T-22 陰陽の大工 政信
土御門家の長男として生まれた土御門泰信には、陰陽師としての才が無かった。五行の内「木」の術しか使えず、さらに木を槍のごとく飛ばす基本の術でさえ、素早く動かすことができない。彼の取り柄と言えば精々器用さくらいであった。恐らく土御門家は弟の泰重が継ぎ、自分は家から追放され居なかったことにされるのだろう。そう思っていた時、泰信は謎の陰陽師の女性、マリと出会う。彼女から「鳥居之術」を教えられた泰信は、建築の世界へとのめり込んでいく。
やがて泰信は平内家に引き取られ、木の術を活かしながら棟梁として修行を積んだ。それから八年。関ヶ原の戦いが終わった頃、マリは彼を陰陽師の世界へと誘う。彼は大工としての経験と「木割」の知識を使い、新たな術で妖に対抗する。江戸の泰平の世の裏にあった、陰陽師達の戦いの物語。
文禄四年某日、尾張国。
豊臣秀吉公に流されてから、彼の父はずいぶんと荒れていた。
「なぜこんなことも出来んのだ! 我が家の恥晒しめが!」
罰として、飯抜きと晩までの修行とのこと。しかし修行といっても、彼を見る者は誰もいない。皆、弟の教育にご執心である。
(恐らく土御門家はアレが継ぐのだろうな)
父・久脩から褒められるのを待っている、弟の泰重を横目で見てから、修行場へと向かった。
野原について、彼は藪からいくらかの太い枝を拾い、呪符を取り出した。
投げられた槍が岩を穿つ様を頭に浮かべ、唱える。五行の木、基本の一。
「──槍之術」
眼の前に落ちていた枝が、ゆるりと浮き、ふらっと動いて、コトンと岩へ当たった、
「……うん。全くできる気がしない」
彼は早々に諦めた。いつものごとく一人遊びを始める。
「──鑿之術」
基本の二。枝の形を整え、均す。
「──槍之術」
枝を浮かし、縦に積み重ねていく。
「凄い。こんなものは初めて見た」
「ひっ!?」
突然掛けられた女の声に、彼の集中は途切れた。枝が地面へと崩れる。
「すまん、驚かすつもりじゃなかった」
見たところ十代後半という所だろうか。その出で立ちは陰陽師のものであった。女の陰陽師は珍しい。
「……どちら様?」
「マリと言う。貴方は?」
「土御門泰信です」
「……あれ? もしや嫡男? でも泰重様が嫡男と」
「私はすぐに家から追い出されるのでしょう。元服と共に」
「なぜ」
「私に才がないのです。五行の内、木の術しか使えません」
「ふむ。だがそれを極めれば」
「あと打ち出すのも遅いです。攻撃できません」
「ああ……」
マリは頭を抱えた。それは確かにほとんど何も出来ない。まさに木偶である。
「……でも、器用ではあった。なら、できることはあるかもしれない。見ててくれ」
彼女は転がった枝を見ながら、呪符を取り出した。
「──鳥居之術」
応用術の一つ。鳥居を模した形を組む。簡易的な結界となり、妖怪を拘束する際に用いる。ゆえにどの術よりも速さが物を言う。
だが彼女が見せたそれは少し様子が違った。ただ丸太を組み上げただけではない。鑿之術により整形された、反りのある美しい鳥居だ。
「すごい、ですね」
「これ、普通の『鳥居之術』と比べて少し力が強いんだ」
まあ遅いから今は役に立たない術だけど、とマリは自嘲した。
「多分本物に近ければ近いほど力が増す。器用な君なら、新しい『鳥居之術』を生み出せるかもしれない」
マリの言葉は、彼にとって希望の光だった。それから数日、彼らは新しい術の開発に力を注いだ。
──その年。泰信は、政信へと名を変え、土御門家の系譜から消された。
八年後。
慶長八年某日、紀伊国。
「おう。ずいぶんと進めたな」
とある書をしたためている折、土御門泰信改め平内政信は、養父である吉政から突然声をかけられた。
「いつできそうだ?」
「まだ数年はかかりますね。とりあえず門と社だけは何とか」
振り返ると、養父殿は難しそうな顔をしていた。
「ちと厄介な客が来とる」
はて。棟梁となるため彼の元で修行して八年。厄介な客は腐る程見たが。
「そういう意味じゃない。俺はあの方に恩があるから断れん。だが絶対に厄介事だ」
「恩? 養父殿が」
「てめぇを養子に紹介してもらったのが、その方だ」
政信は大変に驚いた。つまりその方とやらは、政信にとっても恩人である。
「お久しぶりだね」
「どうも」
八年経って大人びたが、当時の面影が残っていた。
「マリさん」
「うん。改めて自己紹介をしよう。幸徳井家に仕える賀茂マリだ」
「……賀茂?」
といえば、安倍家と賀茂家の賀茂だが。
「まあ、普段はただのマリと呼んでくれ」
「貴女が養父に私の紹介を?」
「たまたま伝があってね。君の境遇には親近感があったから。それで、用件というのは君を妖退治に駆り出せないかと思って」
政信はあんぐりと口を開けた。
「私が?」
「そう君が」
「陰陽師に戻れと、今更」
「いや、一旦私が仮で雇った労働力ということで。実は人手不足でね。将軍様が幕府を作るにあたって、陰陽師を再建させるおつもりらしい。妖も続いた戦乱の世でまともに討たれず、力を増している」
「だからといって私を駆り出さなくとも」
「新しい『鳥居之術』、できてる?」
まるで確信があるかのように、彼女は言った。その圧にやや腰が引けつつも、政信は頷く。マリは満足気に笑った。
かくして平内政信は、八年越しに陰陽師の世界へと踏入り、初めての妖退治へと赴く事となる。
妖退治、当日。
彼女は集めた術師に告げた。
「この山に巣食う妖は、親玉が一つ、子分が三つ。その内一つを、今日やる」
マリは幸徳井家の中でも要職に就いているようである。今日の戦は、彼女が取り仕切るらしい。
参加する陰陽師がかなり多い。少なくとも十人はいる。陰陽師でもない政信は肩身が狭かった。
規模が大きな戦だ。妖も相応に強力だろう。
「その、妖というのは」
「怨霊、菅原道真公」
「!?」
大物どころではない。
「の、分霊だよ。そして今日はそのまた子分。だから大丈夫」
「なるほど?」
それは安心できるのだろうか。
とりあえずできることをしよう。政信は自身のしたためた書を片手に、地面に石を並べ始める。周りの術師は、それを怪訝そうに見ていた。
やがて、晴れているのに雨雲でも近づいてくるような、湿気と重い風が、山の上から吹き下ろしてくる。葉がざわめき、雷の如き地響きが徐ろに大きくなる。
「来るぞ! 構えろ!」
そして妖は森の木々を掻き分け姿を表した。牛の頭をした、六つ脚の蜘蛛のような、名を牛鬼。
陰陽師達の術が襲う。火、水、土、木、金の槍や球。しかし勢いは止まらない。
「縛るぞ──五行の木、鳥居之術!」
牛鬼の脚や頭を地面に縫い留めるように、鳥居を模した木組が現れ地に突き刺さった。
(あれが実践における「鳥居之術」……凄まじい早業だが)
美しくない。すぐに破られてしまうだろう。
政信の懸念の通り、まるで決壊する堤のごとく砕かれる木々。
次々と砕かれるたびに鳥居が生み出されているが、いずれ限界が来よう。
「政信」
「はい?」
「出番だ。あれを抑えてくれるかな?」
マリ曰く、出番らしい。宙にふきとばされた丸太の中から、政信は丁度いい長さのものを数本見繕った。
呪符代わりに、書を構える。最初の方の紙片を開いた。
「──五行の木、社記集『花表』之術」
ゆるりと、決して早くはなく、だが淡々と、丁寧に鳥居が組まれていく。柱には転びをつけて、笠木は反らせて。
術師達の拘束がついに砕かれるとき、完成したそれは、見紛うことなき伝統の社殿建築、鳥居である。
牛鬼はその鳥居を破ろうとして、まるで壁に激突したかのように弾かれた。
「なっ!?」
「あれはなんだ!」
術師達が驚愕する中、マリだけが口角を上げていた。
それだ。それなのだ。政信に求めていたものは。拘束するのみの形だけの鳥居ではなく、完全に結界として成立する「鳥居之術」。水の領域であった結界術に、木が立ち入った瞬間である。
「よくやった。政信」
(これを私も習得して、土御門に対抗する)
幕府は宗家に土御門を据えた。しかしまだ隙はある。この術の発見によっては、あるいは。
わざわざ各地から術師を呼んで集めたのだ。さあ精々この術の噂を広めてくれ。できれば将軍様のお耳に入るまで。
「次、行きます」
「──ん? 次?」
吹き飛ばされた木々と、ついでに周囲の森の木も刈っている。材質の良い物を選び、政信は浮かせる。
あらかじめ地面に置かれていた石は、「礎」である。
「──五行の木、社記集」
もや柱、向拝柱、縁、高欄、垂木、長押。
鳥居など比較にならぬほどの複雑さと精度を持って、木々が組み上がる。
それは古代より形を変えずに残り続ける、社殿建築の基本形。
「『壱間社』之術」
「本殿」の完成と共に、空気が晴れた。
先程までの重い湿気は消えて無くなり、清涼な風が涼やかに髪を撫でる。
妖の領域であったが故、龍脈を拾いきれていなかった術師達の力が桁違いに向上する。その感覚を彼らは身近に知っていた。この戦の前、そこで身を清め、祓いをしていたのだ。
(こ、こいつ)
賀茂マリは体の奥底から湧き出る感情に、震えが止まらなかった。
(この短時間で──「聖域」を作り上げた)
どうやって? あの「鳥居之術」ですら神業と言えるものであるのに。
理屈はわかる。しかしわからない。
本物に近づくほど力を増す。だがそのためには、鳥居という単純な形ですら限りなく高い精度がいる。「鳥居之術」とはいうが、組み上げているのは術師なのだから。それを社という複雑なものでどうやって組み上げたというのか。
(恐らく、アレだ)
彼が片手に持って、呪符代わりにしていた書。アレに答えがあるとマリは直感する。
平内政信は、陰陽師の才はなかったが、建築の才は類を見ないものであった。
「木割」というものがある。各部材の寸法を柱の直径との比率でもって割り付ける、古来より伝わる手法。
彼は木割に目をつけた。柱間の長さから直径を定め、全体に至るまでの比率を全て決定していくことにより、半自動的に建築を組み上げる。
近世初期にして、すでに後世と比しても勝るほどの完成度を持つ木割書があった。
『匠明』五巻。その著者、平内政信。
この物語は、彼の歴史の裏にあった足跡である。





