愛しい隣人に捧げる告解
「女神ステラは、私たちを救ってくださるでしょう――」
まるで誰かに決められたことのように、その口はお決まりの言葉を吐き出した。
目の前の横長の椅子に座る信徒たちはその言葉に恭しく頭を垂れる。中には涙を流すものまでいた。子どもまでもが真剣に、己の言葉の先にいる神を見据えている。
神は本当にいるのだろうか。こんなことを考えることは、女神、ひいては己の言葉を聞く全ての隣人たちへの裏切りである。けれど己は考えることを止めない。なぜなら、目の前の神を信じる隣人たちがどこまでもどこまでも、愛しいからだ。
「ミラの福音書、第18節――」
一説によるならば、神とは聖人の昇華した姿なのだと言う。そのこと知った時、真っ先に思い浮かんだのは年老いて引退した先代の聖女だった。なるほど、確かに神に近いかもしれない。
が、彼女はどこか悲しみを帯びた瞳で「私は、神にはなれませんよ」と言う。ならば神とはどこにいるのか。それが天の遥か彼方で私たちを見守っているとなぜ言えるのか。
「――賛美歌を」
信徒たちがその言葉に立ち上がる。幼子を抱いた母も、杖をつく老爺も。皆、何を考えているのかわからない顔をして。オルガンの音が聖堂に響く。賛美歌を口ずさみながら、馬鹿馬鹿しいと心の中でつぶやいた。
「本日の説教はここまでです。皆様に神の御加護のあらんことを…」
この後は寄付を募って、質問をしてくるものに応えて終わる。
寄付金は全て、アストラ神国の各地の孤児院に全額を寄贈することになっている。
たとえそう言うものだとしても、神の教えに対し金を払うことを浅ましいと、愚かだと感じるのは私が捻くれているからだ。その金で救われるものも、確かにいるのだから。
例えば、それは私も含まれる。
私が幼いころ両親は流行り病で亡くなり、その後は都にある孤児院で育った。
そこで、私はとある少女に出会った。時折浮かべる微笑みが綺麗な、妹の様に思う少女だった。
彼女はある日、聖女として都に連れていかれ…私たちは離れ離れになった。
聖女というのは気高き存在だ。ただの平民が軽々しく会えるような存在ではない。
ひどく落ち込んだ私を慰め、そして今の大神官という道へ導いてくれたのは孤児院の院長だった。
「もしお前が大神官になれたなら、お前はあの子を守れる」
その言葉は女神が授けるという神託よりも偉大で、まさにそこで、己の人生は決まったのである。
思えばそれ以来だろう。女神に心からの感謝を捧げたのは。
全ての信徒が聖堂を出て行くのを見送り、もう一度聖堂に戻る。光を受け鮮やかな色を発するステンドグラスの光がちょうど当たる場所で、一人の少女が祈りを捧げていた。
その姿はまるで私たちが信じる女神のようで、暫く目を離せずにいた。
「…大神官様、どうかなさいましたか?」
少女が振り返る。日を受けた髪は橙にも見える茶色だ。彼女は無表情ながらも、目には私を心配するような色を浮かべている。
「…いや、なんでもありません。貴女こそどうされたのですか、聖女ティナ」
「…少し、暇があったので、祈りを捧げに来ました」
「…そうですか。私もよろしいですか?」
「私は、構いません」
彼女――聖女ティナの許しを得て彼女の横に跪く。祈りを捧げる彼女の横顔をちらりと見て、自分も手を合わせて目を瞑った。
ティナは引退した聖女の養女であり、現在の聖女――神に仕える、神に最も近いものに他ならない。
まだ年端のいかない少女に過ぎないというのに、聖女に対する期待は重圧となって彼女を押しつぶさんとしていた。夜の聖堂で度々見かける小さな体を震わせる彼女を、私はいつも見ないふりをしていた。
目を開けると、彼女はその白い指を強く握りしめながら祈りを捧げていた。
「…ティナ、そろそろ戻りましょう」
「…はい。大神官様、私がここに来ていたことは…」
「えぇ、誰にも言いません」
聖堂は本来聖女を迎えていい場所ではない。聖堂だと謳うこの場所は、何でも人の穢れに満ちているのだと言う。…だから、本当はここに来ている彼女を咎めなければいけないのだった。
「…はい、ありがとうございます、エリオット兄さん」
微笑みながら、彼女が私の名を呼ぶ。その呼び名は幼少のころを思わせ、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「……行きましょう。あぁ、何か本でも貸します、私の部屋に寄りましょうか」
「はい」
孤児だった自分の、妹のような大事な子。
神がもし本当にいるのならば、私たちを愛し、見守っているというならば。
どうか、彼女に幸福を。