蛆(UGI)
浮かび上がるように覚醒する。体を包むのはなんともいえない香りだ。甘酸っぱくて強烈な腐敗臭。複雑な組織体系をもつ生物ならば顔を背けて逃げ出すし、肉食動物ならば取り合いになるだろう。
そうなれば、腐肉とともにわたしは捕食者の口の中だ。胃の中の酸で溶かされるか、その前に鋭い牙に貫かれ臼歯で擂り潰されるか。どちらにせよ死んでしまえばどのような形状になろうと同じ事だ。ましてや我々はどこにでも発生する。卵からすぐに孵化し七日ほどで乾いた場所に移動し変化に備える。
白くウネウネと動く、この世界を構成する最小単位の一つに過ぎないはずなのに、なぜ連続して記憶があるのか、周りの仲間もわたしと同じように感じているのかは定かではない。我々は仲間同士で意思の疎通をすることはない。なんどか話しかけてみたが発生期間はないし、心で強く念じてみても相手は無心に腐肉や糞を口の中に詰め込むだけだった。
覚醒した時は飢餓状態だ。排泄物の中、あるいは肉の裂け目に我々は産み落とされる。夢中で咀嚼し排泄し、やがて成虫になる。いつでも我々は嫌われ者だ。毒のスプレーを噴射され、あるいは粘つく紙に絡め取られ、叩き潰される。寿命で死ぬこともあるが、稀だったように思う。卵をご馳走の真ん中に産み付けたあと、力尽きるのだ。
食欲と交尾と産卵は本能で、疑問を感じることもない。積み重なる本能と理性と疑問と考察。それなのにわたしは蠢く白い小さい物体か、汚物の周りを飛び回る昆虫だ。
極小の脳のわりには様々な記憶が詰まっている。人間の中には輪廻転生や生まれ変わりを信じている者もおり、神やら宗教やらという概念もあるらしい。よい生まれ変わりやあの世で安寧に暮らすために様々な形態で祈りを捧げたり信仰する神を飾りたてたりする。
わたしは神も信仰も持たないが幾度も生を繰り返している。祝福とはほど遠い環境だが、地獄というほど酷くはない。成虫になって飛び回ると周りの様子も見えてくる。回を重ねるほどに周りの様子が少しずつ変化していくのは興味深く、いつしかこの不可解な生の楽しみの一つとなっていた。
初めの頃は生を何度も繰り返しているという意識は薄かった。気候は常に暖かく丁度良くなければ生きていくことは難しいらしく、生まれ出た途端に寒さで体が動かず息絶えてしまう。糞や死体の中で覚醒するかしないかの時に液体が凍り、そのまま死んでしまうことが随分長く続いたと思う。
卵が生物の奥深く産み付けられ、成虫になれたこともあった。宿主は生きていたので暖かかったが酷い怪我をしており、その傷口で孵化することができたのだ。うねうねとうごめき、久しぶりの肉を味わった。宿主はさぞ不快だったことだろう。細長い尻尾に叩き落とされないようにいっそう肉の中に潜り込もうとしたものだ。苦労して成虫になったのに、飛び立つと間もなく体中が凍り、地上に落ちた。地上は怖ろしく冷たかった。
暫くすると温暖な気候になり、意識を保っていられるようになってきた。相変わらす生まれては飛び回り死ぬことの繰り返しだ。生きていくのにこの記憶は邪魔だった。
生まれる喜びも、食べる楽しみも、初回だったら感動もしようが飽きるほど繰り返すと退屈でしかない。川のふちで、木の根元で、牛馬の糞尿の中で、力尽きて息絶えようとしながら何百回目なのかを数えようともしなくなっていた。
そんな中でわたしは自分と似た思考の持ち主を知ることになる。二足歩行で大地を踏みしめ、火を使う生き物だ。側で見ているのは興味深かった。なにしろ成長が早いのだ。それまでの時間に比べたらたちまちのうちに増え、他の生物を脅かし始めた。それだけではなく、自分たちの都合の良いように使役しはじめたのだ。それが自分の中でよく知っているような感覚なのでどうにも気持ちが悪かった。
自分は記憶を持つ彼らが蛆虫というものにすぎない。虫の中には重宝されたり子供が好んで集め、愛玩するものもあったが、どの世界でも嫌われ者だ。手で追い払われ、熱湯をかけられ、蔑んだ目で見られるのだ。白くうじゃうじゃと蠢く(彼らにとっては)忌み嫌うちっぽけな生き物の一つがこのような思索をしているなど思いもらしないことだろう。知ったとて、きっとこのように言うだろう。
「なぜそんな莫迦げたことになっているんだい。意味がないじゃないか」
本当に、わたし自身がそう思う。
わたしの気に入りの賢い生物はわたしたちを嫌っているので『清潔』という手段でわたしたちを遠ざけようとした。めったなことでは近くに行くことはできない。運良く成虫になれた時は、主に食事をしている場所に飛んでいき、嫌がられながらも離れることができなかった。『箒』や『はえたたき』という天敵もいる。それらを巧みに使い、撃退しようとしてくるので好んで寄っていくものは少ないが、わたしは喜んで訪れた。初めて記憶があることに感謝した。彼らがなにをしようとしているのかが分かっているので対策を取ることができたからだ。かれらの攻撃をのらりくらりと躱しながらいつまでも退散しないわたしに、彼らは忌々しそうに、
「なんてしつこくて素早い蠅だ。ちっとも殺せやしない」
と吐き捨てるように呟くのだった。
おそらく迷惑だったろうが、わたしにとって興味深く、楽しい時間が続いた。
生存時間が少ないこともあるのか、一つ一つの思い出は鮮明だ。記憶が途切れて浮かび上がるように覚醒することを繰り返した。場所は様々で、賢い生物はその時々で肌の濃さや着ているもの、住居の様式が違ったが、それぞれに特徴的で面白い。年長者も幼い者も数人の集団を作り、暮らしやすそうな巣の中で暮らしている。大きい個体が生まれ年の少ない個体を世話し、生きる手段を教えるのだ。もちろん他の生物にも見られる特徴だが、それは単一的でどこにいってもある程度決まっている。
だが、この生物たちの巣の中のルールはそれぞれに特徴があり、とても不合理だと思えるものも多かったが、それなりに定着し日々の暮らしを営んでいる。どの回でも大まかには同じなのに、細部は一つとして同じものはない賢い生物の暮らし方をわたしは丹念に記憶していった。
記憶の蓄積が苦痛だった時期もある。大きな音がひっきりなしに響き、辺りは常に埃っぽく、あれほど『清潔』にこだわり、わたしたちを遠ざけていた彼らがその様相を全く変えてしまった。
賢い生物の体にわたしたちの仲間が大繁殖したのだ。そんなことはここ暫くあり得なかった。まだ彼らが他の動物たちと変わらないような暮らしをしていた頃以来だ。一様に怪我をし、その中に蠢いて成虫になる。その前に駆除されることもあったが、その方がわたしはありがたかった。
わたしはかれらの営みをとても愛おしいものに感じていた。仲違いもするが、様々な困難の後に再び関係を取り戻すこともできる彼らを偉大だと思い尊敬していた。だが、わたしは彼らの傷口から生まれ出て、迷惑をかけることしかできない。
彼らはわたしを怖ろしく嫌っていることは、これまでの繰り返しの生の中でよく分かっている。
悲鳴を上げて、あらゆる手段でわたしたちを排除しようとしてきたのだ。そのようなものが自分の傷口から白いおぞましい姿を現しうねうねと動くのだ。どんなに不快だったことだろう。それを分かっていながらわたしは自分の本能のままに肉を食らい、腐肉にまみれ成虫となるのだった。
もう生まれ変わりたくないと思い、できる限りなにも感じないように努めるようになった。それがどのくらい繰り返されただろうか、再びわたしの仲間と出会える確率が減ってくるとともに、賢い生物の肉の中に生まれることはなくなってきた。
わたしはとても喜んだ。また、興味深い楽しい景色に出会えることだろう。
とても長い時間が経ったような気がする。
賢い生物は以前にも増して『清潔』を取り戻したようで、他の生物たちの近くに生まれ出ることが多くなった。一度命を落とすと、以前はすぐどこかに飛ばされ意識が浮上していたが、その間隔が長くなっている。なんとなくの感覚なので確証はないし、白く蠢く仲間たちに問いかける術とてないので間違っているのかもしれない。けれど、空気の濃さというか、全身に触れる感触、周りの風景といったものの変化がとても大きいので、長い時間が経っているのだろうと推測できるのだ。
『清潔』が全て覆ってしまったので、卵を産み付ける成虫が死に絶えてしまったのだろうか。
残念だが賢い生物の傷から生まれ出るよりよほどマシだ。妙に暖かく、堅い物体の上で時折意識を浮上させながら、わたしはそんなふうに思っていた。
目を開けると、奇妙に狭い視界の中で軟体動物のような物体がのたうっていた。空気の組織も違うようだ。目の前の奇妙な生物よりも、わたしは怖ろしいほどの『清潔』に戸惑っている。
この環境では発生できないのに、わたしはどうして存在しているのだろう。
わたしの疑問に目の前の生物は答えてくれた。
紐状の手のようなものがわたしをつまみ上げ、赤いつるりとした頭部のてっぺんが開いたり閉じたりするのにあわせ、頭の中に声が流れ込んでくる。
その声の中に「道具に説明する必要はないのだが」という苛立ちも感じ取ることができた。
慣れ親しんだあの賢い生物よりも遙かに高度な生命体なのだろう。みてくれはタコやナメクジのような無脊椎生物に近く、賢そうには(わたしの感覚では)見えないが、紡がれる言葉は難しい内容をわたしに分かる言葉に置き換えていることからも、高度な生き物なのだろう。
よどみない説明の一方で、感情の波も感じ取ることができる。表向きは節度を保って友好的に接しているが、感情は罵詈雑言の嵐だった。わたしはさっさと自分についての説明を聞くのを放棄して、異星人の感情に意識を向けた。
感情を読まれることは想定外なのだろう。この能力は長いことかかってわたしの中に育まれたもので、はじめから装備されたものではない。賢い生物(かれはは地球人と呼んだ)は感情の生物だ。同じ能力をもっていても、気持ちで行動が大きく違う。愛や殺意、友愛や可愛い、ほっとするというような微細な心の動きまで、それらはいつも心の奥底にあり、あるいは突然現れ消えていく。
予測不可能な不思議な「賢い生物」の側にいることが、わたしはとても好きだった。
説明によると、この星に生物が誕生し、どのように発展と衰退を繰り返すのかを記録する半生物機械としてわたしは創られ送り込まれたそうだ。生命活動が終了したら自動的に酸素や窒素、リンやその他の物資を自動的に取り込み再活動を開始する。賢い生物の考えの一つである輪廻転生だと思っていたが、なんのことはない。わたしは彼らの理から外れた異邦人のようなものだった。
わたしのような存在は他にもいくつもあったらしい。もしかしたらどこかで一緒になっていたかもしれない。仲間を求めて熱心に発信を続けた時期もあったが、大きな波形として記録が残るだけだったのだろう。
これから彼らはわたしが蓄積した膨大なデータを研究とコレクションのために取り出すのだという。 わたしが蛆虫として発生できなくなったことについては、様々な原因により大気の状態が激変したため、活動を停止させていたとのことだった。
説明をする声の向こうで、様々な感情が点滅する。それらはこれまで触れてきたものとまったく違う概念で、非人道的で馴染みのないものだった。
わたしは嫌われ者の熱湯をかけられ叩き潰される蛆虫だが、気の遠くなるほど彼らと一緒にいたせいで、すっかりあの星の住人になってしまったようだった。
目の前の生物がわたしに状況を分かりやすく説明をしたり、不満を出さないようにしているのは、記憶を開けるにはわたしの同意といくつかの手順を必要としたからだ。
薄いプラスチック板のようなものに乗せられた。湿度50%、外気温は18度。やや乾燥しているが快適な体感だった。この板がわたしの記憶を記録として吸い取り、この異星人に観察される。
賢い生物たちの様々な生活も奇妙な行動様式としてファイリングされ、必要に応じて取り出される。あの雑多なものをこの高次生命体がどのように分類し考察するかに興味はあったが、愛しいものを見せたくないという嫉妬めいた感情のほうが大きかった。
目の前の生き物の苛立ちがさらに強くなると同時に「ああ、またか」という失望に似た感情が発露した。わたしのように送り込まれた半生物の記憶装置は同じことをしたらしい。わたしの発明者は地球人に近い何かを持っていたのではないだろうか。でなければ、強制的に記憶を取り出すこともできたろうに自爆装置を装備しておくはずがない。
なだらかな山に落ちる真っ赤な夕日と赤とんぼ、彼らの主食の元が風の動きに合わせて揺れる大好きな光景だけを冷たい板の記憶装置に落とし込み、わたしは自らの記憶を全て破壊した。異星人の絶望を小気味よく感じ取りながら、わたしは本当の役立たずになった。