第二章 決意
第一章決意
携帯電話をポケットから取り出して時刻を確認する。さっき見た時間からまだ五分しか経っていない。
さっきからこれの繰り返しだ。コンクリートの上に座っているから、すぐにお尻が冷たくなって立ち上がる。お尻の温度が元に戻ったらまた座る。これもさっきから繰り返している。
その僕の目の前には、彼女が勤めているペットショップの入り口がある。
僕の貧困な頭脳では、何をどうすれば良いのかまでは答えが出なかったけれど、品川駅の改札まで行って引き返して来た。
彼女の自殺を止められるのは、それを知っている僕しかいない。
これが、僕が出した結論だった。
自殺を考えるほどだから、何かとんでもなく辛い事があったんだろう。
その理由が分かったとしても、僕に出来る事なんかたかが知れているかも知れないけれど、出来る事があるのなら何でもしてあげたい。
あれがもしも中年のおじさんや、ヤンキーの兄ちゃんでも同じ事を思うのかは、あえて考えない事にした。
一六時半か……閉店が二二時だから、いつ出て来るのか分からないな。
でも、いったいどうすればいいんだろ……。
いきなり、「自殺は駄目ですよ!」って、言いに行くのは変だし、だからって僕の病気を説明しても、精神が病んでる人だと思われるのがオチだし。
誰かに相談したいけど、そんな友達なんかいやしないし。それに相談するって言ったって、まずはその人に僕の病気の説明からしなくちゃいけないし。
……困ったな。
「あ、出て来た!」
つい、口に出してしまったから、周りにいた数人の人に、『なんだ?』って顔で、じっと見られてしまった。当然その数人の人達は、僕の目線の先にいる彼女に視線を向ける。
すると、二人組のサラリーマンが、ひそひそと話し始めた。
「あれ、告白待ちじゃね?」
ニヤついた顔で、チラチラと視線を送られて、僕は恥ずかしさで顔を下に向けた。
いやいや、そんな事はどうでもいいんだ。とにかく彼女を止めなくちゃ!
考えがまとまらないまま、僕は彼女に向かって歩き出した。彼女も歩いているので、すぐには距離が縮まらなかったけど、見失わない距離までは近づけた。
彼女は、江南口のエスカレーターを登り、大勢の人が出入りしている改札をくぐり、階段を下りて山手線の内回りホームで立ち止る。
彼女と僕の間には、二人の女子高生が並んでいる。
その二人は、まるでこのホームにいるのは自分達だけだとでも思っているのか、バカでかい声で会話して、さらにバカでかい笑い声を立てている。
その耳障りなノイズが、考えがまとまらずに気持ちが焦っている僕の脳みそを刺激する。でも、ここを動く訳にはいかない僕は、全神経を集中しそのノイズをシャットアウトする。
考えろ、考えろ、何をどうすれば、彼女の行為を止める事が出来るんだ。
考えろ、考えろ、一生分の脳みそを使ってでも、最良の方法を思いつくんだ!
険しい顔で両腕を組み、眉間に顔中のしわを寄せ集め、じっと彼女の後姿を見つめていると、「あーだ、こーだ」と、わめいていた二人組が、急に静かになっているのに気が付いた。
そして、なんと!
僕を睨みつけているではないですか!
「ちょっと、さっきからわたしらの事睨んでるけど、なんか文句でもあんの?」
金髪で頭頂部の髪が不自然過ぎるほどに盛り上がっている、ギャル全開ヒサロ女が、僕を下から睨みつけている。
そんな不慮の事態に陥ってしまった僕は、慌てて顔と右手を交差させて、ブンブンと大げさに振る。
「じゃあ、なんで睨んでたんだよ!」
もう一人の、双子と言われても全く疑う余地のないほどに、同じ姿形をしたギャル全開ヒサロ女が喚いた。
その時に彼女が、何事かと振り向いて、『あっ!』って顔を僕に向けた。
……最悪だ。こんな気付かれ方がこの世に存在するなんて、なんて最低な事だろう。
しょぼくれた顔で視線を下に向けて、この世の終わりのようなたたずまいの僕に、彼女は同情したのかどうかは分からないけれど、クソ馬鹿ギャル全開ヒサロガングロ女二体を挟んだ状態で、
「あれ、鈴木君だよね? 久しぶりだね! あ、そう言えば、ちょっと相談あるから、お茶でもしようか?」
と言って、僕の腕を引っ張りホームの階段を登って行き、京急電車の改札口の前で立ち止り、その手を離した。
「さっきのモノマネ君だよね?」
「あ、あ、はい、あの、金田と申します。危ない所を助けて頂いて、なんとお礼を申し上げればいいのか……ま、まことに、かたじけなく……」
「アハハ、店内でのモノマネと言い、その江戸時代風な喋りと言い、面白い人だね!」
最悪な展開ではあったけれど、緊張し過ぎて何故か江戸風な口調になってしまったけれど。彼女とコンタクトを取る事が出来たのは、紛れもない事実だ。
でも、この後どうしよう……。
口を結んで俯いている僕に、彼女は優しい表情を浮かべた。
「あ、ごめんね。別にバカにしたんじゃないよ。何て言うか、災難だったね。ま、もう済んだ事だしさ。じゃあ、わたし行くね」
「あ、あの、ちょっと聞きたい事があるんですけど!」
僕の発言に、彼女は不思議そうな表情を浮かべ首を傾げている。
なんて言おう……何を聞けばいいんだ……何を……えっと……ううぅ……
「あの、えっと、その、ペットショップの店員になるには、どんな勉強をしたらいいですか?」
「……勉強方法?」
……なんて、アホ丸出しな質問だよ。
ほらほら、呆れた顔で僕を見てるよ。やっぱ、この子イタい人なんだ、って。
せっかく、こうして話しが出来てるのに、僕のおバカ質問で――
「勉強方法か……よし、これも何かの縁だし、お姉さんがカリスマ店員になる方法を、君に教えてあげる。これから予定ある?」
予想外の展開に、僕は目と口をパクパクさせていたが、ハッと我に返り、急いで顔を左右に振った。
本当に人生って何が起こるかわからないものだな。あれだけ時間をかけて、どうコンタクトを取れば最良なのかを、考えても考えても思いつかなかったのに、今こうして僕の目の前で、彼女はアイスティにシロップとミルクを入れて、カランカランと綺麗な音色をたてながら、ゆっくりとストローで掻き混ぜている。
……まぁ、コンタクトの取り方は最良とは言えないけれど。
「そうだ、金田君はどんなペットを飼っているの?」
透き通るような白い肌に、端正な顔立ちにするにはここしかない! と言う位置に並べられた愛らしい二つの瞳で、メガネのレンズ越しに見つめられ、この状況がどれだけ凄まじく、どれだけとんでもない状況なのかと言う事の実感が湧いてきて、僕は頼んだアイスコーヒーを一気に飲み干した。
「に、にがい……」
「プッ、アハハ――ほんとに金田君はおもしろいね」
「す、すみません。こう言う状況に慣れていないもので、緊張してしまって……えっと、僕の家にはゴールデンと三毛猫とセキセイインコとシマリスとイシガメとエンゼルフィッシュとうさぎがいますです、はい」
緊張のあまり句読点も入れずに、一呼吸でまくし立てるように話して、まるで酸素が無くなり水面に顔を出している魚のように、口を丸くして大きく息を吸い込んだ。
「へぇ、沢山飼っているのね。全部自分でお世話してるの? あ、あと、そんなに緊張しないでいいんだよ。わたしは面接官じゃないんだから」
「す、すいません。少し落ち着いてきました。もっと沢山の動物を飼いたいんだけど、自分で世話するのに限界を感じたから、最後に飼ったうさぎ以来控えるようにしてます。えっと、お姉さんは……」
それ以上言葉が続かなかったから、最初に出された水を、今度はほんの少しだけ、口の中を潤す程度に含んだ。
「そうだ、名前言ってなかったね。水に、木が三つの森で水森。美しい冬で、美冬です。金田君は名前何て言うの?」
「金銀の銀に漢数字の一に太郎とか二郎の郎で銀一郎です」
水森美冬さんか。見た目と同じで綺麗な名前だな……。
「金に銀か。すごい名前だね! なんだか、一生お金に困らなそう」
そう言うと、チラッと腕時計に目をやった。
や、やばい、時間を気にしてる。
どうしよう……どうやって核心に話を持って行けばいいんだろう。
えぇい、もう考えても同じだ! どうせ僕のおバカな脳みそじゃ、気の効いた持って行き方なんか思い浮かぶはずがないんだ。当たって砕け散れ!
僕は、椅子に座り直して背筋を伸ばし、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「美冬さん、僕の話しを聞いてもらえますか……」
彼女はキョトンとして、ただ頷いた。僕は、出来るだけ手短に、でも理解してもらえるように、初めて他人に自分の病気の事と、今の現状を打ち明けた。
そして最後に僕は、ありったけの気持ちを込めて。
「お願いだから……僕に出来る事があれば何でもしますから、自分の命を断とうなんて考えるのは止めて下さい」
気が付くと僕は、テーブルの一点を見つめ、下唇を噛み締めながらボロボロと大粒の涙を流していた。
「金田君……ありがとう」
そう言って、彼女はバッグからハンカチを取り出して、テーブルから少し身を乗り出し、そっと眼元に添えて優しく涙を拭いてくれた。
この店は、隣のテーブルが結構離れているので、話の内容はよほど耳をたてなければ聞こえないと思うけれど、俯き泣いている僕に、周りの視線が集まっている事には気付いていた。
「すみません。僕がみっともないから、なんだか注目されてますね」
「ううん。みっともなくなんか全然ないよ。金田君の優しい気持ちがすごく伝わった。でも心配しないでいいよ。ちょっとプライベートで色々あってね、あの時は最悪な気持ちで、それに輪を掛けるように水槽のガラス割っちゃって、こんなに最悪な人生ならもう死んだ方がましだ、って思ったけど、本気で死のうなんて考えてないから」
そう言って彼女は、にっこりと僕に微笑んだ。
「え、そうなんですか……本気で自殺しようと思っていたんじゃないんですか?」
「金田君は、本当に優しくて良い子だね。私は二人姉妹で妹しかいないから、金田君みたいな弟がいたら、これでもかってほど可愛がっちゃうな。じゃあ、金田君も今までの過去を打ち明けてくれたから、私も今回の出来事をちゃんと話すね」
そう言って、彼女は静かに語りだした。
美冬さんは、三か月前に友達の友達として出会った男性に、しつこく何度も何度も交際を迫られたらしく、全くタイプではなかったけれど、あまりのしつこさに根負けして、仕方なく了承したらしい。
その彼は、すごくなよなよしていて、交際を始めたものの、やはり恋愛の対象としては見れないので、早く嫌われるために自分の本性をさらけ出した。
その本性と言うのが、『サディスト』と言う物のようだ。
しかし、それが以外にも逆効果だったらしく、『マゾヒスト』だった彼は、さらに彼女にぞっこんになっていった。
二週間に一度、食事をするだけだったらしいが、彼からの電話やメールは毎日来るらしく、面倒だと思っている彼女はほとんど返信をしない。
しかしそれが、彼からすれば放置プレイになるらしく、ひどく喜んでいたらしい。
しかし、二か月半を過ぎた辺りからメールの数が減ってきて、やっと諦めてくれたかと喜んでいると、つい二日前に、『最後のメール』と題名の書かれたメールが届いたらしく、その文面には彼女の自尊心を深くえぐり取るほどの内容が記されていた。
僕は、彼女から開かれた携帯電話を渡されて、その文面を覗き込んだ。
『題名 最後のメール』
君に出会った時から僕は気付いていたんだ。君の心の中にある禍々しい光を放つ刃が、僕の卑しい心をずたずたに引き裂く事を。
僕はそれを望んでいた。
そして君は、僕の願望を見事に叶えてくれた。
罵られるほどに、僕の心は満たされていった。
放置されるほどに痺れた。僕の毎日は光輝いていたよ。
しかし、僕は気付いてしまったんだ。そう、彼女と出会ってから。
君の刃が偽物だった事を。
はっきり言おう、彼女は最高だ。
だから、僕はもう君を必要としていない。
いや、最初から不必要な存在だった、と言う事だな。
最後に、僕の最愛で敬愛する最高の彼女の写真を添付しておくよ。
さようなら。
添付された写真は、四十代の後半であろう、でっぷりと贅肉が付いた、見事なほどに薄汚いおばさんだった。
結果的に別れる事が出来て良かったのだろうけれど、美冬さんが写真のおばさんに負けて、彼に捨てられてしまったかのような文面に、敗北感みたいな物を感じてしまったのではないかと思えた。
携帯電話を彼女に返して、なんて言葉を掛ければいいのか分からなかったので、素直に思っている事を伝えようと思った。
「あ、あの……美冬さんは、すごく素敵だと思います。僕はこうやって美冬さんとお話が出来て、病気の事を聞いてもらって、なんだか少し気持ちが晴れました。すぐには無理かも知れないけれど、頑張って社会に出ようと思います」
「私も、金田君に話しを聞いてもらってすっきりした。恥ずかしくて人には相談出来なかったんだよね。本当にありがとう。これからも仲良くしようね。あ、そうだ、連絡先交換しようよ!」
僕は顔を真っ赤にして、照れながら彼女と連絡先を交換した。
『少し遅くなる』と、メールはしていたけれど、僕を出迎えた母さんは顔を見るなり、
「今日は、楽しい一日だったみたいね」
と言って、優しい笑顔を浮かべ、父さんのいる居間に戻って行った。
ニヤついた顔を見られるのが恥ずかしかったから、いつもと同じ表情を作って帰ったつもりだったんだけど。
その日の夜は、美冬さんの事ばかり考えてなかなか寝付けなかったから、目覚めた時には、既に昼の十二時を回っていた。
ベットから起き上がった僕は、机の上に置いてある携帯電話を手に取り、昨日の事が夢ではない事を祈りながら、アドレスを開いてみる。
『あ行~わ行』まで、ずらりと並んではいるけれど、昨日まで登録してあるのは『か行』だけだった。自宅と両親の携帯番号だ。
僕は指を滑らかに動かして『み行』を開く。
その名前が表示されると、携帯電話の明かりが増したように感じられる。
名前の下に、番号とアドレスが表示されていて、さらに生年月日までも。
「二一歳か……結婚相手は年上が良いって、確かなんかのテレビで言ってたしな。しかし、なんて僕は幸福なんだろう。あんな素敵な女性と仲良くなれて、こんな僕がほんの少しかもしれないけれど、彼女の役に立ってお礼を言われて、さらに連絡先を交換しよう、なんか言われちゃって! これからも仲良くしようね、なんて言われたし!」
嬉しさのあまり、ごろごろとベッドの上を転げ回り、壁に頭をしこたま打ち付けたけれど、痛みなんか全く感じない。
その時に、手の中にある携帯電話が振動して、電子音が鳴った。
仕事に出掛けている両親からの電話かと思ったのだが、どうも音が違う。
「こ、こ、これは……も、もしかして……美冬さんからのメールじゃないのか?」
震える指先で、二つ折りの上部を持ち上げた。
「や、やっぱり……美冬さんからのメールが来てる!」
無意識のうちに、直立不動の姿勢を取っていた僕は、瞬きをする事も忘れ、メールの文
面を凝視した。
タイトルに、
『こんにちは』と書いてあったので、
「こんにちは」と、つい口に出した。
その文面を今日一日で五十回以上は読んだから、一言一句間違うことなく口に出して言えるし、いつでも頭の中に鮮明に浮かべる事が出来る。
内容自体は、至って普通のお礼の文だったけれど、僕にとっては記念すべき、人生初の女性からのメールであり、相手はあの美冬さんだ。
返信を求める内容ではなかったけれど、やはり返信したい。
でも、メールなんかやった事がない僕に、気の効いた文面が作れるのかが問題だ。
何度も何度も、思い付いては却下して考え直す。
「なかなか思い付かないな……ん? もう一八時か、かれこれ五時間も文面考えていたのか……あ、みんなに晩御飯あげなくちゃ!」
部屋を出て階段を降りて行くと、ミケがすかさず足にすり寄って来た。負けじとチロもご飯を催促して尻尾を振りながら吠えている。まずは二匹にご飯をあげて、その他の動物達にもご飯をあげようとした時に気が付いた。
「そうだ、ペットフード買ってくるの忘れてた!」
あまりにも衝撃的な出来事が起きたから、本来の目的を忘れていた。まだ、明日の分は残っているから良かったけど……ん? そうだ!
急いでみんなの器にペットフードを入れて、その部屋を飛び出し階段を駆け上がり、自分の部屋に入るや否やテーブルの上に置いていた携帯電話を開き、メールの作成に取り掛かった。
その内容は、メールを頂いた事のお礼と、昨日のお礼、そして、ペットフードを買いそびれてしまったから、明日の昼過ぎに店に行きます、と書いて送信した。
「よっしゃ――! 明日、美冬さんに会える! それも下心を感じられる事なく。いやぁ、やっぱり持つべき物はペットだな!」
満足した僕は、明日の衣装を決める為に箪笥を開けて、あれやこれやと昔の服を引っ張り出して、中学卒業以来全く洋服を買っていない事を悔みながら、なんとかまともに見れるコーディネイトを決めて、ベッドに横になり明日のイメージトレーニングを開始した。
「まずは、挨拶するだろ。で、相手は仕事中だし、あんまり長話は出来ないと思うから、手短に会話する。でも、手短に何を会話するんだ? 何かを質問する。で、何を? 新しい彼氏は出来たんですか? いやいや、僕には無理だ……どんな男性がタイプなんですか? だから、僕には無理だっての。だめだ、気の効いた会話が思い付かない……えっと……そう、だな……何を……」
「……銀一……寝て……の?」遠くからかすかに声が聞こえた。
「銀一郎、ご飯食べないの?」
ん? あれ、いつのまにか寝ちゃってたんだ。
「あー、食べるよ、すぐ降りて行くから用意してて」
起き上がった時に、テーブルの上の携帯電話の一部が白く点滅している事に気付いた。
「ん? も、もしかして……返信がきてるのか!」
急いで携帯電話を手に取りメールを開いてみると、美冬さんからの返信が届いていた。たった一行の文だったけれど、つま先から頭のてっぺんまで、さらに内臓や筋肉まで、体の全てが歓喜の歌声を上げた。当然、口からも歓喜の言葉が発せられる。
「明日の昼過ぎだね、楽しみに待ってます、だって! 僕を、この僕を、あの美冬さんが待っていてくれるだって! それも、楽しみに、ですよ! 美冬さんがですよ! あぁ、なんて人生って素晴らしんだ。どうなの? これって、良い感じなんじゃないの? 季節が冬だけに、美冬さんに出会って、僕には一足先に春が来た。みたいな?」
散々一人で舞い上がっていると、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
「銀一郎、もしかして、誰かお友達が来ているの? だったら、お友達の食事も用意するけど?」
どうやら、感極まった僕の声は、自分では気付かなかったけれど、一階の居間にも聞こえるほどの大音量だったみたいだ。
「だ、誰もいないよ。テレビ見てて騒いだだけだよ。すぐ降りて行くから……」
「そう、じゃあ早く降りてきなさいよ」
その声と共に、階段を下りて行く足音が聞こえてくる。
僕は、自分の頬を両手でピシャリと叩いて、部屋のドアを開けて階段を降りて行った。
居間のドアを開けると、二人は食事の最中だった。最近では両親と顔を会わせると、気まずい空気が流れるし、食事を部屋に持ち上がって済ませていたから、両親も僕が降りてくるのを待つ事はなくなっていた。
僕は、気分が良いせいか、二人が座っている食卓についた。二人とも一瞬だけ目を見開いたけれど、すぐに元の表情に戻して食事を再開する。
「今日は、一緒に食べるよ。いいかな?」
また、ほんの一瞬だけ、多分気にしてなければ見過ごすほどの一瞬だけ、驚いた表情を二人は浮かべた。
「良いに決まってるじゃないか! 何を遠慮してるんだ。ほら、母さん、銀一郎のご飯ついであげなさい!」
母さんは、慌てて僕の茶碗を手に持ちキッチンに向かう。
しばらくの間、沈黙が続いた。
僕は食事をしながらも美冬さんの事を、明日の事を考えていた。
「あのさ……僕ね、ペットショップで働いてみようかと思ってるんだ……」
「お、おぉ、そうか、うん、それはいいんじゃないか? 銀一郎は動物が好きだしな。なぁ、母さん?」
「え、えぇ、そうよ、好きな事を仕事にするのが一番いいわ。銀一郎なら、良い店員さんに……なれるわよ……きっと。動物の事も良く知っているし……う、うぅ……」
突然の、『脱引きこもり宣言』が、二人を驚かせ、母さんに至っては、よほど嬉しかったのか、テーブルの隅に置いてあった台拭きで顔を覆ってしまった。
「母さん、それ、台拭きだよ……でも、すぐに面接受けるとかじゃないから。そうしたいな、って思っている段階だからさ」
不純な気持ちではあるけれど、美冬さんと一緒に働ければ、もっともっと仲良くなれるんじゃないかと思ったし、美冬さんの為ならばどんな苦難も乗り越えられるような気がしていた。だから、自分の気持ちを強固な物にするためにも両親に報告したんだ。
思いもよらぬ母さんの涙で、本当に後には引けなくなったけれど……。