズニィーランドかな。会話の心配がいらなそうだしな。絶叫マシンで、怖がる美冬さんの肩に手を回したりなんかして、「フフッ、怖がりだなぁ、美冬さんは」とか余裕発言をして……。
あれ、僕は絶叫系駄目だった……まぁ、軽いのに乗ればいいさ。で、夕食を取りながら二回目のデートを決めてたら、
「銀一郎君のお家に行ってみたいな」とかなんとか言い出して、部屋で僕の昔のアルバムを見ていたら肩と肩が触れて、
「あっ……」とか、意識しちゃって、窓から入る夕日が二人を照らしてムードは最高潮! でもって、でもって……ち、ちゅ……
「おまたせ! 明日からの捜査の事でも考えてるの?」
「うわっ!」
目の前には、いつの間にか美冬さんが椅子に座っていて、夕日でキラキラと輝いているレンズ越しに、妄想にふけって間抜けな顔をした僕を、じっと見つめていた。
「あら、また驚いちゃったね。ま、金田君にばれたら困る事は何もないから、どうぞ私の心を覗いて下さいな。じゃあ、ご飯食べに行こうか? 何が食べたい?」
「……」
「そっか、三分間は喋れないんだね。だったら、私に任せてくれる?」
「……」
右手で口を塞いだまま、首を縦に二度振った。
歩いて数分で着く、ビルの二階にあるオシャレな居酒屋に僕達は入った。
入り口にいた店員さんに席まで案内されていると、たまたまこちらに視線を向けた男性客が、美冬さんを見て、「見てみろよ、すげぇ、美人だぜ!」と、小声で言っていた。
僕は非常に満足していた。こう言った居酒屋に来るのも初めてだし、その相手は美冬さんだ。なんだか、一気に大人になった気分がした。
案内された四人掛けの席に着くと、美冬さんは不安そうな表情を浮かべた。
「正直に言って欲しいんだけど……妹とは、うまくやっていけそう?」
「え、あ、はい……お互いに利益は一致していますから、大丈夫ですよ、多分」
正直な所、すみれさんの性格を考えると不安で一杯ではあったが、この依頼を解決して美冬さんと一緒に働けるのならば、自分は頑張れると思いそう言った。
それを聞いた美冬さんは、取り敢えずは安心したみたいで、僕に飲み物を聞き店員さんを呼んで、生ビールとウーロン茶を注文した。
「金田君、遠慮しないでいいからね。食べたい物をじゃんじゃん頼んでね」
メニューを広げ二人で選んでいると、すぐに店員さんが生ビールとウーロン茶を運んできた。笑みを浮かべた彼女は、ジョッキを片手に持ち、
「じゃあ、私達の出会いに乾杯しようか!」と言って、スッと前に差し出す。
「あ、はい」
美冬さんに見つめられると、体が痺れたようになって、上手く喋れなくなる。
元々上手くは喋れないけれど。
僕は同じようにグラスを片手に持って、美冬さんのグラスにゆっくりと合わせた。
「ぷはぁ! やっぱり、仕事の後のビールは最高だね! あ、金田君にはまだわかんないか? お酒は飲んだ事ないの? ないよね、金田君真面目そうだもんね」
そう言うと、すぐに二杯目の生ビールを注文して、つまみらしき物を数品頼んでいる。
「あ、ありますよ。お酒ぐらい……」
確かに、飲んだ事はあるのだが、それは正月に出される、『おとそ』とか呼ばれるお酒で、おちょこにほんの少しだけ飲んでみたら、すぐに気分が悪くなって寝込んでしまった。
「へぇ、そうなんだ。でも、今日は飲まないでね。明日から捜査を始めるから、お酒臭かったら怪しまれちゃうからね」
「そ、そうですね。一緒に飲みたいけれど、我慢して事件が解決してから浴びるほど飲みますよ……」
あぶなっ! じゃ、一緒に飲もうか! って言われてたいらヤバかった。
てか、未成年だし……。
「いやん、かっこいい! 金田君、頼りにしてるからね。すみれの事宜しくお願いします」
と言って、彼女はペコリと頭を下げた。
良いお姉さんだな。本当にすみれさんの事を大切に思っているのだな。自分の為にも、二人の為にも頑張らなくちゃな。
そう思っていると、彼女が頼んでいた生ビールとおつまみを、さっきとは違うロン毛のイケメン店員が運んできて、美冬さんと目が合った瞬間、フリーズしたような仕草をした。
「うわっ、本当にお綺麗なお客様だ!」
「あら、そんなに褒めても何も出ませんよ」
美冬さんは、言われ慣れているのか、ロン毛の攻撃を軽くあしらっている。
「いやぁ、こちらの担当スタッフがですね、人知を超えた美貌の持ち主が来店しているって言うもんで、どうしても拝見したくなりまして、担当を代わってもらったんですよ。主よ、今日と言う日までわたくしを生かして下さった事を感謝します……アーメン」
ロン毛は、片膝をついて祈りを捧げるようなポーズを取った。
なんなんだこいつ。もういいから、さっさと帰れよ。
「今日は、弟さんとお食事ですか? 良かったら、今度連絡下さい。俺が美味しい店紹介しますから」
そう言って、スッと、ポケットから自分の名刺を差し出した。
くっ、やはり弟にしか見えないか……。
「はぁ? あんた失礼じゃない? 私のボーイフレンドに対して。悪いけど、そのロン毛全然似合ってないし、超キモイし、その年でヒサロとか信じられないし、あんたもしかして自分の事をイケてるとか思ってる? ま、自分で思う分には勝手だけど、残念な人ね。悪いけど、彼の方があんたより何百倍も魅力的だわ!」
突如始まった毒舌攻撃に、名刺を差し出したまま、本当にフリーズしてしまったロン毛。
美冬さんは、その指先から名刺を引ったくり、ロン毛の眼前であっと言う間にみじん切りにしてしまった。
ロン毛は、あんぐりと口を開けたまま固まっていたが、周りの客席から拍手喝さいが湧きおこり、散りばめられた名刺の残骸を急いで拾い集めて、
「失礼しました!」と、言い残して去って行った。
ボ、ボーイフレンドって、どう言う意味だ? 彼氏? 友達? ボーイが男で、フレンドが友達だから……やっぱり友達ってことか?
まぁ、でも、気持ち良い!
「失礼な奴よね! ま、バカは死ななきゃ治らないって言うしね。てか、あいつは死んでも治らなそうね。ごめんね、嫌な思いしたでしょ。気を取り直して食べよ!」
しかし毒舌だな……一瞬だけど、すみれさんと重なった。
やっぱり、血は争えない、と言う言葉は使う場所が存在するのだな……。
見た目は、虫も殺せないような姿形をしているのに、ロン毛を一瞬で木端微塵に激破してしまう。美冬さんは、このギャップが良いのだ。
そんな美冬さんを見つめながら、必ず解決して認めてもらうのだ、そう強く心に誓っていた。
「……ただいま」
静かに玄関のドアを開けて、両親に聞こえないように言ったつもりだけど、あっと言う間に母さんが飛んで来た。何故だか、ついでに父さんまでも。
「お帰りなさい! もしかして、お友達と一緒だったの?」
「う、うん」
「あ、あれか、ペットショップで勤めているお友達が出来たのか? で、その人に色々教えてもらっていたのか?」
「う、うん……そうだけど」
「そうか、そうか、銀一郎ご飯食べるだろ? おい、母さん用意してあげなさい!」
「いや、食べて来たから。大丈夫だよ」
なんか、上がりにくい雰囲気で、僕は玄関に突っ立ったままだ。
二人は、顔を見合わせて嬉しそうに何度も頷いている。
「そ、そうか! お友達と、食事をしてきたのか! そうか、そうか! うんうん」
今にも涙を流しそうな二人を、まるで奇妙な生き物でも見ているかのような眼差しで見ていたが、明日からの捜査に多少のお金が必要だと言う事を思い付いて、父さんにお願いしようと思った。
「父さん、お願いがあるんだけど……」
何故か、待ってました、と言わんばかりに、満面の笑みを浮かべた二人に腕を掴まれて、居間まで背中を押され連れて行かれた。
「……あのさ、ちょっと色々あってね、明日からペットに酷いいたずらをする犯人を捜す事になったんだ。で、見付ける事が出来たら、その店で採用してもらえるんだ。だから、その捜査にお金がかかるから、少し貸して欲しいんだけど……」
思っていたのと違った内容だったからか、ソファーに腰を降ろした二人は、眉間に少しだけしわを寄せて顔を見合わせている。
「で、その、今日食事した友達と一緒に捜すのか?」
「う、うん、まぁ、そうだけど……」
「それは、危なくないのかしら?」
母さんは、心配そうな表情で父さんと僕を、交互に見比べている。
「まぁ、内容が内容だし、そこまで危ないって事はないだろ。銀一郎は、やってみようと思っているのだろ?」
「うん。これが、僕が社会に出るきっかけになるような気がするから……」
「そうか……よし、頑張りなさい! でも危険だと思ったら無理をするなよ。それを守れるのなら、父さんは応援する」
「お、お父さん、大丈夫なんですか? 危ないのじゃないですか?」
「母さん、銀一郎は、やっと自分がやりたい事を見付けたんだ。それを応援してあげるのが親の務めじゃないのか? 銀一郎、必要な時はこのカードを使いなさい。これは、おまえが何かをやりたいと言い出した時のために取っておいた、お前名義の口座だ。何にいくら使ったのかなんて聞いたりしないから、心配しなくてもいい。暗証番号は、『一一二二』で、良い夫婦だ」
僕は、父さんからカードを受け取り、そのカードをじっと見つめた。
「ありがとう。出来るだけ頑張るけれど、無理はしないようにするよ。これ以上二人に心配かけたら申し訳ないから」
その言葉に、母さんは泣き出してしまい、父さんも涙こそ流してはいないけれど、瞳が潤んでいて目頭を押さえている。
その姿を見ていると、あの事件以来どれだけ両親を心配させてきたのかを思い知った。
僕は、二人にお礼を伝えて居間を出た。そのまま風呂場に向かい、熱いシャワーを浴びながら、未来につながる明日からの戦いに、僕は静かに闘志を燃やしていた。




