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015 片桐リナの旅 前編




 時は流れていく。

 私たちは結びつき離れ合い、流動していく。

 それは渦を巻く混沌を生成し、いつしか複雑に連鎖して、夜には星座のように輝くだろう。

 そのカタチは未形であり、だからこそ時は元には戻らない。


 記憶とは星と星をつなぎ合わせる事に似ている。

 思い出は、その場その時に違ったカタチで呼び起こされるのだ。

 誰もがそんな風にして生きている。

 それは宇宙の片隅にいる彼女にとっても同様だった。


 片桐リナは大学構内の裏手にあるベンチに腰かけ、風に揺れる木々と、そこにある無数の葉がかすれる音を見つめていた。

 若々しい命に溢れる色。それを眺めていると穏やかな気持ちになれる。

 そして、穏やかな気持ちになってしまった事に切なさを感じていた。

 あの頃の悲しみが上手く思い出せず、風はただ、優しい予感だけをさせる。


(こんなの、オレのやる事じゃねーな)


 リナはそんな事を心の中で思う。

 感傷的な気分でベンチに座り、風と木を眺めるなんて、どうかしている。

 まるで感受性の高い子供にでもなったような気分だった。

 それでも立ち上がる気にはなれず、どうしようもなく、そのまま眺め続けた。


 過去の気持ちに戻れない事に対してリナは寂しさを覚えている。

 ここで感じている寂しさは今のものであり、あの頃に感じたものでは無い。

 感情は時の中にうずもれていくのだろう。

 埋もれていき、見えなくなり、その痕跡だけが静けさの中に残っている。


 埋まってしまった感情を掘りおこそうとするのは、バカげた事にも思えた。

 それはもう、以前とは別のカタチになってしまっているのだから。

 あの日の想いは分解され、粉々に砕かれ、今を生きるためのチカラに変わっていく。

 そんな、とりとめの無い考え。暖かな日差しの中でリナは空想に浸っていた。


 頭の中であれほど痛切にあった想いが、手のひらから零れ落ちていくようだった。

 リナはそのことが酷く寂しい。

 何も返せないまま、慌ただしい日々を理由にして忘れていく自分。

 そんな自分のことが、リナは許せなかった。


「ジイさん……」


 ひとり呟く。

 彼女が初めて尊敬した人物は、もうこの世にはいない。

 あの世に旅立ってしまっていた。

 そしてその思い出も、時の流れの中で手のひらから離れていく。


 ただ忘れないことしか出来ないと思っていた。

 それすらも出来ない事に、リナはぼんやりと気付きつつある。

 何も返せない事が切なかった。

 それでも人は何かを贈りたくて、花を添えるのだろう。


「リナちゃん」


 横から声をかけられ、リナは視線を向ける。

 そこには友人である極楽寺レモンの姿があった。

 よおレモン、とリナは軽く手を挙げて挨拶する。

 容姿も立場も全く似ていない二人。だけどリナは、レモンが自分に似ていると感じていた。


 ふとした瞬間に、レモンは年齢よりもずっと幼く見えることがある。

 それが時に痛く感じられ、そのたびにリナの心はうずいた。

 そこから感じ取れるものが、リナの過去の記憶を呼び起こすからだ。

 ひとりだった時の記憶。リナは、かつて孤独を抱え込んでいた頃の自分を思い起こす。

 

 誰にも理解されなくて、誰のことも理解しようとしなかった。

 何も与えられないから、こちらから与える必要も無い。だからそのように振る舞った。

 そんな態度を取る自分の事が本当は嫌いだった。

 それでも時々は思い出したくなる。


 リナは静かに思う。嫌いだった頃の自分もアタシの一部なんだと。

 あの日の自分を置き去りにしたくはない。ひとりにはしたくなかった。

 リナが感傷的な気分に浸っていると、レモンがそっと隣に座ってくる。

 そして普段通りの、少しだけ寂しさを感じさせる口調で喋り始めた。


「風が気持ち良いデスね」


 リナは感傷モードを切り上げ、いつも通りの自分の口調で返す。


「そうだなー。気温も上がってきて、今がちょうど良いくらいかな」


「もう少ししたら、暑すぎるって騒ぎ出すんスけどね」


「違いない」


 会話を交わす中で緩やかに笑いながら、リナは思う。

 レモンは、今の自分が落ち込んでいる事を察してくれている。

 だけど、そこにはあえて触れないでいてくれるのだ。

 かつてのリナが求め、与えられなかった優しさが、レモンと居る場所にはあった。


 リナは貸し借りのバランスを重視している。だからこそ思う。

 レモンは自分に優しさを分け与えてくれた。なら、隠し事は無しだ。

 リナは心の中でキュッと覚悟を決めた。

 そして、悩みを打ち明けるために、おそるおそる口を開く。


「ちょっとばかし、次の休みにでも地元に帰ろうって考えてるんだ」


「リナちゃんの地元デスか?」


「ああ。少し寄りたい所があってな」


 親とは疎遠になっている事は既に話していた。

 もしかしたら何かを問われるかもしれないとリナは考えていた。

 だけどそこには触れないでレモンは言う。


「でも、リナちゃんの地元はかなり遠かったデスよね?」


 その言葉にリナは頷いた。

 リナの故郷はここからは遠い。

 行くとなれば一泊を考える必要があるだろう。強引に日帰りできなくもないが、余裕がない日程になることが確実だ。

 もっとも、リナにとって本当に余裕が無いのは日程の話ではない。


 リナは全く別の事で悩んでいた。

 それは移動のために必要となる費用についてだ。

 家族とほぼ縁を切っている彼女は、奨学金とバイトと、地元で世話になっていた知り合いからの援助で学生生活を成り立たせていた。

 つまり金銭的に余裕が無い。もちろん車も持って無い。地元周辺の公共交通機関の少なさも問題だった。


「遠いし辺鄙へんぴな所だからさ、どうやって行くかで悩んでるんだ」


 車もバイクも持ってないし、と続けざまに言う。

 車やバイクを買うどころか、日々のやりくりにも苦悩していた。

 電車やタクシーで行くにしても、旅費だってバカにならない。というか普通に払えない。

 そんなリナに対しレモンは、清士郎とのドライブを思い出しながら言った。


「それなら田原パイセンに送ってもらうのはどうデスか?」


 パイセンは車を持ってるんデスよ、と付け足して言う。

 レモンからの提案に対し、リナはまず最初に、


「田原ァ?」


 と疑問を浮かべた。

 やがて、あの男のことかと思い出す。

 田原清士郎。それはレモンの高校時代からの先輩であり、リナに対していきなり勝負を挑んできた男だった。

 正直に言えばリナは、今でも勝負を挑まれた理由を理解できないでいる。


 リナは最初、田原清士郎という男に対して悪いイメージを持っていた。

 レモンに金目当てで近づいている悪い男だと考えていたからだ。

 しかし違った。リナは思う。アイツは何も考えていない。海に漂うクラゲのような生き方をしている男だ。

 そういう意味では気にするほどの相手でもない。気にするのは、クラゲのような生き方を調査する物好きくらいだろう。


 ただし、とリナは思う。清士郎は異様に剣を避けるのが上手い男だった。

 その上、偶然としか思えないが、リナが知っている達人の動きを見せやがったのだ。

 それは気結びの太刀と呼ばれる技。

 リナは清士郎が見せた鮮やかな技の軌跡を思い浮かべる。


 気結びの太刀は、ガムシャラに剣を振るうだけでは到達できない技だ。

 チカラだけでは決して振れないし、才能や研鑽で振るのとも少し違う。

 どちらかと言えば心の領域が必要になる。リナはそのように教えられた。

 そう考えると、清士郎は何も考えていないのではなく、積極的に無念無想に至ろうとしていると捉える事も出来る。そんな事を思いながらリナは言った。


「アタシは田原って人とそんなに親しいワケじゃないし、迷惑かけるんじゃないか?」


「そこはダイジョーブっス」


 自信満々に答えるレモン。

 キョトンとするリナに対し、レモンは堂々と言い放つ。


「なぜならアチシから頼むからデス。田原パイセンにはヤバいくらいの貸しがあるんスよ。だから、ちょっとやそっとの事じゃ迷惑をかけることにならないデス」


 実はレモンは、あえて清士郎に貸しを作るために、差し入れという形で無理矢理オゴり続けてきたと言う。

 以前にもレモンから似たような話を聞いていた事をリナは思い出す。

 本当の値段を教えないままオゴって、価値を見破れるかどうかを確認するとかなんとか。

 リナの感性からすれば悪趣味な話だった。


 色々と言いたい事はあるけど、リナはそれらをグッと飲み込む。

 レモンはこちらの痛みを察してくれている。触れられたく無い部分には触れないでいてくれているのだ。

 だからこっちもそうするべきだろう。

 この前の会話でもそんな結論に達したなぁと思い返しつつ、リナは、とりあえず聞いておくべきことを聞いた。


「ヤバいくらいって、どれくらい?」


「毎日ちょっとずつ積み立てている感じデス」


「貯金箱みてーだな」


 レモンは清士郎を頼ることに遠慮が無い。

 清士郎のことを煽っても、挑発しても問題無いと考えていた。

 その想いには一点の曇りも無い。

 それが許される状況を作るために、レモンは日頃から清士郎に対して、コツコツと課金し続けていた。


 田原清士郎には高級食材と安い食品の味の違いが分からない。

 そういう味覚オンチな点を利用して、レモンは価格を教えないまま、清士郎に対してセレブな食べ物を差し入れしたりしている。

 粒入りの缶ジュースと高級スムージーの違いが分からない清士郎は、与えられたスムージーを飲む。飲む。飲み干してきた。

 まさかそのスムージーが中々のお値段の物だとは夢にも思っていない。


 その事を知っているのはレモンだけだ。

 レモンにとって大事なのは、清士郎に借りを自覚させることでは無かった。

 彼女自身が清士郎に対し、貸しを作っていることを実感できるかどうかが大切なのだ。

 積み重ねてきた差し入れがレモンの自信につながる。生まれた自信がレモンを安心させていた。


 そして、そういう相互関係を土台にすることで、レモンは清士郎に懐いている。

 清士郎が相手なら、どれだけ甘えても気にする必要は無いと考えていた。

 重ねてきたことを考えれば、こっちが少しばかりワガママを言っても許されるはずだ。

 日々の実感が、レモンにそんな考え方を信じさせてくれる。


 しかしリナはそうもいかない。

 なぜなら、清士郎との間に積み重ねた関係性が全く無いからだ。

 それにリナだって世間知らずでは無い。

 男と女が一緒に旅行することに対して、色々と想像してしまう。そこで、


「レモンは貸しを作ってるだろうけど、アタシが貸しを作ってるワケじゃないからなぁ」


 両手を頭の後ろに回しながら否定的な答えを返す。

 それに、と前置きしてから、


「親しくも無い男の車に乗るのって、アレじゃん」


 と呟いた。

 アレってなんデスか、と問いかけてくるレモンに対し、リナは一息に告げる。


「恥ずかしいじゃん」


 頬を赤く染めるリナ。意外と純情な子なのである。

 そういう心の動きには敏感なレモンだった。

 しかし、どうしても一つ理解できない事があって問い返した。


「いやいや、相手は田原パイセンっスよ?」


 レモンが清士郎に対して感じる羞恥心は限りなくゼロに近い。

 そういうレモンの考えには気づかないままリナは言った。


「男だって事には変わりないだろ」


「……?」


 今のレモンの気持ちを例えるなら、甘酒もお酒の内に入るだろ、と言われたような気持ちだ。

 つまり、リナちゃんは気にしすぎじゃないだろうかと感じていた。

 甘酒はきっと許されている。清士郎も同じことなのだ。

 だけどレモンはリナの意見を尊重することにした。そこで、自分が知っている範囲で頼れそうな女性の名前を挙げる。


「じゃあ、ミケイ姉さんとかはどうッスか?」


「あの人か……」


 ミケイの名を挙げられたリナは、浮世離れした女の顔を思い浮かべた。

 市鷹ミケイ。彼女は人類を改造したい側の人間である。

 人体の可能性を知りたがり、そのために竹刀しないを振り続けたと言う危険人物でもあった。

 その結果として謎の攻撃力を誇る小手こての使い手となり、剣道の試合相手の手首を叩き折っている。


 そこまでは知らないリナだったが、既にミケイの事を警戒していた。

 頭の中でヤベー女にカテゴライズしつつあるという事だ。

 リナが思い出すミケイのセリフはヤバかった。

 味方を叩き潰すだの、好きかどうか確かめる為に全力で叩きたいだの、全く理解できない言葉ばかりだ。


 出来ればあまり借りを作りたくない相手だった。

 リナは一心に、レモンからの提案をどう断ろうかと考える。

 しかし、あれも嫌だこれも嫌だと答えるのも気が引ける。

 うーむと唸るリナに対し、レモンが急に別のことを問いかけてきた。


「アチシは車の免許を持って無いんデスよ。リナちゃんはどうッスか?」


「免許? アタシも持ってない」


「さすがにミケイ姉さんにだけ運転させるのは心がシンドイっス」


「言われてみれば、確かにそうだな……」


 長距離の移動の場合、普通は交代しながら運転するのが礼儀だろう。

 そこで、ふと疑問に思ったリナはレモンに聞いた。


「田原って男になら、ずっと一人で運転させても大丈夫なのか?」


「田原パイセンなら雑に扱ってもヘーキっス」


「まあ、それもそうか」


 後輩から雑に扱われる男、田原清士郎。

 しょせんはクラゲのように流されて生きる男である。自業自得と言えた。

 そしてそんな話の流れの中で、当然のことのようにレモンから雑に呼び出される清士郎。

 駆けつけ一杯みたいなノリで、レモンはリナの故郷への旅を清士郎に提案する。すると清士郎は意外にも、


「えっ」


 と言って驚きながら固まっていた。

 その場の状況に流され続ける男が流れに逆らったのである。

 レモンは思わず真顔になって言った。


「どうしたんスか?」


 急に真面目になって、と言いかけて止める。

 清士郎は決まりが悪そうな顔で、


「いやあ……」


 と呟く。先日のレモンとのドライブの際、清士郎は反省していたのだ。

 レモンとの仲の良さに甘えて、お互いの距離感を間違えていやしなかっただろうかと。

 今回は片桐も付いてくるようだが、それが何だと言うのか。

 むしろ、より危機感の薄い露出多めの恰好で来るかもしれない。その事を清士郎は恐れていた。


 清士郎は思う。レモンはきっと距離感の取り方が下手なのだと。

 これが最短だと思いますのルートで、ルールを無視して突き進むさまは恐怖を感じる。

 そんなレモンが提案してきた一泊付きの旅行は罠としか思えなかった。

 絶対に後で距離感にまつわるトラブルが起きる。そんな予感が清士郎の心に渦を巻いていた。


 もちろんレモンには悪意が無いだろう。

 しかし、悪意があるか無いかと、それが人生における罠かどうかは別問題だ。

 悪意もなく男を罠にハメてくる女、極楽寺レモン。

 その罠を見破るのが俺の仕事だと、後輩から雑に扱われる男、清士郎は意気込んでいた。


 もっとも、清士郎は既にドップリと罠にハメられている。

 悲しいけど彼は、その事には全く気づいていない。

 勝負は試合前から始まっているのだ。

 迂闊うかつな男、清士郎は、とりあえず旅行に参加するメンバーのバランスを取ろうと考えた。


「メンバー構成のバランスが悪いなぁ。他に呼ぶとしたら誰になる?」


「ミケイ姉さんデス」


「イッチーかぁ……」


 女三人に男一人。いつもの清士郎だったら何とも思わなかっただろうが、どうしてだろうか、ハーレム状態という単語が頭に浮かんでくる。

 自意識過剰にも思えたが、清士郎は慌てて考え直した。

 この場合、レモン達が清士郎の事をどう思っているのかは問題ではない。

 問題は、男一人に女三人の一泊旅行を、周りの人間がどう判断するかだ。


「ミケイ姉さんだと何か問題あるっスか?」


 不思議そうな顔で問いただしてくるレモンに、清士郎は視線を合わせる。

 そして、別にイッチーがどうのこうのじゃなくて、と前置きしてから言った。


「そのメンバーだと、なんか女子会みたいじゃないか?」


「特に女子限定ってワケじゃないっスけど……」


「そうは言っても宿泊もあるわけだし、男の俺が入るのって世間体がマズイ気がする」


 自分たちが何も思っていなかったとしても、周りはそう考えないかもしれない。

 そうなるとレモン達に迷惑をかける事になるだろう。

 そんなような事を清士郎は説明する。

 レモンは納得すると共に、驚いた。驚きのあまり思った事をそのまま口にした。


「パイセンって、ちゃんとアチシ達の立場を気にする人だったんデスね」


「……俺だって考えて行動してるよ」


 俺は気遣いの人だぞと強調する清士郎。

 それに対しレモンは、フフッと軽く笑った。


「おっ、なんだなんだ?」


 レモンに鼻で笑われてしまった清士郎は、思わず迫真の表情で聞き返してしまう。

 そんな清士郎に対しレモンは、真摯な表情で口を開いた。


「煽ってるワケじゃないデスよ」


 ただ、と前置きしてから、


「パイセンには似合わないセリフだと思ったっス」


 と続けて言った。とても真っすぐな瞳だった。

 純粋な感情を向けられた清士郎は、ひとり思う。

 せめて、真っすぐじゃない瞳であって欲しかったと。

 レモンに悪意が無いことを見て取った清士郎は、そのことで逆に現実を突きつけられていた。


 何の悪意も持っていない人から、あなたには気遣いするような行動が似合わないって言われてしまったのだ。

 清士郎は無念だった。無念の中で認めざるを得なかった。

 それはもう、俺の在り方に対する答えって事になるじゃん、と。ほぼほぼ正解になっちゃうじゃん、と。

 気遣い紳士を目指していたというのに、俺の誠意は一体どこに持って行けば良いんだ。


 周りに対して気遣い出来る人に成りたかったあの頃の気持ち。

 それが似合わないと指摘された現在の心境。気持ちの温度差で風邪をひきそうだ。

 ゴッちゃんの真っすぐな言葉がストレートなので痛い。

 そう思う反面、高校時代に比べると発言に遠慮が無くなっていくレモンに対し、清士郎は誇らしさのようなものも感じていた。


「言うようになったじゃないか」


 生意気になってきたなと、少し嬉しそうに語った清士郎。

 そんな清士郎とレモンのやり取りをリナは不思議そうに眺めていた。

 清士郎としては、片桐リナの里帰りを手伝うのは問題ない。

 ただし、もっとこう皆でワチャワチャという感じに持っていきたかった。


 そこで、誰とでも合わせられる男、安原を呼ぶことを思いつく。

 安原は清士郎が知る中では最も紳士な男だった。

 そこそこモテるらしいが浮いた話が無い。それでいて清潔感があり、髪型はいつもキッチリ整えられている。

 まるで無香料の柔軟剤のような男だと清士郎は考えていた。


「男が入っても問題ないってことなら、ヤッさんにも声をかけて良い?」


 清士郎の言葉を受け、レモンはリナに確認を取る。

 リナは特に問題ないと答え、レモンは清士郎の方を向いて大丈夫だと言った。

 その答えを聞いた清士郎は自分のスマホを取り出しながら言う。


「それなら今からヤッさんに連絡入れてみるわ」


「じゃあアチシはミケイ姉さんに連絡入れるっス」


 いそいそとスマホを取り出すレモンを見つめながら、イッチーは電話に出ないと思うけどなぁと考える清士郎。

 なにせミケイは機械オンチな上に、携帯電話を携帯しないという悪癖を持っている。

 まあ、イッチーの事はゴッちゃんに任せよう。

 そう考えた清士郎は安原に連絡を取り始める。


 先日に再会して以来、清士郎は地味に安原とメッセージのやり取りを復活させていた。

 今回の話をどう切り出そうかと清士郎は考える。

 結局、旅行に行かないか、と短いメッセージを書いて送信した。

 メッセージを送り終えた後、清士郎はレモンに確認を取る。


「ゴッちゃん、イッチーは電話に出た?」


「まだ呼び出し音がテンコール目っス。勝負はこれからっスよ」


「それ、絶対に出ないヤツだと思うよ」


 そんなやり取りをしている内に、清士郎のスマホから着信音が鳴る。

 どうやら安原からの返信が来たようだった。


「おっ、返事がきてるじゃーん」


 レモンに聞こえるように言いながら、安原からの返信に目を通す清士郎。

 そこには参加するメンバーを問う言葉があった。

 メンバーねえ。果たしてミケイは来るのか来ないのか。

 それを確認するため、清士郎はレモンに向かって問いかけた。


「ゴッちゃん、そっちはどんな感じ?」


「もう何回目のコールか分からないっス。つながらないデス」


 レモンは乾いた声で言った。

 そして乾いた瞳を虚空に向けながら言う。


「呼び出し音だけ聞いてると心が寂しいっス。なんでデスかね?」


「ダメそうだな」


 ミケイの参加はダメそうだし、レモンの心のダメージもダメそうだった。

 清士郎はミケイは参加しないと判断し、自分とレモンと片桐リナをメンバーとして安原にメッセージを送った。

 そして、しばし待つ。

 やがて安原からメッセージが返って来た。そこには、こう書かれていた。


『後輩、ダブルデート、一泊旅行……何も起こらないはずもなく』


 そしてついでのように、


『今回はパスで』


 参加を拒否するメッセージが送られてくる。

 メッセージには汗を流す絵文字が付けられていた。

 清士郎は思う。文章だけなら耐えられた。

 絵文字があるから耐えられなかった。そして清士郎は吼える。


「何も起こらないはずもなくって、何のことか言ってみろよ安原ァ!」


 愛称で呼ぶことも忘れて安原の名を叫ぶ。

 むしろ何かを起こしてみせろよ安原と、続けざまに雄たけびを上げた。

 その剣幕に驚いたレモンが、ビビりながら清士郎に問いかけた。


「ど、どうしたんスかパイセン?」


 大声を出すとカロリーを消費する。

 熱量を放出したことで冷静さを取り戻した清士郎は、心を鎮めながら答えた。


「ヤッさんは来ないってさ」


 まあ、来たら来たで、先輩と後輩のダブルデートみたいな変な形になっていたかもしれない。

 ヤケッパチの気持ちでそんな事を考えた。

 そうやって自分を納得させようとする清士郎に対し、レモンがおずおず告げる。


「こっちはミケイ姉さんにようやくつながったっス。オーケーみたいデスよ」


「ウッソだろ。マジで?」


 粘ってみるもんだなと、何気なく呟いた清士郎だったが、自分が求めた状況が何一つ達成されていない事にも気付く。

 しばらく考えた後、まあ何とかなるかと清士郎は考えた。

 こうして片桐リナの過去にまつわる旅が始まろうとしていた。





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