ラストステージ
「起きたかい」
教会かなにかのベッドで、カイムは目を覚ました。ニオは窓の淵に腰かけて、カイムの目覚めを待っていたようだ。
「――すべて、知っていたんだろ」
プルスラスの残した言葉の意味も。バベルの塔で幽閉されていたスノウのことも。ここまでカイムがたどり着き、白水晶を超えるであろうことも。
「ずっとひっかかっていた。プルスラスが俺をバベルの塔へ寄越したのも、両目とも深紅だった純粋な悪魔のスノウが、三人が死んだ後のちょうど半年間幽閉されていたことも」
カイムの悪い頭でも、遅すぎたが全てを把握した。ヒントは旅のいたるところに転がっていたのだから。
「スノウはバベルの塔で生まれたと、スリィの屋敷で言っていた。ナインは、ハベルの塔の残骸には神とやらの力が残っていて、新たな命を生み出すと言っていた。そして、俺がスノウに感じていた、異常なまでの親愛感――まるで、ずっと前から一緒にいたかのような、懐かしさすら感じさせた……スノウは、あの三人が一つになったものなんだろ」
そうであってそうではない。ニオは呟いた。スノウは悪魔三人が生み出した新たな命だが、意思がなかったと。空っぽに近かったスノウへ、三人の意思が混ざり込んだことにより、スノウ独自の意思が生まれた。もう、あの三人の意思は完全にスノウの物になっていた。ニオは窓の外を見ながらそう言葉を紡ぐが、いつもの軽い調子ではない。カイムへ視線を移したその瞳を見れば、全てを知っていたがための苦悩が見てとれた。
「人間も亜人も天使も悪魔も、生ある者は全て意思という目には見えない物を持っている。それは魂とも呼ばれて、体が朽ちても消えることはなく世界を巡り、やがて新たな命として生まれ落ちる。ナインがワンを生み出したのは、それを人為的に行ったのさ」
シックスが白水晶の神が創りだした防護壁を破ってから、奪い取るための力としてワンは生まれた。しかし、ワンとて生ある者だ。意思があり、自我がある。本来なら様々な種族の精鋭たちの血液だけをその身に宿して使命を全うするはずだったワンが、カイムというイレギュラーに出会い、必要以上に自我が膨張した。ニオやナインの思惑を超えて。そのワンも、死んでしまったが。
「本当はね、スノウのことは教えてあげようと思っていたんだ。人間は強欲だから、プルスラスたちがスノウという器の中で一つになったと知っても、なにかしらの願いを叶えるため、白水晶を目指すと思ったから。目指さなければ、別の理由も付けようとも考えていたよ。でも、教えなくてよかったみたいだ」
カイムからもう一度窓の外を見て呟けば、当然なぜだと疑問がわく。だが、ニオはカイムの問いより先に理由を話した。
「あの三人と過ごした四年間と、スノウと過ごした半年と、君たちの旅。そこで、君はスノウへ親が子へ与えるような愛情を手にしてくれた。激情と言ってもいいかもしれない。とにかくそれは、白水晶の力を得てしまったワンがスノウを殺したことで、君が魔人へと目覚めるきっかけとなってくれた」
カイムは、不思議と怒りがわかなかった。スノウは死んでしまい、白水晶は夢を叶える物ではなかった。そして、夢はとうの昔に叶っていた。ただ、自分が馬鹿だったから気付かなかったのだと、認めてしまっていた。
そんな熱の冷めたカイムへ、ニオはこっちに来てくれと呼びかける。すでに体のすべてが回復し、両目とも深紅に染まり魔人となったカイムは立ち上がると、窓の外を見るように促された。
――また、面倒なことになっている。だから世界が嫌いなのだ。それに、ため息ひとつじゃ済みそうにない。
「なにが、どうなっていやがる」
「世界が、終わろうとしている」
おそらく大聖堂の上層から見える光景は、悪夢そのものを現実に映し出したかのようだった。
空は真っ赤に染まり、地はいたるところが裂けて、エレナの街中には赤目の悪魔たちと、騎士たちが戦っている。よく見れば、ニードとサナも飛び回りながら悪魔たちと戦い、ナインが指揮をしているのか、この大聖堂を死守するためのバリケードが築かれている。
「エレナの住人は大聖堂に避難してもらったよ。でも、おそらくこんな現象が世界各地で起こっている。もう数日としないうちに、この世界と魔界はぶつかり合い、消滅するだろうね」
「それが、白水晶の力――意思か」
「そこに黒水晶の力も加わっているよ。二つの水晶がアガリアレプトかワンのどちらかの体の中で完全に一つになるまでが、タイムリミットだね」
「神とやらはなにもしないのか」
「言ったろう? 神でさえも創ったことを後悔するほどの存在だって。神界に被害が及ばないようにするだけで精いっぱいだろうね
」
世界が、終わる。夢も悪夢も、願いも祈りも、争いも確執も、昨日も今日も、明日も無に帰す。ただの、水晶のせいで。
「ボクは、君を騙していた。真実を隠していた。いいように利用させてもらった。その結果が、これなわけだ」
まったく、世界の始まりから生きているというのに、世界の終りに加担することになるとは。カイムが知る中で、ニオが初めて悔しんでいる。それでも、ニオは諦めてたまるかと、自分を鼓舞した。カイムへ必死に詰め寄りながら。
「君になら、殺されても構わない。いいように扱われても構わない。なんだってする。なんでもあげる。だから――世界を救ってほしい」
スノウもいなく、プルスラスも、アモンも、バルバトスもいない世界に意味はあるのか。カイムの足りない頭の中に天秤が現れると、片方へ失った大切な物全てが乗った。ガクンと傾いた天秤は、もう戻りそうにない。しかし、カイムはもう片方へ乗せてみる事にした。今までの人生と、三人との時間と、スノウを見守ってきた日々を。
そうだな……こんな世界、糞と同じだと思っていた。理不尽すぎると思っていた。生きていても仕方ないと思っていた。
だが、そればかりだったろうか。世界は、そんなにつまらないものだったろうか。
「――俺の荷物は、どこにある」
この現状とかけ離れた言葉に、ニオは困った顔を浮かべるばかりだった。仕方がないので部屋を見渡せば、すみにスノウのリュックと一緒に、鞄が置いてある。その中からサタナキア譲りの赤いキセルを取り出して、たしかここにしまっておいたはずだと漁れば、手のひらの半分ほどしかない布袋をつまんで、封を解いた。中には、スノウがくれたプレゼント――高級な刻みタバコが詰まっている。それをキセルに詰め込んで、マッチで火をつけると着火し、深く、深く吸った。
「悪くないな」
とても、カイムが買っていた安物とは違う。もう一度深く吸って、吐き出す。なぜだろうか、スノウの意思がとても近くに感じられる。それに、
「これが吸えなくなるのは嫌だ」
プカッと、上質な香りのする煙を吐き出して、最後の一口を吸う。終わってほしくない程に、いい味が染み渡る。
「この刻みタバコ一生分だ」
灰を落とすと、ニオへ語りかける。この刻みタバコを、この先死ぬまで寄越せと。
「世界が終わったら、キセルも吸えねぇからな。それに、あの三人と――スノウと過ごした日々を思い出せなくなるのは、御免だ」
世界を救ってやる。そうと決まれば、エレナ中から剣の類をありったけかき集めるために部屋を出ていく。
「どんな奴が相手なのかわからねぇ以上、持てるだけ剣は持っていく」
天秤は、もう片方へ傾いた。キセルの煙と共に。
悪魔どもが暴れるエレナから、質のいい剣を六本持ってくると、全てに縄をひっかけて、背中に背負った。全部でいくらするのか知らないが、世界の危機に、武器屋はタダで渡してくれた。
「いいかい、白水晶と黒水晶は魔界にある。その魔界に行くには、裂けた地面を飛び降りるだけでたどり着ける。でも、帰ってこられる保証も、なにが待ち構えているかも、勝ち目があるのかさえわからない。ここにいる中で君が一番強いから希望があると思っているだけで、なにもできないかもしれない」
それでも、行ってくれるのかい。大聖堂でニオの質問に、固唾を飲んで見守っていたエレナの住人達は、いつしか両手を合わせて祈りを捧げている。水晶ではなく、悪魔であるカイムへ。
「負けてやるつもりはねぇし、帰ってこられなかったら、魔王になってやる」
だからとっとと行く。もう大聖堂の目の前が裂けていて、底が赤く光っている以外何も見えない。
「正真正銘、最後の戦いだ」
ニオや見守る人たちへ、格好つけるような台詞など口にしない。ただ行くだけだ。行って、全てを終わらせてくる。カイムはほんの少し残ったプレゼントの刻みタバコとキセルを懐にしまうと、なにも言わずに落ちていった。かつて父親が生きた、魔界へと。
裂け目をずっと落ち続けて、赤い光が全てを包んだ瞬間、魔界とやらにたどり着いた。落ちていたはずだが、着地した時に痛みはない。この際気にしないが、周囲には赤く、刺々しい巨大な岩がゴロゴロ転がっている。スノウを幽閉していた岩と同じようなもので、事前にこれらから一つを人間界に持っていって、スノウが生まれる場所を用意していたのだろう。
空を見上げれば、快晴の青空が広がっている。生まれてからずっと浴びてきた日の光は、向こうが人間界だという証拠だろう。そして、ここは魔界だ。そこら中に、人間と姿は変わらないが、赤い瞳で統率のとれない悪魔が蠢いている。知性など持ち合わせていないようで、動物のようにカイムへ意味不明な鳴き声をあげている。鬱陶しいから失せろと深紅の瞳で睨み付ければ、鳴き声を悲鳴に変えて逃げていった。それにしても、
「まるで地獄だな」
血の匂いがする水たまりに、先ほどの岩。高低差の激しい地形に、木の様な地面から生えている真っ赤な葉を付けたいびつな棒。そして、両目が激しく疼く感覚。ここからそう遠くないところに、白水晶と黒水晶はある。方角もぐるっと、見回してから一番痛みが強かった方向だろう。
赤い血の川が流れ、人骨や家畜の死骸が転がっている。人間界の物だろうか。だんだんと、空から人間界にあったのであろうものが落ちてきた。煉瓦や木材などの、建物が壊れて裂け目に落ちた物や、悲鳴を上げて落ちてくる亜人もいる。それも一人や二人ではなく、時間が経つのと比例して増えていった。落ちてきた人々は、魔界に残っている悪魔に襲われ、食われている。犯されている女もいる。必死に戦おうとする騎士もいる。いちいち助けていたらきりがないので、本丸である二つの水晶へ急いだ。
邪魔する悪魔は睨み付けて追い払い、襲ってくる悪魔は剣で相手をする。サタナキアが残した魔人という力ならば、どんな悪魔が相手でも数秒でケリがつく。ようやく、この赤いロングコートに血が混じった頃、赤と紫が入り混じる小高い山を登れば、刺々しい岩に囲まれた広場に出た。地面は土と違う、顔料を混ぜてそれをぶちまけたような色合いであり、足で踏んでみたら、固まっている。
その広場の奥、石で造られた椅子――玉座に、白と黒の霧がかかっているが、誰かが座っていた。水晶の感覚はこいつから発されており、広場に入れば、すぐに剣を抜いた。
「そのまま座っていろ。一刀で殺してやる」
切っ先を向けて脅すが、玉座に座っていた誰かは立ち上がると、声が聞こえてくる。サタナキアと。
「残念ながら、俺はサタナキアじゃねぇ。サタナキアの子供だ。それで、てめぇは誰だ」
乾いた笑い声がすると、仇討に来たのかと、霧を払って姿を現した。
「なっ!」
思わず、剣を落としかけた。そこにいたのが、まるで姿見に映った自分のように見えたからだ。乾いた声は、その動揺をあざ笑っていた。
「我の名は、アガリアレプト。貴様の父親サタナキアの弟であり、白水晶と黒水晶をこの身に宿し、魔界と赤い瞳であり、威圧感もワンを凌ぐ。しかし、サタナキアの弟と聞いて、カイムは笑ってやった。
「魔人になってみて分かったが、てめぇはただの悪魔みたいだな。人間の成長能力と、悪魔の元々与えられていた力。その二つが入り混じった俺を、倒せるのか」
「いつも、そうだった。サタナキアは我より強く、ルシファーからの寵愛を受け、知性のある悪魔からは称賛されていた。そして人間界に侵略に行けば、魔人とやらに生まれ変わり、魔王すら殺した」
本当に、本当に妬ましいと、アガリアレプトは歯ぎしりをしていた。いつも自分を超える兄、サタナキアへの嫉妬で。
「だが、奴は死んだ。我も、水晶に自我を奪われずに力を得た。果たして、魔人とやらで勝てるかな」
試してみるさ。カイムはアガリアレプトへ歩み寄れば、アガリアレプトは光を集めて赤いソードリオンを創りだした。
「天使の力すら得ているのだ。そんな人間が作った剣などでは、相手にもならない。さて、サタナキアが見た夢――お前という存在を、消し去ってやろう」
「御託はもういい。とっととケリをつけるぞ。世界を救いながら、親父のケツを拭いてやる」
六本ある内の一本で斬りかかり、ついに戦いが始まった。魔人と魔王。世界を救うのも壊すのも、悪魔に託された。




