十七話
「なによこれ!? さっきまで何もなかった壁に穴が空いてる!? 超不思議!!」
俺の顔がアンパンマンのようになるまで殴打した事でようやく怒りを鎮めてくれた美沙は、今度はマンションの通路に空いた大穴を見てテンションをアゲアゲにしている。どうやら完全防音であるために室内にいた美沙たちには破壊音が届かなかったようだ。……それにしても、ついさっき「もういい、なら私が捕まえてくる!」などと言って意気揚々と飛び出したくせに、その結果はこのざまか。不思議とみたら何も考えないで飛びつきやがる。まるで糞に群がるハエのごとし。
「こんな分厚い壁をぶち破るなんて片手間じゃ絶対に不可能よ。もしかして爆弾を使った? いや、それにしては火薬の匂いが全然しないし焦げ跡も見当たらない……。ああもう、やっぱりこれは不思議現象だわ! 私の灰色の脳細胞をもってしても穴が空いた原因が特定できない! これは間違いなく不思議現象よ! あっはっはっは!!」
穴から身を乗り出して夜景に向かって叫び始める美沙。危険だし恥ずかしいからやめてもらいたいのだが、ここで不用意に美沙の行動を諌めようものならば、理由のない暴力が俺を襲う危険性が高い。この女、テンションがMAXに到達すると興奮して周囲に攻撃を加えようとしてくるのだ。特に俺に対しては全く容赦がないから余計にタチが悪い。ていうか灰色の脳細胞って何だよ、お前の脳みそは余す所なく真っ黒だろうが。まっくろくろすけだろうが。メイちゃんに潰されてしまえ。
「本当に不思議ですね。先程までなんともなかったはずなのに……」
美沙と一緒になって壁に空いた風穴をしげしげと見つめるのは、我が愛しのラブリーハニー紫苑さんである。どうやらストーカーから受けた精神的苦痛は十分に癒えたらしい。普段通りの柔らかで朗らかな雰囲気を全身から溢れさせている。まさに母性の塊とも呼べる人だ。今すぐその胸の中に抱かれたい。ていうか紫苑さん、いま制服じゃなくて部屋着じゃないですか! 初めて見ましたよ部屋着! 涼しげな色合いのチュニックとショーパンがとてもよく似合っています! 特に胸元が強調されててチョベリグーですね! 俺、メッチャ死語使ってますね!
「超可愛い……写メ撮っていいかな?」
『そういうのは独り言じゃなくて、直接本人に聞くのが常識ってもんだよ』
類稀なる非常識に、常識を諭されてしまった。
「ええ、だって……恥ずかしいもん」
『うわっ、気持ち悪っ』
「率直なだけに傷つく!!」
紫苑さん達に怪しまれないように、小声で叫ぶという超高等技術を披露する俺。ていうか脳内会話に切り替えればいいだけの話なのだが、生まれついてのツッコミニスト(造語)である俺としては、声に出すのが一番しっくりくるのだ。頭の中で叫んでも全然気持ち良くない。
……さて、そのような事は脇に置いておいて。
今はどのようにして紫苑さんの部屋着姿を写真に収めるか、が問題だ。許可を取るのが手っ取り早い手段ではありそうだが、しかし、紫苑さんはともかく美沙の奴が許してくれるだろうか。…………無理だな。ド変態死ね、の言葉と共に鉄拳が飛んでくるのが目に見えている。今だって殴られすぎて顔がアンパンマン状態なんだ。これ以上殴打されようものならば、俺の顔は一体何に進化してしまうというのか。……アンパンマンの次はあれか? まさか天丼マンにでもなるのか? もはや人間じゃねーな。
「……あ、そうだ! いいこと思いついたぜ!」
天丼マンの歌を脳内で絶唱していると、まるで雷に打たれたがごとく突然名案を閃いてしまった。まさしく天啓である。天丼マンすげー。
『んん? なんだか碌でもないこと考えてるね?』
「紫苑さんの部屋着姿が撮れる上に、美沙が納得してくれる方法を思いついてしまったぜ」
『ほうほう、どのような方法なのかな?』
「まあ、見てろって」
俺は自信満々の表情を浮かべて、未だに興奮を隠せていない状態の美沙に近づいた。興奮状態の美沙に近づくなんて、腹を空かせた猛獣が捕らわれている檻の中へと全身に生肉をくくりつけて侵入するような、目も当てられないような愚行ではあるのだが、それは我慢しよう。なんたって俺には秘策があるんだ。
「なあ美沙よ」
「なに!? いま現場検証中よ! 関係者以外はイエローテープの外側に出ろ!!」
「お前は刑事か。イエローテープなんざ最初から貼ってねえだろ。……いや、そんなことを言いに来たんじゃない。なあ美沙、現場検証してるならさ、写真撮ったほうがよくないか? 万一にも不思議を見逃さないためにも」
不審に思われないように、耳障りの良さそうな言葉を選ぶ。
多分これで大丈夫だ。コイツ、馬鹿だから。
「っ! あんた、たまには良い事言うじゃない!! なんで気がつかなかったの、私のバカ! よし、アンタには特別に『我が部活』へ入部できる権利を与えてやるわ! 名誉職ね!! 二階級特進ね!!」
二つ返事でOKしやがった。
やっぱり馬鹿だな、その言動も合わせて馬鹿だ。
「俺は名誉職に就くような年齢じゃねーし、二階級特進って俺死んでるじゃねーか。とりあえず偉くなれそうな単語を並べればいいや的な対処はやめろ。まずは辞書を引け、辞書を」
頭に思い浮かんだフレーズがすぐに言葉に出ちゃってる。
考えてから口に出せと何度も言ってるだろうが。
「さあ、写真ね写真! さっさと撮影しましょう。ほら御鏡、ぼやっとしないで撮りなさい。余すところなく徹底的にね!」
写真の話題以外に俺の話を全く聞いていない。都合のいいことしか聞こえないのかお前の耳は。……もしかしてコイツ、学校の授業とかも全部無視してるんじゃないか? 「こんなもん私の将来の役には立たないもの」とか小学生みたいなこと言ってそうだもんな。いや確実に言ってる。
もしそう仮定するならば、中間テストの酷い点数の理由が簡単に説明できてしまう。コイツは頭が悪い云々ではなくて、最初から知識を脳みそにインストールしようとしていないんだ。そりゃあ勉強しなかったらテストの点は良くならんわな。……これについては後で美沙のお母様に相談しておくとしよう。
「……まあいいか、それじゃあ撮るぞ」
美沙の成績なんぞ俺の知ったことじゃなかったな。いまは撮影許可をもらえたことを喜んでおこう。
俺はスマホが収納されているであろう尻のポケットに手を突っ込んだ。
『なるほどね、こういう考えだったわけか。まったく、必要のない時に限ってよく回転する頭だよ』
(黙らっしゃい。紫苑さんの部屋着写真を獲得出来るまたとない機会なんだ。絶対に成功させなくては……!)
俺の考えた作戦は実に簡単。
この瓦礫にまみれた穴ボコを撮影すると見せかけて、画面の端にでも紫苑さんの姿をどうにか入り込ませるというものだ。できれば画面のセンターに入ってきて欲しいのだが、それは流石にバレそうだから却下。とにかく紫苑さんの全体像が写っていれば問題なし。
「ふふふ、念願の紫苑さんの部屋着写真……、ってあれ? 俺のスマホはどこに……あ」
スマホを求めて尻ポケットをまさぐっていた俺の手が止まる。
そして脳内にてビックバン級のフラッシュバック発生!!
そういえば俺のスマホ、交通事故のせいで木端微塵になってたじゃん!! 最近変なことが立て続けに起こってたから、すっかり頭から抜け落ちてた!! これはまずい!!
『そっか、壊れてたんだっけ。あははは、残念でした』
(黙れクソキツネ!! ……くそ、これじゃあ秘密裏に紫苑さんの写真を撮る作戦がおじゃんに……)
「ちょっと、早く撮りなさいよ」
ここに来て美沙からの催促。
撮れと言われてもスマホがないから撮れません。
「……あの、どうやらスマホを家に忘れてきてしまったようなのですが」
壊したとは言わない。馬鹿にされそうだから。
馬鹿(美沙)に馬鹿にされることほど屈辱的なことはないと確信している俺である。
スマホが壊れてたことを今まで忘れていた、なんて言ったら確実に馬鹿扱いされるに決まってる。それならば、ウッカリして忘れちゃったテへッ、したほうがまだマシである。ドジっ子万歳!!
「はあ!? 馬鹿じゃないの、つっかえないわね。それなら私のを貸すわよ。しっかり撮りなさい」
結局馬鹿にされた。嘘ついた意味ないじゃねーか。
「…………」
俺は黙って黄金色に輝いているスマホを借り受ける。なんで金色なんだよ自己主張激しすぎるだろ、というツッコミは飲み込んでおく。
『あらら、借りたものじゃ紫苑ちゃんの姿は撮影できないね。うぷぷぷ』
(笑い方に悪意を感じるぞコノヤロー。……ああ、余計な手間を増やしただけだった……)
ガックリと肩を落として、カシャカシャとスマホのカメラ機能で穴ボコ周辺を撮影する。
ああ、なんで自分で作った大穴を撮影しなくちゃいけないんだ。こんなもん撮影しても何も写らねーよ。壊した張本人が言うのだから間違いない。良くて瓦礫から俺の足跡が発見できるくらいだろ。
……あれれ? 足跡発見されたらやばいんじゃない?
い、いや大丈夫のはずだ。あれだけ力強く蹴飛ばしたんだから原型なんて残っているわけがない。心配しすぎだとは思うが、日本の警察は優秀だから見くびらない方が良いだろう。帰ったら靴は処分しておくことにするかな。念には念を、って奴だ。どうせ買い換えようと思ってたし。
「……ほら美沙、あらかた撮ったぞ。全方向から三枚ずつ」
「よくやったわ。褒めて遣わす」
お前に褒められても全然嬉しくねーんだよ。ていうか完全に見下してるじゃねーか。
美沙の得意げな表情にたまらなくイラッときている俺なのだが、その隣にいる紫苑さんは「美沙ちゃんのドヤ顔かわいい……」などと呟いていらっしゃる。この憎たらしい顔のどこが可愛らしいんでしょうか? もしかして「可愛さ余って憎さ百倍」の対義語を体現してらっしゃる? そんな対義語聞いたことないけど。
そうこうしているうちに、どこからともなくパトカーのサイレンが聞こえてきた。
十中八九、このマンションが目的地だ。結構派手に壊したから、外から見たらドデカイ穴が空いている事だろう。マンションの所有者は多分卒倒するだろうな。
「おい美沙、どうやら誰か通報したみたいだ。面倒なこと聞かれる前にずらかろうぜ」
「え? でもストーカーの始末がまだ……」
「大丈夫。ストーカーにはかなり強く言っておいたから、再犯の可能性はかなり低いはずだ。信じろって。紫苑さんも、もう危険はないはずですよ」
自信を持って言い切る。胸を張るのも忘れない。
「ふむぅ……。そこまで言うなら信じてやらんでもないが」
不承不承と言った感じだが、美沙は信じてくれたようだ。こういう時ばかりは美沙の単純な脳細胞も役に立ってくれる。実にありがたい。
「はい。御鏡くんの言うことなら初めから信じていますよ。だからもう怖くないです。今日は本当にありがとうござました」
おおふ、どうやらストーカーを追っ払ったのは結構好感触だったようだぞ。実際には妖魔を始末しただけなのだが、まあ妖魔がストーカー犯だった以上、これからストーカーが出てくることもないだろう。これで一安心だ。
『真のストーカーが涼ちゃんだということに気付いていない紫苑ちゃん、可哀想ッ』
不意に聞き捨てならないことを言いやがる駄狐。
(誰がストーカーだ! 俺は正々堂々と正面からぶつかっているだろうが!)
『ふふふ、正々堂々と正面から卑劣にぶつかってるんだよね? 盗撮者予備軍の涼ちゃん?』
(ぬぐっ!?)
痛いところを突いてきやがった。
あれは確かに盗撮とも言える作戦だったから否定できない。
なんだか俺の愛情が汚されてしまったような気分にさせられた。
この性悪狐め……! 後で折檻だ。
「それじゃあ、俺は帰りますけど、美沙はどうする? 紫苑さんの所に泊まっていくのか?」
俺が紫苑さん宅に泊まるのはNGだ。そんなことしたら「紫苑さん親衛隊」の奴らに殺されてしまう。 ただでさえ美沙経由で他の連中よりもお近づきになってるから、これ以上近づいたら確実にアウト判定をくらうことになるだろう。それだけは何としてでも避けたい。だってアイツ等、物理的に殺しにかかるよりも先に、まず社会的に殺そうとしてくるから、かなりタチが悪いんだよ。まあ、片棒担いでる俺が言えた義理じゃないんだけど。
「う~ん、そうね。流石に心配だから私は泊まってくわ。紫苑、一人暮らしだから放っておけないし」
「お、お泊り!? 美沙ちゃんが家に!?」
「そうしようと思ったんだけど、迷惑だった?」
「と、とんでもないです! どうぞイラッシャイ!」
「お、おおう? それじゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらうわ」
紫苑さん、超テンパってる。
なんだか妬けるけど、それ以上に萌える。鼻血が出ていないか心配になるレベルだ。紫苑たんハスハス、とか言っちゃったりなんかして。
「んじゃま、俺は帰るわ。またな」
これ以上この場にいたらガチで鼻血ブーしそうだから、早いところ撤退してしまおう。警察と顔を合わせるのも面倒だ。
「うん、それじゃあ、また明日」
「……明日?」
「うん。明日はアンタの家に集合ってことになってるから。朝方に部員全員でお邪魔するわ」
「ええ!? んなバカな!? 今日こそ夜更かししようと思ってたのに……」
「知らないわよ、そんなの。もう決まったことだからグダグダ言わない」
有無を言わせぬ強い口調。
これはダメだ、何を言っても絶対に聞き入れては貰えない。経験でわかってしまう。こうなった美沙を止められるのは、唯一、美沙のお母様くらいだ。多分、ここで拳銃を突きつけたとしても俺の言うことなんか聞きやしないだろう。恐ろしい程に頑固すぎる性格だ。
俺は溜息混じりに了承し、美沙たちと別れた。
エレベーターに乗って一階で降りたが、ここで問題発生。マンションの正面口に警官が溜まり始めていたのだ。もし出ようとすれば、かなりの高確率で呼び止められることだろう。もしかしたら署にまで引っ張られるかもしれん。なんたって俺はこのマンションの住人じゃないからな。そんな理由だけで誤認逮捕されるなんざ真っ平御免だぜ。……いや、俺が犯人だったっけ。
(なんか急に申し訳なく思えてきた)
しかし、申し訳なく思えてくるだけで罪の意識など微塵もない俺は、どうやってこの場を乗り切るかを考えていた。正面突破するか裏口から逃げるか。もし裏口にまで警官が見張りに来ていた場合、態々裏口を利用しようとした俺は真っ先に不審人物として捕まることになるだろう。それは勘弁してもらいたい。
ならば正面突破か? まあ、紫苑さんの家に遊びに来ていたという言い訳も立つから、これが一番面倒が少ない方法だな。……しかし心の底からマジで面倒くさいな。くそマッポのせいで俺の貴重な時間が刻一刻と無駄に過ぎていくじゃねーか。適当にそのへんの未成年喫煙者を捕まえて点数稼いでりゃいいのによ。こんなところまで出張んなよな。
国家権力に決して屈さない姿勢を作り、俺は正面から堂々と外に出た。
警官連中、なにやら片っ端から通行人に聞き込み捜査をしてるっぽい。目撃証言とかから犯人を特定するつもりか。だが残念だったな、俺の変身姿を知ってる奴なんて誰もいないから、俺にたどり着くのはまず不可能だぜ。ザマーミロや。完全犯罪成し遂げたり。
……いやいや、なんか極悪人みたいな思考回路になってんぞ俺。
なんか俺の中に潜む反骨精神的な何かが、俺の常識人的思考を狂わせてきやがった。ああ、危なかった。もう少しで外道になるところだった。
「あ、君、ここの子かい? 少しお話を聞かせてもらっていいかな?」
「…………」
安心するのも束の間、年若い警官が話しかけてきやがった。
なんか無条件で協力する意欲を削いでくるな、警官の青い制服って。もう何を聞かれても絶対に答えたくなくなってくる。まあ、初めから本当のことなんざ答えるつもりはないんだけど。
それから俺は、警官がしてくる質問に真摯になって答えた。
なにか見た? という質問には、何も知らん、と答え。
なにか聞いた? という質問にも、何も知らん、と答え。
何か隠してる? という質問にも、何も知らん、と答え。
名前は? という質問には、プギャー、と答えた。
そしたらなんかパトカーに乗せられて、車内でマジな雰囲気の厳つい警官に尋問された。
なんだよこれ、協力した相手に対する態度かよこれが。
だから俺は真面目に答えてやった。
「と、友達の家に遊びに来てただけなんですぅ。まじで生意気言ってスミマセンっ」
なんか鼻声だった気がしなくもないが、それはきっと気のせいだ。
ほら見ろ、厳つい警官も俺の言葉に気圧されているじゃないか。
『いや、これはきっと引いてるんだと思うよ。かくいう私もその一人さ』
(うるさい黙れ)
……まあ、とにかくだ。
俺は問題なく解放されたわけだ。連絡先や住所も吐かせられたが、まあ気にするようなものでもない。もし電話がかかってこようが、警官が家にやってこようが、全部居留守で済ませればいいわけだしな。それに物的証拠が見つからない限りは犯人の目処はつかないだろう。俺の安寧は保証されたぜ。
そうして俺は半べそかきながら家に帰った。
我が家に着いた途端に、何故だか物凄く母ちゃんに会いたくなった。マイマミー、僕を癒して。
はてさて、そのような戯言は捨て置き。
明日の朝早くに美沙が家に来るそうだから、夜更しは出来ない。
だから俺は適当にシャワーを浴びたあと、すぐにベッドへと潜り込んだ。
それから意識が飛ぶまでに1分と時間がかからなかったのは、やはり疲れていたからなのだろう。タマに出会ってから俺の安寧は遠ざかってばかりだな。明日はもっと過ごしやすい一日になりますように。
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