純白の花畑
「チィッ!」
攻防は互角だった。アガリアレプトを上回っていたサタナキアの血――魔人の力は、二つの水晶に匹敵していた。だが、肝心の剣が次々に折れていく。赤いソードリオンはニードとサナ、ワンよりも強力であり、水晶の力で振り回されると、一撃かもう一撃で砕けてしまう。どうにか隙を突いて剣で薙ぎ払っても、その傷はあっという間に回復していく。
「どうした、サタナキアの子供。あと剣が一本しか残っていないではないか」
「俺の名は、カイムだ」
そうして最後の一本を手にするが、アガリアレプトは飛び上がって剣を振り下ろすと、それを受けて、折れてしまった。
「頼みの綱も切れたようだな。では、かつて超えられなかった魔人と、ワンとやらが超えたがっていたゼロも超えて、我が全てを従える!」
防ぐものがなくなったカイムへ、ソードリオンの斬撃が迫る。危ないところで、折れて半分ほどになった刀身で防いだが、いい加減諦めろと連撃をくらう。斬られるたびに回復し、どうにか避けながら策を考えていたら、アガリアレプトも苛立ちを感じてか、心臓へ向けて真っ直ぐ剣が突きつけられる。胸に突っこんできた炎のように熱いソードリオンを両手で握って踏ん張るが、不意にソードリオンが消えると、拳を振りかぶっていた。
「ワンとやらが仕返しをしたいと、我の中で言うのでな」
ワンを大聖堂の壁を破壊して吹き飛ばした時と同じかそれ以上の力で顔面が殴られ、広場の端にあった岩に激突した。衝撃で崩れてきた岩の破片を浴びながらボンヤリする頭でアガリアレプトを見れば、勝ったことを確信してか、悠々と迫ってくる。どうにか立ち上がり、頭もハッキリしたが、勝ち目が見えない。ソードリオンを今のように突きつけられては同じことが繰り返されるだけだろうし、魔人とて、一つの命を持つ生命体だ。深手を負えば、死に至る。今はまだ戦えるだけの体力は残っているが、いつまでもつかは分からない。
「手詰まりのようだな。なら、死ね!」
水晶の力か、吹き飛ばされた広場の端まで一瞬で移動すると、また心臓を狙ってくる。今度は横に飛んで避けると、渾身の力で胸板を殴りつけ、アガリアレプトも血を吐いた。しかし、そんな傷はすぐに回復し、また心臓への攻撃が迫ってくる――と、誤解していた。
「なっ……」
ソードリオンは心臓ではなく、腹に突き刺された。それは貫通して、口から大量の血を吐き出す。尋常ではない痛みに、剣を抜かれて耐え切れずに倒れたら、勝負あったなと、アガリアレプトは悪魔らしく微笑んだ。
「これで、邪魔者はいなくなる」
ソードリオンが眼前に迫る。避ける力は残っていない。どうにか心臓だけはずらそうと体を捻る。すると、
「これは……天使のものか」
アガリアレプトの腕や肩に、アーチェリオンの矢が刺さっている。なんとか見上げれば、ニードとサナが魔界の空を飛んでいた。
「僕たちだって、天使だ! 世界のために、この命を捧げる覚悟はできています!」
「スノウちゃんの死を……想いを無駄にしないためにも、私たちも戦うわ」
無茶だ。カイムが止めようと口を開くが、血しか出てこない。アガリアレプトは声高に笑うだけだ。
「あの時と同じだな。サタナキアが天使を連れて、ルシファーを打倒した時と。今度は、我という魔王を倒すために抗うか!」
アガリアレプトも赤いアーチェリオンを創りだし、赤い翼も現れた。カイムは虫の息になりながらも回復するのを待つが、ソードリオンは胃を突き破って背骨の脇を貫いており、魔人の力でも回復に時間がかかる。それに回復しても、戦える術がない。こうしている合間にも、人間界と魔界は潰し合おうとしているというのに。
万事休すか。カイムの傷が回復してきても打開策がないので舌打ちをうつと、ニードもサナも落ちてくる。命はあるようで、致命傷も見当たらない。だが、傷一つ負っていなかったアガリアレプトは余裕の表情で舞い降りた。
「もう終わりだ。諦めろ」
ソードリンを手に歩み寄るアガリアレプトに、カイムは傷を押さえて立ち上がった。
「カイム……後は任せるよ」
「悪魔が最後の敵なら、悪魔であるあんたがどうにかしなさいよ」
まったく、とんだ無茶ぶりだ。傷も内蔵も回復したカイムは肩をすくめるが、アガリアレプトは両手に赤いソードリオンを生み出して、絶望を叩きつけてくる。一本でも相手をするのがやっとだったというのに、二本とは。
ここまでなのか。スノウが残してくれた命も、スノウと一緒に生きた世界も、なにもかも。諦めるのか。諦めてしまうのか。カイムは拳を痛いほど握りしめると、不意に、魔界の空から白い光が降ってきた。雪のように純白で、一つ一つが花弁となっている。
「スノーフレーク?」
舞い落ちる純白の花弁は、スノウと出会ったバベルの塔に咲いていたスノーフレークのものだと、どういうわけか理解できた。更にそれらから、スノウの意思が伝わってくる。
「何事か知らないが、こんな小さな光がなんだというのだ」
アガリアレプトは気付いていない。この、スノウの意思を持つ白い光に――魂に。
世界のためじゃない。カイムのために、力になる。
聞こえた。ハッキリとスノウの声が聞こえた。降り注ぐ白い光たちすべてから発せられて、カイムの元に集っていった。
「一緒に戦ってくれるのか、スノウ」
答えは、もう聞こえない。代わりに白い光は棒状に伸びると、深紅に光る一振りの大剣へと姿を変えた。
「ようやく掴んだ。虚空以外の大切な物を!」
浮遊しているそれの柄を握れば、スノウの意思が籠っていると、とうとう確信までもてた。
「魂は、いずれ新たな命として生まれ落ちる――そこに、人間や亜人でなくてはならないような決まりはないわけか」
三人の悪魔が集まって生まれたスノウの意思を継ぐ、悪魔の剣――魔剣は、重さがないのではと思えるほどに軽く、決して折れないだろう強固さを持っていた。
「てめぇが二つの水晶の力を得たのならば、俺は親父の血と、三人の悪魔の力を一つにして戦う」
アガリアレプトは狼狽していた。魔人の回復力もそうだが、魔剣から放たれる力にも。どうにかソードリオンを創りだすが、カイムはアガリアレプトを超えていた。初めから剣が折れはしていたが、互角以上に戦っていたのだから。
「一緒に行くぞ、スノウ」
国を出るたび、村を出るたび、スノウに言ってきた出発の言葉。それを、戦いのために口にした。
「我を、なめるな!」
赤い二本のソードリオンは赤く光り輝くが、深紅にはならない。どれだけアガリアレプトが力を込めようと、スノウの意思が詰まった魔剣の深紅には届かない。
「なぜだ……なぜ、我はその力を手にできぬのだ!」
「簡単なことだ。てめぇが弱いからだよ!」
折れることのない剣を構えて突撃すれば、二つのソードリオンが振り下ろされるが、二本とも一瞬のうちに真っ二つに斬り裂いた。ソードリオンでは勝てないと分かってか、赤い翼を生やして宙を舞いながらアーチェリオンの赤い矢を連射してくるが、そのすべてを斬り払い、地面に突き刺さった一本を引き抜いて、アガリアレプトへ投げつける。見事に命中し、落ちてくるアガリアレプトへ迫りながら、火傷を負った手のひらが回復する。
「まだだ……まだだ!」
片手にソードリオン、もう片方にアーチェリオン。矢を放ちながら近づいてくるが、アガリアレプトへ向けて飛び上がった。人間一人分以上飛んだカイムは、落下際にアーチェリオンを手にしていた左手を切断する。水晶の力で回復するだろうが、痛みから絶叫を上げていた。
もはや、がむしゃらにソードリオンを振り回すアガリアレプトへ深く踏み込むと、ソードリオンを粉砕して、その腕を斬り落とした。また絶叫を上げたアガリアレプトを逃がさず、黒に若干の赤が混じったカイムと同じ髪の毛を掴めば、膝に顔面を叩きつけて、その場に倒した。そのまま、カイムは魔剣を振り上げると、アガリアレプトは待ってくれと懇願する。
「我は、水晶の力を得たのだ! 魔界を治める魔王となったのだ! それが、それが人間如きに、敗れてよいわけがないのだ! 我が全てを――」
うるせぇ。カイムは一言だけ口にすると、心臓目掛けて真っ直ぐに魔剣をふり落とした。アガリアレプトは血の泡を吐きながら、尚も抵抗しようとするので、もう一度魔剣を振り上げる。
「親父の仇だ。悪く思うなよ」
首を斬り落とすと、アガリアレプトはついに果てた。プルスラスたちが消えていったように、アガリアレプトの体も赤い霧となって消えていく。ワンの魂も、魔界の空へと消えていった。残されたのは、砕かれたはずの白水晶と、黒く輝く黒水晶だけだった。
「ナンバーズのゼロとしての役割を、果たす時が来たか」
こんな水晶のためだけに、シックスもワンもスノウも死んだ。この水晶に、多くの人が夢を抱いていた。結局は、嘘だらけだったが。
カイムは両手で二つの水晶を掴むと、力を込めて粉砕した。もう、こんな物で争いが起きないように。
と、破壊した時だった。地面が揺れて、空も快晴から赤く染まり始めた。人間界と魔界が、離れているのだろう。
「どうやって戻ればいいんだ」
片道切符のつもりで来たが、やはり元の世界に帰りたい。魔界へ来るために地面の裂け目を落ちていけば着いたので、逆だとすれば、あの消えかかっている青い空を超えればいいのだろう。
しかし、カイムは空など飛べない。本当に魔王になろうかと諦めかけたら、ニードがこのために来たと、カイムの片腕を抱えた。
「世界を救ってくれたわけだから。仕方なく助けてあげるわ」
もう片方をサナが抱えると、二人して飛び上がる。カイムの重さは二人の羽ばたきでどうにか支えて、消えかかっている人間界の空を超えていった。
「お帰り、カイム」
大聖堂の前、カイムが魔界へと落ちていった裂けた穴の横で、ニオとナイン、それからエレナの住民たちが称賛の声をあげながら待っていた。勝って、世界を救ったのだと、ここまで戻ってきて、ようやく実感がわいてきた。
「悪魔どもは、どうなった」
カイム達が空を飛んで無理やり戻ってきたのだ。悪魔たちも同様に帰れないのではないかと危惧していたら、裂け目に吸い込まれるように消えていったと、ナインが口にした。
「でも、このエレナだけじゃなく、世界中で混乱が起きただろうから、完全に解決とはなっていないのだけれどもね」
裂けた大地はそのままで、魔界に落ちていった人の確認も必要になる。この事態がなにを発端に起こったのかも人々へ説明しなくてはならないし、シックスとワンの葬式や、倒壊した建物を国ごとに調べて、大国王に必要な費用を請求しなくてはならない。それらはナンバーズという、水晶の教会に古くから伝わる伝説の様な証を受け取った故の高い地位でどうにかすると、山積みの問題に苦笑いしていた。
それでも、世界が亡びずに済んだ。ナインはありがとうと口にしながら、ここまで親子そろって騙してきたことを謝罪した。
「これからは君が生きていけるように、深紅の瞳は水晶の籠を受けている特別な証、とでもしておくよ」
「スノウがいる時にそれができていれば、隠す必要もなく、年相応のガキとして遊べただろうにな」
世界は悪魔の怖さを知っている。仕方のないことだった。ナインは改めて頭を下げると、カイムが腰に縛り付けていた、深紅の刀身をもった一振りの魔剣を凝視している。
「言っておくが、やらねぇぞ」
そんなことを気にしているのではない。ナインは一度持たせてもらっていいかと確認をとってくると、構わないと渡した。それを振るうのではなく、刀身を撫でたり、眺めたりしている。
「なんだ、なにがしたい」
もう少し待ってくれ。ナインはカイムを止めて様々な角度から見れば、話があると持ちかけてきた。
「せめてもの恩返しを、君に」
瓦礫の山に、純白の花が咲き乱れている。地面も水もないというのに、空へ向かって花弁が開いている。花の名はスノーフレーク。足りない頭で読んだ本によれば、花言葉は『純潔』『純粋』『汚れ亡き心』『皆をひきつける魅力』と四つもあり、『スノー』と、雪や氷の様な名前を名乗っているくせに、春に花が咲くという。生まれて初めてまともに読んだ本から得た知識だ。
そんなスノーフレークの純白の中に、深紅の魔剣を、そっと置く。花弁を潰してしまわないように、慎重に場所を選んでからだ。
「一緒に戦ってくれて、助かった。この世界があるのは、お前のおかげた」
魔剣に語りかけても、当然答えなどない。そんなことは分かっている。本人に言うのは恥ずかしいから、魔剣に言っているのだ。
さて、後は時間が流れるのを少し待つだけだ。最後に残った高級な刻みタバコを赤いキセルに詰めて、マッチで着火する。火の消えたマッチも、スノーフレークに落とせば燃えてしまうので、ポケットにしまった。
「ふぅ……」
本当に、いい味がする。ニオは一生分用意すると気合を入れていたが、肝心の名前が分からなかった。そうなると集めようがないので、数千年を生きてきて溜めに溜めた貯金と人脈を使い、いつでもどんな刻みタバコでも好きなだけ変えるようにしていた。
ニードとサナは戦いを終えると一旦村に戻ったが、事の成り行きを全て知ったスリィが訪れて、天使という崇高な存在を種族間の争いや純血と混血の問題に向けるようだ。その天使も人間ということで、奴隷制度もなくそうとしている。結局双子で結婚はできなかったが、なにも結婚だけが男女の繋がりではない。ニードはサナを愛して、サナはニードを愛す。ただそれだけでいい問題だったのだ。子供に関しては、何ともいえないが。あの二人なら作ってもおかしくないと、キセルを吸いながら自然と笑みが零れた。
「そろそろか」
吸い終わった灰を、スノーフレークには落とさずに瓦礫へ落す。ここは、かつて人間が神界の神に届くように造ったバベルの塔の残骸。神の力とやらが残る、可笑しな場所だ。かつて訪れた時は感じなかったが、こうして魔人になってから来ると、ニードやサナに近いものを感じる。新たな命を創りだす、神の力が。
次第に、光の粒が集まってくる。純白のスノーフレークへ降る雪のように、ただ白い光が集まると、深紅の魔剣を包んだ。カイムはキセルもポケットにしまい、血を洗い落とした赤いロングコートが僅かな風を受けてたなびくと、光の中から寝息が聞こえてくる。愛おしく、娘のような、今のカイムにとって一番大切な存在。こいつがいるだけで、世界には救った意味があったと思わせる、新たな命。
「おい起きろ」
カイムは屈んで揺さぶると、光の中にいた少女は目を覚ます。自分の体を見て、不思議そうな少女はカイムを見据えると、なにをしたのかと聞いた。
「夢が叶っただけだ」
少女は――スノウは首を傾げるが、カイムはとっとと行くぞと促している。あの刻みタバコの名前を、ニオに知らせなくてはならないのだから。
こんなところで、奇跡は起こった。奇妙な客人が再び訪れたこの場所で、カイムとスノウは再会を喜んでいる。遠目に見ながら祝福すると、ついに、この地から神の力がなくなった。元々僅かにしか残っていなかった力でワンを生み出し、人造のレッドアイとしてドワーフやエルフを創ってきて、最後にスノウの体を創りだしたのだから当然だ。向こうで歩き始めたカイムへ追いつこうと駆けているスノウの体は、カイムの記憶を元に創りだしたものだが、中身となる意思がなかった。しかし、あの深紅の剣には、スノウの意思が――魂がまるまる籠っていた。それらを融合すれば、スノウは完全に蘇る。理論だけだったので心配だったが、上手くいったようだ。
さて、僕も頑張らないといけない。天使二人とスリィを軸にあらゆる差別をなくしていき、平等な世界を創る。人間も亜人も、一人一人違うから完全な平等など夢でもなく、ただの妄想なので、多少の格差は目を瞑るしかないが。それでも、剣や斧で戦う時代は終わらせる。個人個人の争いはともかく、種族間や純血と混血の争いがない世界くらいなら、創りだせる――創らなければいけない。いつまでも、世界を救った悪魔が虐げられる世界など、間違いでしかないから。母さんの力も借りて、成し遂げよう。
そう、ここからもう一度始める。僕の物語を。




