謎の白装束
特になんてこともないアインヘルムの昼下がりに、カイムはのどかな風をその身に受けながら、スノウの散髪に付き合っていた。バベルの塔の跡地に幽閉されていた時は髪が伸びなかったというスノウも、アインヘルムに来てからは人並みに髪が伸びるようになった。なので、亜人社会で床屋をやっていたハイエルフが癖のある純白の髪を整えている。初めこそ悪魔だからと恐れられていたスノウも、その無垢な容姿と仕草から愛でられるようになり、猛獣や生き残りのレッドアイからアインヘルムを守るカイムと同じように接せられるようになった。
「やっぱり、白のリボンで二つに纏めるのが似合うわねぇ」
カイムには全くない美的センスで整えられた髪を二つの白いリボンで纏めると、丁度谷を吹き抜ける風が吹いて、スノウの頭からは払われ損ねた髪が飛んでいく。
「ついでですし、カイムさんも切っていきませんか?」
「俺は自分でやるからいい」
「だからいつもボサボサなんですのに」
カイムの黒に若干赤みがかった髪は、適当な長さになると剣で斬り落としている。だれかに頭を触られるのが嫌なのだ。とはいえ、今日はずいぶんと風が強く吹いている。
そう、なぜか木々を通り過ぎて……
「っ!」
「!」
カイムの左目が疼いて、スノウも椅子からおりながら感じ取った。血の匂いを。獣のものではないことはすぐにわかった。
「誰だか知らねぇが、面倒なことになりそうだ」
常に帯刀している大剣を引き抜くと、状況を掴めていない床屋にはニオになにかが迫っていると伝えるように頼んだ。
「お前も下がっていろ、ここからは俺の仕事だ」
「でも……」
「ガキに心配されるほど、俺は弱かったか?」
問いかけてみれば、唸った後に、そんなことはなかったと答えた。
「だったら引っ込んでいろ。血を浴びるのが俺の仕事だ」
血が目立たないように買った赤いロングコートを風に揺らして、左目の眼帯を取ると、まるで遠眼鏡の様に風の吹いてきた方向が見える。なにやらドワーフの男たちが、木を斬り倒しながら谷を下ってきていた。
「どおりで風が強いわけだ」
しかし妙だ。エルフとドワーフは不仲だが、ニオの統べるアインヘルムは両者の溝を埋めるために、ドワーフの行商人も雇っている。ここをドワーフが襲うということは、それを知らないか、金で雇われたかだ。
「どちらにせよ、第二か三の故郷を侵略されてたまるかよ」
ニオが命令を出したのか、外に出ているエルフたちは風の吹く方向から真逆に退避を開始し、弓と矢の準備も進んでいる。だが、間に合わないであろう速さでドワーフたちは谷を下ってきている。その中に一人、頭まで隠した白装束を纏った細身の姿が見えた。ドワーフと違い背が高いので、ハイエルフかハーフエルフだろうか。だとしたら、どんな理由で攻めてきているのか。
考えるのは後だ。スノウには血を見せたくないので他のエルフと同じように退避したことを確認すると、アインヘルムへ突入される前に迎え撃つため、谷の一番下まで駆ける。そして斧を片手に襲い掛かってきたドワーフを剣の腹で殴りつけて木に激突させた。殺しては後々不味いことになりかねないので気を失う程度にとどめたが、様子がおかしい。襲ってくる時になにも言わなければ、吹っ飛ばされても声一つ上げない。それでも優に十人はいるドワーフだが、魔王を打倒したサタナキアの血はカイムにエルフやドワーフとは比べ物にならない力を与えている。一人、また一人と気絶させていくと、あっという間に片付いた。残るは謎の白装束だが、ドワーフの相手をしている僅かな時間でその姿を見失っていた。
「どこにいった……?」
周囲を見回すも、その姿は見えない。しかし、背後のアインヘルムから悲鳴が聞こえてくる。
「俺が見逃した? 嘘だろ?」
悪魔の力に目覚めて以来、カイムに捉えられない敵はいなかった。どんな相手でも、どれだけ大勢でも余裕の勝利を飾ってきた。それが今、破られた。ハッとして両頬を叩くと、敗北感にうちひしがれるのは後に回してアインヘルムへと駆け戻る。
ハイエルフによる矢の嵐の中を白装束は突破して、ニオが斬られたのだと、戻ってきて把握した。幸いニオはエルフの援護により軽症で済んだが、白装束は逃げたニオを尚も追いかけ回し、カイムが追いつくころには、守っていたハイエルフは蹴散らされ、首根っこを掴まれて持ちあげられていた。しかし、暴れるニオの額から血が流れ落ちると、途端にその手を離した。
「任務、完了」
抑揚のない声でそう告げた白装束は、そのまま走り去ろうとしていた。だが、
「逃がすかよ」
アインヘルムを抜けて逃げようとした白装束にようやく近づくと、切っ先を向けて睨み付ける。白装束は一応振り返ったが、その瞳にはカイムへの関心が一欠片も見受けられなかった。
「命が惜しかったら、私に刃向うな」
「その台詞はそっくりそのまま返す。てめぇも抜きながれ」
素手で突破してきた白装束だが、その腰には一振りの大剣がぶら下がっている。丸腰のまま斬るような趣味はないので動きを待つと、深くため息を付いた。
「剣を振るうにも力がいる。そんな労力を割いてまで戦わなくてはならないとはな」
完全に見下した表情と声音で白く光る刀身を引き抜くと、カイムの中に火がついた。
「よっぽど死にてぇらしいな!」
大剣を構える白装束へ踏み込むと、今回ばかりは容赦なく剣を垂直に叩き落とした。大柄で背の高いカイムから振り下ろされた一撃は剣にぶつかり轟音を立てると、白装束は少し腰をかがめた。
「その程度、か」
「なっ!」
振り下ろした一撃は、剣での受けを突破できなかった。またしても、カイムは驚いている。自分の一撃を受けて微動だにしない相手に。
「人間にしては力もあるが、脅威ではない。しかし、アインヘルムに住むエルフの中にお前の存在は記されていなかった。イレギュラーというわけだ」
剣を受け止めたまま白装束へ更に力を込めたが、その刃は後退しない。呆気にとられていると、剣を弾かれた。
「隙だらけだ、イレギュラー」
驚いている場合ではなかった。カイムは白装束に腹を蹴り飛ばされ、家屋に激突して、中に転がり込む。タンスに激突して、衝撃で花瓶や本が落ちてくる中、カイムは血を吐いていた。
「あの方の望む世界のため、後顧の憂いはここで絶つ。消えろ、イレギュラー」
白装束は容赦なく追撃のために家屋の中に突入して、タンスにうち付けられているカイムへ真っ白な刀身を振り下ろそうとしたときだった。白い閃光が二人の間を駆けたのは。
「カイムは、やらせない」
舞い込んできたスノウが、その刃を素手で握りしめている。両目は見ひらかれ、手のひらからは流血が止まらないが、痛みを感じていないのか、離そうとしない。
「カイムの敵は、私の敵。カイムを傷つける奴は、私が――殺す」
無垢な子供の声には明確な殺意が籠っている。白装束は剣を取り返そうとしたが、逆にスノウが剣を両手で持って二つに折った。そのままスノウのちいさな拳が白装束の顔面を殴りつけると、家の外へと吹っ飛ばされる。
「守る……絶対守る……」
なにかに憑りつかれたかのような、尋常ではない力を感じさせながら、瞳孔を開いて両手のひらから滴り落ちる赤い血液をもろともせずに、家を出た。白装束も砂埃のあがりながら、口元から血を拭い、スッと立ち上がる。
「この力、悪魔のものか」
剣が折れ、吹っ飛ばされても、白装束はなんでもない様子でスノウを睨んでいる。スノウもまた、ただならぬ雰囲気だ。異様な二人の光景に誰も近づけず、エルフたちは矢を放つことさえ忘れていた。
「イレギュラーはここで、排除する」
「カイムの敵、殺す」
白装束とスノウがお互いにぶつかり合おうと突進した。二人は手を組んで、スノウはその小さな体で白装束の両手を押し返そうとしているが、拮抗したまま動こうとしない。やがて白装束は一歩距離を置くと、放たれていた矢を拾いスノウへと投げつけようとしたときだった。半壊した家の中から花瓶が飛んできて、白装束の顔面に直撃したのは。
「そこまでだ、クソ野郎」
カイムが蹴られた腹を押さえながら家屋から出ると、そのまま剣を拾ってズンズンと近寄る。
「いつまでも俺が手を抜いてやると思うなよ。本気でやれば勝負にならねぇから力を加減してやってたんだよ。だがてめぇ如き、全力の半分もいらねぇがな!」
赤い光が蹴られた腹を包み込み、蹴られて損傷した内臓も、体の内部で急速に回復している。魔王を倒したサタナキアの力ならば、このくらい朝飯前だ。だが傷の礼に、ひねりつぶしてやる。軽く捻ってやる。魂胆を吐かせてやる。そうして距離を詰めるが、スノウが我に返ったのか、手が痛いとうずくまった。
「スノウ!」
一瞬、隙が生まれ、そして迷ってしまった。スノウの前で人殺しの鬼ならぬ悪魔になっていいのかと。その隙を見逃さず、白装束は懐から煙玉を取り出すと、その場に投げてあたりを白い煙が包んだ。全方位が見えなくなり、スノウだけは守るために抱きしめる。接近してきたら、その場で殴り飛ばす。そう考え構えていたが、煙が晴れる頃には姿が消えていた。
「逃げられたか」
いったいどんな目的で、誰の差し金なのか。分からないことだらけだが、激流のような数十分間は死者を出さずに終わった。
「ん?」
左腕の手のひらが、やけに熱をもっている。切り傷でもできたのかと開いてみれば、みみずばれの様に数字のゼロが浮かび上がっていた
「これは……?」
謎ばかりの連続に、深く考えるのが苦手なカイムは頭を悩ませていたが、ニオが大切な顔で話があると、頭に包帯を巻きながらやってきた。