009 片桐リナ説得作戦その3
「次は……料理対決だ!」
「まだやるのかよ」
グダグダに終わったカラオケ対決の後。
キッチンへと移動し、意気揚々と料理対決を挑んできた清士郎。それに対し片桐リナはウンザリした表情を浮かべている。
彼女はすでに清士郎との勝負に意味を見出せなくなっていた。
先ほどのカラオケ対決は、本当にただの茶番だったからだ。しかし清士郎は、リナの落ちきったテンションを気にすることなく言う。
「やるさ。今日の昼食も兼ねているんだからな」
そうは言われても、やる気が出ないリナ。
断るための口実を探して、思いついたままに言う。
「だいたい、どこで料理をするってんだ? テーブルの上に野菜とか置いてあるけど、まさかこの家でやるのか?」
リナが視線を巡らすと、レモンが母親と話をしている姿が目に入った。
レモンの家族の許可は取ってあるのだろうかとリナは思う。
そのことを指摘しようとして、極楽寺さんの家族、とリナは言いかける。そして止めた。
リナはレモンとの関係を意識する。友達なんだから、友達らしい呼び方をしよう。頭の中で何かを訂正しながら言った。
「レモンの家族にもさ、迷惑がかかるんじゃないのか?」
それは対決うんぬんよりも気になる事だった。
リナは今日、レモンとの友情を深めるために、ここに来ている。
それなのに家の中で勝手な事をしたり、レモンの家族に対して舐めた態度を取るというのは、言語道断なことだった。
そんなリナの不安に対し、清士郎はあっさりとした答えを返す。
「いや、ゴッちゃんのお母さんには既に話を通してあるんだよ」
むしろ楽しみにしてくれていると、清士郎はリナに向かって告げた。
なおも渋るリナは、対決を拒否するために思いつく理由を挙げてみる。
「そんなこと言われても、この家にどんな食材があるのか分かんねえよ」
「ある物で作る。それも勝負の内だろう?」
それもそうかもしれないと納得しかけるリナ。
ただし清士郎は付け加えて言った。
「まあ、俺は自前で食材を持ってきているワケなんだけど」
この野郎が、とリナは思う。
これが勝負とも言えないような、よく分からない茶番だという事はもう分かっている。
それでもズルい行動を取られると、スゲー腹が立つ。
片桐リナは田原清士郎を許せないと思った。この男に一度、泣きを見せてやると決意した。
レモンのお母さんであるマーガレットが立ち会う中、ついに料理勝負が始まる。
今回の料理勝負で使われそうな野菜や肉などの食材が、テーブルの上にどっさりと載せられていた。
使われなかった物は恐らく夕食の材料になるだろう。
広いキッチンではあるものの、調理器具が何台もあるワケではないので、そこは譲り合いの精神が試されると予想された。
深窓の婦人、マーガレットは自宅に集まった娘の友人たちを見て思う。
娘に友達が増えてくれて本当に良かったと。
もう、そのことが嬉しくて、その他の事は気にならなかった。
料理勝負というのはよく分からないけれど、若者の間でそういう遊びが流行っているのだろうかと考えている。
もっとも、清士郎にその事を問えば、遊びじゃないですよと答えただろう。
清士郎が準備している調理器具はフライパンだけだった。
手元に置いている食材は自前の乾燥パスタ麺だけ。
それを離れた場所から眺めているミケイは、レモンや安原に対して疑問を口にした。
「清士郎は一体なにを作ろうとしているんだ?」
ミケイの問いかけにレモンが答える。
「あれは多分ケチャップパスタっスね」
「ケチャップパスタ? しかし具材も何も用意してないだろう」
「パイセンに具材という概念は無いっス」
安い、早い、美味いを信条とする田原清士郎は、とにかく調理の際の手間を省く。
より安く、より早く料理を作るという目的のために、食材は置き去りにされるのだ。
そして美味しさを二の次にして作られる料理の数々。
清士郎が手作り料理に求める味のレベルは、問題なく食えれば良いというものだった。
「パイセンはケチケチ料理しか作らないッスからね。美食家への冒涜みたいな料理を出してくるはずデスよ」
なにやら解説を始めるレモン。
やる事が無くて暇なのか、安原も実況を始める。
「片桐さんの方はきちんと野菜を揃えてるね」
「リナちゃんは自炊してると聞きました。だから料理もそこそこ出来るはずデス」
片桐リナは、自分のテリトリーと決めた位置に、料理のために必要となる野菜などを運んでいた。
ベーコンを手に取った後、一瞬だけ動きが止まり、何度も手の中のベーコンを見返す。
なぜか納得がいかないようだ。その後、不承不承と言った仕草で、手に取ったベーコンを自分のテリトリーに持っていく。
そんな様子を眺めながら安原は言った。
「あれはハムかベーコンかな。ゴッちゃん、片桐さんがどんな料理を作るのか分かるかい?」
「うーん、分かんないっスね」
そこでリナが振り向き、レモンに話しかけた。
「おーいレモン、米って使っても良いよな?」
リナはキッチンの中から炊飯器を見つけ出した所だった。
レモンは母親に確認することなく言う。
「大丈夫っスよ。でも、パパが居ない時はお米を炊いてないかもしれないっス」
「うえっ、マジか」
そこでレモンの母、マーガレットは気付く。
確かに、ご飯を炊いていなかったと。
料理勝負をするとは聞いていたけれど、夫が居ない時はあまり米料理を作らないため、その習慣から米を炊飯しておくのを忘れていたのだ。
あらら、と思いながらマーガレットは謝罪を口にした。
「ごめんなさい、うっかりしていたわ。そうよね、コメも使うわよね」
いえ、大丈夫です、などと猫を被りながら答えるリナ。
炊飯器の中身を確認したリナは、確かに米が炊かれていない事を実感して、ぼやく。
「どーすっかな……」
どうやらリナの料理は米を主体に考えられていたようだ。
心配したレモンがリナに近づき、空っぽの炊飯器を見た後に提案した。
「早炊き機能を使ってみたらどうデスか?」
リナは少し迷いを見せた後、背に腹は代えられないとばかりに決める。
「仕方ねー、今から炊くか。米は使ってもいいのか?」
一応、確認のために聞く。
それに対しレモンは、何の問題も無いと伝えた。
「もちろんデス。お米は専用の冷蔵庫の中っスね」
「米をわざわざ冷蔵庫にしまってるのかよ」
自分の家とは違うやり方に軽くショックを受けるリナ。
ミケイも気になったのか、レモンに対して問いかける。
「極楽寺の家では米を冷蔵庫に保管するのか?」
我が家では日が当たらない場所に置いてる、と続けるミケイに対し、レモンはその方法でも良いんじゃないかと思いながら答える。
「ウチはパパが変にこだわってるんデスよ」
一人暮らしするようになったレモンは、実家の習いで米を冷蔵庫に保管しようとして四苦八苦した経験があった。
そうこうしている内に、今度は清士郎がレモンに向かって話しかける。
「おーい、ゴッちゃん。ケチャップってどこにある?」
「メインの冷蔵庫の中っスよ」
「メインって何だよ。っていうかもしかして、謎の物体だと思ってたアレは冷蔵庫なのか?」
複数台の冷蔵庫が設置されるという概念を持っていなかった清士郎は、とりあえず目立つ大きさの、冷蔵庫らしき物体に狙いを付ける。
レモンの母親に視線だけで「いいっすよね?」と確認を取った後、清士郎は冷蔵庫を開けてみた。
食材はいくらか減ってはいたが、見たことが無い感じの調味料が綺麗に整理されているのが分かる。
しかしながら、そこには清士郎がケチャップだと認識できる物体は見当たらなかった。
「ないなー」
「いやあるっスよ。ほら、そこ」
「え? これがケチャップ?」
こちらに近づいてきたレモンが指さした物体を見て、清士郎はやはりケチャップだとは認識できなかった。
なるほど、確かに色味はそれっぽい。ただし、
「ビンに入ってるんだけど」
ビンに入れられたケチャップ、という経験が無かった清士郎は、これは何ですかと思う。
一方、ビンに入れられたケチャップが普通であると認識しているレモンは、当たり前のことのように言った。
「そのビンですよ?」
「俺の知ってるケチャップはビンに入れられてないんだよ」
挑戦者たちは、何がどうなっているのか分からないレモンの実家の台所にて、悪戦苦闘しながらも料理を完成させていく。
清士郎が作った料理は、いわゆるケチャップパスタと呼ばれるものだった。
ただしタマネギやミートなどの具材は入っていない。
シンプルにケチャップで味付けされたパスタ麺しか無いのだ。
自分で作って食べる分には納得できるだろう。
他人がこれを作ってきたとしたら、色々と考えさせられるような代物だった。
もうちょっとこう、何がとは言わないけれど、手を加えてくれないか?
そういう事を考えさせられる一品だと思われる。
料理に対する愛情でもいい。食べる人に対する愛情でもいい。単純に食材だけでもいい。
もっとこう、入れるべき物があるでしょう。
次回の料理の時までに考えてきて下さい、と言いたくなるような何かがあった。
ミケイは、色々と考えてしまったような口調で言う。
「見事に麺しかないな……」
レモンはむしろ慣れた風情で評価した。
「これこれ。この飾りっ気の無さが田原パイセンらしいっスね」
一方、安原は清士郎の作った料理に対して目を輝かせる。
「うわぁ、なんだか子供の頃に作ったパスタを思い出すよ」
だいたい安原が小学校の高学年くらいの時の話だ。
最初は母親と一緒に作ったため、切ったタマネギやウインナー等が入れられていた。
次に自分一人で作ろうとした時、冷蔵庫の中に入っている夕食用の食材を使って良いかどうか迷って、結局なにも使わずに作った。
パッサパサの、ケチャップの味だけのパスタを思い出し、安原は懐かしさのようなものまで感じている。
レモンのママ的には、清士郎の作ったパスタは基本はよく出来ているので、もう一工夫を加えるだけでずっと美味しくなると思うとのこと。
それはお世辞だろうなと、誰もが薄々気付いていた。
乾燥したパスタ麺を、茹でて戻すことは誰にでも出来ることだからだ。
一工夫という言葉に置き変えられてしまった部分が、恐らくは調理という行為にとって本当に必要とされた部分なのだろう。
リナが作った料理はチャーハンと野菜炒めだった。
よく見るとチャーハンの具材と野菜炒めの材料が似通っている。
似通っているというか、実は野菜炒めの半分がチャーハンの具に流用されているのだ。
普段こういう感じで自炊しているんだろうなと想像されるメニュー構成だった。
ほこほこと、温かそうなチャーハン。
その近くには、手のひらサイズのチャーハンの妖精がいて、テーブルの上を踊りながら歩いていた。
レモンや安原には見えないチャーハンの妖精。それをミケイは目で追っている。
そして彼女は思ったままの事を口にした。
「なるほど、チャーハンだな」
続いてレモンが感想を口にする。
「美味しそうっスねー」
今度は料理から郷愁を感じ取らなかった安原が、湯気を上げるチャーハンの香りを吸い込みながら言った。
「んー、確かに良い匂いがするね」
なんだかリナの料理が褒められる流れなのが気に入らなくて、清士郎はリナの料理にいちゃもんを付け始める。
「果たしてこれはチャーハンと言えるのか?」
「どうした清士郎?」
問いかけるミケイ。
それには直接答えず、清士郎は周りに聞こえるように訴えかけた。
「チャーハンと焼き飯は違う料理なんだ。これは、ちゃんとチャーハンと焼き飯の違いが分かって作られているんだろうか?」
「なんだテメエ?」
「リナちゃん落ち着いて。たぶんパイセンは、チャーハンと焼き飯の違いが分からないまま言ってます」
なんだかんだありながら配膳が終わり、料理人たるリナと清士郎もテーブルにつく。
そして二人の料理の食べ比べが始まった。
「アチシにはちょっとボリュームが多いんスけど……」
「私にもちょっと多すぎるな」
いや、始まらなかった。
レモンとミケイが料理のボリュームについて物言いをしたのだ。
少なめに作られたとは言え、メイン料理が二品というのは、小食の人にはツライかもしれない。
そういう事に思い至った安原が提案する。
「女性には量が多いかもしれないね。僕とキヨちゃんの分を多めにしよう」
安原の言葉に対し、リナは、アタシの分は別に減らさなくていいよと答えた。
そんなリナの態度に対し、清士郎は何故か感動を覚えたようだ。
尊敬の眼差しをリナに向けながら言った。
「なるほど。競い合うからには正々堂々、相手の料理もきちんと食そうという意気込みか。その想い、確かに受け取ったぜ……!」
「いや、単に普段からこれくらい食ってるだけなんだけど……」
それにしてもパスタとチャーハンを同時にというのは、食い合わせ的にノーと答える人もいるだろう。
片桐リナはそのあたり、ざっくばらんな食生活を営んでいると見える。
きっと、炭水化物と炭水化物の組み合わせを許せるタイプの人なのだ。
その寛容さがあれば、粉もん文化圏の食生活に馴染むことも容易と思えた。
いよいよ食事が始まり、各々が感想なり談笑なりを交えながら食す。
安原などは、懐かしい味だなぁと言って清士郎の作ったパスタを食べていた。
清士郎は内心でガッツポーズを取る。料理ってのは食べる人を感動させてこそなんだと自負した。
皆が食べ終わった後、しばらく休憩を挟んでから、清士郎は意気揚々と宣言する。
「じゃあ判定と行こうか」
「あの……」
レモンの母親、マーガレットが口を開く。
「私はどちらの料理も美味しかったと思うわ。そうね、今夜の夕食は私とレモンが作るから、みなさんも参加されないかしら?」
マーガレットはレモンの意見を聞かないままにディナーの提案をした。
これはテンションが上がり過ぎた為の暴走だった。
おいおい、ママは一体なにを口走っているんデスか?
レモンが止めようとするより先に、清士郎が口を開いた。
「その話はありがたいんですが、マーガレットさん」
意を決したような、強い瞳を向けて言う。
「今は勝負の時なんですよ……! 先に決着を付けさせてください!」
マーガレットは緩く微笑みながら、最近の子が考える事は不思議だわ、の気持ちで頷いた。
そもそもマーガレットは、二人が勝負する意図や意味が分かっていない。
何かが有耶無耶になった所で、清士郎はリナに向かって問いかける。
「マーガレットさんの票は同票扱いにしよう。それに、俺と片桐の票は無効にしないか? 意味がないからな」
それでいいかな、と言う清士郎に対し、リナは鷹揚に頷いた。
「ああ、別にそれでいいよ」
リナの了解を得られたところで、清士郎はレモンの判断を聞くことにした。
「まずはゴッちゃんの意見を聞こうか」
「アチシはリナちゃんの料理に一票デス」
「……その心は?」
レモンは何の気負いも無い表情で答える。
「最初からリナちゃんの味方って言ってるじゃないデスか?」
その話って今も有効なのかよぉぉ!!
言葉に出さないまま悔やむ清士郎だったが、一票は一票だ。
否定することも、レモンの意志を変えることも出来ず、清士郎はリナに向かって苦し紛れに言う。
「くっ……! 味で選ばれたワケじゃないことを覚えておけよ!」
「味でもリナちゃんですけど」
「じゃあ次! イッチー、キミはどっちを選んだ!」
「私は清士郎の料理に一票だな」
意外なところで一票が取れた清士郎は、少し驚きながら確認する。
「おぉ? その心は?」
「無駄に材料が入って無いシンプルさが良い。野菜とかも入ってないしな」
ミケイはニガい野菜が苦手だった。
食べられない事はないが、進んで自分から食べようとは思わない。
思わぬ所で一票が取れたことに清士郎は安堵した。
残すはヤッさんだけだ。清士郎は、安原との友情とか、その他もろもろを信じながら言う。
「最後! ヤッさん、頼むぜ!」
安原は清士郎に笑い返す。
期待に目を輝かせる清士郎に対し、安原は言った。
「僕は片桐さんのチャーハンに一票かな」
「ヤッさん!?」
愕然とする清士郎。
どこかでこんな結末を予想していた自分に気付きながら、そこから目を背けて清士郎は言った。
「あんなに褒めてくれてたのに!? なぜなんだ!」
「だってキヨちゃん」
安原は真面目な顔になる。
その瞳の中に何の色も無い感情を込め、冷たいメガネのレンズ越しに清士郎を見つめながら言葉を続けた。
「具の無いケチャップパスタは、さすがにツライよ」
これは分かって欲しいと呟く安原。
清士郎は納得がいかなくて、悔しくて、その想いをぶつけるように安原に向かって吼えた。
「具なんて飾りみたいなモンだろ!?」
「うーん、飾りではないかなぁ……」
困ったように笑いながら呟く安原。そのセリフが、荒野のようになった清士郎の胸に虚しく響いた。
俺たちの間にあったものは何だろう。名ばかりの味方だった安原に対し、清士郎の心は寂しかった。
こうして清士郎は、残り二本しか無い勝利の内のを一本をリナに取られる。もはや清士郎には後が残されていなかった。