生徒会長、挙動不審!
俺は毎週土曜日、午後の四時から九時までの五時間、自宅の近所にある本屋の『エンジョイブックス』で、バイトをしている。
たまたまバイトを禁止していない高校に通っているため、小遣い稼ぎとして……みたいな感じだ。今日はレジ番で、俺はレジの前に立ちつつ、店内を何気なく見回していた。
エンジョイブックスは全国チェーンの店だが、俺のバイトしている店自体はそんなに大きくはない。レジに立っているだけでも、誰がどこにいるか、大体は把握出来る。
同じシフトの佐藤さん(ふわふわ巻き毛の素敵な茶髪の女子大生)は、ライトノベルの棚の前で新刊の整理をしている。
かといって、万引きを防ぐことが出来るかと言われれば、あまり自信はない。高校で運動部に所属しているわけでもなし、殴り合いの喧嘩も小学生の頃に男友達としたのが最後だ。店の死角も決してないわけではない。監視カメラもあるにはあるが、今現在、店にいるのは俺と佐藤さんだけで、誰も確認出来る状況にはない。とはいえ、男の俺が佐藤さんに任せるのも、何だか気が引ける。
店のアナログ時計が示す時刻は、午後六時十分。俺のバイト終了時間まで、あと三時間ほど。
ふと、店のガラス張りの自動ドアが開いた。「いらっしゃいませー」と佐藤さんと共に言う。
一人の女性が店内に入って来た。しかも、よく顔の知っている。
高校の、生徒会長だった。
枝毛の一本も伺えない、さらさらの長い黒髪を腰まで伸ばし、額にはトレードマークの紫色のカチューシャ。辺りに漂う凛とした雰囲気と、切れ長の瞳。私服姿は初めて見たが、間違いない。確かに生徒会長である。
彩峰手鞠先輩。俺よりも一学年上の高校三年生で、俺の所属する生徒会のトップだ。真面目過ぎる性格と厳しい方針、加えて空手部の部長も兼任し、空手二段の実力を持っていることから『鉄拳女王』という異名で恐れられている。
習慣とは悲しいもので、学校の外であるというのに、無意識の内に背筋が伸びた。
会長はこちらには気付かず、店の奥の方へと歩いて行く。
その姿を見ながら、会長って制服以外の服も着るんだな、ともし聞かれたらぶん殴られそうなことを俺は思った。
あれ? というか、この店に来たってことは、会長って割と近所に住んでるのか?
今更ながら、会長のプライベートについて、俺は何も知らなかった。
つーか、聞けるわけない。普段、生徒会長の椅子に座って、常時眉間に皺を寄せているようなお人である。事務的な話はしても、それ以外の話をすると怒鳴られそうで、とてもじゃないが近づくことなど出来ない。
「すみません」
そうだ、会長がレジに来たら、どういう対応を取ればいいんだろう。全く考えてなかった。
「すみません」
軽く会釈して、「どうも」みたいな感じか? いや、それとも気付かないフリをして……
「すみません!」
「おわぁ!?」
思わず声を上げてしまった。なんと目の前に会長が立っていた。
会長と目が合った。すると、会長は目を丸くする。
「なっ……宝月!?」
「ど、どうも」
レジで向かい合って初めて気付いたが、会長は俺より大分身長が低かった。赤でまとめられた服装が妙に似合う。スカートから覗く白い足が目を引く。
会長が美人なのは周知の事実だ。しかし……こんなに可愛かっただろうか?
そこで我に返る。会長が眉間に皺を寄せ、じっと俺を睨んでいた。その手には一冊の本。
いかん! 会長、怒っていらっしゃる!
おそらく、早く会計してくれというのだろう。俺は慌てて会長から本を受け取ろうとする。
が、会長は俺の手をかわすように、本を動かした。
もう一度俺は手を伸ばす。
ひらり、とかわされた。
もう一度。
ひらり。
「……あの、会長?」
「買う本を間違えた」
「は?」
会長はレジから離れると、店の奥の方へと戻って行ってしまった。
一体何だっていうのか。
会長はしばらくして、レジに戻ってきた……が、俺の前を通り過ぎて、店の外へと出て行ってしまう。
「あ、ありがとうございました」と店員なので、とりあえず言っておく。
あれ? 会長、買いたい本があったんじゃないの?
俺としては、首を傾げる他ない。
……ひょっとして俺、嫌われてる?
少しへこむ。いや、ごめん、嘘。かなりへこむ。
生徒会の人間だからといって、誰しも優秀なわけじゃない。その例が、俺である。
勉強は自分としては頑張っているつもりだが、学年で上位三十名以内に入れた試しがない。運動も苦手ではないが、クラスのヒーローになれた試しがない。
生徒会メンバーの中で、俺ほど生徒会長の眉間に皺を寄せさせている人間もいないだろう。生まれつき不器用な為に、いつも資料作成で注意を受けている。
勢いだけで生徒会なんかに入るんじゃなかったなぁ、と後悔したことも少なくない。立候補する人が少なくて、信任投票だったし。クラスメイトの推薦に背を押されるまま、生徒会室に席を構えることとなった。
俺なりに一生懸命やってきたつもりだけど、会長にはいつも迷惑を掛けてばかりだ。
「宝月くん」
ため息をついていると、佐藤さんがレジ前までやって来て、「さっきの人、宝月くんの彼女?」と尋ねてきた。
「そう見えます?」
「ううん、全然」
首を横に振る佐藤さん。
でしょうね。俺は背筋を伸ばしていて、露骨に上下関係が現れていたし。
「学校の先輩ですよ」俺は言った。「俺、学校の生徒会に所属してて、あの人はそこの生徒会長なんです。でも、どうやら嫌われてるみたいで……」
「そう? 私には恥ずかしがってるだけのように見えたけど」
「会長が? まさか」
そんな人じゃありませんよ、と俺は手をひらひらとさせる。
ふと、佐藤さんが「いらっしゃいませー」と口にした。見れば、店の自動ドアが開いている。
俺も遅れて言おうとして、
「……あれ?」
来客が、戻ってきた生徒会長であることに気付いた。
会長はレジの前を通り過ぎる際に、ちらと俺を睨む。最初に店に来た時よりも表情が険しいのは、気のせいじゃない。
佐藤さん。どうやら会長が恥ずかしがっているという説は、大外れだったようです。
横目でふわふわ巻き毛を見つめると、佐藤さんは困ったような表情。いや、というか、俺に向かってそんな顔をされても。
一方の会長は再び店の奥の方へと消えて行く。
何なんだろうか、これは。会長の行動の目的が、俺にはよく分からない。
俺を目の前にして、動揺を見せたかと思えば、何も買わず店から出て、再び戻ってきて。
一言で表すなら、そう、挙動不審である。
まさか……会長に限って万引き――
……いや、それはない。俺が会長の何を知らなくても、それだけは断言する。
会長はそんなことをする人じゃない。
傲慢な考えで、単なる自惚れかもしれない。でも、俺は生徒会に入ってから、いつも彩峰手鞠という人を見てきた。
確かに怖いけど、本当に真面目な人で、鉄拳女王なんて呼ばれているが、誰かに暴力を振るったことなんて一度もない。
だとしたら、やっぱり……俺が嫌われているということなのだろうか。
それはそれでショックだが……。
会長が数冊の本を持ってレジに歩いてくる。反射的に俺は背筋が伸びた。
本がレジ台に置かれる。俺は会長の顔色を窺いつつ、バーコードリーダーを片手に会計の作業を進めて行く。
会長の眉間にはいつもに増して皺が寄っている。俺とは目を合わせようともしない。
やがて、何時間とも思えるような数分の短い作業を終え、
「どうぞ」
本を詰めた茶色の紙袋を会長に手渡す。
会長は一度俺を見て、頬を引きつらせると、さっさと店の外に出て行ってしまった。
「ありがとうございましたー……はぁ……」
ため息が漏れる。本当、分かりきっていたこととはいえ、へこむな……。
来週の月曜日から、どう接すればいいのだろう。
午後の九時を回ったところで、俺は佐藤さんにレジ打ちを交換してもらった。
「じゃあ、佐藤さん。俺、先に上がりますんで」
「お疲れー。また来週ね」
バッグを肩に掛けて、帰宅の準備をしていると、「ああ、そうだ、宝月くん」と背中に声を掛けられる。
「はい?」
「会長さんとのこと、頑張ってね」
佐藤さんは小さくガッツポーズ。無意味に可愛い。
「はぁ」
としか言えない。残念ながら、おそらくもう駄目な気がする。
俺は自動ドアをくぐり、エンジョイブックスの外に出た。
店の前には、歩道とガードレールを挟んで一車線の道路があり、闇の中を自動車がまばらに行き交っている。六月の夜は比較的過ごしやすく、頬を撫でる風は柔らかだ。喫茶店やレストランが近隣に立ち並び、空には雲の合間を縫って、ぽっかりと三日月が浮かんでいた。
……コンビニにでも寄って帰るかな。何かお菓子でも買って、家に帰ってゴロ寝しよう。うん、それがいい。
「おい」
聞き慣れた声に、背筋が伸びる。
「え」
驚いて振り返ると、店の入り口の脇、ガラス張りの壁に、彩峰先輩――生徒会長が、腕を組んで寄り掛かっていた。
「か、会長!? 何でここに!?」
「お前のバイトが終わるのを待っていたに決まってるだろう」
「待ってたって……あの時店を出てからずっとですか!?」
確か、会長が最後に店を出たのは午後の七時前くらいだったはずだから、もう二時間以上もここで立っていたということになる。
と、会長が俺の胸倉を掴んで、勢いよく引き寄せた。
俺と会長の顔の距離、およそ十五センチ。会長の息づかいが聞こえてくるほどの近さである。
冷汗が出てくるのは、異性として会長を意識しているためか、それとも単なる習慣のせいか。
会長の眉根は相も変わらず中央に寄っている。こんなに近くで初めて見たが、会長って意外に澄んだ綺麗な瞳をしているんだな、と思った。
やがて、会長はおもむろに口を開く。
「今日見たことは全て忘れろ」
「へ?」
会長の発した一言が俺にはよく理解出来ず、頭の中で反芻する。
――今日見たことは全て忘れろ。
「……何をです?」
「とぼけるな!」
そう言って会長は俺を解放すると、自身の鞄の中から、エンジョイブックスのロゴが刻まれた茶色の紙袋を取り出す。おそらく俺が会計を担当したやつであろう。会長は紙袋を開け、買った本を俺に見せた。
「こ、これのことだ! 忘れたとは言わせないぞ!」
先程忘れろと命令したばかりにも関わらず、それを忘れたとは言わせないというのも奇妙な話ではあるが、とにかく会長が俺に見せた本は三冊。
数学の参考書、英語の参考書、そして――
『恋愛タクティクス 十六巻』。
有名な少女漫画で、今年の春にドラマ化、平均視聴率三十パーセントを叩き出し、社会現象を巻き起こす程の人気になっている作品である。男の俺でさえもよく知っている。
そういえば、今日は新刊の発売日だったっけ。
会計の時は手元の作業よりも会長の様子に気を使っていたから、何を買って行ったかなんて全く覚えていなかった。
「会長も……『恋タク』好きなんですね」
「だ、だから!」会長は再び俺の胸倉を掴んで、言った。「今日のことは忘れろ! 全て忘れるんだ、宝月! いいな!?」
暗闇の中でも分かる程に顔を真っ赤にした会長を見て、俺は何だか、ほっとしてしまった。
「良かった」
「何も良くない!」
その後、夜も遅いということで、俺は会長を家まで送って行くことになったのだが、会長は終始、恋愛タクティクスを集めていることについての弁明に徹していた。
……佐藤さん。やっぱり、佐藤さんの言ってたことは正しかったみたいです。
弁明に必死な会長は、思わず笑ってしまう程に可愛らしかった。
「私はもともと、自分の意思でなく、推薦されて生徒会長になったんだ」
会長は紅茶を飲みながら、俺にそんなことを話した。
「そうだったんですか? 俺は会長のことだから、てっきり自分で立候補したんだと思ってました」
「よく言われるよ。私は昔から変に真面目な所があって、一度引き受けた仕事は、何事もきっちりやらないと気の済まない性質だからな。そういう意味じゃ、生徒会向きな人間だったのかもしれない」
人は見かけによらないと言うけれど、会長は恥ずかしがり屋な面も相俟って、おそらく典型的な勘違いされやすいタイプだったのだろう。実際、俺も見事に勘違いしていたし。
「それにしたって、やっぱり会長は凄いですよ。俺と違って、やることにそつがないし。素直に尊敬してます」
「確かに宝月は不器用だったな。最初の資料作成の時は、さすがに私も頭を抱えたぞ。あれは酷かった」
ノウハウの欠片も知らなかったから、小学生の落書きのような仕上がりであった。思い出すだけでも恥ずかしい。
「しかし」会長は言った。「見かけによらないという点では、宝月も一緒だったな」
「え?」
俺は自分の紅茶に砂糖を加え、掻き混ぜようとしていたスプーンの手を止める。
会長は窓の外を見つめながら、
「無駄に根性があった。最初はただの優男だと思っていたんだが」
「……え〜と、それは褒めてもらったってことでいいんですか?」
「さて、そろそろ行くとするか」
会長は椅子から立ち上がる。見れば、会長の紅茶カップはいつの間にか空になっていた。
「ちょっ……会長! 俺まだ飲み終わってないですって!」
会長は席を後にして、すたすたと歩いて行ってしまう。
俺は紅茶を一気飲みして、会長の横に追いついた。
「それで? 会長、次はどこに行くんです?」
「エンジョイブックスだ。今日は恋愛タクティクスの新刊の発売日だからな。それと」
会長は俺の手を取り、
「私はもう会長じゃない」
あ、怒ってる。
「はい。手鞠先輩」
俺と手鞠先輩は喫茶店を後にして、恋愛タクティクスの二十二巻を探しに向かった。