三話
こうして、俺こと御鏡涼貴の短い人生は、彼女いない歴イコール年齢のままで静かに幕を下ろしたのだった。
「――っておい! 勝手に死なすな!」
俺は飛び起きた。
勢いが良すぎたためベッドから落ちそうになった程だ。
――ってベッド?
「あれ? 此処は……俺の部屋?」
寝起きでボヤける視界をゆっくりと巡らせて、周囲の様子をじっくり観察する。
随分昔にお祖母ちゃんから買って貰った学習机に、機密情報(R18)がたっぷりと詰まった最新機種のパソコン。見慣れた青地の布団に、愛用の白い低反発枕。水着を着た黒髪ロングの美女がエロティックな体勢で写っているグラドルポスター。
やはり間違いない、ここは長きに渡り俺と苦楽を共にした、俺の部屋だ。
「って事は、全部夢だったのか? 狐やトラックも?」
俺の記憶に鮮烈に焼き付いている、撥ね飛ばされた時の感触。
あれが夢……?
だとすれば随分とリアルな夢を見たものだ。
「明晰夢って奴なのか? それにしては不幸だったな」
明晰夢っていうのは確か、夢の中で自我を確立できている状態のことだったと思う。そして夢の中の事象を全て自由に操作できるとか。
ならば、どうして車などに轢かれたのだろうか。あれだけ逃げたいと願ったというのに。
「もしかして俺、被虐願望でもあったのか? うわ、それじゃあドMじゃないか」
顔に血が集まっていくのを感じる。
まさか俺にマゾヒストの才能が眠っているとは……。なんだか恥ずかしい。まあ、誰に聞かれた訳でもないから無問題としておくか。
「あれ? それなら今って何時なんだ……?」
開け放たれた窓の外に視線を向けてみると、既に日が暮れていた。どうやら夜らしい。
服装は学生服のままだったので、ブレザーのポケットに入れておいたはずのスマホを取り出す……つもりだったのだが、
「お、俺のスマホが粉々に!?」
ポケットの中から姿を現したのは、原型を留めない程に粉微塵になってしまっている俺のスマホだった。粉状になった青いフレームが、辛うじて俺のスマホの面影を残している。
そんなバナナ……。
「機種変更したばっかりだったのに……。何ということだ……」
絶望。
俺の心境は正しくそれだ。
手の中にあるスマホ(だった物)を握り締めつつ、俺は発散しようのない怒りを心の中に溜めておく事しかできなかった。
ていうか、何でスマホがこのような有様に成り果てているんだ? 一体どれほどの衝撃を加えればこんな形状になる? ミキサーにでも突っ込んだのか?
「さっぱりわからん……そういえば、俺ってしっかり学校に行ったよな?」
どこからどこまでが夢なのか、全く分からない。
いつ家に帰って、眠ってしまったのかさえも覚えていない。
夢と現実の境界線が酷く曖昧だ。
「ん~? ……お?」
腕を組んで記憶のサルベージに取り掛かっていると、いきなり下階から「ピンポーン」という軽快な音が響いた。言うまでもなくインターホンの呼び出し音だ。
今現在、色々と事情があってこの家には俺一人しか住んでいないので、誰かが対応してくれるのを待つ訳にもいかない。
俺は思考を一時中断し、軽い足取りで玄関へと向かった。
俺の部屋は二階にあるが、一階に続く階段を下りてしまえば、すぐ正面に玄関がある間取りとなっている。
「今開けますよ~」
俺はそのまま無用心にも、相手の顔を確認することなく玄関を開いた。別に不審者が出てくる訳でもないだろうから警戒するだけ無駄だろう。鍵もかけてなかったし。
それに、訪ねて来たのは多分アイツだろうしな。
「遅い! 私を待たせるなんて百年早いよ!」
「遅いのか早いのか、どっちかにしてくれよ、美沙」
玄関を開けてみれば、やはりそこには美沙が仁王立ちしていた。
なぜかコイツが訪ねて来ると、勘でわかってしまうのだ。
いや、勘というよりは防衛本能? 的なものが働いているのかもしれない。
よく分からんけれども。
「えっと、なら遅い!」
「じゃあ、遅れて悪かった」
「よし許す!」
「ありがと。……それで? 一体何の用だよ?」
俺の両親が不在なのは美沙も良く知っているはずだから、俺に何か要件があるのだろう。
まったく面倒臭い。
「は? 何言ってんの? 今晩迎えに行くって言ったでしょうが」
呆れたように美沙は言う。
……そういえば、そんな事も言っていたな。
確か下校途中での約束だったから、どうやら俺が学校に行っていたのは夢ではなかったらしい。終業式をサボっていなくて少し安心した。
「そうだったな、でもちょっと時間が早くないか?」
その約束、俺にとっては先程したばかりの感覚なのだが。
「? 早いって、もう夜の十時だよ? てゆーか、何で学生服着てんの?」
俺の服装を見て、美沙は怪しむように俺を睨んできた。
なんでイチイチ睨んでくるんだ。
いやいやそんなことより! 今、美沙は何て言った? 夜の十時って言ったのか?
「……嘘だろ? もうそんな時間?」
スマホが粉砕しているから時刻を確認していなかった。
「? なにブツブツ言ってるのよ」
「え? いや、なんでもない。気にするな」
疑問を飲み込み、適当に返事をする。
現在時刻が夜の十時って……俺は一体どれだけ寝ていたんだ? 流石に寝過ぎだろう。
精々六時や七時くらいかと思っていたのに……。やっぱり何かおかしいのか……?
「まあいいや、そろそろ行くよ。現地集合だからみんな待っているかもしれないし」
だが、俺の心境を全く察してくれない薄情な幼馴染は、サクサクと話を先に進める。
仕方がない。とりあえず考えるのは後にしよう。今は美沙との会話に集中しなくては。
「行くって……。そういえば何処に行くつもりなんだ?」
廃墟に行くとは聞いていたが、場所を聞いてはいなかった。
電車とかの交通機関を使う必要性があるのなら金も持っていなかなくちゃダメだよな。自室に戻って財布と鍵を取ってこなければ。
「あまり遠くはないわよ。電車で三駅移動してから徒歩で十分くらいかな? 正確な位置を説明するのはちょっと面倒だから勘弁して」
「ふ~ん、そっか。なら財布を取ってくるから外で待っていてくれ。すぐに戻るからさ」
「うん、分かった」
美沙が外に出たのを確認してから、俺は財布やらなんやらを取りに自室に戻った。
ついでにジャージにでも着替えておこう。
◆
最寄りの駅から電車で三駅移動したところで、俺と美沙は電車を降りた。そこから更に徒歩で移動すること数分、俺たちは街からやや離れた所に建てられている、寂れたマンション(廃墟)前に到着していた。
街灯が少ないし人気もほとんど無いから、周囲は相当暗い。
その闇の影響なのか、廃マンションの雰囲気はかなり本格的なものになっている。これならばマジでお化けとかが出てきても不思議じゃないかもしれない。いや、お化けは不思議なんだけどさ。
「結構暗いな……そして怖い」
「でしょ? 今だから言うけど、これは肝試し込みのイベントだから。――っと、みんなもう集まっているみたいよ。早く行こう」
美沙が駆け足気味に廃マンションの中へ向かって移動を始めた。俺も渋々走ってついて行く事にする。
廃マンションの中、エントランスホールには既に部活メンバー二名が揃っており、わいわいと暗闇の中でスマホの光を頼りに談笑していた。
まさかこの闇の中を女子二人だけで来たのか……大した肝っ玉である。
「お待たせー」
美沙が声をかけると、二人は俺たちの存在に気付いて走り寄ってきた。
「待ちましたよ~、美沙ちゃん」
「ごめんね~、紫苑。ちょっと遅れちゃった」
一番に美沙へ声をかけたのは、艶やかな長い黒髪をしている垂れ目の女性。
我らがアイドル、西条紫苑さんである。高校三年生で俺と美沙の先輩にあたる人だ。優しげな目元と言葉遣いが特徴的な、純和風の御嬢様だ。
(今日も美人だな~、紫苑さん。……でも制服なのか)
今日こそは私服姿を見られるかもしれないと密かに期待していたのだが、やはり相変わらずの学生服。いや、別に制服が似合わない訳ではないのだが、「紫苑さん親衛隊(非公式)」に属している俺にとっては、いろいろな格好をしている紫苑さんを見たいのだ。胸元を強調する服だと尚嬉しい。紫苑さんのおバストは美沙のようなまな板と違って非常に豊満なのだ。
けれど、紫苑さんは部活動の時、決まって学生服を着てくる。
何で私服じゃないのですか! と勇気を出して質問した時は、「部活も学業の一部だもの」と言われてしまい、何も言い返せずに凹んだのがつい昨日の事のようだ。
……などと、しょっぱい青春メモリーを思い出していると、服の袖が何かにグイっと引っ張られた。俺は反射的に袖へと視線を向ける。
「……遅い、涼貴。私はずっと待っていた。焦がれていたと言っても過言ではない」
そこには、美沙以上に低身長の、見ようによっては小学生にも見間違えてしまいそうなくらいに幼い容姿をした、俺の同級生が立っていた。
そう、同級生なのだ。この見た目で。
「ああ。ちょっと準備に時間がかかってな。待たせて悪かったよ」
彼女の名前は安室或。半開きにされた目と無表情が特徴的なロリっ子である。
バスに乗れば子供料金でも余裕であり、ガチャガチャに興じていようとも白い目で見られることのない、圧倒的なまでのロリフェイスとロリボディの持ち主だ。高い位置で二つに括っている金髪も、その幼さに拍車をかけている。
まあ、それだけならいいんだ。見た目がどんなに幼かろうが、友人関係を構築することには何の問題にもならない。……だが、彼女の場合はその性格に大きな問題がある。
「……言い訳はしなくていい。待たせた責任を取って」
「せ、責任って……何すればいいんだ?」
恐る恐る、聞いてみる。大体予想はついているけれど。
「……一発ヤロウ。それも飛び切り燃えるやつを」
或はそう言うと、低い位置から俺の尻を無遠慮に撫でてきた。相手が感じやすいように強弱をつけて触る、妙にイヤラシイ手つきだった。
テクニシャンだった。
「えっと、尻を撫でないでくれないか?」
「……気持ちいいクセに」
そう、今の言動でおわかりになる通り、彼女は……痴女なのである。
その見た目からは想像もできないほどに、それはもう驚くほどに、変態なのだ。
しかも他の男子には目もくれず、俺だけしか標的にしないのだから尚の事タチが悪い。一日に軽く十回はセクハラされる。もういい加減に勘弁して欲しいのだが、何度頼んでも彼女はやめてくれない。
厳しく言おうともしたが、見た目が幼子の或が相手では気が引けるし……。
俺はどうしたらいいのだろうか。
「さて、じゃあそろそろ行こうか!」
紫苑さんと楽しげに会話していた美沙(殺したいほど妬ましい)は一通り話し終えると、背負っていたリュックから懐中電灯を取り出して声を上げた。どうやら出発するらしい。
あ、そういえば俺って何も持ってきていないぞ。勿論、懐中電灯も所持していない。
どうしようか……。ケータイも持ってない(壊れた)から懐中電灯の代わりにも使えないし。
「はいこれ、御鏡の分だよ」
俺が腕を組んで悩んでいると、美沙が手に持っていた懐中電灯を俺に渡してきた。
「え、俺が使っていいのかよ?」
「ふふふ、安心するがいい。人数分持っているから」
「ああそうか、なら借りとくよ」
ありがたく懐中電灯を受け取り、ありがとう、と短く礼を言っておく。
美沙はどういたしまして、と一言返すと、再び拳を振り上げた。
「さて、準備出来たところで、今度こそ出発―!」
「「「おー!」」」
拳を突き上げた美沙に倣い、俺たちも拳を天に突き上げて声を張り上げた。
さあ、面倒臭い廃墟探索の始まりだ。




