対決! 森の魔物?!
○シーン2:森の異様な魔物
村を出て、しばらく行くと、森に入った。
「魔物が出るかも。魔法の用意を頼む」
ロカカに言われて、アイリは緊張の面持ちで杖を抱きしめた。
周囲は、うっそうと茂る木々である。節くれだった木の幹や、シン……と静まりかえった薄暗くて薄寒い空気が肌寒くなってきて、村を出てくるときは暑いくらいだったのに、気がつくとアイリは身体中に不快感を感じていた。
と、突然、ロカカがアイリに覆い被さってきた。
「きゃっ!」
なにすんのよ! えっち! と言おうとして、ロカカの表情に驚いてしまう。
ぐるるるるる……・
うなり声だ。飢えた狼か、あるいはグールか。
ややあって、ロカカが、すっくと身を起こした。その顔から先ほどの強い表情は消えていた。二人を包む森も、再び沈黙した。
―――なんだったの、あれ。
あの声はまるで魔物のようだった。近い。グールが相手では、初歩魔法では相手にならない。短剣や鞭など、言うに及ばずだ。ここが『初心者向けのエリア』だと言うから、スライムぐらいだろうとたかをくくっていたが、それは希望的観測だったらしい。
ぱたぱたと、足音が近づいてきた。
ハッと身をこわばらせるふたりの目の前に、木々のあいだから奇妙なものが見えてきた。
顔は狼なのだが、後頭部におおきな円形の兜のようなものをかぶり、四つの手のひとつにTの字の武器を持っている。おなかのあたりには、『呪』と書かれた鎧をつけていた。そして、武器を持っていない手は、それぞれギラギラひかる目がついていたり、剣呑な牙がついていたりしているのである。
狼の顔を持った魔物は、じゅるりと唾を飲み込んだ。
「こりゃ、いい獲物だな」
意外にも、そいつはしゃべった。
「こんにちわ! 俺、ロカカ! こいつは、アイリだ!」
手を振ったロカカは、勇気を振り絞って挨拶した。
「―――は?」
完全に、虚を突かれた体の相手。
「はじめまして! 俺は勇……、ロカカ!!」
すんでのところで、正体をばらしそうになるロカカ。
そいつは、パチパチと、三つの目を同時にせわしなく瞬かせた。
「や、やあ……」
とりあえず、返答はしてくれた。よかった。すぐ襲ってくるつもりはないらしい。
そして思った。
やっぱり、コミュニケーションというのは、挨拶が基本だよね!
オアシス(おねがいします、ありがとう、しつれいします、すみません)が、ひとと仲良くなる秘訣だって、とーちゃんも言ってたし!
屈託のない笑顔を見せてみる。愛嬌だけは、自信がある。
アイリは、ジト目でロカカを見つめている。本気でこいつを説得するつもりなのか、といわんばかりだ。
「この森は、はじめてなんだ! きみのようなハンサムと話せて嬉しいよ!」
ロカカは、さらに言いつのった。はんさむ?! アイリは目を剥いてしまった。
「アイリに、ロカカか。楽しいヤツだな。まあ、オレの胃袋に入っちまえば、エサには違いねえけどよ」
相手は、悪意のこもった口調で言った。
「いや、俺たちを食べてもうまくないって。だいたい、知性のある相手を食べることに、罪悪感はないわけ?」
「知性があろうとなかろうと、食いもんにはちげーねーだろうが、タコ! 安心しろ、残すところのねーよーに、きれいに平らげてやるからよ!」
相手は逆ギレした。どうやら、ちょっと良心にとがめてしまったらしい。
「そうなの? いままで、知性のある相手を食べたことはあるの?」
「―――答える義務はねえ」
ふん、と鼻息を荒くする狼の魔物。
「こうして名乗った以上、きみと俺とは友だちだ! 魔物は、友だちも食べるのか?」
ロカカはさらに、たたみかける。魔物は、ぐるるるるる……とうなり声をあげて、苦しそうに困惑している様子だ。弱気になった証拠に、泣きつくような口調になっている。
「ともだち?」
「そう、ともだち」
同時に答え、ぶんぶんうなずく二人。
「オレは泣く子も黙るギャオスさまだぞ! ともだちなんて、必要ない!」
とか言いつつも、ギャオスは、ちょっとさびしそうな目になった。魔物生活百十年。ともだちと言ってくれた魔物はいない。そのどじっぷりをあざけられ、人の良さを笑われてきたのだ。獲物と友だちなんかになっていたら、食う物がなくなってしまう。
「だいたい、ともだちって何人いれば一人前の魔物と認められるんだ? 十人か? 百人か? 二人だけじゃ、まったく足りねーな!」
「量より質だよ、ギャオス。俺たちは強い。おまえも強いんだろ?」
ロカカは、元気よく指摘した。
「そうさ、オレはスライムよりも、ゴブリンよりも、ずっと強い!」
ギャオスは、自分がいかに強くて立派かを、口を極めて表現し始めた。
岩陰に隠れた老イノシシと対決し、その腹に武器を突き刺して倒したこと。
洞窟の中でドワーフの火酒を飲んでいたら、ゴブリンたちが貢ぎ物を持って現れてきて、みんなで飲めや歌えの大騒ぎになったこと。
料理上手の魔王の末娘にプロポーズして、きれいな彼女のために、毎日食事を持って行っていること。
「なのに嫁さんは、いまでは骨ばった肉しか、食わせてもらってねーんだよ! 魔王さまは厳しいお方だからな」
言っているうちに、ギャオスの瞳から、おおつぶの涙がほろほろとこぼれて落ちた。しくしくと、四つの手の内の二つの目から、液体が流れてきて、ギャオスの足元に集まっていく。その場はまるで、池のようになっていた。
「ギャオス。泣くのはやめろ。いい大人がみっともない」
ロカカは、諭すように言うのだが、ギャオスはまったく聞く耳を持たず、ついに赤ん坊のようにわあわあ泣き出した。
「ああ、腹がへったよおおお! 魔王のばかー!」
あまりにも切実な言い方であった。
ロカカは、すたすたギャオスに近づき、片手を差し出して言った。
「俺は、その魔王を倒すために旅をしている。あんたの空っぽの胃袋を満たすために、あんたに食料を分けてやろう。それで今回は見逃してくれ」
ぴたり。
ギャオスは、泣くのをやめて、疑い深そうに武器を持たない二つの手の目をクリクリさせた。
「そんなこと言って、隙を見て逃げようって気なんだろう」
「い、いやいや決してそのような!」
ロカカは、急くあまりにつっかえた。
「本気でそう思ってるんだ。その証拠に、おまえと戦って倒すこともできるが、こうして話し合ってるじゃないか。だから安心して、任せてくれ」
「おまえ、いいヤツだな」
ギャオスは、涙をぬぐっている。足元のべちゃべちゃした地面を、居心地わるそうに踏みしめながら、ロカカの手を握り返した。
「知性ある動物を食べるのは、オレとしてもためらいがあったんだ。オレたちのかーちゃんも、そんなことをしたら腹をこわすって言ってたからな。これからは、いっしょに行動させてくれ。オレは鼻が効くし、使える魔物だぞ」
「……は、は」
意外な展開に、ロカカが凍りついてしまうと、アイリがわきでロカカをつっついた。魔物が護衛につくなら、この森もずいぶん楽に越えられるはずである。この申し出を断る理由はない ところが、ロカカはぎゅっと手を握り返しつつ、
「きみには、もっとともだちが必要だ。俺たちも手伝うから、一緒にともだちを増やそう!」
などと、無責任なことを言うのである。
ギャオスは、目を見開いた。そして、素直にうなずくと、
「おまえをエサと言ってわるかった。おまえといると、いままでと違った考え方が出来るようになる。おまえと一緒にともだちを見つけて、腹もいっぱいになったなら、こんな倖せなことはないだろう」
だいじょうぶなのかとアイリは心配になった。仲間に魔物がいる、というのは計算外だったが、まあ、村に着くまでの間だろう。そう考えるとちょっとさびしいけど、村に魔物を連れて行ったら、大混乱になってしまう。
そんなことがわかっているのに、安請け合いしちゃって。
たしかにロカカは、ちょっと常識に欠けている。彼には武器はほとんど使えないし、使えるのは舌先三寸、いいくるめである。なるほどギャオスに最初に挨拶し、それを足がかりにして魔物を仲間に引き入れたのは、ロカカである。
仲間からバカにされている、とギャオスは言っていたが、あんな気のいいタイプでは、バカにされてもしょうがないかもしれない。魔物にも、いろいろタイプはあるんだなと思うと、研究心がうずいてきた。そもそもアイリが魔法使いになると決めたのも、魔物の分析と調査をしたい、という夢があったからである。
魔物辞典にメモしておこうと心の中でチェックする。魔法使いは、研究者でもある。自分の魔法が少しでもレベルアップするのなら、どんな小さなことも見逃してはならない。
―――魔物のGの項目には、ギャオスを付け加えることは決定ね。
王都にあるという、魔法大学に報告すれば、経験値ももらえるし、お金ももらえる。ギャオスが説得に弱く、ともだちを渇望しており、仲間からはハブられていることは、報告に値するだろう。ほかに弱点とかも見つけておいた方がいいかもしれない。
こう見えても、アイリはわりとしたたかな女の子なのである。
「よっしゃ~! 獲物をとりに行くか!」
固い握手を交わして友情を誓い合ったギャオスは、明るく叫んだ。
その次の瞬間。
なまあたたかい風が、三人の間を吹き抜けた。
―――うおおおおおおお。
あのうなり声が、再び地面に轟いた。
さあーっと顔色を変えて、ギャオスは立ち尽くした。
アイリは、背筋が寒くなるのを感じながら、ギャオスの顔を見上げた。
あれは、いったい、なに?
口に出したら忌まわしいものが現れてきそうで、アイリはゾッと身を震わせた。
ロカカは、厳しい目つきでそれを見ていたが、
「先を急ごう」
「待って。水を飲まなくちゃ」
アイリは、水筒を指さした。
怯えてるわけじゃない。怖くなんかないんだ。
震えているのは、緊張しているからよ。
水筒をカタカタ言わせながら、アイリは心の中で、そううそぶいているのであった。