ドワーフの国
今日はニベルを出て五日目であり、季節は冬へと一歩踏み込んだが、そんなことを忘れてしまうようなよく晴れて暖かい日和だ。行商人に金を払って荷馬車の荷台に乗せてもらっており、商品として積んでいたクマの毛皮を布団代わりに空を見上げていた。スノウは毛皮に包まり眠っており、ほがらかな時間が流れていく。そうしていると、暖かい日へ向けて、無意識に手を伸ばしそうになった。
「まだ、この手は虚空しかつかめねぇか」
「詩かなにかですかい?」
そんなに詩的だったかと疑問を抱きながら、御者台で馬を操るハーフドワーフの行商人が振り返った。
「しかし、その修道女様は信仰心がお高いようですね。なにせここから北は、あなた方を乗せていくサンストを超えてしまうと、本物の白水晶が安置されているとかいう水晶の教会の大聖堂があるエレナまで小さな村くらいしかないというのに。それでも北へ行かれるのでしょう?」
「こいつも俺も、神にだって水晶にだって叶えてほしい願いがあるんだよ」
エレナに白水晶があるかもしれないと、ニベルにいた神父から聞いたので向かっているが、欲深いことで、行商人は肩をすくめた。しかし、スノウを見やって難しい顔をした。
「その子は、ハーフエルフかハイエルフなんですかね」
「そんなところだ。なにか問題があるのか?」
刻みタバコを詰めて火をつけると、一服している間に行商人は言葉を選んで口にした。
「サンストは大昔からドワーフの国でして。そのうえ混血派と純血派が対立しています。私は種族間や混血と純潔の争いに興味はありませんが、いくら修道女様でも、なにをされるかわかったものではありません」
「そういう面倒事を片づけるために俺がいる。それにしても、あんたは人間が相手でも差別しないんだな」
「商人は皆、金の奴隷ですからね。二人分の代金を払ってもらっている以上、私はあなた達の奴隷ですよ。人間も奴隷ですし、仲良くしましょう」
「……俺は人間じゃねぇよ」
なんですか? 聞き返されたが、なんでもないとはぐらかす。
「それと、もう一つ問題がありましてね」
ハーフドワーフは手綱を握りながら前へと向き直り、サンストに水晶の教会のお偉いさんが来る予定だと口にした。
「十年程前にナンバーズを神より授かった、水晶の教会の教王、ハーフドワーフのシックス様が訪れるらしいんですよ。長いこと表舞台には出てこなかったお人ですが、なにやら特別な力を得たとかで。噂ですが、その肩慣らしに純血派を一掃するとも聞いています」
教王シックス。名前だけは聞いていたが、この先で出会うことになるとは夢にも思っていなかった。とはいえ、所詮はナンバーズといえど、ハーフドワーフに変わりはないだろうと返しておいた。しかし、
「どうにも違うようでして。ナンバーズになられた方は絶大な力を得るようなんですよ。大斧の一振りで大樹を斬り倒せるような腕力と、建物二階くらいなら屋根の上に飛び乗れる脚力とか……すべてが本当かは怪しいところですが、とてつもない力を手にしたそうです」
それは嘘だろうな。カイムは煙を吐き出して否定した。ナンバーズになるだけでそれだけの力を得ることができるのならば、ナンバーズのゼロを手にしたカイムに何の変化がないのはおかしい。おおかた、権力を広めるための作り話だろう。
「ひと眠りするか」
行商人曰く、もう半日もすれば到着するらしいので、キセルをしまって横になる。自然と欠伸も出てきて、スノウの寝顔を見てから眠りに落ちた。
「それでは、よい旅を」
サンストの市壁に到着して、行商人は荷馬車用の検問へと向かうので、運んでもらった分の硬貨を全額支払うと別れた。流石はドワーフの国というだけあって、検問にエルフの類は一人として並んでいない。代わりに奴隷となった人間が穴だらけのボロを着て、腹の出た、見るからに金持ちであろうドワーフの荷物を背負っている。その足首に鎖と鉄球を結ばれ、自由を奪われて。
「助け、たい」
たどたどしい口調でカイムと同じように人間の奴隷を見ていたスノウはそう言うが、こればかりは仕方がないのだと頭に手を置く。
「三十年前――レッドレインが降るまでは、ドワーフやエルフが奴隷扱いを受けていた。全員が全員ではなかったらしいが、社会的に虐げられていたんだよ。ここで人間の奴隷だけ助けたら、不公平になる」
納得はしていない。半年も一緒に暮していれば、表情だけでなんとなく考えていることはわかる。それでも騒ぎを起こしては不味いと知ってか、俯いて諦めてくれた。
「それにしても、お前はずいぶんと人間の肩を持つな」
ニベルでの火刑台での出来事や、目の前で荷物を運ぶ奴隷を見て、スノウは助けたいという感情を強く抱いている。
「なんで、かな。人間を、奴隷にするのはおかしい? んぅ……とにかくなんだか、もったいないと思う」
「もったいない? なんのことだか知らないが、本当になぜそこまで人間に肩入れする。しかし、人間を救いたいのなら、この社会そのものを操れる権力者を説得でもしない限りは不可能だ。そんな力を持った権力者も、どこにいるんだかわからないがな」
世界って、難しい。スノウは改めて、今生きている世界へ愚痴を零した。
検問を抜けて、そこら中に鉱石を運ぶ荷馬車や鍛冶屋らしきドワーフがひしめいているサンストは、聞いていた通り、二つの勢力に分かれているようだ。明らかに純血が混血を見る目に敵意が籠っている。逆もまたしかりで、大らかなドワーフの雰囲気があまり感じ取れない。それに加えて人間の奴隷や、数少ないエルフへの視線は両方ともから強く浴びせられており、カイムとスノウもその一員になった。スノウは怯えているが、カイムはもう慣れていた。これが人間に対する世界なのだ。半分は悪魔でも。
「面倒事になる前に宿を探すぞ」
スノウにフードを深く被せてから、両手のひらを組み合わせて歩いてもらう。どれだけの敵対心があろうと、水晶の教会を信仰する者は手出しができない。などと思っていたのだが、周囲からの視線はあまり変わらなかった。それだけ、他種族が嫌いなのだろう。
「陰気なことで」
睨み付けてくるか一瞥するだけのドワーフたちへ聞こえるように言ってやると、若いドワーフたちは今にも襲いかかってきそうだ。それを大人が止めているが、向けられる侮蔑に変わりはない。
スノウもかなり怖がっているので、目に入った適当な宿に決めると、扉を開けて受付へと進む。
「元は鍛冶屋か何かか?」
扉を開けてからずいぶんと広い間取りで、完成した武具を吊るしておくためのフックも見て取れた。階段は後から付け足したのか、端にひっそりと二階へ続いていた。
「泊まるのは二人か」
外からしか見たことのない鍛冶屋の様な内装を見ていたら、これもとってつけたような受付台に、一人の顔がしわだらけなハーフの老ドワーフが肘をついていた。
「二人分で構わない。だが、どうにも外に居づらいから適当に決めさせてもらったが、ベッドは二つあるか? それと暖炉も」
「三階の部屋にはベッドも置いていないが、丁度二階が一部屋開いている。要望には応えられる部屋だ。しかし、子ずれか? 百年以上、水晶の教会を信仰してきたが、そんな小娘が修道女をやっているのは見たことがない。その仕草もな。まあ、修道女としておけば色々と便利だろうというのが本音か」
「どうやらボケた爺さんとも違うようだ。金なら払うから、わけありということで、見逃してくれ」
宿泊代だけを払えばなにを他言しないと物静かな老ドワーフへ、いつ敵対心を向けてくるかと構えておいたが、気にしていないようだ。
「あんた今、ワシのことを外の連中とは違うと思っていただろ」
ハーフの亜人たちは見た目の成長が遅いので、この老ドワーフは相当な年齢のはずだ。見抜かれたのは年の功という奴なのか、その通りだと財布から宿泊代を取り出しながら答えた。
「もう、ワシも数千年と生きておる。そろそろ死んだ婆さんが迎えに来そうなほどにな。お前さん方を差別の眼差しで見ないのは、人間だった婆さんのおかげと、いい加減種族や血の違いで争いなど馬鹿げていると思っとるからだ」
ハーフとはすなわち、人間が奴隷としてエルフやドワーフを扱っていた時、無理やり孕まされた奴がほとんどだ。しかし、この主は違う。ここまで運んでもらった行商人も違う。争いの火種も、思いのほか少ないのかもしれない。
「あんたの考えを、国王にでも伝えてぇな」
「国王より、教王シックス様だろう。今や、水晶の教会はここよりずっと南にある王都の大国王よりも影響力がある。世界を良い方向へも悪い方向へも進めるのは、シックス様か、他のナンバーズか……エルフでも人間でも、この際悪魔でもいいから、この世界を平和に変えてはくれないものか」
その悪魔は目の前に二人いて、片方はナンバーズだと知ればショック死でもするだろうか。ニベルから方々へ早馬や教会繋がりでカイムとスノウのことは知れ渡っているとはいえ、全ての亜人たちに伝わるには、五日では無理があるだろう。老ドワーフから二階を使ってくれと部屋のカギを受け取れば、早速階段を登って、部屋の中を見回す。
「本当にベッドが二つと暖炉もあるか。適当に決めたにしてはいい宿だ」
だが飯は出ない。老ドワーフ一人で切り盛りしているような宿では、そこまで贅沢はできない。ということで、食い物を食えるところに行かなければならないのだが――
「ようやく酒にありつける」
アインヘルムでの半年は、たまに来る行商人が持ってきた僅かな酒しか飲めず、ニベルでもスノウを放っておけなくて飲んでいない。ならば、毛皮に包まって十分に体力を残しているスノウを連れて、酒場に行ける。スノウは酒が飲めなくても、道中で食べてきた塩辛いか味の薄いパンとは違い、アツアツで油たっぷりな肉や魚が食える。そこらへんを伝えると、行く、と即答だった。