殴り合い
神も水晶も信じていなかったカイムは、地の続く限り広がっているともされる水晶の教会へ初めて訪れた。とはいえ、出迎えた数えきれないほどのハーフドワーフたちのせいで入り口の大扉しか見えなかったが。スノウに関してはドワーフと同じくらいの身長なので、むさくるしい背中しか見えていないだろう。
「ねぇ」
そんなスノウはカイムの裾を引っ張ると、無垢な瞳が子供らしい要求を述べた。
「肩車、して」
「そういうのは、親に頼むもんだ」
「私、親も兄弟もいないから……たぶん。でも見たいの。ねぇ、カイムゥ」
まったく手のかかるガキだと舌打ちをうちつつ、断りきれないスノウへの甘さを認めずに屈むと、よいしょ、と声を出して両肩から足がブランと降りると、わぁ、と喜んでいた。
「高いね。カイムより高い」
「そりゃそうだろ。重いからとっとと見飽きてくれ」
しかしスノウは、んーと首を傾げている。
「シックスっていう人、見当たらないよ?」
言われてみれば確かにそうだ。これだけのドワーフに紛れているので見つけづらいのは承知の上だが、ナンバーズであり教王ともあれば、身だしなみで見分けがつくと思っていた。だが、どこもずんぐりむっくりとして、薄汚れているドワーフしかいない。
「カイムさんでも見つからないか」
同じドワーフどうし、マックダフは大して背の変わらない壁のせいで教会すら見えていないようだ。カイムの身長でも、その上にいるスノウでも見当たらないのなら、いったいどこにいるというのだろうか。
「あれは……」
別に見なくてもいいかとスノウを下ろそうとしたら、タバコらしき白い煙がドワーフの頭上を流れ、道を開けろと声がする。そちらを見れば、巨馬にまたがったカイムより背の高く筋骨隆々の大男が、白いマントを羽織って、身の丈以上の大斧を持っていた。。ドワーフには見えないほどの身長から、何者かとよく見るが、分からない。それは囲んでいたドワーフたちも同じようで、誰なのかとヒソヒソと話し合っていた。そんな男が馬上から降りると、タバコで一服していた。
「ふぅ……自己紹介が遅れたようだな。俺こそがナンバーズのシックスだ」
右手に浮かび上がっている六の数字を辺りに向ければ、確かにナンバーズだとドワーフたちも納得している。しかし、本当にドワーフなのだろうか。人間であるカイムより背の高いドワーフなど聞いたこともない。その疑問は場にいた全員に共通していたのか、教会の神父らしき姿のドワーフが恐る恐る尋ねれば、説明していなかったとタバコを投げ捨てて踏み潰している。
「ナンバーズとなったことで、今までより俺の世界は広がった。そこにはエルフやドワーフについて研究している知識人との出会いがあり、俺の体を改造してくれたのだ。おかげでエルフを超える身長と、ドワーフの筋肉、それからナンバーズになったことで常人の何倍もの力を手にした!」
大声で演説するようなシックスは、元は普通のドワーフだったのだろう。それを改造とやらにより今までとはまったく別の体となった。それが行商人の言っていた特別な力なのだろう。カイムの決してよくない頭でも、それくらいは理解できた。
「さて、俺がこの国に来た理由は二つある。生まれ育ったドワーフの国であるサンストを純血だからとふんぞり返っている老人どもから自治権をハーフドワーフに譲歩させ、純血派と混血派の優劣を確かなものとする! 混血とは、多岐にわたる可能性なのだ! そして行く行くはエルフすら従えて、俺のような改造ドワーフを量産する! ドワーフが世界を手にするのだ!」
どうしてこうも偉い人は欲が強いのか。カイムもまたスノウを肩車したままキセルを取り出して煙をくゆらせる。ケホケホと煙にむせているスノウを一旦おろすと、一度じっくりシックスを見れば、左目が疼いた。やはりというか、たいそうな事を目標として掲げるだけあって、悪魔としての直感が猛者だと感じ取った。ナンバーズ特有の力とやらもあるのかもしれない。とはいっても、ここで戦うつもりはない。いずれは白水晶をめぐっての戦いになるかもしれないが、ここはシックスを支持するドワーフたちの国だ。半分の混血派とお供として連れている教会のローブを着た数人の騎士がいれば、スノウを抱えて逃げるので精いっぱいだろう。
とはいえ顔は覚えた。尚もシックスを一目見ようとジャンプしているマックダフの肩にポンと手を置いて、ドワーフの時代が来るかもと語りかけてサンストの検問に向かう途中だった。左目ではなく、ゼロが刻まれた左手のひらに痛みが走ると、天から一筋の光がカイムを差した。困惑していると、ドワーフたちの中央にいるシックスも同様に光がさした。
「これは初対面になるナンバーズ同士の同調だ! ならば、そこにいる人間! お前もナンバーズだな!」
この光が目印となったのか。さて、どうしたものかと立ち止まり、ない知恵を絞って熟考するも、いずれは戦うかもしれない相手に、頭を掻きながら左手のひらのゼロを見せつけた。
「俺がゼロだ。本名はカイムだが、お前たちと違って数字如きのために本当の名前を捨てはしないがな」
ナンバーズ様が三人。ドワーフの誰かがそう口にすれば、人間だからと無意識に見下していたドワーフたちが一斉にカイムへ膝を付いた。
「どうか、どうか水晶の奇跡で世界に幸福を!」
元々背の低いドワーフが膝を付いて手のひらを合わせて願い込むと、土下座しているようにも見える。だが、望まれている奇跡は起こらない。カイムは自分自身のためだけに白水晶を使うのだと心に決めているのだから。それと、
「俺は水晶の教会信者じゃねぇ。幸福だとかは、神にでも祈るんだな。いれば、だが」
その言葉で場が凍りついた。教会の信者以外にナンバーズが現れたという現実に、ドワーフたちは酷く混乱し、騎士たちも隊列を崩している。その中でシックスともう一人のナンバーズだけが平静でいられた。
「水晶の教会に属する者が手にすれば、この俺の名のもとに世界はドワーフだけではなく、他種族にも幸福が訪れる。人間、カイムといったか。お前はその夢を阻む可能性を秘めた存在だ!」
この後の流れは決まっているだろう。シックスが力づくでカイムを殺すか黙らせるかするために、戦いになる。早速もらったばかりの剣を試そうと柄に手を掛ければ、お待ちくださいと、エルフにしては屈強な体つきで長身の男が前へ出る。白いフードで顔が隠れているので、どこの誰だかわからない。などとカイムが凝視すれば、スノウがあの時の人だと驚いていた。
「久しぶりだな、イレギュラー」
「てめぇは!」
アインヘルムを襲い、謎のドワーフたちを従えていたナンバーズのワンがシックスと共にいる。この前は白装束でフードまで被っていたので顔まで見えなかったが、声はハッキリ覚えていた。
「ワン、だよな」
「その通り。貴様たちには感謝しているぞ。ナンバーズとして与えられた新たな任務に、追加価値をもたらしてくれたからな」
なにを言っているのか知ったことではないが、露わになった髪はスノウの様に純白で、紫紺の瞳を向けている。
シックスに続き、ワンもナンバーズだった。アインヘルムでの力はそれから起因するものなのだと理解したが、なぜかカイムにはなんの力も与えられていない。しかし、今はそんなことを考えている暇はなさそうだ。
「我が主のため、イレギュラーは排除する」
スラッと白く光沢のある剣を引き抜くと、シックスが何か言いかけたが、構わず斬りかかってきた。アインヘルムの時より数段動きにキレがあり、こちらも抜くかと剣に手をやったが、やめた。
「当てられるもんなら当ててみろ」
「なめたことを! 後悔する頃には死んでいるぞ!」
「ならやってみろ。俺は抜かないがな」
どうしても抜かないのなら、不本意ながらもこのまま斬り捨てると、どこかの騎士団で鍛えていたのか、その剣さばきはたいしたものだった。力任せと運任せのカイムとは違い、教本通りの斬撃に、隙を突こうとする構え、甲冑を着込む相手に有効な突き。そのどれもがナンバーズとなったからか、そこらの騎士団員よりも数倍速く繰り出される。しかし、カイムは眼帯をつけて、剣も鞘に納めたままだ。つまりは本気など一切出さずにかわしている。
遅いぞ、それも遅いなと煽ってやっていると、いつしかワンは剣を握る腕をブランと降ろして、歯を食いしばっていた。
「なぜだ、なぜ、当たらない……前回よりも強くなったはずだというのに。教会の者でもなく、悪魔の血を引く汚れた存在が、なぜ、こうも強い」
化け物だからだ。カイムはそれだけ口にすると、目にも止まらぬ速さでワンの眼前へと近寄り、鍛えられた剛腕に悪魔の力を混ぜて、顔面を殴りつけた。
「せいぜい、いい夢を見るんだな」
常人なら死んでいるであろう一撃は、ワンを殴り飛ばした衝撃で煉瓦造りの雑貨屋の壁に激突した。気を失うか、打ち所が悪くて死ぬかとも思っていたが、うち付けられた煉瓦を背に、ブツブツと呟いている。近寄って聞いてみれば、常軌を逸した執念のようなものを感じた。
「世界を創りなおすため、世界の脅威を取り除くため、世界を導くため……私は負ける事を許されていない。私はあのお方のために勝利するための存在。それが、それが……」
敵ながら見ていられなくなり腹を蹴って気絶させてやると、次はシックスが大斧を振りまわしてくるかと剣に手をやれば、深いため息を付いていた。
「俺に忠実なのはいいところだが、時々命令を無視する。それさえなければな」
呆れているのか心配しているのか、とにかく騎士数人にワンを運ぶように命令すると、改めてカイムたちを見た。
「つい先日、昨日だったか。報告を受けていたのを忘れていたが、今の戦いぶりを見て思い出した。深紅の左目を持つナンバーズかつ悪魔の男と、両目が深紅に染まっている少女――カイムとスノウとな。お前たちだろう?」
答えるのは少し迷った。しかし、あのナンバーズ二人に差した光はナンバーズ同士を照らしていた。それに、ナンバーズのワンを完膚なきまでに叩きのめしたので、言い訳はきかないだろう。
「その通り、ナンバーズとやらのゼロだ」
やはりな。シックスは不敵に笑うと、羽織っていたマントを脱ぎ捨てた。
「国一つを陥落させられるワンを相手に傷一つ負わないお前に、戦いを申し込む」
戦いと聞いて、剣へと手を向けようとしたが、シックスは違うと口にする。
「剣と斧で斬り合えば、それこそ本当の殺人に発展するかもしれない。教王の俺なら法で裁かれなくとも、お前は違う。だから素手で戦うとしよう……本音を言えば、ワンを圧倒したお前と拳で戦いたいだけなんだがな」
マントもなくなり、カイムより二回り大きいシックスを相手に、恐怖の感情はなかった。それよりも、これだけの相手なら『あれ』を試せるかもしれないと、赤いロングコートをスノウに預けた。
「戦うの?」
純粋な疑問に、戦うとだけ答えたら、なら頑張ってと、カイムとシックスの一騎打ちのために退いていったドワーフに紛れた。
「悪魔など腐るほど殺してきたが、お前はどうにも数頼みの雑魚とは違うようだな。全力でいかせてもらう!」
膨張していた筋肉に力を込めたのか、着ていた布の服とズボンは千切れて、大木の様な両腕と、岩の様に隆起した太ももが圧倒的な威圧感を醸し出している。ナンバーズの力とやらも肌で感じ取れて、ワンを軽くしのぐ強敵だと感じ取れば、血がたぎってくる。
「面白しれぇ! まずは半分だ!」
剣をマックダフに預けると、眼帯を外して深紅の左目を周知のものとする。本物の悪魔だと囁かれる中、一歩、一歩と歩み寄れば、シックスも同じ様に歩いてくる。その距離がお互いの拳が届く地点まで縮まると、若干の静寂が流れた。聞こえてくるのは風の音と、固唾を飲んで見守るドワーフたちの囁き。二人は微動だにしなかったが、雑貨屋の吊るされた看板が風を受けて揺らめくのを止めた瞬間に、両者は拳を突きだした。
拳は互いの胸に、なんの防御もなくぶつかると、衝撃から二人して一歩後退する。まだこんなものじゃないと、カイムが大振りの蹴りを繰り出せば、その足を手のひらで掴まれ、ワンとは別の建物へと投げられた。煉瓦造りの建物が崩れながら、シックスは修繕費が必要になったなと、騎士からマントを受け取ろうとしていた。だが、そこへ瓦礫が飛んできて、シックスはギリギリのところで受け止める。
「お前、まだ動けるのか!」
「俺の血筋は伊達ではない。倒したいなら、魔王でも連れてこい」
しかし流石は教王を名乗るだけある。ワンなど比べ物にならない程、力に満ち、下手をすれば死にかねない攻撃を繰り出してくる。このままでは負けるだろう。そう、このままでは。
「実のところ、俺は自分の全力を――どこまでやれるのかを知らない。そんなことしなくても、十分戦えていたからな……だが、てめぇなら、試せるかもな!」
瓦礫の山を吹き飛ばして立ち上がると、琥珀色の右目に意識を集中させる。体中が、というよりは半分の人間としての体が悲鳴を上げているが、代わりに悪魔の力がみなぎってくる。一歩前へと進めば、踏まれた瓦礫は木端微塵に潰れた。
「これが、今の俺の全力だ!」
人間と悪魔。決して交わるはずのなかった存在同士が結ばれて生まれた、奇跡の力。人間の心と、悪魔の力を鍋に入れてかき回したかのようなカイムの体を、今は魔王を倒したサタナキアの血が全身を駆け巡り、両方の瞳が深紅に染まる。
「第二ラウンドだ」
カイムの言葉に高笑いをあげたシックスは、とことんまでやろうと開けた場に戻り、指の関節を鳴らして肩をグルグルと回していた。
「さて、行かせてもらう」
「おうとも!」
全力のカイムは大柄なシックスに突進でぶつかり、そのまま離してたまるかと腕を背中に回して、丁度胸辺りに頭突きを何度も繰り返す。クラッと来たシックスだったが、すぐさま立ち直り、今度はカイムの頭に頭突きを食らわして、よろめいたところを蹴り飛ばした。もはや蚊帳の外にいるドワーフたちへと転がり込んだが、すぐさま立ち上がると、渾身の右ストレートを構えたままと突撃し、両腕で防御されたが、懐に入れた。腹を徹底的に殴りつけ、渾身の一撃をみぞおちに叩きこんだ。シックスも負けず、足元を払うと、転んだカイムへ馬乗りになり何度も、何度も殴った。しかし拳の嵐がほんの数瞬止むと、カイムが気を失っていたのかと勘違いしたのか、馬乗りのまま息を吐き出した。
「まだ、終わってねぇ……!」
油断は命取りだ。シックスはカイムが放った拳を腹に食らうと、唾液が飛び散る。
「この世界最強の座につこうとする、俺にここまでやらせるとは……」
シックスはここまで蓄積していたダメージと、力を抜いていた腹への強烈な一撃から、カイムの横に寝そべるように倒れた。追撃しようとどうにか立ち上がったカイムだが、深紅の両目から赤い涙がとめどなく流れている。時を同じく、体から悪魔の力がいつもの常態に戻るのを感じた。右目も元の琥珀色に戻ったようで、そのままシックスの横へ寝ころんだ。
「これが、全力の限界か」
二人は衆人環視の中、ナンバーズだとか水晶の教会だとかなど関係なく、ただ力をぶつけ合いたいからという野蛮で品性の欠片もない行いをした。互いに敵同士、白水晶をめぐるライバル。だがそんなものはどうでもよくなるほどに、全力を出して戦うのは、良かった。その一言に尽きる。なんとなくだが、シックスもそんな気でいるのではないかと首を曲げれば、楽しかったなと、スノウのような子供の様に笑っている。
「俺の、九百年の人生。人間どもに虐げられながらも、水晶の教会へと入った若いころの喧嘩からここまで、全力を出したのは、お前が初めてだ。どんな騎士団長も、どんな悪魔も、中には言葉を理解し、群を操る頭のいい悪魔とも戦ってきたが、全力はいらなかった――だから、感謝するよ」
そうして、柄でもない事を言ったなと笑いながら敗れていないズボンのポケットから潰れているタバコの包みとマッチを取り出すと、吸うか? などと誘ってくる。
「たまには、タバコも悪くねぇかもな」
一本貰い、マッチで着火すると、キセルとは違う味わいと香りが鼻孔をくすぐる。
「格別な味だ」
「同感しておいてやる。だが、あと酒があればいいんだがな」
「贅沢を言うなよ」
そんな、何気ないやり取りの中で、カイムは久しぶりに分かり合えたと、空へとタバコの煙が流れていく。
「なにをしている?」
聞かれて、気付いた。また無意識に空へと手を伸ばしていた。
「願い事か?」
「そんなところだ」
「なら、白水晶を手に入れるんだな。俺が先に手にするが」
そうして立ち上がり始めたシックスへ続くように起き上がると、
「俺が先だ」
そうとだけ断言しておいた。