T-16 その刀は誠の名のもとに
父を失った刀鍛冶である山科茜の元を訪ねてきたのは父の友人と名乗る総夜という若者だった。
彼は刀を求め、遠い東京からここまでやってきたと話し、見せて欲しいと頼み込む。
時が明治へと変わり、大きく日本が変わっていく最中において、裏へと消えゆく刀の世界を生きようとする少年少女の物語が始まろうとしていた。
どうしたらいいのだろう。
総夜は頭の中で頬をかきながら悩んでいた。前の前には自分とさほど変わらぬ年齢の少女が向かい合うように座って自分の言葉を待っている。
普段女性と話す経験が殆どない総夜からしてみれば、自分からどう声をかけたらいいのかがわからない。癖の強い茶をゆっくりと飲みながら考え込む。
これならば、先輩達と女遊びを学んでおくべきだったと後悔し始めていた。
「父のご友人だとお聞きしました」
長い沈黙に耐えられなくなったのは少女の方であった。髪を短く刈っており一見すれば男と見間違えることもあるかもしれない風貌をしている。
とはいえ首から下をよく見てみればさらしで固く体を縛ってはいるが、それでも隠しきれない女性らしい肉付きをしていることに気づけるだろう。
「あ、はい。そうです」
彼女から出された助け舟に安堵しながら彼女の父のことを思い出す。
筋骨隆々でまるで達磨かと思うような鍛え上げられた肉体。周囲には厳しいところはあったが総夜にはとても優しくしてもらった懐かしき思い出と恩義があった。
彼がいればもっと話しやすくなると思った総夜は彼女に所在を確かめようとする。
「伝助殿は……? えっと」
総夜は少女の名を呼ぼうと思ったが考えてみれば自分は彼女の名前すら知らない事に気づき、思わず言葉が止まってしまう。
「茜です。山科茜と申します」
少女は言いたいことをうまく話せない総夜を見かねてか、まず名乗った後に少し寂しそうな顔を浮かべた。
「父は昨年亡くなりました」
「申し訳ありません。辛いことを思い出させてしまいました」
総夜は慌てて頭を下げた。
まさか伝助さんが既に亡くなっているとは夢にも思っていなかった。
知らなかったとはいえ、それを思い出させてしまったのは明らかに自分の失敗だった。そこからどうすれば良いのか分からないでいると茜が慌てて総夜を擁護した。
「気にしないでください。父も来てもらって嬉しいと思います。……あの人は昔のことを話さなかったので」
二人の間に何度目か分からない沈黙が生まれる。
とはいえ茜も総夜が口数の少ない人間だとわかってきたので、自分から彼に話を振るようにし始めた。
「ところで父に会うだけのために、……東京からここまで来られたのですか?」
東京というところで茜の言葉が少し詰まる。言い慣れていないのだろう。彼の地が東京と言われるようになってまだ数年程度しか経っていない。
江戸と言われていたの方が遥かに長いし、東京と改称されたという情報がこの地まで来るのにも時間がかかる。そして地方の人々の認識が変わるには更に時間が必要だった。
茜からしてみれば、そのような大きな変化をしつつある日本で最も騒がしき場所から、父の友人だとしてもただ会うだけのために遠路はるばるやってくるなど信じられない話だったのだろう。
「実は……」
茜の質問に対して総夜は神妙な表情をしながら言葉を続けた。
「刀を売って欲しいのです」
「東京では。もう刀は持てぬと聞きましたが」
総夜の言葉に茜は耳を疑う。
東京では帯刀を禁止する令が出たと聞いていたので、東京から来た人間がもう不要となるはずの刀を欲するなど考えられなかった。
「帯刀が禁止されているだけで、持つこと自体は何も問題はありません」
総夜の表情は真剣だった。本当に彼は刀を必要としているのだと感じとった。侍の時代が終わろうとする今において彼はそのためにわざわざここまで来たのだとその表情が物語っていた。
彼ならば父の刀も大事に使ってくれるに違いない。そう思わせてくれる雰囲気が彼にはあった。
茜は一度大きく頷き、立ち上がると奥の間へと姿を消した。
「おまたせしました」
彼女が奥の間へと行ってから数分ほど経って戻ってきた。その手には大事そうに一本の青い刀袋を抱えている。総夜はすかさず立ち上がる。
「拝見しても?」
「どうぞ」
袋を受け取り慎重に中身を取り出す。木で作られた白鞘が姿を現す。まだ肝心の刀の姿は見えないが、持っているだけでもずしりとした重みが伝わってくる。
「父が最後に打った刀です」
「伝助さんが……」
茜の言葉に感慨深そうに頷き返すと、ゆっくりと鞘から刀を抜いていく。
「これは……良い刀だ」
総夜の口から思わず声が漏れた。刀の長さは二尺を優に超え、柄等のつくりは飾り気などなく全体的に無骨だ。その分頑丈さがあるように感じた。
見栄などを考えるのであれば別だが、とにかく長く使えることと、しっかりと相手を斬るという刀本来の目的から考えれば多くのものがこれを良い刀だと認めるだろう。
そんな素晴らしき刀を、総夜は軽く首を横に振ってから鞘にしまい込んだ。
「良い刀です。……でもこれは僕が求めている刀ではありません」
茜の表情に影が差す。それも当然と言えた。自分の父が打った最後にして最高傑作であるはずの刀を要らないと言われてしまったのだから。
「うちにはもうこれ以上の刀はありません」
「茜さん、貴女が打った刀を見せてはいただけませんか?」
「それは……。父の打った刀には到底及びません」
その言葉に茜は戸惑う。父の刀で満足できない人が自分の刀を必要とするとは到底思えなかった。
「どうかお願いします。貴女の刀が見たいのです」
「……わかりました」
どうしてもとせがまれたこともあったが、父の刀を見て真っ先に良い刀と言ってくれた彼のその言葉には嘘偽りがないように感じたし、そんな彼に自分の刀を見てどう判断するのかが知りたい気持ちもあった。
茜は奥の間から自分の刀が入った朱い刀袋を掴むと、小走りで戻ってきた。
「父のを見てもらった後、見せるにはお恥ずかしいものですが」
総夜は受け取った後に「そんな事はありませんよ」と優しく微笑み返すと、先程と同じく慎重に袋を剥がし、鞘から刀を抜く。
体が震えた。確かに先程の伝助さんの刀と比較すれば作りが甘い印象はある。
だが、柄を握った手はまるで吸い付くかのようで、まるで自分の手が伸びたかのように感じるほどだった。
茜は無言で彼の真剣な表情からどのような言葉が返ってくるのかを待っていた。
彼は何も声を出さずにただ握りを確かめている。やはり自分のは父には及ばぬのだと思っていたところ、彼は真剣な表情のまま自分に刀を向けた。
先程までとは違う目つきに怖さを感じたところで突如総夜が刀を振り上げたのだ。
「伏せて」
その言葉を聞いた瞬間茜は体を下げていた。そして甲高い刀同士のぶつかる音が家の中で鳴り響く。
何が起こったのかわからなかったが、誰かに強く引っ張られる感触があった。
「外へ!」
総夜とともに外へ出ると、その後を追ってくるように刀を握った黒い影が姿を表した。
一見すれば男だということはわかるが、全体的になんというかぼやけたように見える。服は浅葱色の羽織というあまりにも目立つ不思議な姿をしている。
彼はどこにいたというのだ。隠れるところもなかったはずなのに。
そんなことを考えていたところ、総夜は相手を真っ直ぐに見つめ自分の刀で構え戦おうとしていた。
「だ、駄目です! 私の刀は!」
茜が自分の刀で戦おうとする総夜を止める。
なぜなら自分の刀には致命的な欠点があり、それを彼は知らないはずだったからだ。もしそのまま戦えば彼は死ぬことになる。そうなる前に止めなければならなかった。
「大丈夫ですよ」
総夜は軽くそう言い返す。今までとは違う雰囲気がそこにはあった。
「知っていますから」
それは一瞬の出来事だった。茜がかろうじて見えたのは彼がそう答えた後、目にも留まらぬ速さで相手の胸元に潜り込むところまでだった。
そこから何が起こったのかまでを理解できていたのは実際に動いた総夜本人だけだった。
「やっぱりか」
総夜から声が漏れる。刀から感じた手応えこそ総夜の予想を的中させるものではあった。だがその一方で総夜は大きく失望していた。
それは茜の刀への不満ではなく自分が斬った相手へのものだったが。
「その程度であの方々を騙るな。マガイモノ」
総夜が刀を一度大きく振り払うと、相手の胸元から赤い血ではなくどす黒い泥のようなものが吹き出した。そのまま男の体はどんどん崩れ地面へと溶けていく。
茜からすればなにが起きたのか理解できず呆然と見ていることしか出来なかった。
かろうじて分かるのは総夜が茜の刀を使い、あの妙な存在を斬ったということだ。
仮にそうだとしてもそれには一つ大きな問題があった。
そもそも自分の刀では人を斬ることが出来ないはずなのだ。
茜の刀の隠された致命的な欠点。それは人が斬れないということだ。どれだけ出来が良かったとしても人が斬れない刀になど価値はないと思っていた茜からすれば何が起こったのか理解できない光景だった。
茜の頭の中でいろんな疑問が無数に生まれていく。
どうして人が斬れないはずの刀で人を斬ることができるのか?
自分を襲った人は何なのか?
なぜ彼は茜の刀が人を斬れないと言う欠点を持っていることを知っているのか?
「……あなたは一体?」
総夜は刀を丁寧に袖で拭いながら茜のやっとの思いでできたその短い質問に答える。
「東京警視庁は新選組所属──沖田総夜。人ならざるモノを斬れる刀を求めて僕はここまで来ました」
 





