003 オゴられる俺のことを褒めてくれ
袖振り合うも多生の縁という言葉がある。
私はこの言葉の意味は正確には理解していない。だけど言葉だけは知っている。
仕方なく正確な意味を調べたりするワケだけど、そんな自分のやり方を振り返ってみると、フィーリングで生きる事を自己否定しているように感じられる。まじでツライ。
いっそ言葉の正確な意味とか用法にこだわらずに生きてみたっていいのではないだろうか。
言葉の正確な意味にこだわって、優しいとされる言葉だけを振り撒いてみたとしよう。
あの人から褒められたし、この人からも優しいセリフを言われた。
でも何故だろう、そこに真心が感じられない。私が欲しいのはそんな優しさじゃないと思い悩んだり、寂しさを感じる結末が予想されてしまう。
優しさの大量生産、大量消費が奨励される社会では、結局は愛という概念が形骸化して、私たちが求める優しさとは違うモノになってしまうのかもしれない。
宇宙の誰かが思った。バランスが大事なんだよと。
それが正しい意味での優しさかどうかまでは分からないけれど、他人の事を心配することだってあるだろう。
例えば片桐リナの場合、友人の私生活のことが心配になっていた。
友人と言っても大学に入ってからの関係性であり、つまり今年の春からスタートした関係であって、過ごした期間を考えると他人に近いと言っても過言では無い。
とても浅い間柄なので、私生活の踏み込んだ部分に関わるには、圧倒的に時間が足りていなかった。
余計なお節介だと思われるのが関の山だろう。
それでもリナは黙っていられなかった。
彼女の友人である極楽寺レモンが、女性に金を出させる事で有名な男とツルんでいる事を知ってしまったからだ。だからこう口にした。
「極楽寺さん、オレ……アタシは、あんたの事が心配なんだよ」
リナとレモンは大学の食堂兼カフェテリアの席の一角に座っている。
昼食時を過ぎていたので、食堂を利用している人の数は少なく、まばらだ。
心配していると突然言われても、心当たりが無かったレモンは首を傾げた。
リナは、どこまで口にしていいのか迷っている様子だったが、やがて意を決したのか真剣な目をした。
「田原って男の事だよ」
「田原パイセンの事っスか?」
「あいつ、悪い噂を聞くぜ」
その言葉を最後に会話が途切れてしまう。
会話が途切れたせいか、遠くの席から聞こえる楽し気な声がやけに耳に響いた。
居心地の悪さを感じる瞬間だ。
無言でいることの重圧に耐えられなくなったリナは、付け足すように言葉を発した。
「その、上手く言えないけど、大丈夫なのか?」
自分は何を言っているんだろうか、とリナは思った。
上手く言えないけど大丈夫じゃないって逆にどういう事なんだ。
大丈夫じゃない事を認めろ、と無理に迫っているようにも感じられ、リナは自分のやり方が間違っているような気がしていた。
「リナちゃん」
だから、レモンから呼びかけられた時、リナは少し怯える。
レモンはそれに気付き、少し口調をやわらげながら言った。
「人の事を噂で判断しちゃダメっスよ。それはそうとして、田原パイセンは最低系の男デス」
「うん……うん?」
「パイセンはアチシが持ってる財産が目当ての男っス」
アチシというか、実家が凄いだけなんデスけどねと、少し気恥ずかしそうに語るレモン。
それを聞いたリナは血相を変えて言った。
「な、なおさらじゃん!」
「?」
「なおさら関わったらダメな人間だよ! 極楽寺さん、あんた弱みでも握られているのか!?」
「いやいや、そうじゃなくて。あれで良いところもあるんデスよ」
えーと、えーと、と考えてからレモンは言った。
「自分の気持ちに素直な所とか。パイセンはオゴって欲しい時に素直にオゴって欲しいと言える人ッスね」
「それは素直さにカウントされるのかなぁ!?」
オゴって欲しいムーブが素直さに含まれるかどうかは意見が割れる所だろう。
甘え上手と思われるかもしれないし、単に厚かましいと思われるだけかもしれない。
レモンとしては、ちょっとした食事くらいなら普通にオゴっても良いと考えていた。
相手が喜ぶなら安いものだ。自分が欲しい物が無いから余計にそう感じてしまう。そんな事を考えながら、レモンは言った。
「リナちゃんも遠慮しなくて良いっスよ?」
「いや、アタシは貸し借りがキライなんだ」
二人のテーブルの上には無料の水だけが置かれている。
これはセルフサービスでウォーターサーバーから取ってくるタイプのやつだ。
リナは金欠の事が多く、あまり外食をしない。
レモンもリナに合せる形で何も注文していなかった。
まあ、甘い飲み物を頼むより水の方が健康的っスね~と思いつつ、レモンは少し寂しさを感じている。
リナちゃん、ちょっとはアチシを頼ってくれても良いと思うんデスけどね。
提案を断られてスネ気味のレモンは、妙に清士郎の厚かましさが恋しくなっていた。
清士郎の印象が悪いままなのも忍びない。あれで良い所もあるのだ。
そこでレモンは、少しパイセンの事を話しますね、と前置きしてから語り出した。
「田原パイセンは他人からどれだけオゴられるのかを目標にして生きてる人デス。そこだけ見るとクズっスね。だけど、それだけとも言えなくて……」
レモンは田原清士郎と出会った時のことを思い返す。初めての出会いは高校一年生の時だった。
レモンが清士郎に対して抱いた最初の印象は、キレイな顔だという事だ。
それは彼の目の奥に見える透明な光がそう感じさせたのかもしれない。
透き通った水を連想していたレモンに対し、田原清士郎は屈託のない笑顔で言った。
「ハロー。なんかキミってさ、お金持ってそうだね。今度なにかオゴってくれよナ」
レモンは最初それを一種の冗談だと思った。
思ったというか、本気の言葉では無いと理解しようとした。
なぜならレモンは清士郎のことを、初対面の相手に対して金をせびるような男だと思いたくなかったからである。
しかし清士郎と会話を重ねるにつれて、それが正真正銘、本気のセリフだったと分かった。
うん、この思い出を話すのはダメだ。
レモンは冷静に判断する。これをそのまま説明しても良い所が一つもない。
清士郎にまつわる悪い噂を、清士郎にまつわるロクでもない思い出で上書きしてみても、リナちゃんの抱く心象は何一つ良くならないだろう。
絵具まみれのパレットに新たな汚れを重ねるようなものだ。そこでレモンは思い出の中から別のエピソードを選ぶことにする。
「オゴられる時に、パイセンなりの謎の基準があるんデスよ」
レモンは清士郎の謎について語り出す。
それは彼女が常日頃から探求しているものだった。
「パイセンの基準で安いとされるものしか受け取らないっス。だからリナちゃんが心配してるような事は無いんデスよ」
「安いものって、例えば?」
「モノにもよるんデスけど、ランチだとワンコインが目安になってるっスね。それ以上だと自分でお金を払うことが多いんデスよ」
それに、とレモンは説明を続けた。
「ランチをオゴった後はジュースをオゴってくれたりしますよ」
ようやく清士郎の良い所を挙げられたとレモンは感じていた。
しかしリナは懐疑的な視線を返す。
「それは極楽寺さんを油断させるための作戦、とか?」
「?」
「アタシも詳しくは知らないんだけどさ、悪い男がそういう手を使うって聞いたことがあるんだよ。安物をプレゼントしてさ、だんだんと相手を安心させてから、徐々に高価なものを自分に贈らせるように仕向けるっていうか……」
リナの心配はもっともなものだった。
しかし、田原清士郎はそういう男では無いとレモンは確信している。
清士郎は、嘘を吐かない分かりやすい性格ではあるけど、変な所でネジくれているのだ。
それをどう説明しようかとレモンは考え、彼女の観察記録を話してみることにした。
「アチシの実験と観察によると……」
「実験?」
「本当の価格を内緒にしたままクイズ形式にしてみて、パイセンが価値を見分けられるかどうかを試してみてるんデスよ」
「あー、なんかそういうの見たことあるかも……」
高級品かどうかを見分ける催しを思い出すリナ。
あれって間違えると見る目が無いってされちゃうんだよなぁと考えているリナに対し、レモンは淡々とした口調で説明を続ける。
「まずパイセンは宝石を見分ける能力を持ってないデス。ガラス玉と宝石の違いに気付けるかどうか怪しいっスね。試しに、そこそこ高いエメラルドをやっすいパワーストーンだって説明して渡したら、普通に受け取ったんデスよ」
「それってさ、価値が分かってるから受け取ったんじゃないのか?」
「価値が分かってたら雑貨とかと一緒にしまわないと思うっス」
ちなみにお値段40万円くらいのエメラルドである。
そのエメラルドは、清士郎が宝箱と名付けたお菓子の空き箱の中に、雑多なガラス玉とか根付とかと一緒にしまわれている。
根付とは江戸時代から続く細工物の一種で、簡単に言えばデフォルメされた動物などのフィギュアであり、現代ではカプセル入りのオモチャとして販売されていたりした。
他にはコンビニなどで手に入れたキャラクター物のキーホルダーもしまわれている。
「高級食材も見分けられないっスね。安いモンでも高いモンでも美味いって言うし、たぶん区別がついて無いデス。バカ舌なんで高い料理を食うだけムダだと思うっス」
これについては一種の遊びと言う形で実験していた。
目隠しされた状態の清士郎は、面白いくらいに高級食材と安物食品を間違え続けている。
「不思議とアート系には強いっスね。特に焼き物や絵画は妙に見分けやがるんデスよ。知識が無いクセに、わりと正確に価値を判断するからビビりましたもん」
レモンが中々のお値段の、骨董品の陶器を渡そうとした所、これは良いモノだから大切にした方が良いぞと言われて突っ返された。
逆に土産物屋で叩き売りされていた現代物の陶器を余り物として渡してみた所、普通に受け取ったりもしている。
なんだか清士郎の生態系を説明するのが楽しくなってきていたレモンだったが、リナの表情を見てハッとした。
うわぁ、みたいなドン引きした顔をしていたのだ。あちゃ~と反省しているレモンの前で、リナは口を開く。
「……極楽寺さん、なんていうか、やめた方が良いよ。その趣味」
アハハ、と乾いた笑い声を上げてから、レモンは答えた。
「自分でも悪趣味だって事は感じてるんデスけどね~……」
ただ、清士郎のことを新種のオモチャのように扱っているワケではない。
どうしてか分からないけど、レモンは、そのことだけはリナに理解してもらいたかった。
それはきっと、自分の中の譲れない部分なのだ。
ちょっぴりウェットな気分に浸りながら、レモンは気恥ずかしい言葉を口にした。
「リナちゃん、アチシはね、田原パイセンに救われたんスよ」
レモンから唐突に話題を変えられたリナは、困惑した様子だ。
しかしレモンは詳しい説明をしようとは思えなかった。
あるいは理解されなくても良いと考えているのかもしれない。
思い出の中を一人で歩くような気持ちでレモンは言葉を続けた。
「アチシは、まあ色々な原因があっての事っスが、子供の頃は周りの人と上手くやれなくて。それが積み重なって、高校の時に転校したりもしてるんデスよ」
高校一年生の時に、父親と母親が敷いてくれていたレールの上から、足を踏み外した。
それは自由と言うより自由落下に近い感覚をレモンに与え、当時の彼女は失意の中にあった。
「子供の頃から色んな物が怖くて、それで口調を変えてみたりして、ヘリ下って、出来るだけ周りから生意気に見られないようにしたり」
家に引きこもり、絶望の中で思い出す幼い頃の記憶は、今まで大して楽しい時間が無かった事をレモンに突き付けた。
表面的な付き合いしかない。それに付随する作り笑いと、表層的な感情だけが思い浮かぶ。
心を許せた人は家族だけ。パパとママだけだ。
そんなパパとママの期待を裏切ってしまったレモンには、楽しい感情が何も浮かばなくなっていた。
抜け殻のようになってしまったレモンを、彼女の両親は何とか救おうとしたのだろう。
学校に行く勇気を無くしたレモンに対し、それまで通っていた私立校から転校することを勧めた。
レモンは親の言うままに転校する。
彼女には強い意志は無かった。パパとママしか大切なものがなかったからだ。そして、転校した先で清士郎と出会うことになる。
清士郎は何かとレモンに話しかけてきた。
それはレモンが金持ちだと踏んでのことだった。
レモンには色々と思う所もあったが、金目当てだというのであれば、それはそれで気楽な関係だと判断した。
自分が必要とされる理由が分かりやすい。レモンは自分自身の価値が分からなかった。
清士郎が後でオゴり返してくれた事が契機になって、交わす言葉が多くなっていく。
最初の頃はとんでも無くがめつい人間だと感じていたけど、話してみると案外、良い所もあった。
それと比例するように、やっぱりとんでも無い事を考える人間だと感じることも多くなっていった。
清士郎と、彼を取り巻く友人たちと過ごした日々の中から、印象深いエピソードの一つを思い返してレモンは口を開く。
「新しい学校で田原パイセンに出会ったわけなんスけど、田原パイセンからある時に言われたんデスよ。オゴられる俺のことを褒めてくれって」
「はぁ?」
「パイセンはこう言うんデス。人は誰かに何かをオゴる時に、まるで募金でもした時のように良い事をした気持ちになれるって。でもそれには、オゴられる誰かが必要になってくる。だから、贈り物を受け取る俺のことを褒めてくれって。田原パイセンが気持ちよく受け取るからこそ、アチシみたいな立場の人間が幸せを感じられるって言うんデスよ」
片桐リナはレモンの言葉を頭の中でよく考えてみる。
そして結論に至ると、鋭い視線をレモンに向けて言った。
「その理屈は変だよ」
「アチシもそう思いますよ? でもね……」
清士郎の言葉の中に、正しいと思える部分もあったとレモンは感じていた。
相手が受け取ってくれなければ気持ちは空回りしてしまう。そんな寂しさをレモンは知っていた。
しかし、上手く説明できないし、すぐにはリナに分かってもらえないだろう。お互いの想いを分かり合うためには時間が必要なこともある。
レモンは少し寂しさを感じながら、別の言葉を口にした。
「常識が変わったって言うんデスかね。こんなに厚かましく生きている人もいるのにって思うと、臆病になってる自分が急にバカバカしくなったんデスよ」
まあ、長いこと続け過ぎたせいで、この変な口調は直らなかったんデスけどね、と心の中で呟く。
そして彼女自身の、おそらくは譲れない本心を語る。
「だから知りたいんデスよ、田原パイセンのこと。あれでもパイセン、良い所もあるんデスよ?」
レモンの表情から何を読み取ったのか、リナは一瞬、まぶしいものを見るような目をした。
それまで張っていた気を緩めて、穏やかな声で言う。
「そっか……。なんか、色々言ってごめん」
リナは、自分の行動がお節介であったことに気付いた。
この場から逃げ出したい気持ちもあったけど、それは何か間違っているような気もしていた。
逃げ出す代わりに、リナはしっかりとレモンと目を合わせる。
そして、こうすべきだという自分の直感に従い、感謝を口にする。
「話してくれてありがとう」
こんな自分に対して、本音で話してくれてありがとう。
そういう意味が込められた言葉だった。
自分で言っておきながら気取ったセリフに感じられ、恥ずかしい気持ちになって、リナは顔を赤くする。
リナの分かりやすい顔色の変化を見ながら、レモンはクスクスと笑い、
「やっぱりリナちゃんは優しい人っスね」
と言った。
感謝の気持ちをお互いに与え合う事で、人は温かい気持ちを広げる事が出来る。
そんな事を感じさせてくれる瞬間だった。
一息ついた気持ちになり、晴れやかな心の中、レモンは話題を少し変える事にする。
「あと、パイセンにはお世話になってる事もあるんデスよ。一番デカいのはパパの事っスね」
「パパ?」
「アチシのリアルなパパっス」
変な意味じゃないデスよ、と付け加えた後、レモンは説明を続けた。
「実は今、パパと絶縁状態なんデス」
それを聞いた瞬間、リナはブーッと吹き出した。
「そ、それってアタシが聞いてもいい話……?」
リナは実に慌てていた。それは友達の家庭問題に対する配慮だけではない。
つい先日にリナは、レモンの父親だと名乗る男から挨拶されていたのだ。
その時は深く考えなかったし、偶然に会ったと考えていたけど、何やらキナ臭く感じられてくる。
今にして思えば、どうしてレモンの父親は自分の事を知っていたのか。
絶縁状態だとすればレモンから説明を受けたとは考え難い。
リナの頭の中には、古いことわざが思い浮かんでいた。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。
レモンの父親と会話したことが、なんだか大丈夫じゃないことに思えてきたリナは、おそるおそる言った。
「あの、アタシさ、この前レモンのお父さんと会ってるんだけど」
「ふぇ? マジっすか?」
「あ、ああ。ちょっとした世間話をしたくらいだけど」
本当はもう少し入り組んだ話もしているけど、それは別に話すようなことでも無いとリナは判断した。
それよりも、レモンの父親の本当の狙いは何だったのか。
リナは、何かの陰謀に巻き込まれたような気分になってきていた。
そんなリナの様子に気付いたレモンは、安心させるように言った。
「絶縁って言っても半分冗談で、そこまで深刻な話じゃないからヘーキっスよ?」
どこから説明したものかと少し考える。
少ししてから、上手い言い回しを思いついて、レモンは説明を続けた。
「パパがアチシの事を好きすぎて、これは子離れ出来ないって事になったんデスよ。それでショック療法もかねて、実家を離れて一人暮らしをやってるわけデス」
「お、お母さんとかはどうしてるの?」
「もちろんママとも相談して決めたっスよ。それで、大学生になったんだし一人暮らしを始めてみて、パパとは少し距離を置いてみようって事になったんデスよ」
ただしママとは定期的に連絡を取っている。
距離を置かれているのはパパだけなのだ。
いつの時代でもパパは娘から嫌がられる時がくるし、その時には絶望することになるだろう。
そういう意味では、レモンのパパが絶望するキッカケを作ったのが清士郎だった。
「そこに田原パイセンが関わってくるんスよ」
「え? なんで?」
「なんでと聞かれると、実は田原パイセンには奇妙な能力があってデスね、パパが秘匿してたアチシに関するデータを暴き出したんデスよ。それでアチシとママは、パパを何とかしないといけないねってなって……」
パパが秘匿してた娘に関するデータってなんだよ。闇が深そうだよ。
これやっぱり聞いたらダメな話だったんじゃないかな。リナはそう感じていた。
リナの頭の中に、唐突に野球の光景が思い浮かんでいた。ちなみに野球とはアウトを取り合うスポーツである。
頭を抱えたくなっていたリナの前で、レモンが疑問を口にした。
「あれ? でもどうしてパパはリナちゃんの事を知っていたんデスかね?」
「……ご、極楽寺さんが話したんじゃなかったの?」
リナの頭の中では何故か野球の中継が始まっている。もうすでにツーアウトの状態だ。
打席に立つバッターはストライクを二つ取られていて、ピッチャーが新たに放った球が、今まさにキャッチャーミットに収まった。
審判はまだ、そのボールがストライクゾーンに入ったか、それとも外れたかを判断していない。
固唾を飲んで見守るリナの前で、レモンによる判定が始まる。
「大学に入ってからは基本的にパパと会話してないデスね。そろそろ親離れもしなきゃデスし……」
外れろ、外れろ。
パパが秘匿してたデータが笑って済ませられるものであって欲しい。
リナは自分の悪い予想が外れることを願っていた。しかしその願いは叶わない。
レモンが青ざめた表情で叫んだ。
「もしかしてパパ、今もアチシのことを調べているんデスか!? 隠し撮りはもうしないって誓わせたのに!?」
リナのイメージの中の審判が、外角高めのストライクと高らかに宣言した。
何かがアウトになった。何かというか、具体的に言えばそれはレモンの父親の行動のことだ。
事件はまだ終わっていない。これから始まるんですよ。
探偵が言いそうなそんなセリフを、レモンとリナは同時に思い浮かべていた。