T-04 マレビト放浪娘は黒蝶に就き
――――人ならざる者、いわゆる人外を視ることの出来る者を「マレビト」と呼ぶ。
年若い娘チトセは、マレビトであった。しかも人外から好かれやすいという体質を持つ。
チトセを守るため、彼女の周囲では怪奇現象が後を絶たない。
そのせいで人から疎まれ、追い出されてしまうチトセは一か所に長く留まれず、放浪生活を余儀なくされていた。
ある夜、職場から追い出されて帝都を徘徊していたチトセは、自分の保護者を自称する鏡の付喪神とともに一人の男の死に目に会う。
男から絵巻物を託されたことで謎の組織に追われる羽目になったチトセは、歴史資産管理局、通称「クロアゲハ」に保護してもらうことに。
そこでは人外に好かれるという体質が重宝され、ようやく居場所を見つけたチトセだったが……。
いつの間にか絵巻に纏わる事件の渦中に巻き込まれていく。
暗くなった帝都の大通りを、古びた着物を身に纏った年若い娘が一人で歩いている。
名はチトセ。本日、住み込みで働いていた店を解雇されたところだ。
チトセにとっては慣れっこだった。
七歳の頃、生まれ育った村から追い出されて以降、いつも同じ理由であらゆる場所から追い出され続けているのだから。
チトセは怪異を呼ぶ、と。
部屋から不気味な声が聞こえてくる、関わると事故に巻き込まれる、近くにいると怪奇現象が後を絶たない。
そのため、長くても三カ月ほどで出て行ってくれと言われてしまうのだ。
「今回こそは大丈夫だと思ったんだけどなぁ」
ちなみに、真実は少し違う。これは不可抗力なのだ。
「はんっ、出て行って正解だよ! あそこの主人、チトセちゃんをいやらしい目で見ていたからね!」
溜め息を吐くチトセの周りを、色香漂う着物の女性が眉を吊り上げながら宙を滑るように移動している。
そう、チトセは少しばかり人ならざる者、いわゆる人外に好かれやすい体質なだけであった。
着物の女性はその人外である。チトセが持つ鏡の付喪神で、普通の者には視えぬ存在だ。
女性は鏡華と名乗っており、自称チトセの保護者である。
人外はあやかし、付喪神、霊も含まれる。無害な者もいれば、善くない者もいる。
そういった善くない者や人間から守るため、鏡華をはじめとしたチトセを好む人外たちが彼女を常日頃から守っていた。
その結果、怪奇現象を引き起こしてしまうのだが、感覚が人とは異なる彼らにはわからない。良かれと思ってしていることだ。
チトセも、それをわかっているからこそ文句を言う気はなかった。
しかしながら困ることが多いのも事実。実際こうして、真夜中の帝都を徘徊する羽目になっているのだから。
「何……?」
ふと、妙な気配を無意識に感じ取ったチトセは足を止めた。
ガス灯の明かりも届かぬ路地裏に、何かがいると。
「感じたことのない気配だ」
「チトセちゃん、やめときな。……血の匂いがする」
人よりも血の匂いに敏感な鏡華が、袖で口元を隠しながら眉を顰めている。
嫌な顔をする鏡華と違い、人であるチトセは違うことを思った。
「誰かが怪我をしているってことじゃない。放っておけないよ」
「こら、お待ち! ああ、もう」
チトセはお人好しだ。赤の他人のため、厄介なことに首を突っ込むことがよくある。
その度に鏡華は呆れかえってしまうのだが、それでも大抵のことは自分がいればどうにかなると楽観視していた。
真実を見抜く鏡の付喪神の能力は、これまでも幾度となくチトセを助けてきたのだから。
しかし、今回ばかりは違う。
「っ!」
気配を辿った先でチトセが見たのは、腹から血を流して倒れている一人の男だった。
「こりゃ助からないね。行くよ」
あまりのことに悲鳴を上げることさえ出来ず、立ち尽くすチトセに鏡華は冷静に声をかけた。
それにより我に返ったチトセは首を横に振る。
「この人、まだ息がある」
「だとしても、もう手遅れさ。厄介ごとに巻き込まれる前に行くよ」
「帰りを待つ人がいるかもしれないでしょ。せめて最期の言葉だけでも」
こうなっては止まらない。チトセの頑固さを良く知る鏡華は、諦めたようにため息を吐いた。
加えて人の死に際に直面しているというのに豪胆だ。そういうところが、鏡華も気に入っているのだが。
「まだ意識はありますか」
チトセが膝をついて声をかけると、男はわずかに反応した。
だが、その目からゆっくりと光が失われていくのがわかる。
「こ、れを……」
男は、最後の力を振り絞って懐から一本の巻物を取り出した。
昨今、巻物はあまり見ない。先ほど感じた妙な気配はこれだとチトセはすぐに察したが、今は構わず男に目を向ける。
「クロ、アゲハ、に」
「クロアゲハ……?」
恐らくこの巻物を誰かに託したいのだろう。しかし色々と情報が足りない。
「チトセちゃん、人の気配がする」
鏡華が焦りながら教えてくれる。こんな時間、こんな場所にいる人が味方だとは思えない。
だが命の灯火が消えかけている男を、チトセは無視出来なかった。
「何か、伝えたいことはありますか」
「……ぁ、クロアゲハの……奥野、清悟に……」
――――後は頼んだ、と。
「チトセ!!」
男の命が尽きたのと、鏡華が叫んだのはほぼ同じだった。
「っ、必ず、お伝えします」
チトセは託された巻物をギュッと胸に抱き、今度こそ走り出す。
「おい、絵巻がないぞ!」
背後から聞こえてきた男の声に、チトセの背筋が凍りつく。追いかけて来るいくつもの足音が、更に恐怖を与えてきた。
どうやらチトセの姿は見つかっており、男たちはこの巻物を探している。
あの人の最期の望みを叶えてやらねば。
その一心で走るも、チトセは着物に草履、追っ手は足音からして革靴。追い付かれるのも時間の問題だ。
「ああ、あたしに戦う力があれば!」
悔しそうに告げる鏡華に、今のチトセが答える余裕はない。
必死で考えを巡らせるが、良い案など出るわけもなかった。
「巻物を捨てな! 奴らの狙いはそれさ」
「ダメ! あの人の、遺言、だもん!」
「この頑固者! 命の方が大事だよ!」
これ以上の言い合いをするのも厳しい。もはや倒れ込む寸前である。
――――解け。
突如チトセの頭に、奇妙に響く声があった。
――――我を、解け!
その声に突き動かされるように、チトセは握りしめていた巻物を解く。
「待っ、ソレからは嫌な気配が……!」
鏡華が慌てたように声をかけるも、もう遅い。
チトセが巻物を広げたその瞬間、夜の帝都に火柱が立った。
◇
「笠原さんがまだ戻ってない?」
時は少し遡る。
歴史資産管理局で働く若き青年が、男勝りな上司の女性に向けて驚きの声を上げていた。
「何かあったのかもしれないな」
「笠原さんは寄り道するような人じゃありませんしね」
二人は揃って深刻な顔を浮かべている。その絵巻がとても重要なものであるからだ。
彼らの業務は歴史的資産を管理するだけではない。
実は、大っぴらに出来ない物の回収を任されているのだ。
それは行方のわからない神物や呪物といった類のもので、妙な噂により世間を混乱に巻き込まぬよう、国から秘密裏にと指示を受けている。
そんな彼らが最も優先すべき回収物は、式神が封印されているという十二の絵巻である。
これが厄介な代物で、迂闊に開いてしまうと封印が弱まり、式神によっては気まぐれに力を放出してしまうのだという。
今日は、笠原という職員が絵巻を回収して戻って来る日なのだが。
「手当たり次第に探しに行くわけにもいかないし。人手が足りない。どこかにマレビトでも転がっていないものかな」
上司の女性がため息交じりにそう溢してしまうのも仕方がない。この歴史資産管理局、通称「クロアゲハ」は特殊な職ゆえ常に人手不足なのだ。
笠原のように一般人でも理解があれば就けるのだが、マレビト、つまり人外を視ることが出来る人物は特に重宝される。ただ、そう言った人物は文字通り稀だ。
「マレビトならここにいますよ。それも男前」
青年がにやりと笑いながら自分を指差す。実際、彼は貴重なマレビトの一人であった。
「は、男前よりも式神を従える奴がほしいんだがな」
「それはもはや陰陽師じゃないですか。夢見すぎですよ、紫子さん。男前で我慢してください」
二人がいつものように軽口を叩き合っていた、その時である。窓の外から轟音が聞こえてきたのは。
紫子と呼ばれた女性がサッと席を立ち、窓の外を確認する。
「笠原が回収した絵巻は朱雀だ。あの火柱も頷ける。清吾!」
「はいっ、先に行きます!」
清吾と呼ばれた青年は、返事とともに駆け出した。
現場と思しき場所に清吾が到着したのは、それから数十分ほどだ。周囲はどこか焦げ臭いが、つい先ほど火柱が上がっていたとはとても思えないほど静寂と暗闇が広がっている。
その現場で、清吾は一人の娘が呆然と立ち尽くしているのを発見した。こんな時間にたった一人でいるのは不自然だ。
警戒しながら娘に近付く。が、娘の手元を見た途端、清吾は思わず声を荒らげた。
「おい、その絵巻をどこで手に入れた!?」
娘は、びくりと肩を震わせる。そのままゆっくりと清吾の方に顔を向けた。
「笠原さんをどうした!? 答えろ!」
さらに声を張り上げながら娘に一歩近付く。そのおかげでハッキリと見えたその顔に、清吾は息を呑んだ。
恐怖に怯える、可憐な娘の姿。
己の対応が間違いであったと、清吾は瞬時に悟った。
「生意気な小僧だね! チトセに近付くんじゃあないよ!」
その時、頭上から女性の怒声が響く。反射的に声の方に顔を向けた清吾は驚愕した。
「な、あやかしか!?」
「はぁっ!? あたしのどこがあやかしだってのさ! 視えるだけの人間はこれだから……あたしは付喪神だよっ、このすっとこどっこい!」
清吾が声を上げ、付喪神が叫び終えた時、娘の身体がぐらりと傾ぐ。
「チトセ!」
慌てたように女性の付喪神が娘に駆け寄るも、実体のない彼女に支えることは出来ない。
娘は、その場にどさりと倒れ込んでしまった。
「ぅあー……参ったな。本当にマレビトが転がってましたよ、紫子さん」
倒れた娘の近くで狼狽える付喪神を見ながら、清吾は額に手を当てて夜空を仰いだ。