016 片桐リナの旅 後編
片桐リナの地元に向かう長距離ツアー。
参加するメンバーのバランスを取ろうとする清士郎だったが、それは儚くも失敗に終わる。
つまり男一人に女三人の旅が始まろうとしていた。
そこで何も起こらないハズもない。何が言いたいかと言えば、計画は最初からコケかけていた。
まず、移動に使う車には、参加メンバーの一人である市鷹見景の物を使う方向で話がまとまる。
なぜならミケイが所有している車は、清士郎の車よりも快適な作りをしていたからだ。
清士郎の車よりずっとお値段が高いそれは、最新のシステムが完備され、安全装備も充実している。
もちろんカーナビだってちゃんと付けてあるし、何より純正品だ。何も文句を付ける所が無い。
清士郎は、長距離を運転するなら絶対にミケイの車の方が良いと主張する。
そこでミケイは思った。別に車を出すのは構わないが、そんなに運転のしやすさが変わるものだろうかと。
そこで清士郎は「仕方ないなあ」と言わんばかりに、情熱を込めたスピーチを披露する。
車ってのはさぁ、と熱く語る清士郎に対し、ミケイは「ハイハイ、分かった分かった」と感動しきりだった。
これにてミケイの説得に成功。
とりあえず移動手段に関する問題は解決したはずだった。
だがしかし、状況は急変する。清士郎が出発の準備をしている時、いきなりスマホが鳴り出した。
発信元はミケイからだ。清士郎が電話に出ると、少し硬質なミケイの声が聞こえてきた。
「もしもし、清士郎」
おはよう、と告げてくるミケイに対し、
「……おはよう?」
清士郎は疑問形で返す。
なぜなら電話がかかってきたタイミングに問題があったからだ。
その電話は旅行当日の早朝。出発予定の三十分前と言った時間帯にかかってきた。
そこで清士郎は少し焦りながら、
「なになに?」
なんかあったの、と問いかける。
清士郎は、もしかしてミケイに旅行をドタキャンされるんだろうかと考えた。
安原の残した言葉が脳裏をよぎる。この旅行、何も起こらないハズが無い。
色んな意味でトラブルを予感する清士郎に対し、ミケイは実に淡々とした口調で言った。
「実は困ったことになった」
「どうしたんだよ?」
急な用事でも出来たのか問いかける清士郎。
頭の半分では、ミケイが来れないという前提で段取りを組み直し始めていた。
そんな清士郎に対し、ミケイは不可解なミステリーを語る。
「何もしてないのに車が壊れた」
「ええ……?」
どういう事か詳しく聞くと、ミケイはこの二か月近く車に乗っていなかったらしい。
そして旅行当日となり、久々にエンジンをかけようとしたところ、何の反応も示さなかったとか。
どうやらバッテリーが上がってしまったのだろう。清士郎はそう考えた。
自動車は定期的に走っておかないと、バッテリーが放電しきってエンジンがかからなくなる事があるのだ。
結局、今からではどうにもならないようで、予定を変更して清士郎の車を使うことになった。
清士郎は自分の所有している軽自動車を引っ張り出し、後部座席に乗せていた荷物を急いでどかす。
そして最初にミケイを迎えに行った。
集合の予定場所がミケイの家から遠い位置になっていたからだ。
無事にミケイと合流し、助手席に乗せた後、清士郎はレモンとリナが待つポイントへ向かう。
助手席に座ったミケイは、乗ってからすぐに鼻をひくひくとさせた。
何やらシートやその周辺の匂いを嗅いでいるようだ。
猫かお前は、と清士郎は思った。
年齢より幼く見えるミケイがそんな仕草を取っていると、本当に子供っぽく見える。
何か引っかかるニオイでもあるのだろうか?
ミケイはより注意深くなり、ニオイの記憶を探っているようだ。
ニオイで何が分かるのかと清士郎は疑問に思う。だって、微香タイプの消臭剤をエアコンの所に付けているんだぜ。
もしかして、そのニオイがダメなんだろうか。そんな事を清士郎が考えていると、ミケイは少し険しい声で、
「おい、清士郎」
と呼びかけてきた。
なんスかお嬢様、と少しふざけながら返事をする清士郎に対し、ミケイは猫みたいに鋭い目になって言った。
「最近、誰かを車に乗せたか?」
なんでそんな事を聞いてくるんだろうと思いつつも、清士郎は、
「そりゃ乗せるよ。車だもの」
と答える。今もお前を乗せてるし、これからもゴッちゃん達を迎えに行くところだ。
そんな事を告げると、ミケイは黙り込んでしまう。
それから無言の時間が出来てしまい、ちょっと意地悪な言い方だったかなと清士郎は反省する。
先日にレモンと一緒に海に行った話をすると、ミケイは納得した様子を見せた。
清士郎は運転を続けながら思い出す。
免許を取った頃は、ミケイとレモンを乗せてドライブに行ったものだ。
もっとも、その頃のレモンは受験生だったし、ミケイも美大に入りたてで時間が取れない事も多かった。
あの頃は二人を車で連れ回すことを何とも思ってなかったなぁ。そんな事を思う。
考えてみれば、今回の旅行はミケイとレモンという、いつものメンバーに片桐が加わっただけだ。
普段通りと言えば普段通りのメンバーと言える。
問題となるのは移動距離と運転時間だろう。清士郎はそう考える。
ミケイやレモンとドライブしていた頃は、日帰り旅行しかした事が無かった。
この旅の参加メンバーは全部で四人。
四人の中で免許を持っているのは清士郎とミケイだけ。つまり清士郎とミケイが交代しながら運転する予定になっていた。
しかし、ここで清士郎に悪寒が走る。
そういやイッチーは二か月くらい車を運転してないんだよな、という事が頭をよぎった。
「イッチー、イッチー」
「なんだ?」
「ここんところ運転して無かったんだよな?」
「制作にかかりきりだったからな」
美大に通う女、市鷹見景。なにやら鉄製のオブジェクトを作っている途中らしい。
そんな事はさて置き、清士郎はさっそくミケイを問いただした。
「正直に答えてくれ。運転に自信ある?」
しばし考え込む素振りをみせるミケイ。
やがて真剣な目をして答えた。
「たぶん何とかなるハズだ」
「たぶんとか何とかなるハズ、か」
車を運転する人から一番聞きたくない言葉だよなぁと清士郎は思う。しかし今からでは、どうにもならない。
清士郎は悲壮な覚悟を決めつつ、レモンとリナとの待ち合わせ場所に到着する。
二人を車に乗せる清士郎だったが、次なる問題が待ち構えていた。
それは、清士郎がリナの地元への経路や道順を知らないことだ。清士郎の車にはナビが付いていなかった。
さらに、助手席に座るミケイはスマホを持っていない。
そこで前回のドライブの時と同じく、レモンに道案内を頼むことにした。
後部座席に座るレモンが、スマホのナビ機能を使って清士郎に指示を出すのだ。
レモンから左折するように指示を飛ばされつつ、清士郎は思う。今回の旅行は果たして無事に終わるのだろうかと。
よく晴れた空の下、高速道路に入る清士郎の車。しばらくは順調に進む。
二時間ごとぐらいに休憩を取りつつ、ぐんぐんリナの故郷に近づいていく。
ところが次なる問題が発生した。
道案内をしていたレモンが急に気の抜けた声を放ったのだ。
「ふわぁぁ」
「どうしたゴッちゃん!?」
今まであんまり聞いたことの無い感じの声だった。
まさかサービスエリアに財布とか忘れたわけじゃないよな、と焦る清士郎。
一方、レモンは残念そうな声で言った。
「電池が……」
「電池?」
「スマホの充電が切れそうっス」
「あー……」
清士郎は状況を理解する。嘆息を漏らすと共に、
「マジかー」
と言った。どうしてちゃんと充電して来なかったんだ、と一瞬思った清士郎だったが、レモンを責める事は出来ない。
そもそも最初はカーナビ付きの車を使う予定だったし、レモンにナビをしてもらう予定では無かったからだ。
きっと誰も悪くない。そうに違いない。
それでもナビが無いと道が分からない。だから清士郎は言った。
「……当分は道なりだと思うんだけど、どこのジャンクションで道を切り替えるか分かる?」
「いや、スマホの画面がもう消えそうっス」
「なんとかなるよな、ゴッちゃん……?」
「ええー」
なんともならないデスよと思ったレモンだったが、解決策を模索し始める。
スマホの電池残量はもう尽きかけている。その時、レモンの脳裏に閃きがあった。
スマホが無いなら、代わりのスマホを出せば良いじゃない。
そこでレモンは、さっきから何故か息を潜め、存在感を無くそうとしているリナに向かって言う。
「リナちゃん、代わりをお願いできます?」
ミケイがスマホを持っていないことはレモンも知っていた。
だからミケイに道案内の続きを頼むことは考えていない。
しかし、リナならばスマホを持っているのだ。
そんなレモンからのお願いに対し、リナの返答は、
「すまん……」
お断りの言葉だった。
なんでー、みたいな表情を浮かべるレモンに対し、リナは非常に申し訳なさそうな顔になる。
それはまるで、やった事が無い仕事を任せられた時の新人のような困り顔だった。
自分には出来そうにないと打ち明ける事が恥ずかしい。だけど隠しても意味が無い。そう思い、リナは言う。
「実は、今月はギガがもう残ってないんだ」
これも誰かが悪いという事では無い。
リナが自分のスマホのギガを消費して、動画を見ちゃうのは悪い事ではないのだ。
しかし解決策が消えたことで、車の中の空気は重苦しくなってきている。
誰かがこれを何とかしなければいけない。
この場は俺が何とかしなければならないようだと清士郎は決意する。
使命感に燃える清士郎。彼は打開策を練った。
まあ、状況を好転させる方法が簡単に思いつけるなら誰も苦労はしない。
それが当然の流れのように、清士郎には何一つ上手い方法が思いつけなかった。
意気込みは良いけど結局は他人任せ。それが田原清士郎という男なのだ。
動き出しても状況に流されるばかりで、あらぬ場所に辿り着いている。
そういう部分はすでに後輩二人からも見抜かれていた。
だからこそレモンとリナから雑に扱っても良い人物だと思われているのである。
ただし車を運転している時の清士郎は一味違う。いつもより頭が冴えている……気がするのだ!
その時、清士郎の目に鳥が飛んでいるのが見えた。
鳥は空を泳いでいる。魚は海を回遊している。そして人はクジラやイルカのように海に適応できるハズだ。
清士郎は、一連の連想から思い付いたことを口にし始めた。
「これから向かうのは、片桐の故郷なワケだ」
後輩の二人が俺の言葉に耳を傾けている。
そのことを肌で感じながら清士郎は言った。
「というワケで片桐、帰巣本能で何とか道が分からないか?」
「分かるわけねーだろ!?」
野生動物かアタシは、とリナは叫ぶ。
清士郎は、無理だったかーと思った。
まあそうだよねと思いつつ、清士郎は無茶振りを続けてみることにした。
さっきから黙っている助手席のミケイに対して話を振る。
「イッチー、なんかそういう能力持ってない?」
呼びかけてみたが、応答が無かった。
チラッと横目を向ける清士郎。ミケイの目は薄っすらと開いているように見える。
もしかして無視されているんだろうか?
確かにバカバカしい話だけど、冷たいなぁと思いつつ、清士郎は本気の相談をしてみる。
「まあ、今の話は置いといて。冗談抜きで聞くんだけど、この辺の道とか詳しくない?」
しかしミケイからの返事は無かった。
おーい、と清士郎は呼びかける。
だけど無言。車内に何とも言えない空気が流れた。
さすがに押し黙ってしまう清士郎だったが、そんな中でレモンがポツリと言う。
「もしかして寝てるんじゃないデスか?」
「でも目が開いてないかコイツ。いや、開けながら寝れるタイプだったのか?」
どうやらミケイは半目を開けながら眠っているようだ。
頬杖をついた姿勢は、まるで半跏思惟像を連想させる。
そういう特殊な能力は今は要らないなぁ、と清士郎は思った。
どういう時なら必要かと聞かれても困るけれど。
気を取り直し、清士郎はリナに呼びかけた。
おい片桐ィ、ってな具合である。
苗字を呼ばれたリナは、ぶっきらぼうな口調で、なんだよと返す。
そんなリナに対し清士郎は、真面目な声で告げた。
「目を開けながら寝れるヤツのことをどう思う?」
「いや、特には何も思わねーよ」
本当は多少は思う所があるけれど、この話に付き合うのが面倒だった。
なのでリナは誤魔化した。
清士郎は続けざまにレモンに向かって問いかける。
「ゴッちゃんは?」
「アチシも別に……」
「そっか」
清士郎は短く呟く。
緩やかに続く片道二車線の道。
ハンドルをゆったりと取りながら、清士郎は言葉を続けた。
「そうだよな」
そして車内に沈黙が満ちる。
実は思う所があったリナは、この話には続きがあるものだと考えていた。
しかし、そんなものは無かった。
だんだんと我慢ならなくなり、リナはとうとう叫んだ。
「結局なにが言いたかったんだよ!?」
ツッコんでくるリナに対し、清士郎は軽く答える。
「いや、特には深い意味は無いっていうか」
「なんだよそれ!?」
オチが無い話はイラつくんだよと、リナは吐き捨てるように言った。
なんかあると思うじゃん、なんかが!
リナは奥歯に何かが挟まったような怒りを感じている。
そんな空気の中、レモンも少しトゲトゲしい声を発した。
「パイセーン」
「なんだよゴッちゃん」
清士郎はルームミラーでレモンの表情を確認する。
鏡越しに確認するレモンの顔はジト目だ。
「思い付いたまま喋るクセ、直した方がいいっと思うスよ」
そんなレモンの反応に対し清士郎は、まともには答えず微苦笑を漏らす。
それがさらにレモンの怒りの琴線に触れたようだ。
「なに笑ってんスか?」
レモンの声は少しムッとしたものになっていた。
なんでと言われれば、最近レモンから雑に扱われる事への静かなる反抗だ。
清士郎は密かに根に持ってた。お前たちが俺の事を雑に扱うなら、俺はイジワルな男になってやるとも……!
今がまさにその時であり、清士郎はイジワルな沈黙を守る。しばらく経ってから再び口を開いた。
「俺はさぁ、この車のカタチが好きじゃないんだ」
いきなり何を言い出すんだと、レモンとリナは身構える。
そんな二人の反応を気にすることなく清士郎は言葉を続けた。
「ホラ、この車、軽自動車っぽいカタチをしているだろ?」
「そりゃあ軽自動車デスからね」
レモンはこの前のドライブの時にそのことを学んだ。
後輩からの的確なツッコミを、清士郎は軽く笑って誤魔化しつつ、再び語り出した。
「最近の軽自動車は妙に値段が高くってなぁ。庶民にわびるかのように、内装が利便性に特化してんだ」
何の話か分からないだろう二人を置き去りにして、清士郎は告げる。
「ゆえに、この車にはUSBポートが付いている」
「さっきから何の話を……」
始めやがるんだと言いかけて、リナはハッと気付く。
「USBからレモンのスマホを充電できるんじゃねえのか?」
「確かにそうデスね!」
さっそく充電するっスとレモンは言った。
レモンのスマホなら今月に使える通信量も残ってるし、充電が出来れば何の問題も無くなるだろう。
充電が出来るのであればな、と清士郎は思った。
ニヒルな笑みを浮かべながら、清士郎は根本的な問題を告げる。
「USBポートは付いてるけど、充電するためのケーブルが無いんだ」
淡々とした口調でそう言った後、付け足すようにして聞いた。
「誰か持ってきてる人いる?」
一瞬、レモンとリナは静まり返る。
そしてそれぞれ答えた。
「アチシは持って来てないデスね」
「アタシもだ」
「そっか」
充電用のケーブルを持ってきているか、持ってきていないかだけの話。
怒るような話でも、ガッカリするような話でも無い。
ハンドルを軽く右に取りながら、清士郎は乾いた笑いを浮かべて言った。
「そうだよな」
しばらく口を閉ざした後。
今のやり取りが何故か笑いのツボに入ったのか、清士郎はこらえ切れないように吹き出す。
それに釣られるようにしてレモンとリナも小さく笑い声を上げる。そして皆で一斉に笑った。ヤケクソだった。
結局、清士郎は自分のスマホをレモンに渡して道案内してもらう事にした。
ジャンクションで別の高速道路に乗り換えたり、サービスエリアで休憩を取ったりしながら走り続ける。
やがて清士郎が運転する車は高速道路から降り、一般道に出た。
そこからコンビニに行ってスマホの充電用ケーブルを購入。ついでに清士郎はミケイに運転を交代してもらった。
その際にレモンはスマホの充電がしやすい助手席に移動。リナ以外は座席を入れ替えての旅が続いた。
その後は何事もなく順調に進む。ただし片桐リナの故郷の近くに着く頃には、既に夕暮れになっていた。
適当に入った店で夕食を取った後、レモンが予約を入れたビジネスホテルに向かう。
しかしそこでも問題が発生した。
レモンは二人部屋を二部屋で予約していたのだ。
清士郎は思う。男一人に女三人で、どういう組み合わせで泊まるつもりだったのか。
謝られたところで今さらどうにもならない。
しおらしくスミマセンと言うレモンが、パイセンはアチシと同じ部屋に、と言いかけたので軽くチョップして黙らせる。
そして清士郎、怒りの車中泊である。そんな夜を乗り越えて朝がやってきた。
朝からは再び清士郎が運転を担当する。
清士郎はカーブの多い海岸沿いの道を運転し、もう目と鼻の先になったリナの故郷を目指す。
片桐リナの故郷は海辺の町のようだった。
ただし、途中からは山の中に通された道になるらしい。
リナに案内されるままに運転する清士郎。
やがて地元の人しか分からないような道へと突き進んで行く。
すると、どんどん道が狭くなっていくのが分かった。
対向車とすれ違い出来ないくらいの狭さに恐怖を感じ、清士郎は思わずリナに問いかける。
「片桐ィ、ここって車で通っても大丈夫な道なの?」
「ヘーキだよ」
まあ小さめの車じゃないとキツイけどな、と告げるリナ。
清士郎は、この旅に軽自動車で来て良かったと初めて感じていた。
畑地帯を抜けて海に面した道に出る。そこからはなんと、岩山を削って出来た細い道で、道なのか道のように見えるナニカなのか、よく分からない状態だ。
清士郎は「海が綺麗だなー」と現実逃避しながら、ちょっとでもハンドルがヨレたら岩肌に削られるか海に落ちるかの二択という、かつて無いスリリングなドライブを続ける。
「それで、寄りたい場所ってどこなんだ?」
そろそろ到着しそうだと感じた清士郎がリナに問いかけた。
リナは「すぐそこだ」と言い、小さな港の近くにある駐車場に車を止めさせる。
どうやらここに車を置いて歩くらしい。
そこからは港近くの集落内の道を歩き、途中からは岩山の側面に付けられた石段を上っていく。
進むにつれ、口数が少なくなっていくリナ。その後を追う清士郎たち三人。
そもそもコイツはどこに向かおうとしているんだと清士郎は思う。
なんか俺たち、民家から離れてどんどん山の上に登ってるんだけど。
清士郎は潮風に吹かれながら、眼下に広がる静かな住宅街を見下ろした。
この家のどれかが片桐の家なのかと聞くと、リナは、ここじゃ無いと答えた。
どうやら、この辺りはリナの実家がある地区とは少し違う場所らしい。
じゃあ一体ここはどこなんだと思う清士郎。
その答えを聞くには、リナのまとう空気がシリアス過ぎた。
やがて、少し開けた場所に出る。
そこには特別に整備された場所があって、何かの目印のように小さな木が植えられていた。
リナは背負ったカバンから花束を取り出す。
取り出された白い花々が、リナのしなやかな手に握られ、儚げに風に揺れていた。
「ちょっとばかし、花を添えたくなってな」
風がさわさわと流れている。
ここって墓なのかと清士郎が質問する。
ここは別に墓じゃないんだ、とリナは呟く。
「変わり者のジイさんでな。手を合わせるなら墓じゃなくて、ここに来いって言い残したんだよ」
この場所はジイさんの一族の土地らしい、とリナは語る。
リナはここでよく木刀の素振りなどをさせられた。
それは、グレていたリナを更生させるための事だったのか、あるいは単にジイさんの趣味が素振りだったのか、今となっては分からない。
本当に変わり者のジイさんだったとリナは思い返していた。
どれくらい変わっていたかと言えば、釣り針を付けずに釣りをしていたこともあった。
なんでそんな事をするのかとリナが問えば、古代史の有名人の真似をしたのだと言う。
リナは、そんなんじゃ何も釣れないと指摘する。
するとジイさんは、いやいや、お主の興味を釣れたじゃろと嬉しそうに言った。
よく笑うジイさんだったとリナは思い出す。
そうかと思えば、海を眺めながら押し黙ることもあった。
澄んだ渓流によく似た色の瞳。
それは岩肌に生えるコケや水草などの生命を取り巻き、青く透明に佇んでいる。
ある冬の日のことだった。調子を崩したジイさんは、心配するリナに対し、自分はもう長くは無いだろうと告げる。
そしてワシの事は忘れろと言った。誰もが行くべき場所に行くだけだから、気にする必要は無いと言って。
その時に自分がどんな表情をしていたのか、リナには分からない。
憶えているのは、その後にジイさんが困ったような顔で笑いかけてくれた事だけだ。
そしてジイさんは、暇な時にあの場所でワシの事を思い出してくれれば良いと言った。
そんな話を、リナは清士郎たち三人に対して聞かせる。
それが今日ここにリナが来た理由だったからだ。
リナからの話を聞き終えた後、まず最初にミケイが口を開いた。
「忘れて欲しいという言葉にも正しさがあると、私は思う」
ミケイは、誰もが行くべき所に行くだけという部分を意識しながら言う。
冬には枯れ、春には咲く。生まれてきては、やがて土に還っていく。
そういうサイクルはあるのだし、悲しんだところで、どうしようも無いだろう。
自分たちに出来るのは何か。それを意識しながら、ミケイは言葉を続けた。
「この世には変えられない事もある」
憶え続けることと、忘れ去ること。
どちらを選んでみた所で、変えられない事は変えられないのだと語った。
そして、ミケイは彼女なりの結論をリナに告げる。
「だからもっと前向きに生きて欲しい。そういう意味だと、私は受け取った」
願っても叶わない事がある。
それを知るために人は旅をして、学んでいくのだろう。
流されるままに生きる清士郎だったが、だからこそ流れに逆らう事に憧れていた。
そんな気持ちから提案する。
「ジイさんが忘れろって言うんなら、逆に憶え続けようとするのも良いんじゃないか?」
舌を出しながら、毎年ここに来て手を合わせれば良い。
何かの考え方に縛られない事が大事なんだと清士郎は語る。
最後にレモンが、ミケイと清士郎の意見を取りもつようにして言った。
「まあまあ。リナちゃんのおジイちゃんも、たまには思い出してくれって言ってるわけデスし。たまに思い出すって事で良いんじゃないデスか?」
アタシのジイさんってわけでは無いんだけどなとリナは思う。
ただ、それを説明するとややこしくなりそうなので、レモンの言葉を訂正しないでおく。
それから四人はリナに促されるまま、その場を立ち去った。
そして近くにある有名な神社仏閣を観光する。そこで昼食を取った後には帰宅を始めた。
休日は今日で終わりなのだ。
さっさと帰らないと、明日から始まる講義に出席できない。
こうしてリナの旅は終わりを迎える。
短い休みを突貫するようにして行われたそれは、慌ただしいものだった。
リナは車の後部座席に座り、窓の外を流れる景色を眺めている。
旅の終わりというのは妙に切なくなるものだと思いながら。
あるいはこれから先も旅は続いていくのだろう。そう、リナは思った。
生きている限り人は歩き続ける。そして学んでいく。
「イッチー! ウィンカーはミギだ右ィ! ワイパーが動いてるって!」
「似たようなカタチをしてるのが悪い」
「ひぃぃ!!」
旅は続いていくのだろう。無事に帰れれば、おそらく。
ミケイの不慣れな運転に対してギャーギャー騒ぐレモンたち。
そんな三人を見てリナはニヤリと微笑む。
少なくとも退屈な旅では無かったぜ、ジイさん。心の中でそう思った。
騒がしくてスリリングなドライブだ。
それなのにリナは不思議な安心感を感じている。
なんとかなるだろと思い、ふてぶてしく腕を組んだ。
リナはこれから先の未来を考えて、それが妙に楽しくて、やわらかい表情で笑っていた。




