十一話
未だに元気よく太陽が顔を見せている時間帯。
俺は深く溜息を吐きつつ、トボトボとした足取りで帰路についていた。
『どうしたの? 溜息なんか吐いて』
「……お前のせいだろうが。……はぁ」
もう何度目になるかも分からない溜息を吐く。
なんで俺がこれ程までに凹んでいるのか……その原因よりも先に、まずは大食いの結果を報告しようと思う。
結果を言えば、俺は勝った。
タマの自信満々の宣言通り、『メガ盛り焼豚炒飯』は米一粒すらも残すことなく、それこそ文句の付けようがない位に、完璧に食べきることができたのだ。完食時間も二十分程度しか要せず、いくら食っても腹が膨れる事がなかったほどだ。咀嚼してから胃袋に落とす食道の途中で、食物が完全に蒸発してしまっているような感覚だった。
食い切れとは言ったが、正直あれは気味が悪かった。
食ったというのに腹に溜まらないのだから、それはもう違和感がバリバリである。多分、今から何かを吐き出そうとしても、俺の口からは胃液くらいしか出ないだろう。下世話な話だが排泄物も出ないと思う。そう思わせる程に、食後の俺は空腹感に満ちていた。
だからこそ、俺は溜息を吐いている。
何たって、あれだけ沢山食べたと言うのに俺の腹はこれっぽっちも膨れていないのだ。
まったく、何のためにわざわざ商店街の飯屋にまで足を運んだと思ってんだ。お前を餌付けするためじゃねーんだぞ。
『ん~? よく分からないけど、とりあえず元気出せ! その内良い事あるさ!』
「黙れアホ! 腹いっぱい食ったなら今すぐ寝やがれ!」
煩くて仕方がないんだよ、さっさと寝てしまえ。
二度と目覚めなくていいからさ。
『ああそうだね! そういえばさっきから眠かったんだよ。――じゃあオヤスミ~』
お腹いっぱいでご機嫌状態の駄狐は、オヤスミと言った三秒後には寝息を出し始めていた。
こうも簡単に眠られると逆に腹立つな……。
「ったく。人の気も知らないで……」
俺のお腹が全く膨れていない原因をわざわざ説明する必要もないと思うが、敢えて俺は言おうと思う。
この寝息を立てて寝ているクソ馬鹿は、食前にした俺との約束をさっぱりと全部忘れて、俺が食った炒飯の栄養を横から全部、根こそぎ持って行ってしまったのだ。食事している最中に「それ以上食べんな! 止めろ!」と脳内で呼びかけたのにも関わらず、「うみゃはははは!!」という奇声を上げて結局全部たいらげてしまったのだから冗談ではない。しかも悪びれた様子が全くないのが余計に腹が立つ。
そのせいで、俺は腹が減って仕方がない状態だ。
マジでふざけんなよ、あれだけ顎を動かしたのに腹が全く膨れていないってどういう状態だよ。
俺が食ってたのはガムか何かかよ。
「まあ、罰金払わなくて済んだのは良かったけれど……。これじゃあ無駄骨じゃねーか」
しかし、調子に乗ってガツガツと休む間もなく炒飯を食い切って、想像以上に注目を浴びてしまったのは誤算だったな。……おっちゃんの顎が外れたかのような驚愕顔は今でも鮮明に思い出せるぞ。観戦していたお客様方も驚きを隠せない様子で、短時間で食べきったと言うのに歓声が湧くことがなかった。……俺は賞賛を浴びたかったというのに。
「ああ、買い食いしたかったけど、あの炒飯食べた後で何かを食いもん買ってたら、それこそ余計に注目を浴びちゃうだろうしな……」
あの超大盛り炒飯を食い切ってしまったため、今の俺は商店街で一躍時の人となってしまった事だろう。呆然としていた皆さんの隙を見て抜け出してきたが、これから暫くは商店街に近寄らない方がいいかもしれない。顔を出した途端に質問攻めにされるのは目に見えているからな。
まあ、結局は自業自得な訳なのだけれど。
「仕方ねー。コンビニにでも寄るか」
確か、帰路の途中にはファミリ○マートがあったはずだ。そこで適当にカップラーメンとジュースでも買って帰るとしよう。タマの奴は既に寝入ってしまっているから、これ以上栄養が横取りされることはないだろう。
などなど、夏休み初日の午後十二時前後の今に至って、コンビニをひたすらに目指していた道中。これからの予定を脳内で組み立てている時のことであった。
俺がこれから踏みしめる事になるであろう眼前の歩道にて、一つの影が突如として現れた。いや、現れたというよりは視界に入った、と表現するべきであろうか。
その人物は外出する人間がするであろう格好をしておらず、這い寄る混沌とは誰のことだと聞けば、それはもちろん私のことだ! と答えそうなくらいに、地面にベッタリとくっついていた。
這いつくばっていた。
「…………」
……いや、これは話しかけてはいけない人類だよ。スルーすべき相手だよ。
それくらいは社交性の無い俺にだって簡単にわかる。
このクソ暑い日に、熱々に熱せられたアスファルトの上をうつ伏せで寝転がるような人類と、俺はこれっぽっちも知り合いたいとは思わない。遠巻きにして見る分には構わないけれど。
(いやでも、これはもしかして……熱中症で倒れているという可能性もあるのかな?)
ふと、そんな考えが浮かんできた。
そうだよ、この暑い日に自分から地面にへばりつこうとする人間がこの世に存在するわけないじゃないか。きっと俺の目前で倒れているこの人は、燦々と照りつける太陽に焼かれて脱水症状に陥ってしまった可哀想な人に違いない。
倒れている人を注視してみれば、随分と小柄だった。黒い薄手のワンピースから覗く白い肌(生足ヤッホー)が太陽光を反射して眩しく光っている。まるでどこぞの箱入りお嬢様みたいだ。
それに何より、身近では全く見ない髪色をしている。
――真っ白だ。肌の色以上に髪が真っ白なのだ。
俺が無意識的に接触を避けようとしてしまったのも、この珍しい容姿が原因なのかも知れない。うつ伏せだから顔はまだ見えていないが、後ろ姿だけでも優れた容姿をしているであろうことが予測できる
(面倒臭そうだな~。関わりたくないな~)
そう思いつつ、俺は倒れている少女に近づく。
話しかけて意識がないようならば救急車を呼ぶし、もし元気そうならば耳を塞いで走り去ってやる。そうすれば俺が面倒事に巻き込まれる確率はガクンと減るはずだ。
ソソソ~と足音を極力鳴らさないように心掛けつつ、少女の隣に到達する。
まだ気付かれていないはずだ。あとは適当に話しかけるだけで俺のミッションはコンプリートとなる。それ以上の行動は一切しないぞ。泣いて縋ってきても蹴飛ばして逃げてやる。
「……あの~。大丈夫ですか?」
僅かに離れた距離からボソッと声をかける。
「…………」
「…………」
応答なし。次のフェイズに移行しよう。
遠慮がちな手つきで、何となく目に付いた肩をツンツンとつついてみる。
仰向けだったらオッパイを触っていたかもしれないのは秘密だ。
「う……ん……」
「……!」
反応アリ。だけど随分弱っているような声だった。これは救急車を呼んだ方が良いのだろうか?
あれ、救急車って110番だったっけ? 何か違うような気がするのは俺の気のせいかな?
「えっと、救急車呼びます?」
本人の意思を尊重しようと思い、念の為救急車が必要か否かを問いておく。
倒れている人に親切な態度で接するのは人として当然の行動だ。まあ、困っているのかどうかは彼女の意見を聞いてからでないと判断はできないのだけれども。
「救急車は……要らない……」
苦しげなくぐもった声で、俺の善意を真っ向から拒否する這い寄る混沌改め白髪の美少女。
なら帰ってもいいですか? ……と言いたい所なのだが、流石にこれを見て放っておけるほど俺は薄情者ではない。もう少しだけ付き合ってやることにしよう。
「でも、調子が悪そうですよ? やっぱり救急車を呼んだ方が……」
「いや、救急車だけは……駄目だ」
そう言うと、顔を伏せたままプルプルと震える手を俺に伸ばしてくる白髪娘。
これは、どういった対応が正解なのだろうか? 手を取って励ますべきか、それとも跳ね除けて無視するか。……まあ、既に俺が取るべき行動は決まっているのだが。
俺はサッと体を横にずらして、白髪娘の魔手から逃れた。
スカっと空を切る少女の手。
……なぜか、俺と少女の間に寒い雰囲気が満ちてしまった。
失敗したか? でも、こんな見るからに怪しげな女に触られるなど、たとえ美女が相手であっても俺は御免だ。何をされるか分かったものではないじゃないか。
「えっと、それならどうすれば――」
良いのでしょうか、と言葉を続けてようとした瞬間であった。
弱っていた少女が相手だったから、僅かに反応が遅れてしまうのも仕方がない事だと思う。少なからず油断もあったのだろう。だからこそ、俺は彼女の動きを補足することができなかった。
「血を寄越せ――ッ!!!」
「うわぁ!?」
そう叫び、先程までの儚さは何処に行ってしまったのだろうとツッコミを入れてしまう位に、目に見えぬ程の俊敏な動きで俺に飛びついてきたのだ。
これは油断なく構えていたとしても防げなかったかもしれない。そう感じるくらいに、この少女の動きは早すぎたのだ。
しかも力が本気で強い!!
両肩を掴まれて抗う間もなく地面に押し倒されてしまった俺は、自分よりも遥かに体躯の小さな少女を相手に本気で抗い、そして抜け出せないという実に情けない姿を晒してしまった。
「な、なんなの? これは一体どういう状況なの?」
「血血血血血血血チイイイイイイイイイイイイ!!」
「こ、怖!? 誰か、誰か助けて――!!」
襲われる男子高校生と、襲いかかる見た目小学生の少女。
どう考えても立場が逆だろう。何で男子高校生の俺が押し倒されなくちゃいけないんだ。
俺にそんな特殊な性癖の持ち主じゃねーよ。ドMでもなければペドでもねーんだよ。
「だれか助け――」
「カプ」
「んあ――ッ!?」
突然、白髪少女に首筋を噛まれて、俺は喘ぐような声を出してしまった。しかも男状態の俺の声だからスゲー気色悪い。もしも録音されていたら自殺したくなるレベルに気持ち悪かった。
もう、マジでふざけんなよ、通りすがりの俺を辱めて何がしたいんだよ。野外プレイとかハードすぎて付いていけねーんだよ。志を同じくする者達で集って勝手に興じてろよ。ノーマルの俺を巻き込むなよ。
「あ、あれ……?」
とまあ、変態的行動をとる変態少女に文句を言ってやりたい気分になっていると、急に立ち眩みのような症状が俺を襲った。クラっと視界が揺らいで意識がゆっくりと沈んで行くのを感じる。
どうなっているんだ、コレは……?
俺の身に一体何が起きているのかが皆目見当もつかない。
もしかして病気か? でも、俺には持病なんてものはないし、インフルエンザ以外の病気にも罹ったことがない。至って健康な体のはずだ。
だとすれば、この体の異常はなんだ?
まるで血を抜かれているような……。
「悪かったな、人間。お陰で助かったぜ」
俺が己の身体状況について思考していると、俺にのしかかっていた白髪少女が耳元でそんな事を言った。どこまでも透き通りそうな、それでいて蠱惑的な、少女らしからぬ声音だった。
そして、その言葉を聞いたと同時に、俺の意識は完全に闇へと沈んでしまった。
結局、己の身に何が起きたのかも分からないままに――




