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017 西園海斗と重力の戦士




 運命に出会った事はあるだろうか?

 島村咲月しまむらさつきという少女にとって、運命は突然に始まった。

 彼女が中学一年生の時。それはまるで弾かれたビリヤードの球のように、不規則な軌道で彼女の元にやってくる。

 つまり放課後にグラウンドの脇を歩いている時、サッカー部の部員が蹴ったボールとして彼女の目の前にやってきた。


 ビュン、と目の前を駆け抜けていくサッカーボール。

 驚いたサツキは思わずコケてしまう。

 あいたた、と言いつつ、受け身はきっちり取っていた。

 実はサツキはコケること自体には慣れている。彼女は背が小さくて、不器用で、普段から何かにつまづいて転んでしまう子だった。


 サツキにとって、つまずく事は単なる恥ずかしさを超えた出来事だ。

 密かなコンプレックスと自分なりのジンクス。

 すなわち、人前で転ぶことは生き恥なのだ。

 絶対に転びたく無いと普段から頑張ってきた。だから余計に屈辱なのだ。


 転んでしまった事を取り消したい。

 きっかけとなった人物に対して怒りの炎がメラメラである。

 絶対に一言、文句を言ってやる!

 そんな決意を固めるサツキに駆け寄ってきて、手を差し伸べてきたサッカー部の一年生男子。それが西園海斗だった。


「ちょっと! 危ないじゃない!」


 サツキは海斗の手を取らない。

 自分は大丈夫だと誇示するように、ひとりのチカラで起き上がる。

 そして体操服に付いた土ぼこりを両手を使って払い、あたしじゃ無かったらケガしてたかもね、と告げた。

 普段からよく転んでることは黙っておく。初対面の人が相手だから、サツキは見栄を張ったのだ。

 

 そして改めて目の前に立つ少年の顔に視線を向ける。

 茶色がかった短い髪に、潤んだ瞳。

 特にその目が特徴的だとサツキは思った。タダモノではないオーラを放っている。

 西園海斗の顔を見た瞬間に思い浮かんだのは、まるで王子様みたい、という言葉だった。


 しかし当時のサツキは同級生には興味が無かった。

 もっと大人っぽくてカッコイイ人、たとえば特撮俳優などがマストであり、身近にいる男子など眼中に入っていない。

 だからサツキは強がる。学校の中に出会いとか恋愛とか、そーいうのは期待していなかったからだ。

 強硬な態度を取るサツキに対して、海斗は素直に謝った。


「ゴメン。俺がパスを受け止められれば良かったんだけど」


 今度からは手を使ってでも受け止めるよ、と言い訳する。

 それにしても、と前置きしてから海斗は言う。


「ボールが当たらなくて良かった」


 その時に海斗が浮かべた笑顔に一瞬ドキッとするサツキ。

 しかし、すぐに気の迷いだと判断。

 ダメダメ、あたしには大河内くんがいるんだから!

 推しの俳優の顔を思い浮かべたサツキは、毅然とした態度で口を開く。


「当たらなかったんじゃない。あ、た、し、が避けたの!」


 その場で軽やかなステップをキメて運動神経の良さをアピールするサツキ。

 海斗は少し驚きながら、その様子を見つめる。そして、キミは小柄なのにパワーがあるんだねと告げた。

 その余計な一言にサツキはカチンと来る。

 背が低いこともサツキのコンプレックスだった。


「小さくないし!」


 と言い張るサツキに対し、海斗は苦笑してみせた。


「すまない。俺は気配りが下手な男みたいだ」


 こうも素直に謝られるとサツキも怒り続けることも出来なかった。

 まったくもーと言いつつ、サツキは転がっていたサッカーボールを拾って海斗に手渡す。


「あんまし変な所にボールを飛ばさないでよね。グラウンドは皆が使ってるんだから」


「努力して直していきたいと思う」


 努力でどうにかなるものなの、と問いかけてくるサツキに対し、海斗は苦笑いを続けながら言った。


「出来れば、今後も色々と教えてくれると助かる」


 ボールを受け取った海斗は、他のサッカー部員から呼びかけられて走り去ろうとする。

 その間際に、サツキに向かって「じゃあまたね」と言った。

 海斗の放った優し気な口調と、潤んだ瞳。

 それがなぜかサツキの心をひどく動揺させる。

 

 こちらに背中を向ける海斗に対し、サツキは「しょーがないわね!」と告げる。

 振り返った海斗にサツキは、あたしがこれからもバシバシ教えちゃうし、と伝えた。

 海斗はこのやり取りが楽しかったのか、はにかんだように笑う。

 その笑顔を見た瞬間から、不思議なほどにサツキの胸は高鳴っていた。そんな、なんで、と思う暇も無い。その日からサツキの初恋は始まった。


 沖田露環おきたろわという少女にとって、運命は不意打ちのようにやってきた。

 中学三年生の時に、クラス対抗の合唱コンクルールのまとめ役になったロワ。クラスメイト達を練習に参加させようと、躍起になって声を上げる。

 そしてロワは一人で頑張り過ぎてしまった。

 あまりにも高圧的な態度を取ってしまったロワ。それに対して男子生徒たちが反乱。婉曲なカタチで練習をボイコットをし始めたのだ。


 男子生徒たちは適当な口実を作っては練習をサボったり、練習に参加しても隣同士でダベったりと、まるで真面目に練習する気が無い。

 ロワの指示には従わないという意識だけが共有されているようだ。

 納得いかないロワは、さらに頑固な態度を取ってしまう。それがダメだったのだろう。

 女子生徒たちも彼女に味方してくれなくなり、練習をサボる男子に味方する人まで出てしまった。

 

 ロワは泣きたくなかった。泣けば負けだと感じていたからだ。

 しかしついに耐えきれなくなり、ある日の練習の時に教室から逃げ出した。

 滲んだ視界で駆け抜けた廊下。そんなロワを追いかけてきたのが西園海斗だった。

 ロワに追いついた後、海斗は謝る。自分もクラスの一員なのに、全てを沖田さんに任せきりにしてしまったと。


 そして教室に戻ったロワと海斗だったが、教室の中は騒然とした空気になっていた。

 ざわめくクラスメイト達。その中には、ロワと海斗の仲をひやかす声さえあった。

 そんな空気の中で海斗が重々しく語る。俺はみんなに謝りたいと。

 何のことか分からずクラス中が静まり返る。ロワはうつむき、海斗が何を話すのかに耳を傾けていた。


 海斗は切々と話し始める。

 本当はもっと真面目に練習がした方が良いと思っていたと。だけど、それを言うのがカッコ悪い気がして黙っていた。

 誰のためでもない、自分のために黙ってしまっていたんだと語る。

 そしてこう言った。こんな騒ぎになったのは、真面目に練習するのがカッコ悪いと考えていた俺にも原因があるんだ。


 クラスのみんながバツが悪そうな顔になる。

 男子は海斗から視線をそらし、女子の中には泣き出しそうな顔になっている子もいた。

 海斗が言っているのは、本当は自分たちの事を指していることに気付いていたからだ。

 クラスメイト達のことは責めないまま、海斗は彼自身の思いを告げる。


「俺、オンチだから迷惑かけるかもしれないけど、本気で歌ってもいいかな?」


 それからはクラス一丸となって合唱の練習に取り組んだ。

 海斗は本当にオンチで、海斗が放つデコボコな音程に釣られてしまう人も出たけど、その事は誰も責めない。

 誰かが冗談を言って、それに海斗が答えて、笑い合いながら練習を続けた。

 指揮を取るロワの視線の先には、いつも海斗の姿があった。それはまるで消えない炎のような感情。彼から目を離せなくなっている事に、ロワは気付いていた。


 白浜雨音しらはまあまねという少女にとって、運命は気まぐれに始まった。

 音楽好きの彼女は、休日になると街角や港の広場でギターの弾き語りをしている。

 そんな時に偶然にも西園海斗が立ち寄って来たのだ。

 海斗は学校では目立つ存在だったので、アマネは彼の顔と名前を知っていた。

 

 ゲッ、同じ学校のヤツかよ。

 やりにくいのよねーと、声には出さずに嘆息を吐きながら、アマネは彼女が作ったオリジナルの曲を歌う。

 かき鳴らすギター。身体の内側から響く音。周りには、まばらに見える観客の姿。

 晴れた空の下で歌うのは好きだった。響いては消えていく自分の声と潮の香り。歌う時、アマネの世界は音楽で満たされている。


 アマネにとっては面倒なことに、西園海斗は観客の一人として残り続けた。

 歌い終わり、他の聴衆がさっさと去っていく中で、海斗だけがその場に残って拍手を送ってくる。

 もしかして同じ学校という事で応援してくれているのかと思ったアマネだが、それにしては海斗はアマネに対して、初めて会う人を見るような目を向けてきた。

 試しにアマネは、どうもありがとう西園くん、と返してみる。


 すると海斗は驚いた様子を見せた。

 見知らぬギター弾きが自分の名前を知っているとは思わなかったのだろう。

 こんちくしょうめ、とアマネは思った。

 わたしはアンタの顔と名前を知ってるのに、アンタはアマネちゃんの顔も名前を知らないんですねー。


 アマネは少しトゲトゲしい気持ちになる。

 ギターを練習して歌を作り、それを発表している間だけ、アマネはこの世界で何者かに成れた気がしていた。

 そんな微かな自信が何もかも吹き飛んでしまい、満たされない心に漠然とした苛立ちだけが充填される。

 だけど彼女はそんな感情を隠す。それはキライな自分だからだ。見せたくない部分を切り取り、表面上は朗らかな態度で言った。


「はいハーイ。西園くんと同じガッコのアマネちゃんだよー」


 よろしくー、と続ける。

 海斗はアマネが同じ学校の生徒だとは気付いていなかったのだろう。

 うろたえる海斗に対し、アマネは茶目っけタップリに告げた。


「あり? 反応なし?」


 アマネからの問いかけに対し、海斗は申し訳なさそうに言う。


「すまない。キミの名前を知っておくべきだった」


「次からは名前、憶えておいてね」


 名前を憶えなくても良いし、二度と私に関わるな。

 表面上は感じ良く接しながら、心の中ではエグい事を考えているアマネ。

 アマネの直感では、海斗はアマネの放つ毒っ気を敏感に察しているように思えた。

 だからだろう、海斗は恥じ入るように頭を掻き、足早にこの場を立ち去ろうとする。


 そうだそうだ、さっさと行っちゃえー。

 浮かべた笑顔とは裏腹に心の中で毒づくアマネ。

 しかし海斗は踏み出しかけた足を止める。

 アマネから嫌われている事を自覚しているだろうに、勇気を振り絞るようにして口を開いた。


「自分はオンチだから、歌を歌える人に憧れるんだ」


 キミは本当にスゴイと思うよ。

 そう呟いた時の海斗の素直そうな目が、アマネの心に妙に強く残った。

 その日からアマネは海斗にちょっかいをかけるようになる。

 自分の心に何が引っかかったのかを知りたくなったからだ。

 

 最初は見た目や評判だけのツマラナイ男だと思っていた。

 だけど気付いた時には手遅れ。

 からかう余裕を無くすほど真っすぐに、海斗の視線がアマネの心を貫く。

 アマネは今、恋に落ちていた。


 恋は見えないチカラのように人を惹きつけ合う。それはまるで重力のようだ。

 そしてサツキ、ロワ、アマネの三人は今日も海斗を取り囲んでいる。

 表面上は涼やかで爽やか、中身はギトギトでギッシリ。

 そんな、豚肉のゼリー寄せみたいな関係が続いているのだ。

 

 海斗たち四人は休日を利用して陶磁器の展示会に来ていた。

 しかしもちろん、サツキとロワとアマネは、皿とか焼き物には興味が無い。

 気にしてるのは学校とは違う場所で海斗と逢うことであり、自分たちの私服に対する海斗の反応である。

 そして今日も海斗は、彼女たちが満足するような反応を返せなかった。


「すまない、自分はこういう事に鈍感なんだ」


 サツキからダメ出しを受けた海斗は素直に謝る。

 でも、と前置きしてから海斗は告げた。


「これだけは言っておきたいと思う。島村さん、その髪飾りはキミによく似合っていると思う」


「えへへ。今日はちょっと気合入れてみました!」


 さっきまで怒っていた事を忘れ、サツキは単純に喜ぶ。

 逆にロワは少しムッとした表情で言う。


「人前だぞ。男女がベタベタするべきでは無い」


「いーじゃない褒められた時くらい。ケチー」


 海斗の右腕に自分の腕を絡ませながら、サツキはロワに向かって舌を出してみせる。

 そんなサツキの挑発に、ロワは拳を握りしめて耐えていた。ロワは積極的なスキンシップを自分からするのが苦手なのだ。

 一方アマネは二人の対立を面白がりつつ、その場を混ぜっ返す行動を取る。

 すなわち海斗の左腕に自分の腕を絡ませながら言った。


「アマネちゃんもイチャつきたいなー? なー?」


「いい加減にしろ雨音あまね! 人前だと言ってるだろう!」


 アマネの行動にキレるロワ。なんだかんだと騒ぎながら、人前でイチャつく三人の女子と一人の少年の姿がそこにある。

 そんな場面を目撃してしまった清士郎は唖然としていた。

 それは目の前の光景が許せるとか許せないとかの問題ではない。

 それ以前に、目撃してしまった出来事に対して感情が追いついていない。まるで異世界に入り込んだような怖気おぞけに襲われていた。


 清士郎が現在に立っている場所は、港の近くに建てられた総合的なターミナル施設だ。

 施設が持つ広いホールや多目的ルームは貸し出しされていて、民間団体による各種イベントや展覧会に利用されている。

 本日は地元の作家による陶芸展が開かれていて、ハンドメイドな皿や壺などが飾られていた。

 元々焼き物には興味があった清士郎だが、親戚である西園さんから展覧会に来て欲しいと言う依頼もあって、暇つぶしもかねて立ち寄ってみている。

 

 今日の催しでは、西園さんちと親交が深い陶芸作家が作品を展示しているらしい。

 友のため、少しでも多くの人が見に来た方が良いだろうと考えた西園さんちの文座さん。

 彼は義弟の田原連士郎に声をかけ、その息子である清士郎にも話が伝わったという事だ。

 他にも、西園さんちのマリちゃんからも清士郎に話が来ている。マリは文座の娘にあたり、清士郎にとっては従妹だった。


 一人で行くのも味気ないと思った清士郎。

 同じ大学の後輩、極楽寺レモンと片桐リナにも声をかけてみた。

 リナの方は陶芸に興味が無いらしくパスを宣言。

 結局いつも通り、清士郎はレモンと一緒に行動している次第である。


 そこで目撃してしまったのが少年少女たちの壮絶なる四角関係だった。

 あり得ない四角関係は、「触るな危険!」と書かれたボタンをジッと見つめる猫の姿を連想させる。

 そんな猫が、「猫だから仕方なかったニャン」とか言いながらポチっとボタンを押してしまいそうな、謎の恐怖があった。

 少しでもバランスが崩れたら危険な事が起きそうな予感がする。そしてそのバランスを崩すボタンが今にも押されそうな気がしてならない。


 俺はこの場面を見過ごしてしまっていいんだろうかと清士郎は迷った。

 これが見知らぬ男女の話であれば、そういう生き方もあるさと無関係を装えた事だろう。

 残念ながら少女達の中心には清士郎が良く知っている少年が立っていた。

 それは彼の従弟である西園海斗である。従弟の男女関係がスゴイ事になっているのを見つめながら、清士郎は無意識に呟く。


「なんなんだ、アレは」


 あんな光景がこの世にあって良いのだろうか。

 人の身には知り得ない、得体の知れぬチカラが働いているのは確かだ。

 それによってエグいくらいのラブ・アンド・ロマンス空間が発生している。

 凄いを通り越して怖い。怖いを通り越して背筋が冷える。


 しかも当の本人はスマシ顔だ。

 あの異次元フィールドの中心に立つ海斗は、全然そんなつもり無いです、みたいなツラをしていやがる。

 両腕を女の子に掴まれた状態の海斗を見ながら清士郎は思う。

 どうしてお前はそんな状態で真顔のまま歩けるんだ海斗。それがお前の選択なのか。


 両腕の二人だけじゃない、三人目までいるんだぞと、清士郎は心の中でツッコんだ。

 海斗の手を他の二人に取られた三人目の女の子が、健気にも海斗の服の端を掴んでいる。

 なんでお前は平然としていられるんだ海斗。俺にはお前の考え方が分からない。

 迷える清士郎に対し、レモンは迷いも何も無い感想を述べる。


「スゴイっスねーあそこの子達。若いって無敵な感じデスよね」


 ゴッちゃんもそんなに年齢は変わらないじゃん。

 そんなツッコミを入れた後、清士郎は言った。


「どうすんだよアレ。この世のものとは思えない光景だぞ」


 清士郎の言葉に対し、レモンはキョトンとなる。

 知らない男女四人が砂糖菓子みたいな恋愛劇を演じているからと言って、それに関わる必要は無いからだ。

 どうするも何も、何もしなくて良い。むしろ大人なお姉さんなら「今にも溶けそうな恋ね」みたいな事だけ言ってスルーするだろう。

 アチシってやっぱ大人っスねーと思いながらレモンは言った。


「どうするも何も、あんまり人の事をジロジロと見るのは良くないと思うっスよ」


「声とか、かけなくても良いのかな」


「……逆に聞くんデスけど、なんで声をかけようとしてるんデスか?」


 それはレモンが海斗と清士郎の関係性を知らないから出たセリフだったが、清士郎にとって天啓的な言葉に思えた。

 そうか、見なかったことにするという方法もあるのか。

 親戚や友人に出会ったら必ず声をかけてきた清士郎にとって、その発想は目からウロコだった。

 オゴられる可能性を捨てる事で得られる何かがある。


 オゴりオゴられ、世はことも無し。

 ただし世の中には、オゴられても困る場面というのも存在する。

 さすがに、あんな状態の海斗と関わり合いになる勇気は清士郎には無かった。

 さながら極限状態の積み木だ。触れるトークの内容を少しでも間違えたら、海斗たち四人の関係性が崩れてしまうだろう。


 飲み干せそうにない現実を前にした時に人はどうするのか。

 飲み干さなくても良いのだ。清士郎はそう思った。

 カンパイと言った後に飲み干さず、そっと杯を置く。

 そしてすかさず満面の笑顔を見せる。そういう生き方もありだと思います。


 清士郎は心の中で誰かに言い訳していた。

 相手が何か言ってきそうだったら笑顔で黙らせよう。

 親戚と偶然出会ったとしても、笑顔でやり過ごすのもありのハズです。

 こうして清士郎が新たなる処世術に目覚めかけていた時に、彼に声をかけてくる人物がいた。


「久しぶり、お兄ちゃん」


 振り返った清士郎の目の前には、西園海斗の妹、西園マリの姿がある。

 清士郎は反射的に答えた。


「やっほー、マリちゃん」


 誰っスか、と聞いてくるレモンに対し、親戚の子だと答える清士郎。

 そうしながら清士郎は考える。そうだ、元々マリちゃんとは会う予定だったんだ。

 あまりにも衝撃的な光景を目にしたことで清士郎の思考は半分飛んでいた。

 そして思う。マリには挨拶をして、海斗には声をかけないというのは、いかがなものだろう。ここはやはり海斗にも声をかけるべきではないだろうか。

 

 清士郎はそこで考え直す。カンパイをした後に飲み干さないのは、やっぱりダメなんじゃないだろうか。

 だってそんな事を続けてたらもう、ずっと杯を乾せなくなるかもしれない。

 右から来た杯を左に置くだけの存在になってしまう。

 それはもはや、そういう種類の座敷妖怪みたいじゃん。


 居酒屋妖怪、杯置き。

 特技は乾杯しないこと。

 そんな生き方は嫌だと清士郎は思った。

 カンパイしたら杯を乾かしたりしたい。好きな時に飲み干したい。そんな事を考えながら、


「海斗くんは凄いことになってるね」


 と言った。視線は海斗と三人の女子の方に向けられている。

 そんな清士郎に対し、マリは辟易とした表情を浮かべて答えた。


「海斗ニイはいっつもあんな感じだよ」


「へぇ~……」


 そうなんだー、と呟く清士郎。

 三人の女子を衛星のようにまとわり付かせる海斗を見て、まるでラグランジュポイントだなと清士郎は思った。

 ラグランジュポイントとは二つの天体の重力が釣り合う位置である。

 そういうのがあるから、お月様だって地球の周りを回っていられるのだ。


 恋愛においても重力のような釣り合いがあるのかもしれない。

 自由だったはずの感情は、より大きな重力を持つ人物に惹きつけられ、離れられなくなる。

 そんでたまに隕石となって地上に落ちたりして大惨事。

 重すぎる感情も考えものだと清士郎は思った。

 

 そこで清士郎は気づく。つまりこれは居酒屋のカンパイの話じゃなくて、隕石が落ちるかどうかの話なのか。

 それだったら海斗には声をかけず、レモンとマリの二人を連れて皿でも見て回るかと考える清士郎。距離を置こう、そうしよう。

 そんな時、清士郎の耳に特徴的なソプラノ声が聞こえた。

 その声は恋愛の木星重力圏、すなわちジュピター人間海斗の居る方から聞こえてくる。


「ねえねえ! あそこの女の子って海斗くんの妹ちゃんじゃない!?」


「大きな声を出すなサツキ!」


 どうやら海斗を取り巻く少女の一人にマリが見つかってしまったようだ。

 それをキッカケにして、清士郎たちの近くに海斗達がやって来る。

 当たり前のように四人で連れだってやってくる海斗たち。

 その姿を見て、いきなり四天王戦でも始まりそうだなと清士郎は思った。

 

 なぜなら海斗の眉間には物凄い勢いで皺が寄っている。

 そんでメッチャ怖い顔をしている。

 おそらく清士郎の存在を知った時から、海斗はそんな表情になっていたのだろう。

 近づいてきた海斗は清士郎の事を完全に無視して、マリに向かってだけ話しかけた。


「マリ。お兄ちゃんと一緒に周ろう」


 その提案に対してマリは嫌がる素振りをみせた。

 それもそうだろうと清士郎は思う。

 あの超重力の四戦士の中に入っていくのは、俺だって嫌だ。

 カンパイしたくない。杯を置いて笑顔で誤魔化したい。そこで清士郎は、


「ごめん、海斗くん」


 と話しかける。

 こちらに一切目を向けない海斗に対し、マリを自分達のチームに参加させるために言葉を放った。


「今日のところはマリちゃんと一緒に周らせてくれない?」


 文座さんの知り合いの作品も紹介して欲しいし、と付け加える。

 別に紹介して欲しくは無かったが、清士郎は適当な理由としてそれを挙げた。

 それに対して海斗は全く別の事を口にする。


「アンタは今日も違う女を連れているんだな」


 スゲー事を言われてしまったと清士郎は思った。

 今日も違う女って、俺がいつ違う女の子を連れて歩いてたって言うんだ。

 もっとも清士郎は女友達の荷物持ちをして歩く事が多かった。当然、荷物を持つ代わりにコーヒーの一杯くらいはオゴってもらう約束をしている。

 清士郎は気づいていなかったが、そういう場面を海斗に目撃されていたらしい。


 海斗の中では清士郎は女にだらしない男というイメージが定着していた。

 責任感が薄く、いつもヘラヘラしていて、何かとオゴられたがっている男。

 そんな男のはずなのに、と海斗は思う。なぜか妹のマリは自分よりも清士郎の方を選んでいる。

 どうしてマリはこんな不完全な男を優先するんだ。


 海斗の目に映る妹のマリ。その目は自分の事を冷たく見返していた。

 その冷たさが海斗の中の見えない何かを刺激する。

 そのたびに海斗は思う。

 違う、こんなのは俺が持つべき感情じゃない!

 

 渦を巻くような黒い感情。

 それが呼び起こされるのは決まって清士郎が絡む時だった。

 だから海斗は清士郎の存在が認められない。認めるわけにはいかない。

 怒りと混乱の中、海斗が口を開きかけた時に、横から割って入る声があった。


「おや、田原くん。こんな所で奇遇だね」


 そこに現れたのは立花左京だった。

 清士郎やレモンと同じ大学の出身で、妖精に通じる謎の青年だ。

 今日の左京は一人では無いようで、五人程度のグループで来ていた。


「タチバナさんこそ何してるんスか?」


 意外な出会いに驚いている清士郎に対し、左京は、


「ここの多目的ルームを借りて、ちょっと会合をね」


 とだけ答えた。

 そしてお義理のように聞いてくる。


「なんだかお取込み中みたいだけど、良ければキミ達も参加するかい?」


 ただし内々の会合なんで、参加できるのは田原くん達だけなんだけどね、と付け加えて言う。それは明らかに海斗を牽制する言葉だった。

 何故かは分からないが、左京は清士郎にこの場から立ち去るための助け舟を出しているらしい。

 普段であったら絶対にお断りしたい誘いではある。

 しかし、この場から離れたい一心で清士郎は誘いに乗った。


「もちろん参加するっスよ! タチバナさんの話ってタメになるんだよ。なぁ! ゴッちゃん!」


「は、ええっ?」


 いきなりなんデスか、と喋りかけたレモンを黙らせつつ、清士郎はマリの手を取って先に歩き出す。

 おい、と叫びかけた海斗に向かって、左京はのんびりとした口調で別れを告げた。


「悪いねぇ。それじゃあ、さようなら」


 どこに進むのかも分かっていない清士郎たちを先導して歩きながら、左京はちらっとホールの隅を見つめる。

 彼のかけるメガネには、トンガリ帽子を被った猫のような妖精の姿が見えていた。

 実は左京をこの場に呼んだのは、この妖精である。

 少し冷や汗を流しながら猫の妖精を観察する左京。それは数ある妖精の中でも、特に強大なチカラを持った存在だったからだ。

 

 メガネに宿った『見通す妖精』のチカラにより、左京にはこの妖精の隠された姿が幾らか分かっていた。

 次に左京は、西園マリに視線を向ける。

 左京から視線を向けられたマリは、何も言うなといわんばかりに、ゆるりと微笑んでいた。





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