13:手を伸ばしたら
長文になります。
最終日の朝、目録の作成を始めても国王様は現れなかった。珍しいこともあるもんだと思いつつ、ヨルクさんが戻ってくるまでにキリのいいところまで終わらせようと作業をしていると扉が開く音がした。
国王様はどうやら私が初日に驚いたのがよほど面白かったのか、音を立てずに図書室に入ってくるようになった。扉は誰がどんなに静かに開けても音が出るようになっているそうなので、どこから入ってくるのか謎だ。でも国王様専用の通路などが王宮には山のようにあるに違いないから、そのうちの一つがここに繋がっていてもおかしくない。
もしかして音を立てずに入ってくるのに飽きたのかなあ、と思いつつ私は作業に没頭していった。
「……アメリアがどうしてここに?」
国王様でも、ヨルクさんでも、宰相様でもない。仕事の手をとめて顔を上げると、目の前には困惑した顔のユーグ様がいた。
「お久しぶりです、ユーグ様。ヨルクさんが風邪とぎっくり腰で動けなくなってしまったので、図書室から職員を派遣することになって私とジリアンが選ばれました。ですがジリアンのおじいさまもぎっくり腰になってしまって私だけでヨルクさんの代理をすることになったんです」
「ヨルクが?ならば私もあとで見舞いに行くとしよう」
そういえばヨルクさんは国王様とユーグ様の元教育係なんだっけ。そりゃ心配だよね。
「あの、ユーグ様はどうしてここに?」
「陛下から本を取ってくるように頼まれた。アメリア、忙しくなければ手伝ってくれないだろうか」
ユーグ様が見せてくれた紙には、5冊ほどの本の名前が書いてある。置いてある本棚もバラバラだし一人では時間もかかるだろう。ユーグ様だって暇じゃないはずだ。
「わかりました。でしたら手分けして探したほうが早いですよね。ここで5日ほど仕事をしていたので、場所の把握はできますし」
「陛下から頼まれた本は1冊が結構重い。2人で一緒に探したほうがいいと思う」
なぜかユーグ様は“一緒に探す”ことを強調した。
本はそろったのにユーグ様は部屋を出ようとしない。何か会話をしたほうがいいのかな。
「わ、私はここに来るのは今日が最後なのです。とても貴重な体験ができました」
「そうか。私は王子だった頃、ここで本を読んでいた。本当は国王と王太子のみがここで読書をできるのだが、子供の頃に兄上が“ユーグはほんがすきだからな。ちちうえにはないしょだぞ”と許可してくれたのだ。もっとも父上が図書室に来ることは一度もなかったらしいが」
「そうなんですか」
ユーグ様も国王様も、さぞかし可愛い子供だったに違いない。でも、国王様って昔からああいう腹黒な……いやいや何事も楽しむ性格だったんだろうか。
「アメリア、自分の素性をきみに言わなかったこと、すまなかった」
そう言うと、ユーグ様は私に頭を下げた。
「知らなかった私が悪いのですから、ユーグ様は謝る必要ありません。頭を上げてください」
思わずユーグ様の腕にふれると、その感触にはっとしたのかユーグ様が顔を上げた。
「す、すいませんっ」
「いや、かまわない。私がきみに言わなかった、いや言えなかった理由を聞いてくれないか」
室長に言われたことが頭をよぎった。でも、それだけじゃなくて私自身が理由を知りたくてうなずくと、ユーグ様はばつの悪そうな顔をしたあと、ひとつ咳払いをした。
「………アメリアに逃げられるのが怖かったんだ」
「はい?」
「私たちが初めて会ったとき、もし私が元第二王子で現在は公爵だと言ったらアメリアはどうした?」
どうしたかって……まずは読書の邪魔をしたことを謝罪して、言葉を交わすことはまずしない。 “ユーグさん”なんて気軽に呼んだりしない。
「きっと、“ユーグさん”なんて呼んだりしませんでした」
「そして私に近づかなかったよね?」
「そ、そのとおりです」
「きみと図書室でいろいろなことを静かに話す時間は私にとっては、とても貴重でいとおしい時間だから。それを自分のせいで失ってしまうのが怖かった……私は、アメリアに関することにはとても臆病になってしまうんだ」
貴重でいとおしい時間…それは私だって同じだ。
「私、一人で王都にやってきたときも怖かったはずなのにユーグ様の素性を知ったときのほうが怖かったんです。おこがましいけど、私もユーグ様に関することにはとても臆病になってしまう……」
そこで腕をぐいっと引かれた。目の前には騎士服。背中に回されたのはたくましい腕。
固まる私が分かったのか、ユーグさんが少しだけ距離を取ってくれて互いの顔が見えるようになった。
「私たちは2人とも臆病者らしい。まずはアメリア、以前みたいにユーグと呼んでくれないか」
国王様の助言が頭に浮かんだ。“勇気をだして手を伸ばしてごらん。間違いなくその手は届くからね”今が、そのときなら。
おずおずと手を伸ばして騎士服にふれる。その手をユーグさんが優しく握ってくれる。あ、やっぱり国王様の手とはちがう。骨っぽくてごつごつしてる……でも、とても優しくて温かい手。
「ユーグさん、あのときはひどいことを言ってごめんなさい」
「アメリアが謝ることなんて何もない。私がいけないのだから。また図書室でいろんな話をしよう?」
「はい」
私がうなずくと、ユーグさんは笑って私を抱き寄せた。今度は私も固まったりしなかった。
<その頃の国王執務室>
ああ、もどかしい。
「ユーグは馬鹿か。ここですかさずキスだろう、キス。抱きしめただけで離れるなんて」
「この変態。なに覗き見してるんだ」
「変態とは失礼だな、ブラッドリー。弟の恋路を心配する兄という実に慈愛あふれた行動なのに」
「慈愛、と言う言葉に失礼だ。図書室の絵に遠視の魔法をかけておいてそこから覗き見なんて変態行為以外なにがある。さっさと仕事しろ、この変態国王」
ブラッドリーは容赦がないし、これ以上ごねるとまた視界をさえぎるくらいの書類が積まれてしまう。私はしぶしぶ仕事に戻った。しばらくして本を抱えたユーグが部屋に入ってきた。
「ああ、ユーグ様。ご苦労さまです」
「ユーグ、ありがとな。助かったよ」
「いいえ。ところで兄上」
「ん?なんだ」
なんか、ユーグが怖いぞ。いたって穏やかなのに目だけが笑っていない。
「覗き見はいい趣味とはいえませんね」
「…………なんのことかな?」
「なるほど。騎士団副団長の私をごまかすとは……兄上、どういう理由で覗き見を?」
「えええと、それはだな」
いつの間にか、部屋からブラッドリーが姿を消していた。




