第1話 雨嫌いなお姫様
オフ会から一週間。
あれから恋咲とは一度もリアルでは会話していない。
VRMMO『ユニーク・スキル・オンライン』――通称『USO』では毎日のように会っているのに。
まあこれが普通のことなんだろう。こっちもゲームで仲が良いからと、それを理由に彼女へ近づく気など毛頭ないのだから。
***
「……なにしてるんだよ?」
六月の梅雨時、学校から帰ろうとするとザーザーと大粒の雨が降り続けていた。
教室で寝ていたら、放課後を過ぎるまで起こしてもらえず、気づいたら午後五時過ぎ。部活に所属していない生徒の大半はすでに、下校を終えているはずの時間帯。
にもかかわらず――
「別に白神さんには関係ありません」
シンシンと降り続ける雨を眺めながら、白いワイシャツ姿の彼女は、昇降口前の軒下に立っていた。
見たところ手には傘などなく、折り畳み傘を取り出す素振りすら見せない。
おかしな話だ。今朝、通学路で見かけた時にはたしかに傘を差していたはずなのに。
「誰かを待ってるなら、学校の中で待った方がいいぞ。こんなところにいて、風邪なんか引いたらアホらしいし」
手にしていた少し大きめの黒い傘をバサッと開き、一応の忠告をいれておく。
ただ先日のオフ会でわかったことだが、恋咲姫の性格はリアルだろうとゲームだろうと変わらない。
基本、負けず嫌いであまり素直じゃない。俺の忠告もどれだけ響いていることやら。
「それじゃあ俺、先に帰るからな」
開いた傘を雨の中にさらし、昇降口前の軒下から一歩踏み出そうとする。
その間も恋咲が屋内へ戻る様子は一切ない。
ただ佇み、雨を眺めることしかできていなかった。
そんな姿を見ているとなんて言うか……。
「だ~もう‼」
軽く傘を握るのとは反対の手で頭を掻き毟る。
一体どこまで不器用なんだ。
「帰ろうと思ったけど、ちょっと休憩。寝起きにこの雨空の下は堪えそうだ」
右手の傘を閉じ、昇降口前の柱に背中を預けて立ち尽くす。
別に恋咲が気になったわけじゃない。まだ眠いのにこの雨の中を帰ろうとしたら、転んでビショビショになる可能性があったからだ。
……決して心配したとかいうわけじゃない。
「本当に現実だと色々と下手ですよね」
「……なんの話だよ?」
「いえ、なんでもありません」
誰も昇降口を通らない静かな時間帯、俺と彼女の間を雨音だけが駆け巡る。
外で活動する運動部が屋内活動をしている分、今日は雨音だけがはっきりと聞こえている。こんな日はつい雨音の心地よさに心を奪われ、うたた寝をしてしまいそうだ。
「ところで白神さん……」
雨音についウトウトとしていると、不意に恋咲の方から声を掛けてくる。
話しかけるなオーラバリバリだったから、敢えて声を掛けなかったのに。
どうやら彼女の暇つぶし相手としては、十分に役立つと判断されたらしい。
「白神さんは雨が好きですか?」
今も力強く降り続ける雨空の下に手を伸ばし、恋咲は拒むことなく大粒の雫を受け止める。
長い金髪の女の子がワイシャツ姿で雨に濡れる。
実際に濡れているのは雨下にさらした右手だけだけど、それでもまるで映画のワンシーンに感じた。それぐらい、今の彼女からは哀愁のようなものが漂っていたんだ。
でもその立ち姿に、どこか儚くて脆い印象を覚えてしまう。
「天気は割となんでも好きだよ、雷以外は」
晴れの日は教室に差す日の光を味わいながら眠り。
雨の日はその雨音に心地よさを抱きながら眠る。
雪の日だって風情を感じていたら、あっという間に夢の中。
だから基本、俺に嫌いな天気はない。
……ただ雷に関しては、停電になるとゲームができないから大嫌いだ。
「濡れて風邪を引くのは勘弁だけど……まあたまには雨に濡れるのも悪くはないよな」
俺が答える間も、恋咲の白い手は雨に濡れ続けていた。
ただそれをやめさせる言葉を俺は持たない。
なんというか雨をみつめる彼女の姿が、とても寂しそうに見えたから。
「私は雨が嫌いです」
顔色一つ変えず、彼女は淡々と口にする。
降り注ぐ雨を眺める彼女の琥珀色の瞳には今、何が映っているのか。それすらも俺にはわからない。だから、ただただ聞くことにした。
校内で『お姫様』と呼ばれる普通の女の子の言葉を。
USO内で『斬り裂き姫』と恐れられる普通の女の子の言葉を。
「雨はいつでも、私にとって別れの象徴なんです」
別れ。
そう口にした時、恋咲の凛とした横顔は今にも崩れてしまいそうだった。
唇をキッと結び、何かの痛みに耐えている様子が伺える。
理屈じゃない、ただわかるんだ。
俺も似たような顔をする時があるから。
「どうせ、詳しいことを話す気はないんだろ?」
「はい。部外者の白神さんには関係ないことなので」
そういう態度もまったく同じだ。
他人に話したところで何も変わらない。それがわかるからこそ、俺も自分の事情を他人に語らない。
仮に彼女もそうなら、その意志は尊重しなければ筋が通らない。元々深く聞く気はなかったけど、俺はさらにその意志を捨てる。それどころか、自分の心の奥深くへ埋めておくことにした。
「……雨、だいぶ弱まりましたね」
気づけば、恋咲の手を濡らす大粒が小雨へと移ろいでいた。
これぐらいなら、傘を差さなくてもあまり濡れずに済みそうだ。
まあ走ったところで、濡れる量はあまり変わらないらしいけど。
「帰らないんですか? もう休憩する必要は無さそうですよ」
「帰るさ。また、向こう側で会おうぜ」
「……傘、忘れてますよ」
昇降口前の柱にうまく立てかけられた黒い傘。
その先からは今もヒタヒタと雫が零れ落ちている。
「なんか壊れた。もういらないからここに捨ててく」
俺は今度こそ軒下からの第一歩を踏み出し、雨の中に自分の体を晒す。
雨に濡れた瞬間、体にワイシャツが張り付くのを感じた。
いくら小粒とはいえ、雨は雨。やはり、素面で受けて気持ちいいものじゃない。
……ここがUSOの中なら、俺のユニークスキルでこんな雨ガン無視できるのに。
「じゃあな、お姫様。風邪、引くなよ」
去り際、振り返ることもせず、軽く右手だけ上げて別れを告げる。
「……バカな人」
雨足がまた強まる中、そう小さく呟き、バサッと何かを開く音がたしかに聞こえた気がした。




