T-20 こちら内務省警保寮怪異特別対策局
東京大手町、内務省の敷地の一角にある警保寮怪異特別対策局。
明治の世となり空き家ばかりとなった武家屋敷、地価も暴落、荒れに荒れ果てた東京には引き取り手のない土地がごまんとあった。どこからともなく沸いて出る怪異を狩るため、集められた猛者共が集う通称・怪対局の局長沖森純之助の元に、《藪屋敷跡の土蔵撤去》という案件が持ち込まれる。
「あの、おれたちは怪異を狩る鬼狩りなんだけど」小柄な剣士・榊田士門が呆れ果てたかのように言うと、
「私達に助けをも止めたってことは、出るんですよね、怪異が」と、昼行灯の一ツ矢十四郎がニヤニヤと笑い返す。
「聞いた話では、土蔵に何かを封じた跡があるらしい」
土蔵と聞いて、尼僧・波山しづは表情を硬くした。
「敵は強い程面白いって言いますし」
「まぁ、暴れられるなら何でも」
「若いもんは血気盛んじゃな……」
《天下の鬼狩り》怪対局の妖奇譚、始まり、始まり……!
満月の夜。
薄雲から漏れる月明かりを頼りに、草履の足音が幾つか、竹林に囲まれた蔵の方へと向かって行く。
「比丘尼様、本当に大丈夫でございましょうか」
「ご安心くださいませ藪澤様。この波山に封ぜぬものはありませぬ」
声の主は武士と尼であった。後ろに男の従者が続く。
「月が満ちると鬼が出ます。私は恐ろしゅうてなりません。比丘尼様は……平気でらっしゃるようですが」
「わたくしはこれが生業ですから」
竹林を抜けた涼しい風が、藪澤と呼ばれた男の頬を撫でた。ブルッと身体を震わせる藪沢の一歩前を、波山比丘尼は飄々と歩いて行く。梟と虫の声が響く中、尼頭巾の比丘尼は怯える様子すら見せなかった。
「そうそう、藪澤様。一つお約束くださいませ」
蔵の真ん前まで来ると比丘尼は立ち止まり、藪澤の方に半分振り向いた。
「《妖退治の波山比丘尼》は万能ではございません。封じたあとのことは、どうしても藪澤様にお願いしなければならないのです。子々孫々までどうかこの地をお守りくださいますように。よろしいですね」
比丘尼がそこまで告げた時、藪澤の背後でボトリと鈍い音が聞こえた。振り向いた藪澤の目に、月明かりを遮る程巨大な影が映る。
「来ましたね。愚かな鬼よ……!!」
藪澤の従者は既に身体の上半分を全て失い、息絶えていた。怯え混乱し叫ぶ藪澤の背後から、比丘尼が威勢の良い声を上げる。懐から呪詛の書かれた札を取り出し、比丘尼は札を指先に挟んで鬼へ向けた。
「藪澤様! 急ぎ蔵の戸をお開けくださいませ!! 鬼を、封じます……!!」
藪澤は絡まる足を必死に前へ進め、急いで蔵の閂を抜いて戸を開け放った。
どおっと強い風が巻き起こったかと思うと、竹林全体が大きく揺れた。まるで雷のような叫び声を上げた鬼は、比丘尼の放つ見えない力に押され、どんどん蔵の中へと引き摺り込まれていく。
『人間……デハ無イナ、女ァ』
地の底から響くような鬼の声。足掻く鬼の爪が、比丘尼の着物ごと彼女を斬り裂いていく。
鮮烈に血が舞う。
「比丘尼様!!」
藪澤は叫ぶが、恐怖で足が動かない。蔵の壁に寄りかかり、ただ鬼と比丘尼の対峙を見守るのが精一杯で。
「藪澤様、ご安心を。わたくしは死にませぬ!」
比丘尼は更に力を強め、一気に鬼を追い込んだ。
『貴様ノ命ト封印、ドチラガ先ニ途切レルカナ……?』
鬼は不穏な言葉を残し、蔵の中に封じ込められた。
比丘尼の放つ大量の札が、まるで意志を持ったかのように宙を舞い、蔵の戸や窓枠の隙間という隙間を埋めていく。
おぞましい気配がフッと消え、竹林が静かな夜を取り戻したところで、藪澤はストンと地面に腰を落とした。
「終わりましたわよ、藪澤様」
月明かりの下にこりと笑う比丘尼を、しかし藪澤は怯えた顔で見つめている。
「お、鬼が、比丘尼様を、人間ではないと」
袈裟斬りにされた着物の下から、赤いものがだらだらと零れ落ちるのを、藪澤は見てしまった。それでもにこりとする比丘尼は、確かに異様ではあったのだが。
「故あって死なぬ身体となったまで。さて、私は消えましょう。藪澤様、約束だけはどうかお守りくださいませ」
着衣を直すと比丘尼は、傷だらけのまま竹林を去って行ったのだった。
時は流れて明治――
東京大手町、内務省敷地の隅に建つ小屋に入るなり、沖森純之助はガクンと肩を落とした。
「締まらんな」
机と椅子の奥に無理やり木箱で小上がりを作り、布団を敷いて寝る者がいる。かと思えば無心で刀の手入れをする男に、書き物をする若い女の姿もある。
「これが東京中の怪異を狩る《天下の鬼狩り》、内務省警保寮怪異特別対策局か」
「出番のないのは平和な証拠。暇で何よりだろ?」
愛刀の刃先をしげしげと見つめながら、榊田士門は純之助に毒づいた。
「穀潰しめと外で嫌味を言われる俺の身にもなってみろ」
「筋肉達磨の沖森局長には敵が多いからね」
「誰が筋肉達磨だ」
六尺一寸、筋骨隆々の純之助は、小柄で細身な士門から見れば確かに筋肉達磨であった。仕立てた紳士服もパンパンで、ボタンが弾けそうなくらいに胸板が厚い。
強面の巨漢である純之助だが、実は部下である怪異特別対策局の面々には手を焼いている。普段から好き勝手なのは勿論のこと、問題は彼らの素性であって……
「怪異の臭いだ」
小上がりの布団で寝ていた一ツ矢十四郎は、ムクリと起き上がり開口一番ボソリと言った。
ボサボサの散切り頭に無精髭の彼は、布団からモゾモゾと這い出して着流し姿でよろよろと立ち上がった。
「十四郎、寝てたんじゃないのか」
「局長が仕事を持ってきた臭いがして」
執務机に向かう純之助が何か抱えているのに気が付くと、十四郎は我慢ならない様子でスッと手を伸ばした。
「まぁ急くな」
純之助がパチンと十四郎の手を弾く。しょぼくれる十四郎を尻目に、純之助はよいしょと椅子に腰を下ろした。
「最近、武家屋敷跡地が問題になってるのは知ってるな?」
「荒れ放題で買い手もないって聞いてるけど」
士門は刀をゆっくりと鞘に収めながら、ちらりと純之助の方を見た。
「政府もどうにか有効利用しようと動いてるようなんだが、均して官庁や官舎を建てようにも、どうにもならん物件があるらしい」
「物件?」
「通称・藪屋敷。昔は大層裕福なお武家様がお住まいだったそうなんだが、今残るのは竹藪と土蔵だけ。これを、壊して欲しいと頼まれた」
純之助が持ってきたのは、周辺地図と内務省からの文書である。
十四郎は机の上に置かれた地図を手に取り、ふぅんと鼻を鳴らした。
「……あの、おれたち鬼狩りなんだけど。純之助もさ、局長なんだから仕事選べよ」
毒づく士門に純之助は苦笑いで返すしかない。
一方で十四郎は、地図と純之助を交互に見ては頬を綻ばせていた。
「私達に助けを求めたってことは、出るんですよね、怪異が」
「流石は十四郎。聞いた話では、土蔵に何かを封じた跡があるらしい」
土蔵と聞いて、無言で何かを書き連ねていた波山しづは手を止めた。筆を硯に置いて立ち上がり、十四郎の手にした地図を一緒に覗き込む。
東京郊外の地図だ。江戸末期まで存在した武家屋敷は殆ど壊され跡形もないと聞く。
古地図に目を落とし着物の襟元を不自然に弄って唸るしづの顔がいつもと違うことに、純之助はふと気が付いた。
「どうした、しづ」
「いや。気のせいかも知れぬ。ところで純之助も行くのだろう?」
「俺は行かん。怖いのはごめんだ」
「筋肉達磨が何言ってんだ」
「あのな、士門。俺にはお前みたいに天狗の血も流れてないし、十四郎みたいに鬼にもなれん。まして、しづみたいに不死身でもない。腕っぷしには自信があるが、怪異を倒せるような力量はない!」
「自信満々に言うなよ……」
江戸末期参勤交代が廃止されると、江戸の町は急激に廃れた。怪異の被害が多く上がるようになったのは丁度その頃からだ。
時代は明治に移る。政府はこれを重く見て、内務省警保寮に怪異特別対策局――怪対局を置いた。頼まれずとも喜んで怪異を狩る、血気盛んな猛者共を束ねるために、純之助は雇われたのだが……怪対局で全うな人間は局長の純之助だけ。残りの三人は見てくれこそ普通の人間だが、人並み外れた力の持ち主なのである。
「満月でないと十四郎はまともに動けん。その前に下見に行って欲しい」
「それは良いですね。じゃあ、士門、しづさん、行きましょうか」
にぱっと明るい笑顔を浮かべて十四郎が声を掛けると、士門もしづも顔を曇らせた。
「純之助も来ぬか。十四郎は満月の夜以外役に立たぬのだが」
「しづには悪いが丁重に断る!! 俺は未だ死にたくないのだ!!」
気持ちいいくらいスッパリと純之助に断られた三人は、馬車に揺られて現地へ向かう。街道沿いに茶屋が建ち並び賑わう道も、郊外へと向かう程スカスカになり、気が付くと一面の藪に茶畑、桑畑に変わっていく。
「昔はお武家様のお屋敷がずらりと並んでいたのだがな」
しづは馬車の窓から外に目をやった。
「しづの言う昔っていつ?」
「何百年前だったかな。忘れたわ」
士門の問いに、しづは投げやりに答えた。
「尼僧姿で妖退治に興じていた若い時分、評判を聞いたというお武家様に鬼退治を頼まれてな。それが……あの界隈だった気がするのだ」
「あれ? しづさんは封印専門ですよね」
十四郎が聞くと、しづはこくりと頷いた。
「わしが出来るのは封印まで。じゃから言うたんじゃ。『子々孫々までどうかこの地をお守りくださいますように』と。それがこの有様だ」
やがて馬車は藪屋敷と呼ばれる界隈に到着した。
その名の通り、鬱蒼と茂った竹藪に囲まれた、古びた蔵が目に入る。
「昼間なのに、随分と嫌な気配がする」
三人は蔵を見上げ、ブルッと背中を震わせた。
竹藪に隠れるようにして佇む蔵の壁は剥がれ落ち、隙間を埋め尽くしていただろう札は殆ど剥がれかけている。
「随分、恨みを募らせてるみたいだけど、しづさん何したの?」
「あはは……。ちょいと煽り過ぎたかな」
蔵から立ち上る真っ黒な影に、しづは冷や汗を垂らすのだった。





