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八話

遅くなってしまいました。それに少々短いです。

 目が覚めたら体がやけに軽かった。それに夏の朝だというのに涼しいとさえ感じる。

 まるで服を着ていないみたいだ。

 そういえば、昨晩は異常に蒸し暑くてトランクス一着で寝ていたのだったか。

 寝惚け眼で壁掛け時計に目を向けてみれば、短針が丁度5の位置を指していた。昨夜、美沙が家に来ると言っていた時刻だ。どうやら美沙が来る前に起きられたらしい。寝坊助の俺にしては頑張った結果だと思う。念の為に目覚ましを四時半頃にセットしておいたけれど、今目が覚めたということは気付かなかったらしい。危なかったぜ。


 「ふあ~。何とか間に合った……か……」


 力の入らない体をなんとかベッドから引き剥がし、目の端に溜まった涙を手で拭いながら大きく伸びをする。そこで、俺は自身の肉体がおかしな事になっているのに気が付いた。


 全身の軽さと反比例して、ウェイトを乗せられているかのように重い胸元。そしてサラサラと俺の全身に絡まっている黄金の繊維。寝起きで思考能力が鈍っている今でも、これが一体どういう状況なのかが瞬時に理解できた。これはもう、アレしか考えられない。俺はまた――


 「おおおおおお女になってるううううううう!?」


 清々しい夏の朝に似合わない、酷く無様な叫び声だった。少女特有の甲高い声だっただけに、まるで強姦されそうになっている女の子の悲痛な叫び声のようにも聞こえる。まあ、俺の声なのだけれど。


 「何が起こってどうしてこうなる!? おっぱい丸出し!! 鼻血ぶ――!?」


 ピンクのサクランボがデコレーションされたデカメロンが、筋肉しかなかったはずの俺の胸元にぶら下がっていた。大きくてハリのあるソレは、その圧倒的な重量に負けることなく、垂れ下がらないで隆々としている。俺のお気に入りのグラドルをも遥かに超越する大きさだ。


 そんな自分のボンッ! と飛び出た肉体の一部を見て、興奮して鼻血を吹き出す女が此処にいた。

 過去類に見ない究極のナルシストじゃないか。まあ、これもやっぱり俺なのだけれど。


 慌てて床に蹴落としていたタオルケットを拾い上げて体に巻き、ティッシュを鼻に詰めて鼻血の流出を塞き止める。ああ、頭がスゲーくらくらする。自分の体だってのに興奮し過ぎだろ。


 「くそ、タマの仕業だな……! おいタマ! お前、勝手に俺の体使っただろ! さっさと戻せ!」


 側頭部に手を当てて声を荒げ、俺の中にいるタマの奴を呼び出す。…………が、待っても一向に返事がない。一体どうしたというのか。


 「タマ、聞いてんのかよ? おい――」

 『…………zzz』

 「寝てるぅ!?」


 すやすやと、タマの寝息が聞こえてきた。起こすのも憚られるくらいに安らかな寝息だった。

 ……って! 寝かせている場合じゃない! 何で寝てんだよお前。魂だけの存在のくせに寝る必要があんのかよ! せめて体を元に戻してから寝やがれアホンダラ!


 「くそ、……とりあえず服を着るか」


 タマを叩き起してやるのも重要だが、今は一刻も早く服を着たい。いつまでもタオルケット一枚だけでは心許ないのだ。

 

 慣れない女の体だからなのか、誰もいない自室だというのにも関わらず凄い恥ずかしい。壁に貼ってあるグラドルのポスターを見て思ったけど、よく女の子ってあんな布地の少ない水着とかで浜辺を歩けるよな……。ほとんど裸じゃないか。俺には絶対に真似できないと思う。やるつもりも無いけれど。


 タオルケットがずり落ちないように手で押さえながら、俺の独断に満ちたファッションセンスのみで揃えられた服(九割以上がジャージ)が収納されている洋タンスへと向かう。母のお下がりだから所々に傷があるタンスではあるが、全身が映る大きなミラーが付いているので中々に気に入っている。態々洗面台で身嗜みを整える必要がなくなるし、筋肉の付き具合をチェックしている時に誰かに見られる心配もなくなるのだ。


 「よいしょ……と。さて、何を着るかな」


 洋タンスを開き、ズラリと目前に並べられた様々な種類のジャージを見ながら俺は頭を悩ませる。

 どれにしようか……。

 そうだ、今日は暑くなりそうだし、爽やかな気分で過ごしたいから涼気な色をした青の半袖ジャージにしよう。ふふふ、俺も中々にお洒落さんである。


 目的のジャージをハンガーから外し、いざ着替えようとした時だった。

 ……これ。どうやって着替えたらいいのだろうか?

 タオルケットを取るのか? でも、それでは俺のナイスバディが丸見えになってしまうではないか。

 

 「…………目を瞑るか」


 それ以外に選択肢がなかった。

 ギュッと強く瞼を閉じてから、プルプルと震える手で体に巻きつけていたタオルケットを外す。

 はらりっとタオルケットが足元に落ちた音が耳を打つ。


 (おおおお、超恥ずかしい! マジで恥ずかしい!)


 男の時とは比べ物にならない羞恥心だ。この姿を誰か他人に見られたりしたら俺は自殺する自信があるぞ。もう、とんでもなく恥ずかしい。


 「は、早く着替えてしまおう」


 手探りでジャージの形を把握し、せっせと袖を通す。

 するり、と簡単に腕が入った。どうやら女の体になって体が小さくなっているらしい。いや、小さくなっているというよりは細くなっている感じだろうか。多分、身長はそれほど変わっていないと思う。


 真っ先に胸元を隠したかったので、さっさと金具を手探りで見つけてチャックを引き上げる。

 ジジジッとチャックが噛み合いながら締まって行き、そして止まった。チャックを限界まで引き上げたから……ではなく。予想だにしていなかった巨大障害物のせいでチャックがこれ以上締まらなかったのだ。要するに、チャックが下乳で止められてしまっている。


 「閉まんないだと?! サ、サイズが小さかったのか……クソッタレが! 胸がデカ過ぎんだよチクショウ! この――!」

 

 ムニュリと変幻自在に変形するデカパイに辟易しながらも、俺はチャックを閉じるために胸を強引に押し込んだ。……が、中々収まらない。ハリがあり過ぎるのも問題だぞ、いくら押しても元に戻りやがる……!


 「っだー!! 無理やりにでも押し込んでやる!」

 

 痛みを感じようとも関係ない、どうやってでも押し込んでやる!

 という訳で、俺は痛みを我慢しておっぱいをジャージの中に詰めた。それはもう泣きたくなるくらいに痛かったが、こんな羞恥心の塊を外部に露出させておくよりは遥かにマシである。


 腕で胸を押し潰している内にチャックを一番上まで上げ、何とか封印に成功する。ああ、疲れた……。

 

 「……女の子って大変なんだな。胸なんて無い方がずっと気楽じゃないか」


 誰だよ、おっぱいには夢と希望が詰まってるとか言ってた奴。そんなもんは詰まってねーよ。羞恥心と苦労しか詰まってねーよ。もう俺はおっぱいなんかに興奮しないぞ。こんな脂肪の塊に興奮する男の気が知れないね、まったく……。


 「ってあれ? なんか俺、乙女みたいな思考していなかったか? ――まあいいや。今はとりあえずタマの奴を叩き起すことが先決だ」


 ジャージの下をいそいそと穿きながら、俺の中で寝入っているタマを起こす方法を考える。

 タマが魂だけの存在である以上、俺がアイツに干渉できる事と言えば呼びかける事くらいな訳なのだが、これだけ深く寝入っていると簡単には起きてくれそうもない。どうしたものか……。


 と、俺が腕を組んで熟考している時だった。

 下の階からバタンッ! という大きな音が聞こえた。今の俺(女体状態)の聴力はかなり優れているから聞き間違いではないだろう。そして今の音は扉が力いっぱい閉められた音に違いない。それらから導き出される答えはただ一つ……。


 「や、やべえ……。美沙が来やがった!」


 鍵はかけていたはずだから、家に入れるのは両親を除いて鍵を所持してる美沙一人しかいないはずだ。

 あの馬鹿、チャイムも鳴らさねえとは一体どういう了見だ。まさか寝ている俺を叩き起こしたが為だけにチャイムを鳴らさなかったんじゃねーだろうな? プライバシーって言葉を知らないのかよ!


 「ああ、どうしよう。こんな姿を見られたら……!」


 間違いなく変態扱いされる! 

 「何アンタ? 女装趣味とかあったの? 凄くキモいんですけど」とか絶対言ってくる! だってほら、こんなナイスバディに俺のモブ顔が似合うわけがないし! ていうか女の体に男の顔が乗ってても気持ち悪いだけだろ! 自分でも気持ち悪いと感じるよ!


 俺は自分の容姿に絶望しながら、その姿がいかに醜いかを確かめるために、タンスに取り付けてあるミラーを見た。ほら、そこには世にも恐ろしい男女の怪物が映って……。


 「…………あ、あれ? 誰だよこれ……?」


 化物が映っているであろうその鏡には、ブロンドの髪を持った青い瞳の美女が映っていた。

 日本人離れしている彫りの深い顔立ちに、驚く程に大きい二重の瞳。眉もキリッと整えられていて、その厚めの唇も大人の妖艶さを醸している。肌は眩しいほどに白いのに、決して病的には見えない。


 美人だ。完成された美女だ。こんなに綺麗な人は今まで見たことがない。

 正に傾国の美女。こんなに美しい人がこの世に存在するなんて信じられない。まるでフィクションの世界から抜け出してきたかのような、完璧な容姿をしている。もう作り物にしか見えなくなってきた。


 「ま、まさか、これが俺なのか? いや、俺というよりはタマの姿か……?」


 俺の面影なんか欠片もないぞ。全く似てない。これっぽっちも似てない。全くの別人だ。

 そういえば、昨日タマの奴が『私が人に化けた姿は度肝を抜かれるくらいのすんごい美人なんだよ? いつか私の真の姿を見たとき、涼ちゃんは泣いて私の靴を舐めたいと懇願するだろうね!』なんてムカつく事を言っていたが、まさか本当だったとは……。確かに、この鏡に映っている人の靴ならば舐めてもいいかも知れない。いや舐めたい! 今は俺なんだけれども。


 「――って! 見蕩れている場合じゃなかった。おいタマ、早く起きろ! 今すぐ男の姿に戻せ! 美沙がもうそこまで来てるんだぞ!」


 ギィギィと階段を踏みしめている音が微かに聞こえる。

 やばい、一直線に俺の部屋に向かってきている。このままでは美沙に見られて……


 「あ、でも今の姿なら絶対にバレないよな? なんたって全然似てないし――いや駄目だ。こんな美人が俺の部屋を一人で使っているなんて、どう説明しても納得して貰えるとは思えない! やっぱり男に戻らなくちゃ駄目だ!」 


 だが、タマを起こす術がまったく思いつかない。

 ああ、どうしたらいい。どうやったらタマは起きてくれる!? どうすればタマの意識を覚醒させることができるんだ――!!


 と、今まで生きてきて一番思考を巡らせた瞬間だった。


 ――おやおや? 痛みがあるから何かと思えば、私が眠てる間に凄い事になっているね?


 タマが初めて俺に話しかけてきた時の台詞が頭に浮かんだ。あれは確か、俺が下級妖魔に押し潰されて死にかけている時だったな……。

 

 「タマは『痛みがある』って言っていた……そうか!!」


 ならば起こす方法は簡単じゃないか!! あまり乗り気になれる方法ではないが、この非常事態では躊躇している暇などありはしない。俺は短い時間で覚悟を決めると、下級妖魔を殴り飛ばした時以上に拳を強く握り締めた。そして――


 「起きろ糞ギツネ――!! グハアッ!?」


 己の顔面を全力で殴った。

 まさか自分の顔面を本気で殴りつける日が来ようとは思ってもみなかった、今日この頃である。

 

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