T-06 封印悪鬼
時は1575年!
庶民も帯刀が許されている時代!
私こそ茶々は、鬼を封じる一族に生まれ、父様から術式を習っていた!
私の父様はすごい!
それはもうすごい!
人の邪気を増幅させ暴徒化させる鬼をシュンパシュンパとなぎ祓い、なんと通常の半分以下の報酬しか要求しないのだ!
そんな父様が私は大好きだ!
結婚するなら当然、父様のような男に限るッ!
いつものように鍛練をしていると、かつて父様が救った村のみんながやってきて――!
きゃあ大変!私、どうなっちゃうの~!? この借りは必ず返してやるんだからっ!
私の家は代々、鬼を祓うことを生業としている。
例にもれず今年で11歳になる私も、父様から術式を教わっていた。
「父様っ。お札を見てください!」
お日様は天高くあり、その日差しが中庭を照らしている。
庭木を見ながら縁側をゆったりと歩く大きな背中に、私は後ろから声をかけた。
紺色の着物を纏った父様が振り返る。
齢30の父様は、お札を手にすると凝視して、分厚い手で私の頭を撫でた。
「うん、良く書けている。術式は十分だろうから、心の鍛錬をすると良い」
「えぇー」
座禅を組んで瞑想する――心の鍛錬が、私は苦手だった。
術式は、書いたら書いただけ上達するのが目に見えて分かる。
だけど心の鍛錬はそうじゃない。
「どんなに徳の高い術式を使っても、心が弱ければ鬼に呑まれてしまうよ」
「……ではやりますから、蔵に連れて行ってください。父様と一緒が良いです」
父様は困った顔をして、けれども頷いて、私が書いたお札を懐に仕舞った。
「付いてきなさい」
父様はそう言って、少し歩いてから下駄を履き、中庭へと向かった。
後を追って小さな池を通り過ぎ、手入れのされた低木を抜けると、小さな蔵が見えてくる。
ここにはご先祖様が命を賭して封じた、悪鬼が眠っているらしい。
ギィィっと木の軋む音がして、父様が両開きの扉を開けて薄暗い中へと入っていく。
私もそれに倣い、中に入って扉を閉めた。
蔵の中は狭い。多分6畳もないだろう。
壁の上部にある隙間のような通気口から僅かに日の光が差し込み、奥にある小さな祭壇だけが照らされている。
悪鬼はいない。否、見えないからこそ鬼なのだ。
ヤツらは人の邪気を増幅させ、世に災いを落として愉しむ。
それを祓うために私たちがいるのだと、父様は教えてくれた。
「アレが多髪羅刹を封じた木版だ」
父様が指さす先は、祭壇の上部。その中央に鎮座された、3寸ほどの木版だった。
色はまばらで、明るい茶色の部分もあれば深い色もある。
「色彩が違うのは、ご先祖様が自らの血をお使いになられたからだ」
「……鬼を封じるのに使うのでしたね。毛髪・血・肉の順で、効果が高いとか」
祭壇に近づき、触れぬよう気を付けながら、至近距離で木版を見る。
木版には隅から隅までびっしりと、まだ私が習っていない術式が書き詰められていた。
けれど、多髪羅刹を封じたご先祖様の法力は、それはもう途方もなく強力だったと聞いている。
そんなご先祖様が高度な術式と血を使って、しかし祓いきれず、封じるしかなかった悪鬼とはどれほど恐ろしい存在だろうか。
「封印とは、いつかは解けるものだ」
私の畏怖を感じたのだろう、父様が穏やかな声で話す。
「だがそれは、私の代ではない。安心しろとは言わないよ、その恐怖は大切な感情だ。だからこそ私たちは努力し、人々を鬼から守ることができるのだ」
父様が祭壇の手前に置かれている固形墨を手に取り、瓶の水を使って墨を作る。その所作は静かで、洗練されていた。
真剣な顔で術式を模写する父の横に座り、私も座禅を組んで心の鍛錬に励んだ。
時間を忘れるほど鍛錬に集中していた私は、遠慮がちに扉を叩く音で目を開けた。
「お屋形様。静寝村の者が参りました」
「ああ、支払いに対する抗議か。……今行く」
「お気をつけください。何やら、剣呑な雰囲気でした」
鬼を見るには、術式を書いたお札を目に貼る必要がある。
さもなくば鬼は見えない。
そのため被害が出る前に鬼を祓った場合、ウソ偽りではないのかと疑われるのだ。
よって通常、鬼祓いが力を行使するのは村から依頼が来たあと――手遅れになってからだった。
父様はそれを善しとせず、被害がでる前に鬼を祓っている。
しかし、鬼が見えない者からすれば胡散臭い限りだろう。
時にこうして家を訪ね、支払いを渋る者もいるのだ。
「茶々、お前は屋敷に戻り鍛錬を続けなさい。私は話しを付けてくるよ」
「はい父様」
下駄を履いて蔵を出て中庭を通り、屋敷の自室。
畳の上で座禅を組んで、再び心の鍛錬を始める。
ただ私の瞑想は、すぐに現世に引き戻された。
「きゃあぁあぁあぁぁあっ!」
聞きなれた声の、聞き慣れぬ悲鳴があったからだ。
何事かと座禅をやめ、私はすぐに障子を開けて縁側へと飛び出した。
日が沈みはじめ、空が朱と黒で彩りを失っていく時間。
縁側で足を引きずりながら歩いてくるのは、父様だった。
「茶々っ、鬼だ!」
紺色だった父様のお召し物は、空よりも濃い赤で染められていた。
右手は抜刀しており、握られた刀身からは赤い雫が垂れている。
父様は苦悶の表情で左胸を手で押さえ、歩いてくる。
よく見ればその足元は、父様から流れ出る血で濡れていた。
「斬られたのですかッ?」
「ああ、ほぼ村の全員が鬼に魅入られているようだ」
どこからか「鬼を可視化するお札」を取り出し、父様が私の右目に張り付ける。
「……ここはもうダメだ。お前は逃げろ」
「できません! 一緒に戦います!」
よろける父様の体を支えて、私は首を横に振る。
父様の後方からは、刀がぶつかり合う戦闘音が聞こえてくる。
屋敷の者が戦っているのだ。
「ならん!」
「父様と、一緒が良いのですっ!」
食い気味に訴えた私に、父様は困ったような顔をして、しかし頷く。
「ならば付いてこい」
父様の大きな背中が目に映る。
昼間と同じ光景なはずなのに、父様から流れ出る血と後ろから聞こえる戦闘音が、これは夢ではないと突きつけてくる。
やがて父様が歩みを止めたのは、父様の寝室の前だった。
障子を開け、父様が言う。
「手前の畳を剥がせ」
「……私1人の力では――」
「できる。手前の畳だけ、軽いのだ」
父様が言うなら、そうなのだろう。
信じて畳に指をかけると、確かに軽かった。
持ち上げたその下に、深い穴が見える。
「許せ」
父様の声がした。
振り返って言葉の意味を尋ねようとした刹那、私の背中に衝撃が走る。
堪えることできず、私は無様に転がって穴の中へと落ちた。
「父様、何をっ!?」
蹴られたのだと分かって起き上がってみれば、そこに光は無い。
真っ暗闇の中、父様の声が上から聞こえてくる。
「穴の先は、蔵に繋がっている。いいか、声をだすな。口を塞ぎ、しばらく経つまで姿を見せるな」
「父様! 逃げるなら一緒に! 別れとうありません!」
「私もだ。しかし、流れ出る血が止まらぬ。畳の前で不自然に血が途切れていれば、この抜け穴は看破されるだろう。私はここで死なねばならぬ」
「父様っ!」
「もう喋るな。どうやら、味方は全滅らしい」
みしりと、畳が沈む音がした。
障子を蹴破る音、刃がぶつかる音、人が倒れる音。
激しい音が幾度となく繰り返され、そして――静かになった。
私は暗闇の中、奥歯を噛みしめて爪を手のひらに食い込ませ、小さく縮こまって心の中で絶叫した。
それから、何刻が過ぎただろう。
手探りで奥へと進み、私は蔵の中にいた。
心は無だった。
「……ととさま……」
小さく呟いて、私は異変に気が付く。
祭壇に置かれた木板は縦に亀裂が入り、そこから白い光が漏れていた。
この予兆は、見たことがある。
封印が解かれる前触れだ。
「だめっ!」
父様が守ってきた封印を、解かせるわけにはいかない。
しかし。
しかし、私は未熟だ。
ご先祖様のような法力も、父様のような強い心も持っていない。
だけどやるしかない。
父様は私に、諦め方は教えなかった。
「っ!」
父様がそのままに残した墨を持ち、多髪羅刹が封じられた木版を掴んで、私は蔵の扉を蹴って外に出た。
そうしている間にも、木版の亀裂は分岐して広がっている。
再びこれに、鬼を封じることはできない。
新しい器が必要だ。
素足で中庭を走り、私は小さな池に向かった。
木版は左に、墨の入ったすずりを右に。
池の畔で座禅を組み、父様と同じ紺色の着物の胸元を開けて、肌着を裂く。
明るい月が見える水面に、私の半裸も反射して映る。
「ふぅぅ」
一息おいて、私は右手を墨につけた。
左手にある木版を手本に、自身の体に術式を塗り込んでいく。
法力が弱い場合、術者は血や肉を併用する。
だが私の法力では、それでも多髪羅刹を封じるには足らぬだろう。
なら、私のすべてではどうか。
一文字書くごとに、父様を殺された怒りがこみ上げてくる。
燃える怒りが胸と頭を焦がし、復讐せよと命じてくる。
この心は本心か、それとも鬼に呑まれ始めている証左か。
やがて最後の一文字となったところで、木版が弾けた。
パァンッ! と乾いた音が響き、木版から突風が吹く。
突風が真上に飛んだ空の先に、人がいた。
やけに輝く青い満月を後ろに、否、鬼がいた。
白無垢を纏った細い体を覆い隠すように、青白い髪の毛が繭のように伸びている。
性別も分からぬ端正な顔に、その額からは天を突き刺すような黒いツノが2本、湾曲して生えていた。
満月の中を舞う鬼。
これが一国に災いをもたらし滅ぼした悪鬼―ー多髪羅刹。
恐ろしい威圧に恐怖を感じる。
父様を殺された渦巻く怒りは、既に業火と成っている。
しかし私には、誇りがあった。
父様への尊敬を胸に、私は最後の一文字を己の体に刻んで、空に向かって涙声で吠えた。
「我が名は茶々っ! 多髪羅刹、お前を封じる者だ!」