014 キリンによるナンカスゴイ話
なんとなくやり過ごしてきたけど、妖精とはどういう存在なんだろうか。
田原清士郎は今になってようやく、そのことに疑問を持ち始めていた。
今かよって感じだが今なのだ。
それが田原清士郎という男の偽らざる生き方である。
そして、妖精について調べる事を後輩に任せようと考えていた。
なぜなら清士郎自身は妖精についてあんまり興味が無かったからである。
就活の時に有利になるわけでもないしと、かなり投げやりな態度だ。
しかし問題があった。その一つが、妖精を見るためのアプリでは妖精の声が聞こえないという事だ。
これをどうにか解決しなければ、ゴッちゃんだって調査のやりようが無いだろう。
そう思いつつも、清士郎自身の能力で解決する気は最初から無かった。
そんな能力は無いからだ。
無い袖は振れない。だからと言って、ナンカスゴイ能力に目覚めるという確率も低いだろう。
自分には能力が足り無いという事を清士郎は自覚していた。
だから、能力がある人を頼ればいいじゃないか。
それが田原清士郎という男の考え方である。
今日も今日とて、清士郎は他人のチカラを当てにしていた。
「キリンのオッサン、いるかー?」
午後の早い時間帯に通路に立ち、玄関の前で呼びかける。
そう、清士郎は同じアパートの住人の一人である、キリンと名乗るオッサンの手を借りようとしていた。
前回は初手で居留守を使われたから今回もそうなるかもしれない。
そんな事を清士郎が考えていると、意外にすんなりと玄関のドアが開く。そして部屋の住人であるキリンが、
「家賃を払って欲しいかァ?」
得体の知れない圧力を両目に込めながら言ってきた。
その言葉は何かに裏打ちされた自負を感じさせる。
恐らくは金だろう。金のチカラだ。
家賃を払える程度に収入を得たであろうキリンは、堂々とした声で言い放った。
「家賃が払って欲しいなら、くれてやるね……!」
どうやら収入を手にした事で暴走しているらしい。
こんなテンションのキリンに対して自分はどう接するべきだろうか。
考えてみてもよく分からなかった。
深く考えるのが面倒になってきて、清士郎は単純な事実を口にした。
「珍しく金があるんですね」
「ちょいと一山当てたよ!」
元気よく答えるキリン。
その元気さをスルーしながら、清士郎は左腕に下げていた袋を掲げる。
そこにはキリンへの土産として持ってきた酒とビールとツマミがあった。
するとキリンは、苦楽を分かち合った盟友へ見せる態度のように、すんなりと清士郎を室内へ招き入れた。チカラを取り戻した事で自信も取り戻しているのかもしれない。
キリンの部屋の中は小奇麗な部分と乱雑な場所で分かれている。
そのどちらでも無いのがパソコン機器の周辺だ。
整理はされているけど、物が多すぎてゴチャゴチャしているのだ。
そして、なぜモニターが三台も設置されているのか清士郎には理解できなかった。
トリプルモニター。清士郎が知らないだけで、モニターにはそういう使い方もあるのだ。
とりあえず清士郎は持ってきた酒やツマミを、リビングの中央にある座卓の上に置く。
部屋を飾る、どこか中国風の木工細工や衝立を見るともなく眺めた後、キリンと対面になる位置に座った。
そして前振りも何もしないまま、妖精が見えるアプリの事を話題に出す。
「あのさ、まず最初に聞きたい事があるんだけどさ」
「なにか?」
「現世虚構ってアプリのこと知ってる?」
妖精が見えるとかいうヤツなんだけどさぁ、と言葉を続ける清士郎。
対するキリンは、妙にソワソワとした仕草を取り始めた。
「知らんね」
「……?」
「全く、ワタシと何の関りも無いね。これっぽっちも、無いね」
なんだ?
このオッサンは何を隠しているんだ?
疑う清士郎の前で、キリンはやる事があるぜアピールをするかのように、わざとらしく手で顔を扇ぎ始めた。
そうかと思うと、いきなりビールの缶を手に取り、勢いよく開け、グビグビと飲んでから言う。
「あっつ、暑くないかね今日。地球がおかしくなってるだろ」
「確かに少し暑いとは思うけど……」
夏に向けて気温が高くなってきている気はする。
それとは別に、本当に地球全体の気候がおかしくなっている可能性もあった。
それは長期間の適切な観測を続けなければ判断できない事だろう。
つまり素人の学生に判断できる事では無い。そんな事を思いながら清士郎は言った。
「まあいいや。とにかく、こいつを改良できない?」
そう告げながら、アプリの紹介ページを開いた状態で自分のスマホを手渡そうとする。
キリンへの説明用に現世虚構アプリのページを表示しておいたのだ。
受け取るのが嫌そうな態度のキリンに対し、無理矢理にスマホを持たせる。
そうした後、清士郎は説明を始めた。
「妖精を画面に映し出すアプリらしいんだけど、音声が拾えなくて困ってるんスよ。ちょっと調べてみたけど音声機能が元から無いっぽくて」
なんとかならないか。
そんな清士郎の言葉を受けたキリンは、凄く嫌そうな表情で言った。
「なんとかしろって、どういうことね。アプリを改良しろって事か?」
イエースと答える清士郎。
それに対し、キリンはトゲトゲしい言葉を返す。
「前々から思ってたけど、お前、プログラミングを何だと思ってる?」
「ナンカスゴイ技術」
「ああ、そうか……。そうだろナ……」
ガックリとチカラ尽きたような態度でキリンは答えた。
そして何かを飲み込むような顔をして、ついでにビールを一口飲み下した後に、淡々とした声で言う。
「元になってるコードも分からないのに改良もクソもないね。それにアプリのコードは企業秘密よ。仮にコードが分かったとしても、勝手にイジるのは良くないね」
「表計算ソフトとかでやらないっスか?」
人が作ったプログラムをイジった記憶があるスけど、と続けざまに言う清士郎。
彼が言っているのは関数計算の話だったが、そこまではキリンには分からなかった。
マクロか何かの話だろうかと思いつつ、キリンは言う。
「そういうのはプログラムを組んだ人が善意で公開しているだけね。まあ、そういう意味では、オープンソースコードなら話は変わるよ」
ふんふんと返事をする清士郎だが、実はキリンの言っている事を半分も理解していない。
清士郎にとっては妖精の声が聞こえるアプリがあればそれで良いのであって、それ以外の知識には興味が無かった。
できるんでしょ。やってよ。
そういう態度が見え隠れするデジタルよわよわ系の清士郎に対し、キリンは頭を痛めつつ言葉を続ける。
「コードを改造しようと思ったら、まずはオープンソースじゃないと話にならないね。オープンソース以外だと勝手にイジれない。分かったか?」
当たり前の話だけど、と告げるキリン。
それに対して清士郎はあっさりと言い放った。
「それならオッサンが一から作ればいいんじゃないか?」
「お前、簡単に言うね!?」
清士郎の発言に驚いたのかキリンは叫んだ。
しかしその後は、意外にも冷静な態度に戻っている。
まあ、と前置きしてからキリンは話の続きを言った。
「世の中にはプログラマー同士のネットワークもあるよ。そこで探せば、小僧が求めているのと似たようなプログラムが見つかるかもしれんね」
仕事じゃなく、趣味で一人でプログラムを組んでるようなヤツもいるとキリンは語る。
そこに職人のプライドのようなものを感じた清士郎は、キリンを褒める事にした。
「さっすがキリンさん、精通してんすね~」
褒められて嬉しいのか、キリンは饒舌な口調で答える。
「プログラマーには変なヤツらも多くて、そいつらに仕事を手伝ってもらった事もあったよ。顔は知らないけど良いヤツらだったね」
「どんな人だったんですか?」
「七姉妹とか名乗っていたよ。気合の入った変人だと思うね」
懐かしむように語るキリンに対し、清士郎はキョトンとした顔を返していた。
プログラミングの仕事と変人の話がつながらなかったからだ。なので、
「変人なんスか」
と聞いてみると、
「変人ね」
キリンはあっさりと断言する。
清士郎はさらに詳しく聞くことにした。
「どういう部分が変人だったんスか?」
「別に何がどうってワケじゃないけど、変人なのは確定ね」
「確定なんスか」
やはり話しのつながりが分からない清士郎。
そんな清士郎に対し、キリンは独自の理論を語り出した。
「その分野に長じているヤツは、どいつもこいつも変人ね。才能を持つ者は誰しもが変な人だとワタシは思うよ」
その意見はどうかと思う。
どうかと思う清士郎だったが、理解できてしまう部分もあった。
「偉人は変わり者ぞろいって言いますね」
清士郎がそう答えると、キリンは大きく頷いてみせる。
すでに酔っぱらってきているのか、いきなり政治のことを語りを始めた。
「世の中にロクな政治家がいないように思えるのは、変人に投票する人が少ないからよ。政治の才能がある人間が選ばれない仕組みになっているね。そして政治家の方も、変人に見られないように振る舞おうとするから、持っていた才能を失っていくんだと思うよ」
能力がある人間は小汚くて不愛想な人間だと相場が決まっている、と力説する。
だけど、多くの人が立派そうに見える政治家に票を入れたがるだろ、とキリンは語った。
清士郎はしばし考えた後、思うままに答えた。
「まあ、国の未来を託すワケですし。どうせなら見栄えが良い人を選びたくないですか?」
そんな清士郎の意見に対し、キリンは真っ向から反論する。
「人間なんてモンは、どいつもこいつも、お行儀が良い生き物じゃないね。それなのに、お行儀が良さそうなやつを連れて来て、集めて、一体何を決めさせるか?」
キリンは、無精ヒゲを剃り残した顔で世の中を嘆く。
身だしなみを整えない生活スタイル。それを肯定するかのように言葉を続けた。
「守れもしない規則、見栄えがするだけのガラクタルールが出来るだけだと思うよ。これが民主主義の限界ね」
清士郎はキリンの言葉を咀嚼して考えてみた。
人々は理想を求めるあまり、見た目や上辺だけで政治家を選んでしまい、政策や情理に精通した変人は選びたがらないと言うのか。
外れて欲しい意見だけど、妙に当たっている気がしてならない。
立派そうな人物に憧れる反面、能力が高い人は見栄えが悪い事が多いというのが清士郎の考え方だった。
研究者は身だしなみを整えない事がある。なぜなら、他人に興味が無いからだ。
周りと関わろうとせず、常に己の世界に没頭し、ああだこうだと呟きながら考察と発見に余念が無い。
だけど、そういう人々の方が凄く効果的な政策を編み出せそうではある。
うーむと唸っている清士郎に対し、キリンは別の話題を展開してきた。
「限界と言えば、中々に面白いことを考えた変わり者の物理学者がいたよ」
かなり昔の時代の話だけどナ、と語るキリン。
そんなキリンに対し清士郎は問い返した。
「面白いこと?」
「高次元の認識にまつわる話よ。物理学的には、三次元を超えた世界がほぼ確実にあると予測されているね。それなのに何故、人間にそれが認識できないままなのか」
考えてみれば不思議な話だろ、とキリンは言う。
そして、とある物理学者の発想を、まるで宝物でも見せるように披露した。
「その物理学者は、人間が三次元までしか把握できないのは、それが人間の感覚器官の限界だからというアイデアを持ったね。逆に言えば、人間は感覚器官の限界に従ったカタチで世界を認識しているという話になるヨ」
キリンは時々、オカルトと物理学を混ぜ合わせたような話をすることがあった。
中々に興味深いので清士郎は真面目に聞くことにしている。
キリンはニヤリと笑いながら、つまんだピーナッツを齧った後に続きを語り出した。
「この考えで行くと、ヒトが三次元以上の高次元を理解するためには、感覚器の能力を上げる必要があるという結論に達するね。あるいは新たな感覚器を得るとか……」
「第三の目とか?」
「そうそう。それに、チャクラとか内気功とか言って、普段は感じ取れないものを感じ取ろうとするね。そのために意識を変性させるという発想に至るワケ」
そこまで語り終えると、キリンはビールをゴクゴクと飲んだ。
そして赤ら顔になりながら、ここからが面白い所だと言わんばかり語気を強める。
「でも、わざわざ意識を変性させなくても、特異的な見え方をするモノはあるね」
それは一体なんだろうと思う清士郎。
上機嫌なキリンは、続きを語りたくて仕方ないのか、いそいそとした態度で口を開いた。
「例えば騙し絵というのがあるだろ。あれは人間の目には穴に見えたり浮き上がって見えたり、まるで立体や空間のように見えるけど、実際はただの二次元的な絵よ」
なるほどと清士郎は思う。
そして騙し絵について思い出したエピソードを口にした。
「あれって猫も騙されるみたいっスよ。動画でそういうのあるんですよ」
清士郎の話に対し、うむうむと頷いた後、キリンは饒舌に語る。
「騙し絵というのは、脳の演算にエラーを起こすようなデータに位置づけられると思うよ。もっと深掘りして言えば、人間は視覚から得られた二次元的なデータを、脳の機能で三次元的なデータに自動変換してしまっているワケね。そこで錯誤が生まれる余地があるというのが、騙し絵の根底にある理屈だと思うね」
だから三次元でないモノでも三次元に見えてしまうのだとキリンは言った。
では、と前置きしつつ、キリンは次の話に移る。
「騙し絵で感じる立体感と、ワタシ達が認識している三次元空間の立体の違いって何だと思うか?」
少し考えてから清士郎は答えた。
「実体があるか無いかですか?」
キリンは新たなピーナッツの粒を指で回しながら問う。
「では、小僧の言う所の実体とは何かね?」
ピーナッツの粒を指で弾き、それを器用に口でキャッチするキリン。
ポリポリと音を立てて齧った後、続きを語った。
「騙し絵を見破るために、ワタシ達は色んな角度から対象を眺める必要があるだろ。でも騙し絵の技術レベルが上がれば上がるほど、きっとそのやり方は通用しなくなるね」
「見た目だけでは実体かどうかの判断が出来なくなる……?」
清士郎の返答を聞いたキリンは、上機嫌なまま説明を続けた。
「いずれきっと、ワタシ達は視覚だけじゃ騙し絵と実体の違いを見破れなくなって行くね。だから次は聴覚とか触覚なんかを組み合わせて確かめるだろ。でも、聴覚とか触覚も、視覚と同じように錯覚を起こす余地があるんじゃないか?」
つまりキリンが言いたい事は、視覚以外の感覚も当てにはならないという事だろう。
それを踏まえて清士郎は言った。
「俺たちが現実だと感じてるものが、実は仮初のモノかもしれないって事っスか?」
その問いかけに対し、キリンは、それは分からないと返す。
そして実に楽しそうに語り続けた。
「この問いかけの面白い所は、実体が実在するかどうかは論点じゃない所ね。ここで話題になっているのは、人間が行ってる認識それ自体の問題点よ。認識の仕組みに関する考察が問題点になっているワケね」
ビールをグビリと飲みながら、キリンは言った。
「ヒトの認識というモノが、感覚器官から入力されたデータを脳が別のカタチに置き換えることだとすれば、置き換えられる時に零れ落ちるデータもあると思わないか?」
その言葉から思いついた事があって、清士郎は口を開く。
「もしかして、零れ落ちたデータが妖精なんスかね?」
「うーん、どうだろな」
脳科学の研究での結論は違うような気がするとキリンは言った。
まあ、うろ覚えだからハッキリとした事は分からないと言いつつ、キリンは別のアイデアを提示し始めた。
「見えないモノには他の考え方も出来るよ。小僧、拡張現実って技術は知ってるか?」
AR技術とも呼ばれるヤツね、とキリンは言う。
清士郎も名前くらいは聞いた事があったので、そのように答えた。
「知ってはいますよ」
詳しくは無いですけどと、清士郎は付け足すように言う。
キリンは、右手に持ったビールの缶を揺らすと、それを座卓の上に置いた。
揺らすことでビールの残りの量を確認していたのかもしれない。
そんな事を思っている清士郎に対し、キリンは語る。
「アレは、現実の風景の上に機械で再現された映像を重ねているだろ。そんでもって、機械で再現される映像は機械言語で構築されていると言えるね。つまり機械言語を認識できなければ拡張された現実を見ることは出来ないよ」
ふむふむと頷きつつ、清士郎は既に話についていけていなかった。
とりあえず聞いておくだけ聞いておこうと、したり顔でキリンの話に耳を傾ける。
「具体的に言えば、ヒトは何らかのデバイス越しでなければ拡張された現実を見る事が出来ないね。なぜなら、人間の脳は機械言語を映像に変換するような機能を持ってないからよ。その代わりに、ヒトに装着されたデバイスが、機械言語の世界を人間が認識できるカタチに変換してるね」
清士郎のキリッとした顔を見たキリンは、顎に手を当てながら言った。
「回りくどい言い方だったか?」
そして右手で持ったビールの缶で、座卓の上をコツコツと叩く。
そうして考えた後、ふと何かを思いついたのか、キリンはさっきとは違った内容の説明を口にする。
「大雑把に言えば、他国の言語を母国語の中に取り込むことに似ているね。小僧だって、日常会話の中に英語を混ぜて喋ったりするだろ」
ドアをオープンするとか、思い出をシェアするとか。
幾つか例を挙げた後にキリンは言う。
「異なった種類の言語を重ね合せることで、それまでとは異なる概念の世界が生成されるね。それと同じことよ。この場合、日本語と英語の両方を理解していないと、発言の意味が理解できないだろ?」
そういうのだったら、と前置きしてから清士郎は言った。
「アグリーするとかコミットするってやり取りがあるじゃないですか。あれの意味がよく分かんないっス」
「そうそう、つまり意味を理解しようとすれば、認識できない部分の翻訳が必要という事ね。映像の場合も似たようなモノよ。拡張現実で言えば、機械言語を翻訳してくれるデバイスが無いと、風景に追加されているハズの部分が見えないというお話になるね」
「うーん」
分かると言えば分かるし、分からないと言えば分からない話だった。
清士郎が理解できないことは折り込み済みだったのか、キリンは特に気にした様子もなく言葉を続ける。
「ワタシはこの考え方を、ワタシの趣味を考えていた時に思いついたね。ワタシがグッと来る組み合わせは、他の人にはそうでも無い時があるよ」
「そうなんすか」
キリンの趣味とは、大人のお姉さんがミスマッチな服装をすることだろう。
興味が無いのでそこは受け流しておく清士郎。
そして思う。もうすぐ夏だな、と。
暑い暑い夏が、そこまで近づいて来ていた。




