ストレート・アップ
酒場が盛り上がる夜まで、外では居づらいので宿に籠っていたが、時計台が夜を知らせる鐘を鳴らすと、赤いロングコートに身を包み、眼帯をして、エーベル銀貨の詰まった財布をポケットに入れておく。スノウには金の使い方を覚えてもらうためにボトム銅貨、アルト銅貨、エーベル銀貨をそれぞれ十枚ずつ渡してあるので、カイムが酔って商品を頼めなくても、自分でなんとかするだろう。
「さて、久しぶりの酒だ」
夜の闇の下、国の中を闊歩すれば、中では酔っ払いどもが大騒ぎしている酒場を見つけた。賑わっているのなら、いい店なのだろう。
「ん?」
ここにしようと扉を開けようとすれば、立札が置いてある。
『ここは混血の店。純血は帰れ』
なんとも、対立している街に相応しい立札だ。だが、カイムもスノウも、悪魔との混血だ。邪魔する、とスノウの手を引いて酒場に入れば、奇異の目が一人、二人と伝わっていき、ドワーフにしては大柄な男が両指を鳴らして近寄ってくる。
「この国はドワーフのもので、この酒場は混血の店だ。人間は当然だが、修道女様にも出ていってもらう」
強面のドワーフは丸太の様な両腕を組んで威圧感を醸し出しているが、久しぶりの酒を邪魔されてはたまらない。だとしても、どうしたものか。カイムの身長に遠く及ばないドワーフを前に、店内を見渡せば、丁度いい物があった。
「てめぇも、金は欲しいだろう?」
「なんのことだ」
「大金をくれてやるって言ってんだよ。もっとも、勝負になるがな」
そこまで話すとハッとして、ドワーフは酒場に設けられている、ルーレットを見た。
「俺たちが気に入らない連中はまとめてかかってこい。その代わり、俺たちが勝ったら金と酒を貰う」
人間如きがと、どこに行っても聞こえてくる決まり文句が場に流れたら、やってやろうじゃないかと、つっかかってきたドワーフも含めてルーレットの周りに集まってきた。総勢十人といったところか。
「ここは単純にいくか。五ゲームで一番チップが多かった奴の勝ちだ――さて、あとは任せるぞ、スノウ」
コクリと頷いたスノウはテーブルに座ると、ガキが相手じゃ勝負にもならないと騒がれている。ニベルと大して変わらない扱いに頭を掻いて、スノウにルールを大雑把にだが説明した。アインヘルムでは勉強嫌いだったスノウだが、一度集中して覚えたことは決して忘れない特技がある。そして、スノウには神に愛されているような豪運がある。まるで土砂崩れの様に全てを掻っ攫っていく、そんな豪運が。荷馬車の上でトランプを借りて暇つぶしに遊んでいたブラックジャックでは毎回ジョーカーを引き、勝負にすらならなかった。
「エーベル銀貨一枚につき、一枚のチップとさせていただきます。それぞれ場に出してください」
カイムはニベルでの大勝ちから財布に余裕はあるが、無限でもないし、行商人への乗車代や旅支度で出費がかさんだ。だからこの場はスノウに任せて勝ってもらい、葡萄酒をありったけ飲む。
そうして交換したエーベル銀貨は三十枚であり、いくら賭けるかは自由だ。それでも、五本勝負で多く持っていた奴が勝ちであり、十人のドワーフが相手だ。スノウの豪運が通用するかと、若干の緊張を覚えていると、スノウはチップの山を一目見て、ルーレットへと視線を移す。そうして十人がそれぞれインサイド・ベットに分けてチップを置き終ってから、スノウは躊躇することなく三十枚まるまる赤の九にベッドした。これには場が盛り上がり、口笛も聞こえてくる。相手をしているドワーフたちも、馬鹿げている、金の無駄だとそれぞれがスノウを馬鹿にしていた。
「小娘、そいつはストレート・アップってんだぜ? 勝てば三十六倍のチップが手に入るが、長年生きてきて一度も見たことねぇ。どれだけ信心深いか知らねぇが、奇跡なんて白水晶にでも頼まなけりゃ叶わねぇんだよ!」
「それは、どうかな」
馬鹿にされてイラついたのか、スノウにしては勝気な言葉に、ドワーフたちはディーラーにとっととやれと促すと、ルーレットを銀色の玉が回る。ドワーフたちは五本勝負とだけあって、勝っても二倍か三倍になる程しか賭けていなかったが、銀色の玉が速度を落としていくと、十人に冷や汗が流れ始めた。そうして回転が止まりそうになれば、当たるはずがないだとか呟き始めた。しかし、銀色の玉が回転をやめて落ち着いたのは、スノウの賭けた赤の九だった。ドワーフたちはニベルと同じように唖然として、ディーラーも手が震えていた。その沈黙を破ったのは、キセルに火をつけて一服したカイムだった。
「ストレート・アップ。賭けた三十枚の三十六倍のチップを頂く」
我に返ったディーラーが、金を用意するからと慌てて酒場の奥に引っ込んでいく。そうしてよくやったと、スノウの肩に手を置いたら、ふざけるなと声が上がった。
「ストレート・アップなんて決まるはずねぇんだよ! さてはてめぇら、イカサマしやがったのか!」
「なんのことだか。確かに、三十枚の三十六倍だから、千八十枚のエーベル銀貨が俺たちの懐に詰まる。流石にこんな酒場じゃ払えないだろうが、それでも十分だ。羨ましいだろうが、いい歳したドワーフたちが大人げねぇな」
そう諭しても、十人のドワーフたちは敵意を殺意にまで変えて、椅子に立てかけていた小ぶりの斧を手に取る。
「修道女は生かしてやる。もうすぐシックス様が来るからな。だが人間、てめぇは八つ裂きだ!」
酒の入ったドワーフたちは斧を振りまわしながら机や椅子を破壊してカイムに迫る。しかし、カイムはキセルを咥えたまま飛び退く。
「とっとと片づけて、エーベル銀貨千八十枚分の葡萄酒にありつくとするか」
斧を相手に素手では、カイムにとって逆に殺しかねないので、剣を引き抜いた。その腹で殴りつけてやれば、自然と倒れていくだろう。とはいえ、ドワーフたちは剣を見て笑っている。
「そんな安っぽい剣で、俺たちと張り合おうってのか! 笑わせるぜ!」
「流石はドワーフ、ハーフだろうがチンピラだろうが、武具の良し悪しはわかるんだな」
舐めた口もそこまでだ。唾を吐き散らしながら大声を張り上げたのを合図に、他の客も、店主も隠れてしまった。殺さず、あまり深手を負わせないために、酒場で大振りの斧を避けていると、一人のドワーフの接近を許してしまった。斧の横薙ぎに大剣で受けるが、ドワーフは所詮安物と、長い付き合いだった大剣が折られてしまった。とっさに距離を取ったが、得物がなくなった。
「降参したらどうだ? 今なら、あの勝ち分を寄越せば許してやるぜ?」
「生憎と、負けず嫌いだからな」
素手で戦うのかと馬鹿にされたが、カイムにはドワーフの攻撃が止まって見えていた。一歩、二歩と歩いていくと、斧を掲げて振り下ろしてくるドワーフをかなり加減して殴り飛ばした。想定外の威力に驚きながら転がっていき、いくつもの机が壊れ、唖然としているドワーフを二人掴んでガラスを割って外へと投げ捨てる。仕掛けてきた全員が、喧嘩を売る相手を間違えたと気付く頃には、酒場の中は壊れた椅子や机、酒の零れ落ちる樽や瓶の破片と水滴、それに十人弱の気を失ったドワーフたち。スノウも端の方で固まっている。
「やりすぎたか」
倒れているドワーフにキセルの灰を落とすと、折れた大剣を捨てて酒を貰おうかとカウンターへと行けば、コップも酒瓶も樽も壊れて、なにも出せないという。そのうえ、ここまで酒場を滅茶苦茶にした分の修繕費を求められた。参ったことに、提示された金額は手持ちではとても払いきれない。
「仕方ねぇな。俺も大人げなかった。勝ち分のエーベル銀貨千八十枚でなんとかしてくれ」
そうして割れていないコップを取ると、中身が零れ落ちている葡萄酒を注いで一杯だけ飲むと、キセルをふかして、スノウを連れて壊れた出口を通り抜けていく。
だが、店を出たら呼び止められた。
「なぁあんた! さっきの戦いぶりを見ていたんだけどさ、凄まじい強さだな!」
なんの用かと、今の今までドワーフを殴り飛ばしていたので警戒していると、人間もエルフも気にしないと、両手を振って否定した。
「でも見たところ、まだ全力を出していないだろ? ドワーフを投げ飛ばした時も片手だったし、殴ったのも加減していた。俺は職業柄、そういう体の動きに詳しいんだ」
御託はいいから本題へ移れともう一口吸いながら見ると、いい話があると切り出した。
「俺はこの前、ようやく一つの鍛冶屋を造って、特別な鉱石も手にしたんだけどさ、なかなかその鉱石を使った依頼がこないんだ。俺と同じドワーフのくせに、安物の軽くて脆い剣か斧しか頼まないんだよ。何度も俺が作れる本気の武具はいらないかと聞いているんだけど、金もかかるし、『重たくて』使えないからって断られてるんだ。でもあんたなら、使いこなせるかもしれない」
見たところハーフで、口調からも青年だと分かると、話の流れから剣を打ってくれるのかと聞いた。
「もちろんだ! このまま数打ちか安物しか扱っていないと、腕が錆びちまうからな! それに、こんな北の地まで修道女様が来ているってことは、教会の大聖堂のあるエレナまで行くんだろ? 道中の安全のためにも、一本いらないか?」
そこらのエルフやドワーフならどうとでもなるが、ワンのような相手が現れれば、剣が必要になる。スノウを守るためにも必需品なので、財布を取りだしたら、ドワーフは首を横に振った。
「あんたたちがエレナまで行くのなら、エレナで俺の鍛冶屋のことを宣伝してくれればタダでいいよ。それに、修道女様を守る騎士の剣を作るなんて機会、ドワーフの命は長けれども、一生に一度あるかないかだからな」
タダで新しい、それもドワーフの打った剣が手に入るのなら、これほど美味しい話はない。詐欺かもしれないかとも疑ったが、金を払わなくていい以上、詐欺のしようがないので、頼むことにした。
「俺はカイムだ。こいつはスノウ。ちなみに親子でも兄弟でもない」
「そんなこと気にしないよ。それで、俺はマックダフだ。今日は遅いから剣を打つ音で眠りを妨げるから明日になるけど、半日もあれば完成するぞ!」
若くして一つの鍛冶屋を経営するのだから、余程才能にあふれているのかと思っていたら、まさか半日とは。
「そこまで急ぐ旅じゃねぇから、一番いいのを頼む」
了解。それを最後に、また明日ここに来てくれと地図を広げて店の場所を指差すと、水晶の教会の近くだった。昼過ぎには完成するというので、思う存分寝よう。明日は剣を受け取るのと合わせて、サンストを出て行商人も通らない草原を行かなければならないのだから。物資の補充も行わなければならない。
そうして、宿のベッドに戻り、しばらくは味わえなくなる布団を堪能していたら眠っていた。
二度寝、三度寝とうつらうつらしながら日がてっぺんに登るのを待つと、ようやく昼を知らせる鐘が鳴った。体を伸ばして一息つくと、同じように昼まで眠っていたスノウを揺り起こす。
「んぅ……おはよう」
「もう昼間だ」
「なら、おそよう?」
「馬鹿なこと言ってないで、荷物を纏めたら宿を出るぞ」
わかった、と深紅の瞳を擦りながら着替えや財布をリュックにしまい、修道女のローブに袖を通して、フードを被る。カイムも赤いロングコートを着込んで、そろそろもう一枚下に着るべきかと、冬の街並みを見ながら思い浮かんだ。スノウも寒がっており、どうやら、カイムとスノウの買う物が一つ増えた。
「まずは旅支度を整えるぞ」
「んぅ、わかった」
荷物を背負い、宿の主に宿泊代を支払うと、大きな青い瞳が二人を捉えた。
「シックス様が先ほど御出でになったようだ。混血派の代表として純血派を黙らせるらしいが、あんたたち人間のことをどう思っているのかわからん。早いところ国を出たほうがいいかもしれない」
「気遣いには感謝するが、ここから更に北へと向かう以上、色々と入用になってくる。国を出るのは全部揃えてからだな」
「……人間はワシらの様に長生きできん。命を大切にな」
覚えておくよと扉をあけて出ていくと、スノウも一礼して賑わっているサンストの石畳の敷かれた道を行く。
「みんな、なんだか落ち着かないね」
「そりゃそうだろ。同じドワーフかつ、水晶の教会の教王が来るんだからな」
混血派はどうやって迎え入れるのかと、準備のためにあちこちを走り回っている。逆に純血派はシックスの機嫌を損なわないように礼服を着こむか、逃げる準備をしていた。
「だってのに、商人たちは相変わらず金儲けに必死か」
純血のエルダードワーフが主を務めていた店や鍛冶場こそ閉められているが、ハーフドワーフたちはいつもより上機嫌で店番をしている。とりあえず、まずは雑貨屋へと赴き、刻みタバコを大量に調達すると、呉服屋で生地の厚い二人分の服六着を買い、日持ちする食い物を、旅に生きる行商人から聞いた通りの種類を揃えた。
あとは、鍛冶屋でマックダフから剣を受け取るだけだ。
「ずいぶんな人だな」
マックダフの鍛冶屋、というより、近くにある水晶の教会にシックスが訪れるというので、亜人でごった返している。その中をどうにか抜けると、敷居も扉もない開かれた鍛冶屋へとたどり着く。土煙の鍛冶屋と看板をぶら下げて。
「調子はどうだ」
まだ鉱石を打っていたマックダフに問いかければ、冬だというのに汗を拭って、さわやかな笑顔でもう少しだと答えた。ならば待つかとキセルを咥えると、スノウは武器に興味があるのか、立てかけてあるか吊るされている剣や斧を見て回っている。
「それで、カイムさん。この剣だけどさ、普通の剣とは別物なんだ」
「別物?」
「悪い意味じゃなくて、いい意味でね」
答えながらも槌で剣を叩くマックダフは、昨日話した特殊な金属を用いたと背中を見せながら言う。
「まだ客に売ったことのない、伝説の鉱石オリハルコンに似た、なにがあっても刃こぼれせず、切れ味も落ちず、折れない剣なんだよ」
「それだけの品なら、並べておけばあっという間に売り切れるだろ」
それが、と槌を置いて打ち終った大剣を掲げると、手が震えていた。
「本物のオリハルコンなら羽の様に軽いんだけど、この鉱石はとても重たくて。ハーフとはいえドワーフである私でも、片手で持っているのがやっとなんだ」
「そんな品物を、人間である俺に渡すのか」
「酒場での戦いっぷりを見ていれば、ドワーフより力があることはわかるからね。握ってみてくれよ」
持つのに疲れたのか床に置かれた黒い刀身の大剣を手に取れば、今までのものより数倍重たいのは確かだった。しかし、魔王を倒したサタナキアの血は伊達ではない。鍛冶場の中で振り回すと、カイムに持たれるのを待っていたのではないかと思えるほどに、振り回しやすく、重みがある。これで刃こぼれとかをしないのなら、これを振り下ろされた相手は、たとえ盾で防御しても、盾を破壊して斬り刻まれるだろう。
「良い物を貰った。これからの旅はこいつを頼りにさせてもらう」
「全力で打てたから、こちらとしても満足だよ」
そして鞘を投げ渡されると、竜の装飾が施されていた。肩から掛けられる縄もついている。
「サンストに来たら、ここへ寄るように広めておく」
「ありがとう、は?」
蚊帳の外にいたスノウが突然割り込んできた。不器用かつなれていないので眉間を押さえると、ぶっきらぼうに礼は伝えた。
「それで、そろそろシックスとやらが来るらしいな」
マックダフに確認を取れば、もう水晶の教会へつくはずだと口にした。
「どうせだから、一緒に行かないか?」
マックダフも信者だったようで、誘われた。断ろうとも考えたが、スノウは信者ということになっているのだ。行かなければ、怪しまれる。それに、水晶を追うライバルの顔を見ておいて損はないかと思い直し、早速剣の縄を肩に掛けると、鍛冶場を後にした。