37話 新人と後悔
「はぁ……疲れた……」
怒り狂うピコを宥めるのは骨が折れたが、なんとか機嫌を直してもらい、俺たちは早々にダンジョン探索を切り上げた。
ピコのことが気になっていたバルドさんには、今までの経緯を全て話し、神殿都市に着くとフレンド登録をして解散した。
ログアウトの直前、「私にお手伝いできることがあれば遠慮なく言ってください」とバルドさんは言ってくれた。
「あの人、見た目は怖いけどいい人だよなぁ」
スマホに登録したアプリには、新しくフレンドになったバルドさんとラヴのアイコンが追加されていた。
愛多は相変わらずやかましいが、あの元気な姿を見るとこちらも不思議と元気になる。
バルドさんは見た目に反して優しく、熟練プレイヤーなだけあって知識も豊富だ。
アプリを閉じるとスマホ画面は真っ暗になり、そこに映ったニヤケ顔の自分を見て、俺は手に持っていたスマホを投げ捨てた。
ゲームはもちろん楽しいが、やはりフレンドと一緒に遊ぶのは楽しい以上のものがある。
「また明日、か……」
当然のように明日も一緒に遊ぶ流れになっているのはどうかと思うが、それでも明日が待ち遠しいと思ったのはいつ以来だろう。
会社は面倒だが、楽しみがあれば全然苦にならない。
(充実した毎日、最高だ)
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「改めまして、月白です。中野さん、どうぞよろしくお願いいたします」
(最悪だ……)
ことの発端は次の日――出社してすぐのことだった。
オフィスに入るといつもより騒がしく、どこか浮足立った雰囲気が漂っていた。
「あ、中野さんおはようございます」
「ああ、楠木さん。おはようございます」
彼女は俺を見ると、まだ少しぎこちないが笑顔で挨拶してくれた。
挨拶自体は今までもしてくれていたが、以前に比べて明らかに雰囲気が柔らかくなった。
「ところで、この雰囲気はいったい……」
「あ、えと……今日から新しい方が配属されるみたいです」
「え……今日ですか!?」
「は、はい……それでそのぉ、その方がすごい美人さんみたいで――」
(なるほど、そういうことか)
改めて周りを見回すと、特に男性社員が浮足立っているのが目についた。
いきなり新しい人員が補充されることには驚いたが、正直、新しい人手は助かる。
そんなことを考えていると部長が現れ、その後ろには噂の人物らしき女性の姿があった。
「おほん、えー、今日から一緒に働くことになった月白君だ。月白君、自己紹介をしてくれるかな?」
「おはようございます。本日より配属されました、『月白 弓月』と申します。至らないところもあるかと思いますが、どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
「あー、月白君の教育係は中野君に全て任せるのでよろしくね」
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(はぁ、どこからツッコんでいいのやら……)
まさか事前に何も通達されず、新人が入ってきただけでなく、その教育係までやらされるとは思ってもいなかった。
周りからは怨嗟にも似た声が聞こえるが、むしろ代わってくれるなら代わってほしい。
月白さんは確かに美人だが、身にまとう雰囲気が年下とは思えない……ビシッと背筋を伸ばし、話し方やお辞儀をする動作一つとっても、きっちりとしている。
まるで隙のない月白さんを見て、むしろ俺のほうが教わることがあるんじゃないかと思ってしまった。
「中野さん?どうされました?」
「あ、ああ、すみません。ちょっと考え事をしていて……」
「……」
今、一瞬だけ彼女の俺を見る目がきつくなった気がしたが、気のせいだよな……
「それじゃあ、さっそく仕事を教えるのでこちらへどうぞ」
――月白さんは、仕事に関しても完璧だった。
俺が教えたことはメモを取らなくても覚えているし、ミスもない。
「月白さんすごいですね。このペースなら私が教えられることなんて、すぐに無くなってしまうかもしれません」
「うぅ、すみません……いつまでもご迷惑おかけしちゃって……」
俺が教育しているもう一人の後輩、楠木さんが、明らかに落ち込んだ声で話している。
「い、いや、楠木さんはよくやってくれてるよ?月白さんの覚えが異常に早いだけで、楠木さんが遅いなんてことはないから安心して」
「あー、月白君、調子はどうかね?」
俺が楠木さんのフォローに気を取られているうちに、部長が月白さんに声を掛けていた。
「ええ、中野さんの指導のお陰で問題なく――」
月白さんが突然話すのを止め、みるみるうちに顔が険しくなっている。
原因はおそらく、月白さんの肩に置かれた部長の手だ。
月白さんが何も言わないのをいいことに、肩に置いた手はそのまま腰に向かっていった。
普段ならその場を収めるために、月白さんに仕事を振る形で避難させていただろう。
しかし、今まで溜まった鬱憤がそうさせたのか――気づいた時には、俺は部長の腕を掴んでいた。
「んん?これはどういう意味かな?中野く~ん」
それは俺が聞きたい!
普段の俺なら絶対にしない行動に、俺自身が一番困惑しているのだから。
無言で立ち尽くす俺にしびれを切らしたのか、部長は無理やり俺の手を振りほどき、捨て台詞を吐いてその場を後にした。
「助けていただいてありがとうございます。でも正直意外でした、中野さんはもっと頼りない方かとばかり……」
「ぷっ、くく」
真顔で失礼なことを言う月白さんを見て、思わず吹き出してしまった。
「てっきり怒るかと思いましたが、そんなにおかしいですか?」
「だって、初対面の相手に真面目な顔で失礼なこと言うから、なんか可笑しくって」
部長に対してやってやったという気持ちがあるのか、少し気が大きくなっているのかもしれない。
普通なら怒ってもおかしくないのに、今は何でも許せそうな気がする。
「中野さんは変な人ですね。でも――ありがとうございます」
彼女はそう言って、俺に初めての笑顔を見せてくれた。
「いらっしゃ~せ~。あ、おじさんおつかれ~」
帰り際、いつものようにコンビニに寄ると、愛多がこちらに気づいて手を振ってくる。
「ん?おじさんなんか疲れてる?」
「あ、いや……ちょっとな」
部長にしたことは正しかったと思う。
あのままにしていたら、いずれ楠木さんや月白さんの心に大きな傷を残していたかもしれない。
しかし、今回のことで部長を完全に敵に回してしまった。
セクハラを止めたのは正しかった――ただ、今後のことを考えるともっとうまくやれたんじゃないかと後悔もしている。
(あの部長のことだ、このまま大人しく引き下がるわけがない)
「うーん、なにがあったかわかんないけどさ、きっとなんとかなる。元気だしなって!」
そう言って、愛多は俺の肩を叩いた。
「励まし方が雑すぎないか?」
「だっておじさん何にも言わないし……それって死んじゃうようなこと?」
「いや……さすがにそんな大げさなもんじゃないけど」
「あのね、年下にこんなこと言われても説得力ないかもしれないけどさ、今悩んでることって私たちの長い人生からみれば案外些細なことかもしれないよ?」
突然何を言い出すんだと口に出そうになったが、彼女の真剣な眼差しに俺は静かに口を閉じた。
「前に名前のことでいろいろあったって言ったじゃん?
その時はね、今が一番不幸だって思ってたんだ」
愛という名前が原因で、過去にいろいろあったことは知っている。
名前を言っただけでからかわれることが日常的に続けば、人と話すのも嫌になって当然だ。
「でも、凛心に会って変わってさ、そしたら今まで辛いと思ってたこともそんなに大したことないって思えたんだ」
「…………」
「そりゃあ今も辛いって思うことたくさんあるよ。
でもね、この先もっと辛いことがあった時、乗り切れないじゃん?だから今の辛さが一番じゃないって――この先に待ち受けているボスへの前哨戦だって思うことにしてるの」
こいつはほんと……いつもは何も考えてなさそうなくせに……
「ボス戦の前の前哨戦……か」
そう考えると、さっきまでの不安が少しだけ軽くなった気がした。
たしかに何かされても死ぬわけじゃないし、まだ何もされてないのにウダウダ悩んでいても意味がない。
「その……ありがとな、少しだけ気が楽に――」
「だからさ、落ち込んで今日はログインしないとか言わないよね?ね?」
「珍しくいいこと言うなって感心してたのに、お前ってやつは――ん?」
よく見ると愛多の顔が少し紅潮していた。
「お前もしかして照れてる?」
「は、はぁ!?そ、そんなわけないしぃ、おじさんボケるにしても早すぎだっての」
俺は思わずその場で吹き出してしまった。
愛多からは「笑うな!」と咎められたが、彼女なりに俺を心配してくれたのが嬉しかった。
「ったく、それでおじさん今日はログインするんだよね?」
最初にあった不安は消え、彼女に感謝しつつ答える。
「当たり前だ」




