T-03 竹取奇譚
昔々、かぐや姫は貴公子たちの求愛への返答とし、五つの宝の何れかを持ってくるよう提示されました。
一つは蓬莱の珠の枝。
一つは火鼠の皮衣。
一つは仏の御石の鉢。
一つは龍の首の珠。
一つは燕の子安貝。
伝説の宝たちは、かぐや姫の月の力が満ちた言霊により、現世に実在してしまったのです。
──時は寛永十四年。
大和国で暮らす竹千夜の元へ、月の使者・哥刈が舞い降りました。
哥刈の頼みは、五つの宝たちを悪用し、既得権益を得る五人の兵たちから宝を回収することでございます。
初代『讃岐造』の意志を引き継ぎ、三十一代目『竹取之翁』を冠する竹千夜は、これを引き受けて日本横断の旅へ立つのでした。
ここに開幕いたしますは、日本最古の物語の延長線でございます。
──今は昔。竹取の翁の娘という者ありけり。
その娘、名をかぐやと申す。
竹取の翁もとい讃岐造は、長年連れ添った妻の媼と共に、己が娘の行く末を案じていた。いくら重厚で絢爛華麗な十二単の鎧で身を包んでいるとはいえ、欲に飢えた男どもの眼差しから""三ヶ月前まで三尺だった""少女を守るには、些か頼りないだろう。
「私と結婚したくば、五つの宝のいずれかをお持ちください。さすれば、私は生涯全てを捧げると誓いましょう」
かぐやは、婚姻を求める五人の貴公子へ言い放つ。
凛とした質の言の葉を紡ぎ、されど妖艶な笑みを浮かべる。貴公子たちは、かぐやの身振り手振りの虜となり、一層彼女の瞳に吸い込まれた。
一人の貴公子が意見を求めて挙手する。
「難題を軽々に超えてこそ、我とかぐや殿との恋路もいと輝かしたるだろう。しかしだねぇ、そのような伝説の宝たち……実在するのかい?」
「えぇ、しますとも。私が“存在する”と宣ば、かの宝たちは“実在する”のですよ」
かぐやが自信満々に微笑むと、貴公子たちは我先にと宝の在り処を探し始めた。
一人は捏造し、一人は出航し、一人は贋作を掴まされ。
しかし、誰一人として本物の宝を携えた者は現れず、かぐやは月へ帰ることとなる。五つの宝への“言霊”を残したまま────。
月日は流れ、時は寛永十四年の卯月頃。
天下分け目の合戦から三十七年の歳月が流れ、太平の世を統治するは徳川三代将軍・徳川 家光。
大和国にて、一人の青年・佐抜 竹千夜は竹林に囲まれて生活していた。
酉二つ時を過ぎし頃、茜色の空に反響していた伐採音が頃合いを見て、ピタリと止む。
竹千夜は己が切り倒した竹を回収し、手際よく手頃な大きさに斬り分け、背負い籠の中へ放り込んだ。そして、竹製の水筒へ口を付けると同時に、空いた袖で首を伝っていた汗を拭う。日除け用の笠を扇いで着物の中へ風を入れる様は、彼が男であることを一瞬でさえ忘れるが如き姿であった。
身に纏う日用品のほとんどが竹製で構成され、彼は竹細工を生業にしていると推測できる。
しかし、彼は一般的な竹細工職人でないと、翁の能面が物語っていた。
「ふふっ、気味の悪い面ですこと」
提灯を手に取る寸前、紫だちたる空を白く切り裂く光が、周囲を昼日の如く輝き照らした。
何事かと周囲を見渡せば、光源と思しき方角に一人の女性が佇んでいるではないか。
女は漆黒の如き艶やかな絹の髪を靡かせ、十代後半と思しき端正な若い顔で微笑んだ。その様、天照大御神の変わり身でないかと疑うほど。竹千夜は「魔性」という単語をその身で理解した。
「この面は先祖代々に渡って受け継がれるもの。貴殿がいかに見目麗しく高貴な立場であっても、血族の侮辱と捉えて構わないか?」
「誤解させたなら謝りますわ。貴方の体格や声質から推察するに、私と同じくらいの年齢ですわよね? にもかかわらず、如何様な理由で翁の面なぞ被るのか、疑問に思ったまでです」
女は能面へ興味津々である。否、彼女で非ずとも気になるだろう。
しかし、相対する竹千夜は伐採用の斧を手放さない。
「律儀に人ならざる者へ教える義理があると思うか」
「あら、意外にも冷静。理由を聞かせていただいても?」
「この竹林は俺の仕事場であり住処だ。邪魔が入らぬよう、それなりに強力な人や獣避けの妖術を施している。故に、容易く侵入した貴殿を見て、そう判断させてもらった」
すると、女は「人ならざる者」と評されたにもかかわらず、満足げに拍手する。
彼女の反応が理解できるはずもなく、竹千夜の困惑は能面越しでも伝わった。
「短時間でそこまでの判断、評価に値します。それでこそ【三十一代目・竹取之翁】ですね」
「貴殿、どこでそれを……何者だ?」
「自己紹介が遅れました。私は此度、使者に任命された月の民────天人の哥刈と申します。かつて、かぐや姫を保護された讃岐造殿直系の子孫である佐抜 竹千夜殿へ協力要請として参った所存でございます」
かつてかぐや姫は竹を輝き照らして、己が存在を証明した。
哥刈はまさに伝承と同じ力を使っている。
翁の能面を外し、竹千夜は深く息を吐いた。
「初代殿……讃岐造は、為す術なくかぐや姫を奪われ、妻の媼と共にひどく後悔したと聞く。だが、かぐや姫が再び現れた時、同じ過ちを繰り返さぬよう、月の話を先祖代々継承してきた。その当主の証こそ、翁の能面と【竹取之翁】の名だ。まさか、俺の代で役目を果たすときが来るとは思わなんだ」
「私の荒唐無稽な話を信用してくれると?」
「する他あるまいよ。話してくれ」
哥刈は憂いを帯びた表情で夜空に揺蕩う月を見上げた。自身が放つ光よりも眩い満月を。
その霞が如き儚さは、かつて地球への流刑を下された姫の横顔を、彼に流れる血が回想させる。
「……今から八百年ほど彼方。貴方もご存じの通り、月の罪人ことかぐやがこの地へ流れつき、讃岐造殿に拾われたのだとか。かぐやは三ヶ月という速さで、大層美しい娘へ成長いたしました」
「俺どころか、天人が来訪した現場に居合わせた者が綴った“竹取物語”で民の大半が知っている。初代殿が勝手に著されたことへ怒ったものの、かぐや姫を後世まで忘れぬよう作者不詳とすることで許された作品だ」
「その通り。ですが、この話には続きがあるのです」
煌々たる美貌を携えたかぐや姫は、五人の貴公子から求婚を迫られるが、難題を提示することで破談させる。しかし、彼女の美しさは噂となって帝の耳へ届き、彼から求婚を命じられた矢先、天人によって強制的に月へ帰ることとなった。
本来の竹取物語はここで完結である。後日談など見聞きしたことない。
存在するならば、竹千夜のような血族にあたるだろう。
「続きとは?」
「天人は不思議な力を持っております。例えば、帝の軍勢に使用した戦意喪失の力や、この私の高貴なる光のように」
「自分で高貴だと宣うのか……」
哥刈はそう言って、その場で右回りした。
まるで自身の能力を自慢する、喋り方と相反する童の如き無邪気な笑顔である。
「かぐやも例に漏れず、特別な力を有しておりました。特に、平安の世は""言霊""という概念が現在よりも強固な考え方だったそうで」
言霊。
簡単に説明すると、言葉に神秘的な力が宿るとされる信仰である。
当時、諱を呼ばれた者は人格を支配されるという考えから、限られた者しか諱を知ることができなかったほど。
「彼女はあろうことか、貴公子たちへ提示した難題の宝へ""存在する""と言霊を使ってしまったのです。天人の力も合わさり、強力な言霊として」
はて、その宝とはどのようなものだったか……と竹千夜は思案し、思い出した。
白銀の根、黄金の茎、真珠の果実を持つ【蓬莱の玉の枝】。
燃えることなき【火鼠の皮衣】。
釈迦が使ったとされる【仏の御石の鉢】。
願いを叶える宝玉こと【龍の首の珠】。
燕が産んだとされる【燕の子安貝】。
哥刈はそれらを『かぐやの遺産』と総称した。
「その宝どもが存在すると、何かまずいことでも?」
「伝説の宝が存在することは、別に我々としても構わないのです。しかし、この太平の世にて『かぐやの遺産』を悪用する者共が現れたなら話は変わるでしょう?」
「────っ!」
「蒐集のために天人を送り込んだものの、恥ずかしながら我々は大敗を喫しました。『かぐやの遺産』には月の魔力が宿るため、所有者の実力が高ければ月の魔力は共鳴し、手をつけられなくなるのです。元来、天人は戦闘を好まないため、兵の中の兵に勝てる算段がありましょうか。結果として、我々は大損害を被ってしまったわけです」
ここまで聞けば、如何なる理由で竹千夜に白羽の矢が立ったのか、嫌が応にも理解できる。故に、竹千夜は別視点の質問をする。
「なるほど。天人どもは幻想の民であるから、易々と一般人の力を借りるわけにはいかないと。そこで、月の真相を知る【竹取之翁】の俺に尻拭いを要請したわけだ。して、貴殿らが攻め入ったということは『かぐやの遺産』の所有者を把握していると認識して良いな? 協力関係を築く以上、教えぬ道理もないだろうよ」
「現在判明しているだけで二名です。一人は肥前の池田 好運、そして江戸の──」
哥刈は嫌な記憶を掘り起こすが如く目を伏せ、深呼吸を数回繰り返した。余程天人へ恐怖を刻んだ兵なのだろう。
「────新免武蔵守・藤原玄信」
哥刈の緊張感が伝播し、竹千夜さえも唾を飲み込む。
その名は、大和国の竹林でひっそりと暮らす彼でさえ知っている。
「またの名を宮本 武蔵」
その名はかつて日ノ本中を轟かせた最強の剣豪。
六十余の勝負にて、無敗を手にした剣豪の名であった。