【番頭のステーキ屋さん】
【番頭のステーキ屋さん】
木々が覆い重なり、昼でもトンネルの中にいるかのように暗く陰湿な雑木林があった。
その林の中を北に向かって10分ほど歩くと、突如巨大なスポットライトを当てたかのように開けた場所にたどり着く。
そこにはおよそ山中の雑木林には似つかわない一件の小屋のような煉瓦造りの建物が佇んでいる。
その建物には木製の看板が取り付けられており『番頭のステーキ屋さん』と屋号が深く刻まれていた。
異世界に迷い込んだかと思うほどに異質な存在。私はそのステーキ屋(と言い張る)建造物入り口の小綺麗なドアの前に立ち、錆び付いたドアベルを恐る恐る鳴らしてみた。
「いらっしゃい! 」
鈴の音が呼び寄せ、ドアの奥から現れたのは、口髭をたっぷりと蓄えた熊のような大男だった。おそらく、屋号にある『番頭』とは彼のことだろう。
「さあ、さぁ、中に入って! お寒いでしょう? 」
彼は、ここまで異質な条件がそろっている環境の中にいるのにも関わらず、駅前の小料理店から飛び出してきたような“恐ろしいほどの普通さ”で私を店の中に案内した。鬼が出るかと気を張っていた私の方こそが異質な存在に思われるくらい、彼は当たり前の接客で、店内のテーブル席案内してくれた。
「コートをお預かりします」
彼は一流ホテルのウェイターのような落ち着き払った、だが存在感のある低音で、私のコートをまるで生まれたての赤ん坊を扱うかのような丁寧な手つきでコート掛けに掛けた。
店の内装は、これまた普通の……ちょっと洒脱をきかせた、いかにも女性客を意識した装飾で整えられている。例えるなら少女マンガでよく描かれる行きつけのカフェといった感じである。
「こちらがメニューになります」
大男(おそらく番頭という名の男)は、慣れた手つきで水が注がれたグラスと共に、やや紙が傷んだメニュー表を私のテーブルに開いて置いた。
「どうぞごゆっくりお決めになってください」
番頭はそう言って奥の厨房と思われる場所へと消えた。今気が付いたが、店内には名前の分からないクラシック曲が耳を澄ませば分かる程度の音量で流されている。
水を一口流し込んで、私はメニュー表に目を向ける。
・リブロースステーキ
160g
220g
280g
・ヒレステーキ
160g
220g
280g
・サーロインステーキ
160g
220g
280g
といった具合に、どこにでもあるような定番のメニューがずらりと載せられていた。
ただ一つ、定番から外れている要素は、どれもこれも『値段』が書いていなかったことだ。
セレブ御用達の高級店なら時価ということで書いていないことがあるが、この店は内装からしてそのケースはないだろう。
ただ、今の私にはどんな値段のステーキだろうと、おそれるものは何もない。テーブルの上に置かれた呼び鈴を鳴らし、私は番頭にサーロインの180g(パン、スープ付き)をオーダーする。
「かしこまりました」と一礼した番頭が再び奥へと消えると、しばらくして「ジュワーッ! 」と油と肉汁が鉄板の上で弾ける心地よい音が店内に響きわたった。ほどなくして、鼻が溶けるような香ばしい香りと共に番頭が客間に現れて、注文したサーロインステーキセットをテーブルに置いた。
「どうぞごゆっくり」
番頭は一言そう言い残し、また奥への方へと消えてしまった。店内と厨房(と思われる)場所へはしっかりとドアと壁で区切られており、調理の段階や様子は客席からは一切見えない造りなっていた。
しかし、そんなことなどささいな問題だと、忘れさせてくれるほどに目の前のステーキは我を失うほどに魅力的なルックスだった。
いただきます。
フォークを付けてからの時間は長くもあり、短くも感じた。ただ美味いだけではない。生命力の塊をエスプレッソのように凝縮したモノを体内に取り込むような、生きるを活力を放り込まれているような、とにかく『血湧き肉踊る』という表現がぴったりとはまるひとときだった。
「おいしかったです」
気が付くと私は空になった鉄板を前に、番頭を呼んで会計の準備をしていた。
「ありがとうございますお楽しみいただけたようで、こちらもうれしいですよ」
番頭は深々とお辞儀をした。頭のてっぺんがちょっと薄くなっている。
「それで、おいくらになりますか? 」
「お代ですか? それは結構です」
「え? 」
彼の言っていることが一瞬理解できなかった。『結構です』とは『いらない』という意味で発した言葉なのか?
しかし、そんな私の疑問をみすこしたかのように、番頭は言葉を続ける。
「当店は、この場所に訪れた方々に無償でおいしいものを提供したいという考えをお持ちの変わり者オーナーの意向によって経営されております。思慮深いあなたのようなお客様に、当店の利益や、私どもの生活を危惧されていただきますが、まったくそのような心配はございません。この店は金銭のやり取りではなく、命のやり取りに重点を置くことに意義を見いだしております」
番頭は朗らかな笑顔でそう説明すると、私の返事を待たずにコートを着せて、穏やかで丁寧に私を店の外に連れ出し「お気をつけてお帰りください」と深々と頭を下げて私を見送った。
不思議な店だったな……と、あの場所で食べた肉の味を反芻しながら歩いているウチに、いつの間にか雑木林の外……道の駅に面した広い駐車場に出ていた。
「あ……!」
今日、私がここに来た本当の目的はあのステーキ店のせいですっかりと忘れてしまっていた。
私は車のキーを取り出す為に、コートのポケットに手をつっこむと、この時初めて、私はあのステーキ店の店主、番頭に『大事な物』を盗まれていたことに気が付く。
しまった! と少し焦ったが、彼の言葉を思いだし、気持ちを切り替え、まあいいか。と車に乗り込み走らせて、我が家へ向かう帰路についた。
ちょうど同じ頃、例のステーキ店の事務室にて『遺書』と書かれた封書をシュレッダーに掛けてバラバラにしている番頭の姿があった。
「もう二度と来ないでくださいね。番頭のステーキ屋さんは、またのご来店を断固拒みます」
THE END
これでこの短編集は終わりです。いかがだったでしょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございました(人''▽`)




