悪魔じゃない
スノウのおかげで財布一杯に詰まったエーベル銀貨を両替商へ立ち寄って縁のないと思っていたアリオーヌ金貨四枚と、細かい買い物のためにアルト銅貨五十枚に変え、両替代でエーベル銀貨を一枚支払う。そのまま雑貨屋へと足を運んでスノウの財布とカイム用の大きな財布を購入すると、それぞれに硬貨をしまう。もう夕焼けが落ちていく頃合なので、暖炉と二つのベッド、そして夕食と朝食のつく宿に泊まることにした。中々の値段だったが、今のカイム達なら気にもならない。
早々と夕食をすませて酒場にでも出ようと考えていたのだが、スノウはニベルに着くまでの慣れない野宿で疲れており、一人にしておけないので、今日のところはゆっくり休むことにした。酒はお預けだ。
とはいえスノウは今にも眠りそうだが、国へ入った以上、知っておいてもらわなければならないことがある。
「おい起きろ、少し勉強だ」
欠伸をしているスノウに亜人社会の常識を教えるために起きていろと揺さぶると、一応目を覚ました。
「んぅ……なに?」
「だから勉強だよ。生きていくための」
ここでも勉強かと椅子から机に倒れている、スノウの横に座った。
「アインヘルムにはハイエルフ――ハイエルフ同士の間で生まれた純血のエルフだけがいたが、外では違う。他種族との間に産まれたハーフエルフやハーフドワーフ、混血派と呼ばれる奴らがうようよしている。それからハイエルフやエルダードワーフみてぇな純血派もいる。純血派と混血派は基本的にいがみ合っていて、むしろ敵対心を抱いている輩もいるほどにな。それと、エルフとドワーフは昔よりはマシになったが、お互いに見下しあっている。つまり、この世界では喧嘩の火種がそこら中に転がっているわけだ」
わかったような、わからないような、疲れて眠いスノウは話を聞いて頷きながらも眠りそうだが、一応は覚えてくれただろうか。
「それと、お前の両目と俺の左目は絶対に見せるな。今のご時世、赤い目ってだけで殺されても文句すら言えないからな」
なんでと不思議そうなスノウに、悪魔だからだよと言う。ルシファーが敗れてから、魔界に戻らなかった生き残りとして。
「そんな世界、嫌だね」
「ああ、嫌だな。とてつもなく面倒だ」
だから気を付けろ。それだけ覚えておけばなんとかなる。カイムはそれだけ伝え終えると勉強は終わりだと告げて横になり、久しぶりのベッドの弾力に包まれて、スノウの寝息が聞こえる頃には眠っていた。
翌日、ニベルには一休みとして入国していただけだったので、休息もとれて金も手に入ったから後にしようとしていた。そのためにも季節は冬にさしかかっているので、雑貨屋などで防寒具と大きなリュック二人分購入し、肉屋、魚屋、パン屋などを巡って日持ちする食糧を買いあさり、金に余裕は十分あるので、行商人に金を払って荷馬車の荷台に乗せてもらおうかと、ニベルの商人組合へと向かう途中だった。火刑台に縛り付けてある数人の人間が目に映ったのは。人ごみに混ざると、騎士らしいドワーフが松明を片手に火刑台へと上がった。
「この者たちは、奴隷の身でありながら、その悪魔の証である赤い瞳を隠し、赤目の病を広めようと画策していた! よって、発病する前に赤目の病ごと聖なる炎での火刑が決定した!」
声高に宣言するエルダードワーフは、聖なる炎とか口にしていたが、立ち寄らなかった水晶の教会から運ばれてきた、ただの松明を手にしている。
「あの人たち、悪魔じゃない」
「そうだろうな。だが、赤目の病とレッドアイ。それから悪魔は、亜人どもに消せない恐怖を刻み付けた。俺の親父が魔王を倒してレッドアイが沈静化するまで、ずいぶん暴れ回ったらしいからな」
「でも……」
仕方がないことなのだ。よく見れば、縛り付けられている人間たちは、赤というより明るいオレンジのような瞳をしている。レッドレインが降ってからここまで発病しなかったのなら、抗体があるのだろう。
「似たような境遇同士、助けてやりてぇが、これだけの観衆と騎士がいるんじゃ、助けても逃げ切れないだろうな」
どうにもやりきれない。そんな思いを誤魔化す為か、大量に購入した刻みタバコを詰めて一服すると、スノウの姿が見えないことに気付いた。
「おい、スノウ。おい、どこだ」
キセルを咥えたまま辺りを見回してみるが、近くにはいない。と、のんきにキセルなど吸っていたら、火刑台の前へといつの間にか移動していたスノウが、松明を持つドワーフの騎士に両手を広げて止めている。
「あの馬鹿!」
亜人どもでひしめきあっている火刑台へは、背のちいさなスノウなら間を縫って楽々とたどり着けたことだろう。カイムも馬鹿な真似を止めるためにかき分けていくが、人間に通す道はないと、なかなか前へ進めない。そうこうしている間にも、スノウと騎士は睨みあっている。
「見たところエルフの修道女のようだが、なぜ邪魔をする?」
「あの人たちは、悪魔でも、レッドアイでもないから」
「なにをのたまうかと思えば……いいか小娘、赤い瞳は赤目の病の初期症状であり、半日としないうちに理性を失ったレッドアイになる。命を尊く思うのは勝手だが、暴れられては、けが人や死傷者が出てもおかしくない。早いうちに殺さなくてはならないのだ」
「……あなたは、悪魔やレッドアイの瞳を見たことあるの?」
当然だと、ドワーフの騎士は答える。悪魔の軍勢と戦い、大勢のレッドアイを殺してきたのだからと。
「だったら、違うってわかるはず。あの人たちの瞳は、悪魔やレッドアイとは違う」
「確かに、今まで見てきた奴らに比べれば赤みが薄い。しかし、それがどうしたというのだ? 実のところうろ覚えだからな。私の記憶違いで許してしまっては、惨劇がニベルを襲うかもしれない」
ドワーフの騎士は退こうとしない。スノウもまた、立ち向かう姿勢だ。とにかく早いところ捕まえて逃げるしかないのだが、スノウは顔を上げた。
まさか……!
「だったら見せてあげる。悪魔の瞳を」
待て。カイムがそう叫ぶ頃には、スノウは深く被っていたフードを取り払って、純白の髪と深紅の瞳を露わにした。ドワーフの騎士も、見ていた亜人たちも、一同に声を失うが、すぐに捕えろと大声で命令が響いた。
「混じる物のない深紅の瞳! 貴様は正真正銘のレッドアイ――いや、悪魔だ!」
やりやがった。カイムは心中で悪態をつきながらもスノウの前へ立つと、囲んでくるドワーフの騎士たちに対抗するために剣を抜いた。
「奴も悪魔の仲間だ! 決して逃がさず、この場にて火刑台へと縛り付けろ!」
二人の周りはどんどんと囲まれていく。皆が若干の恐怖を瞳に宿しながらも剣を引き抜いて、カイムとスノウを捕えようとしている。
この場合、どうするか。いっそのこと左目も解放して力づくで突破することもできるが、自分たちの身なりは亜人を伝って広がっていくだろう。聖なる炎とやらも水晶の教会から運ばれてきたから、教会を伝ってということもあり得る。つまり、金があっても自由な旅ができない。レッドアイか悪魔の生き残りとして追われ続けることになる。
――一つだけ、手ならあるが、通用するだろうか。通用しなければ、仲良く逃亡生活だ。
一八のギャンブルを二日連続でやることになるとは、思ってもみなかったと、左目の眼帯を外して、左手の手のひらを騎士たちへ掲げた。
「俺もこいつも悪魔だが、ゼロの数字を得たナンバーズだ」
ナンバーズ。そう聞いて、騎士や観衆たちは一瞬なんのことだか理解できずにいた。しかし、カイムの頭にゼロが浮かんだことを不思議と理解できたように、その場にいた全員が、この悪魔はナンバーズだと認めていた。
「まさか……悪魔がナンバーズだと……あ、その、も、申し訳ありません! 全員、剣を納めろ!」
隊長らしきドワーフの騎士が膝を付いて命令すると、次々に剣は鞘に収まり、膝を付いていく。それどころか、観衆たちも神々しい物を見るように、両手を合わせていた。
「水晶を手にして、世界を幸福で包んでくださるナンバーズ様。どうか我らをお許しください」
ニオの言った通り、ナンバーズは亜人社会で相当な位置にいる。とはいえ、二日続けて、一八のギャンブルに勝てたというわけだ。
「それで、その、失礼かと思いますが、そちらの修道女様は、どういった関係で?」
ここまで来たなら、もうなにもかもぶちまけてやろう。その方が、この先便利だろうから。
「俺の仲間だ。レッドアイではなく、純粋な悪魔だが、人を傷つけはしない。それから、あの人間たちは解放しろ」
「さ、左様でございますか……」
「いいか? 騎士の繋がりでも教会の繋がりでもいい。ナンバーズのゼロと、その同行者、悪魔のスノウの存在を各国に手紙でも早馬でもいいから伝えろ。もうこんなドタバタは御免だからな」
畏まりました。騎士たちは言われたとおりに散っていき、ようやく左目に眼帯を付け直す。そしてキセルを取り出して、ポンとスノウの頭を叩いた。
「もう、あんな無茶はするな」
でも、となにか言いたげなスノウを無視して吹かすと、ナンバーズなら堂々と歩けるのだなと知ることができた。それに関してはスノウに感謝しなければならないが、毎回無茶がうまくいくほど世界は甘くない。火刑台からも人間が降ろされながら灰を落とす際も、もう一度頭をポンと叩いて、約束だと言い聞かせた。
あの後、観衆たちから白水晶で世界に幸福をと祈られたが、そんなものに興味はなかった。だが話を合わせておくことにして、今度は進む道を人が裂けて開いていくので、その中心を二人で歩き、商人組合に行った。そこでスリィの住む北の森方面へと進む行商人を探して、二人分の乗車賃を払うと、気のいいドワーフの行商人が乗せてくれることになった。まだ騒ぎが広まりきっていなかったので、この行商人はナンバーズや悪魔について知らない。しかし、知っていたとしても、これから先、できるだけスノウの両目は隠すことにした。いちいち悪魔だと騒がれて、その度にナンバーズだと名乗るのが面倒だからだ。二人のことが広まるまでは、このままの関係ということにして旅を続ける。夢へと向かって。