T-09 金喰らいの俗物道士
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足がもつれた。
迫る林道を前にできたのは、体をひねって赤子を守る所まで。
「っつぅ……っ!」
打ちつけた背中に痛みが走り、摩擦感に歯を食いしばる。
ややあって横滑りこそ収まったものの、神楽の全身には鈍い痛みが残った。
頑丈な巫女服に守られて傷が浅く済んだのは幸いか。
(そもそも、この格好だからこけた気もするけど、今は言いっこなし……)
どうにか身を起こし、まずは腕の中の命に目を落とす。
つぶらな瞳は何が起こったかわからぬようで、ぽへ、としていた。
――この子を守るのです、きっとそれが世を救う一歩となる
「よかった……」
思わず安堵がこぼれる。
鬼の襲撃で里が全滅の憂き目に遭う中、長から託された命だ。
いずれ強い破邪の力を宿すと聞かされてはいたが、己の不手際で何かあってはたまらない。
自分とこの子を逃がすべく犠牲となった仲間のためにも、この子を守り切らなくては。
決意も新たに立ち上がろうとする神楽だが、意図せず来た道を見た瞬間。
「あ――」
膨れた腹に歪な手足、黒ずんだ体に不気味なほど真っ赤な舌。
それは童鬼と呼ばれる下級の鬼。
里を襲った鬼の手下が群れをなして追いかけてくるのが、見えてしまった。
「っ、くぅ……!」
逃げなければ、と背を向けるも体が重い。
転げた痛みと追走への恐怖が二重苦となってのしかかる。
重い一歩の間に背後の気配が三歩迫るのを感じられた。
当然、追いつかれるのが道理。
「キハハハハハ! 追イツイタ! 女、子供、ゴ馳走! 美味!」
「ひっ――」
振り向いてしまう。
赤子を抱く腕に力がこもったのはせめてもの抵抗。
醜悪な笑みが涎を散らしながら迫り――
仰け反りながら吹き飛んだ。
突然の事に目が丸くなる。仲間の童鬼も何事かと足を止めている。
少なくともこれが予期せぬ推移なのは確かだ。
しかし、一体何が。
(ひょっとしてこの子の力……!?)
そんなことを思いかけ、しかしすぐに答えは明かされた。
「アギィイイイイイイッ!」
もんどりうって転げた童鬼が頭をかきむしる。
その額にはちかりと輝く物が一枚。
「銭貨……?」
呟く間も泡を食ってもがく鬼だが、銭貨はまるで埋め込まれたかのごとく剥がれない。
そうこうするうちにそこから煙が立ち始め、ぼっと青い炎を滾らせた。
「物欲!? 感情!? 滅茶苦茶!? 汚イ! 嫌イィイイイイ!」
拒絶を叫び、鬼は崩れ落ちる。
炎はあっという間にその体躯を覆い、消し炭に変えてしまった。
たじろぐ仲間の童鬼。
「何……何が、起こって……?」
神楽とて混乱のあまり逃げ出すことを忘れていた。
しかしその耳に、からん、と小気味のいい下駄の音。
「銭とは集めるものであり、用いるもの」
神楽は振り返る。
舞い降りたのは豊穣と形容しても差し支えない、肉感あふれる美女だった。
稲穂にも似た輝きの長髪。
前垂れを大きく押し上げる胸元の実り。
太ももを晒す下履きと膝上丈の組み合わせは、目を覆いたくなるほど煽情的。
しかしその佇まいは痴女と呼ぶには憚られる凛とした雰囲気を宿していた。
「千の願い、万の欲に寄り添って人の世を巡って動かす、この世で最もありふれた俗物の代名詞」
「え、えと……」
「例え一銭だろうとそこには混然たる感情が渦巻いていて、だからこそ純然たる欲望で形作られる鬼には絶大な苦痛をもたらす。今、あなたが見たようにね」
「あ……」
月夜を背に紺碧の瞳が微笑み、ようやく自分に向けて語っていたことを気付かされる。
とにかく助けられたのだ、まずお礼をと口を開きかけたが。
「というわけでこれからあなたを助けますが……救い料、一千万ですからね?」
「え」
血の気が引くのを感じた。
救い料とは。対価のことか。
一千万とは。一千万なのか。
だが、赤子を託され逃げ出すほかなかったこの身は無一文。
差し出せるものなど何一つない。
しかも目の前の豊穣の美女はにっこり微笑んだまま。嘘や冗談だと言葉を翻す気配もない。
それは、つまり。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ守銭奴」
「ぁ痛ぁっ!」
美女の頭上に拳骨が叩き込まれた。
見ればうずくまった彼女の背後にはいつの間にか、拳を握り締めた人影が立っている。
一目にはかろうじて青年に差し掛かるかという背格好。
俗に言う陰陽師と似た服をまとってこそいるが、ところどころ着崩しが見られ、真面目には見えない。
目つきも悪いが顔は少年寄りの幼さがあり、愛嬌を感じられる。
そんな彼は大げさにため息をつくと、神楽に頭を下げた。
「ごめんよ姉ちゃん、困らせちゃって。うちの式神はこういう妄言ばっかなんだ」
「せ、銭貨使ってるんだから要求するのは当たり前でしょ!」
美女が噛みつくも陰陽師らしき青少年は取り付く島もない。
何言ってんだこいつ、と言わんばかりの顔で口をへの字に曲げる。
「要求するにしても額が馬鹿すぎるんだよ。この姉ちゃん、そんなに持ってるように見えるか?」
「それは……ぐぬぬ」
「第一、真っ先に銭貨放り込んだのは盛姫、お前だろう。俺が何も言ってねぇのに、そういうの恩の押し売りって言うんだぞ」
「うぐぐ、そこまで言う必要はないでしょうが……」
と、そこへ殺気。
慌てて振り返れば、炎上の向こうで鬼が怒りに地団駄を踏んでいる。
「仲間! 殺シタ! 許サン! マトメテ食ウ!」
危機は、まだ去っていないのだ。
「あ、あの――」
「っと、みなまで言わなくていい」
藁にも縋る思いで声を上げた神楽に対し、青少年はわかってるとばかりに手をかざす。
そして盛姫と呼んだ渋い顔の美女の首根っこをむんずと掴んだ。
「いつまで痛がってんだ盛姫。露払いすんぞ」
「うぇえっ!? じゃあ救い料――」
「無償に決まってんだろうがすっとぼけっ」
「あーん、またそうやって武士でもないのに高楊枝するー!」
緊迫した状況におよそ似つかわしくないやり取りに、恐怖がわずかに和らぐ。
まだ油断はできない。それでも今この瞬間は彼らが守ってくれる。
神楽はそう確信した。
「あぁ、そうだ」
その確信が伝わったかはわからぬが、青少年は気楽な調子で振り返る。
「俺は浦部 佐吉、万年金欠のしがない坊主だ。で、姉ちゃんの名は?」
「あ……」
一瞬どもったのは、「みだりに名を教えてはならぬ」という教えのせい。
しかし窮地を救ってくれた恩が上回り、口が開いた。
「か、神楽……!」
「神楽……わかった。安心してくれ、神楽。まずはこの場を守り切る。その後で、行きたい場所までしっかり守るさ」
「……! あっ、ありがとうございますっ」
「いいさ、見捨てたらこっちの胸が痛むってだけの話だしな」
「無償奉仕に付き合わされる身としてはたまったもんじゃありませんけどねー」
盛姫も盛姫で不服そうに言いつつも、佐吉と名乗った青少年と並び立つ。
二人の腰布が翻るなり、ちゃりん、と綺麗な音が鳴った。
しかし神楽が見たのは鈴や護符ではない。
「銭貨の、束……?」
長さを見るに二十文の束。
それが何本も括りつけられている。
しかも二人は慣れた手つきで三枚、四枚と後ろ手に引き抜いて指に挟んだ。
まるでそれが彼らの武器だとばかりに。
「あ――!」
神楽の記憶に心当たりが走る。
幾ばくかの昔、社に語り部を招いた宴の折のことだ。
聞かされた歌物語の序説が、今目の前の光景と重なりだす。
(やんごとなき身分に生まれながら、幼くして陰陽の道を進みし変わり者あり……)
佐吉が銭貨を投げる。
額、胸、腹、と命中し、揃って大炎上。
童鬼は立ち上る炎にもがき苦しんだ末、倒れて消し炭と化す。
だが騒ぎを聞きつけたのか、新手が現れた。
(彼の者、優れた才にて異国の絶世を象りし式を生み出し、大いに名を知らしめた)
盛姫が風のごとく駆ける。
手刀で肉を裂き、切り口に銭を差し込む。
童鬼が痛みに耐えて棍棒を振るうも彼女は既に離れた後。
燃え広がる蒼炎を背に、また新たな鬼へ一撃を見舞う。
(されど悲しいかな、彼の者達が破魔に用いるは銭貨の山よ……!)
佐吉が投げる、盛姫が舞う。
無数の銭貨の輝きが青き炎へと変じ、迫る鬼を黄泉路へと送り出す。
(挙句、金に溺れて師の下を去り、金の無心を口にしながら妖を滅する無二の陰陽師として名を馳せる!)
騒ぎを聞きつけたのか、新たに童鬼が現れた。
それだけではない。里を襲った鬼の一つ、童鬼を束ねる若鬼まで出る始末。
しかし二人は揺るがない。
「盛姫!」
「はいな! これ以上の増援はご勘弁、ってね!」
佐吉の真後ろについた盛姫。
くるりと回って銭貨をばらまき、煌めきの中で大きな円を描く。
仕上げとばかりに指を鳴らせば、神楽にも感じ取れるほどの清浄なる気配が辺りに広がっていった。
(故に師とその門下からは侮蔑を、民草からは親愛をこめて、こうあだ名された!)
「銭貨結界!」
盛姫が高らかに告げる。
鬼達は喉元を押さえて苦しみだす。
そして、佐吉は。
「さぁ、『大清算』だ。一人残らず送ってやるから安心しな」
朗々たる宣言を見上げる神楽の口は自然と、語り部が告げた序説の〆にして題目を紡いでいた。
「金喰らいの、俗物道士……!」





