ロイヤルストレートフラッシュ
スリィが住むという屋敷を目指して、そろそろ一週間が経つだろうか。カイムはスノウの歩幅に合わせ、スノウはカイムに追いつく為に速く歩いての旅は、夕日が差してきて、ようやく一つの国が見えてきた。ここまで森や山の中を進んできたが、ようやく踏み固められ、草原が切り開かれた道を歩いている。それらはいくつも枝分かれしていた小さな道だったが、小川での釣り人が見受けられ、行商人の荷馬車が目立ち始めると、一つの大きな通りとなる。背の高いカイムが両腕を思いっきり広げても道の半分にもならない程に広がると、様々な亜人たちが同じ目的地である、ニベルという国の市壁へと向かっている。
「それで、スノウ。この前話したことは忘れてねぇよな」
「ええと、私は、水晶の教会の修道女……だよね」
「見習いだけどな。それで、俺はその護衛だ」
ナンバーズのゼロという名が亜人社会でどれだけ通用するのかわからない。胸を張って堂々と歩けるのか、下を向いてこそこそ生きなければならないのか。ただでさえ小さなスノウを、というより十歳にもなっているか怪しい子供を連れまわしているのが変質者ギリギリな行為なので、保険はあった方がいい。それに、修道女の護衛なら帯刀していても問題ないので、しばらくはカイムも水晶の教会信者ということにした。フードは鬱陶しいので被らず、人間ということにして。それでも眼帯は外さない。外さなくても不思議と見えるのだ。それに深紅の瞳をさらすことで悪魔だと騒がれるし、なにより意識とは別に力が入ってしまう。ちょっとしたいざこざで殴ったら殺していたでは亜人社会を生きていけないので、眼帯は必需品だ。
「しかし、入国か」
それがどうしたの? と見上げたスノウのフードを引っ張って顔を隠すと、金だよと口にした。
「お前にはまだ詳しく教えていなかったが、国に入るには人数分の決まった硬貨を払わねぇといけないんだよ。ついでだ、覚えろ」
アインヘルムで貰った手のひらほどの布袋に詰まっていた、南にある大国王の統べる国が発行した、共通の価値を持つ四種類ある硬貨。その内、三種類を取り出す。茶色い物が二つと、銀色の物が一つだ。そうして、一つ一つを指で指した。
「この濃い茶色で魚が描かれた硬貨がボトム銅貨。たいてい、つり銭に使われる一番価値の低い物だ。次がこの茶色の中に翼が描かれているのがアルト銅貨。街中での買い物はこれが基本的に使われる。そのアルト銅貨二十枚分の価値があるのが、このエーベル銀貨だ。ここには一枚しかないが、暖炉もベッドもない安い宿に泊まりながら慎ましく暮らすとするなら、三、四枚で一週間はどうにかなる。最後に、ここにはないがエーベル銀貨を十枚集めるとアリオーヌ金貨になる。俺たちには縁のない代物だけどな」
分かったかと聞けば、手のひらを凝視したまま固まっている。次第に小さな唸り声を上げて、頭が痛いと両目を閉じた。
「まあ、亜人社会で生きていくとなれば自然と覚える」
とはいえ、アインヘルムで貰った路銀はほとんどがボトム銅貨。アルト銅貨は十枚で、エーベル銀貨は一枚だけ。入国料にアルト銅貨を二人合わせて四枚払うので、経済的には厳しい。白水晶を手にするためには方々を回らなくてはならなくなるので、どうにかして増やさなければならない。
「いっそのこと、ひったくるか」
かつて、野良犬の様に暮らしていた子供の頃、行商人の荷馬車に潜んで入国し、街中でスリや詐欺、ひったくりなどは嫌というほどやってきた。スノウの成長を考えると控えたほうがいいかもしれないが、どうにもならなくなったら試してみよう。
「さて、ようやくたどり着いたな」
スノウに硬貨を教えながら歩いていたら、見上げるような黒い市壁に囲まれたニベルの検問が見えてきた。ここでは荷物をいったん台に乗せて密輸品や危険物がないか調べられ、靴の中敷きまでとはいわないが、体を調べられる。スノウにはあらかじめ両手のひらを組んで修道女らしく振舞うように教えておいたので、信心深い信者としてすんなりと通った。カイムも肩から下げていた鞄と大剣を預けて待つこと数分、返してもらう際に安物の剣だなと、人間だからか余計なことを付け足された。実際戦争の跡地で拾った名もない剣なので、値段も価値も知らないが、次の検問官へと向き合う。金が行き来する場所なので、検問官は鉄格子の様な仕切りの向こうにいる。カイムはなけなしのアルト銅貨を支払って偽硬貨か確認されると、通ってよしとなり、ようやくニベルの街並みが視界いっぱいに広がる。
「わぁ……広いね」
「国に入るのは初めてだったな。まあ、どこも大して変わらん」
キョロキョロと見回しているスノウを余所にキセルを咥えれば、ニベルを大きく分けるだろう三つの道が目に入る。右と左、そして王城へと続く真ん中の大通りだ。
どこも赤茶色の煉瓦で造られた建物が目立ち、真ん中の大通りは上品な店が並んでいる。装飾品店や、一流の武器屋。呉服屋も礼儀正しそうな姿の男やドレス姿の女が出入りしている。そんな方へ行けば僅かな路銀は吹き飛ぶ。それならば、と右の道を見れば、家屋が並んでいるが、どこか物悲しい。誰にも見られていないことを見回してから左目の眼帯を取って道の先を見れば、薄暗い貧民街へと繋がっていた。
「そうなると、左に行くしかねぇな」
眼帯を付け直してから、どうして? とスノウは首を傾げている。答えは簡単だった。庶民向けの露店や酒場、それに水晶の教会が軒を連ねているからだ。それに、賭場もある。ここはひとつ、賭けてみるかと布の財布を覗いた。
「チャンスは一回ってところか」
残っているアルト銅貨六枚と、エーベル銀貨一枚。これだけではニベルで足止めを食らうどころか、宿代もなくなってホームレスの仲間入りだ。カイムもだが、スノウも悪魔の血をひいているので寒くても病気にならない。だが、スノウのような子供を襲う変態はどこの国にもいる。ただでさえ住むところすら失ったホームレス共では、カイムが目を離した隙に連れていかれるかもしれない。ワンを退けた力があれば別だが、あれ以来、スノウはその力を見せていない。
ということで、金が必要となった。せめて、エーベル銀貨十枚は欲しい。
「一発当てるか」
腹をすかしながら焼き魚や肉の塩漬けの露店を抜けて行くと、煌びやかというよりは、異質な色合いで塗装されている、貴族の館の様に大きな賭場が佇んでいる。その入り口へ深呼吸して入ると、中は瞳をギラギラとした連中で溢れていた。どいつもこいつも悪人面で、スノウが怖がるほどだ。その中からガラの悪そうなドワーフがつっかかってくる。
「なんだ? 子ずれか? ガキは帰んな。ここは大人の遊び場だ」
「つれないこと言うな。この修道女は幸運の女神みたいなものだからな。テーブルには俺が座る」
「おいおい、人間の奴隷如きがここで遊ぶとはよ。身の程を知れってもんだよなぁ!」
賭場の中ではブーイングの嵐だったが、勝てばいいのだ。大勝ちさえすれば、誰もなにも言えなくなる。
「そういうことだから、お前はそこで見守ってくれ」
ポーカーの行われている椅子に座ると、コテンパンにしてやると、三人のドワーフが集まって来た。筋骨隆々で、スノウと同じくらいの身長をした連中はハーフのようだ。ハーフでも数百年と生きるので、油断はできない。
「では、カードを配ります」
親の代わりに黒装束のハーフエルフがカードを配ってきた。チップは一人あたり二十枚と少なめだが、一枚あたりエーベル銀貨一枚なので、負けたら払えない。逃げるしかないのだ。逃げられても賭場には入れなくなり、人間に回ってくる仕事などないので、路頭に迷うことになる。どちらにしても金がないので、賭けに出なければ金は減っていき、こちらも路頭に迷う。白水晶やスリィなどは夢のまた夢になってしまう。
配り終わり、手札を確認する。始めて早々、かつ、一本勝負だというのに、思わず舌打ちしそうになった。手がブタなのだ。ドローするか、ドロップするか。運に任せてすべて交換しようとしたが、ドロップする分には参加費として一枚のチップですむ。結果的に全員よりチップの数が上回るか、全員のチップをゼロにすればいいので、ここは降りる。所詮は人間だと、いつの間にか集まっていた観客も含めて嘲笑の声が聞こえてくる。
「ほら、とっとと次を配れ」
一ゲームが終わり、今度こそと配られた手札を見れば、またしてもブタ。またもドロップする。チップも参加費として減っていっており、このまま勝てなければ後がない。それに、毎回降りていては、勝負から追い出されるかもしれない。
起死回生の手を待っていること五ゲーム目、ようやく手が入る。八と九のツーペアだ。ドローしてどちらかを引けばフルハウスであり、テーブルにはチップがかなり積まれている。ここで勝てば、数か月は生活に困らない。コールして勝負に出るかと口にしかけた時、スノウが口を手で塞いだ。
「だめ、勝てない」
「あ?」
ルールも知らないくせによく言ったものだ。ここは勝負に出るべきだというのに、スノウは駄目だと譲らない。
「やりかたは、これを見て覚えたから。だから、今は降りて」
一枚の羊皮紙に書かれたルールと役の順番を見て覚えたようだが、スノウの山感を信じてフルハウスの可能性を捨てるか、勝負に出るか。
「カイム、お願い」
スノウの願いに悩んだ末、ドロップすることに決めた。
「仮にも勝利の女神だからな。やめとく」
などと、二人で相談していたらハーフエルフが問題行為だと詰め寄ってきた。
「この賭場では一人で勝負をするのです。今の行為は反則となるので、この場はあなたの負けとなります」
無様だなと笑うドワーフたちを背に、ちょっと待てと立ち上がり、慌てて肩を掴もうとしたら、スノウが席に着いた。
「カイムがだめなら、私かやる」
これには観客も相手のドワーフも大笑いだった。こんな子供になにが出来るのかと。馬鹿にされていたが、スノウは気にすることなく、配ってとハーフエルフに声をかける。この場合はどうすればいいのかと迷っていたハーフエルフだが、ドワーフたちは儲けられるから構わないと、スノウを受け入れた。
「では、仕切り直しということで配ります」
四人にカードとチップ二十枚が配られると、それぞれが手を見ている。しかし、スノウは一度チラッと見たら、チップを一枚ビッドする。そしてスノウの順番が回ってくると、二十枚すべてをレイズした。
「てめぇ! 本当にルール覚えたのか!」
思わず声を荒げたが、スノウは心配ないと、驚いているドワーフたちを見やった。
「もう、私の勝ちだから。沢山お金もらえるよ」
断言したスノウの言葉にカッときたのか、ドワーフたちはそれぞれ手を確認してから、スノウと同じように二十枚コールして、合計でエーベル銀貨八十枚がテーブルに並んだ。まさに一本勝負だ。チップがなくなれば、その時点で勝負は終わりなのだから。ドワーフたちも手が入っているのか、強気な姿勢を崩さない。勝てなければ、逃げる。スリィへのところには冬の中、何十日も徒歩で行くことになる。食い物にも困るだろう。頼むから勝ってくれと、神など信じていないのでスノウに願ったが、ドワーフたちはカードを表に倒していく。
「へっへへ、わりぃな、嬢ちゃん」
露わになった手は、三人ともフルハウスだった。
「おい! てめぇら、イカサマだろ!」
なんのことだか。ドワーフたちははぐらかしたが、この三人はなんらかのイカサマをしている。でなければ、三人ともフルハウスなどと作れるはずがない。さてはデューラーに金を握らせたかと視線を向ければ、目を瞑ってスノウに手を明かすように急かした。とてもではないが三人のフルハウスを相手に勝てないと、逃げる準備をしようとしたとき、スノウは透き通る声で口にした。
「うん、いい手札だね。でも、私の勝ちだよ」
こんな状況だというのにいつもの調子のスノウに逃げるぞと手を取ろうとしたら、その手で五枚のカードを縦に並べた。
「私、運だけはいいから」
一枚ずつ倒れていったカードは、クローバーの十から十一、十二、十三と続き、最後の一枚――エースが並んだ。
「おい、嘘だろ……」
カイムの一言しか場に流れず、沈黙が観客を含めて包むと、夢でも見ていたようにハッと我に返り始めた。
「ロイヤルストレートフラッシュ……修道女様の、勝ちです……」
ここで働いていても見たことがないであろう役に、ハーフエルフもどもっている。ドワーフに関しては、意識がハッキリすると同時につっかかってきそうだったが、賭場での暴力を止めるエルダードワーフが現れると、縮こまった。
「一枚当たりエーベル銀貨一枚で、それが八十枚……夢だったら覚めるなよ?」
とにかく、スノウの豪運で金策はどうにかなった。今も夢のような気分だが、勝ちは勝ちだ。銀貨を受け取って、財布に入らないので鞄に詰め込むと、賭場を出た。
「お前を助けてよかったよ」
「恩返し、できたかな」
十分だ。今日は最高級の宿に泊まって、極上のシャンパンを頂こう。