ナンバー3
過去を抱えていくか、今手にしている物を大切にするか、未来に夢を見るか。そんなことを考えていると、どうにも決まらないと、自然と口に出ていた。
「なに、が?」
今ある大事なものが、いつものように見上げてきて、そんな事を言う。お前のことだよと口にできればスッキリするだろうに、まだ捨てきれない過去と、水晶があれば叶う未来が、口を縫い合わせる。
「大人にはいろいろある。それだけだ」
疑問を浮かべているスノウがなぜ、こんなにも心の中で大事に感じるのか、どうしてもわからない。バベルの塔で岩の牢獄から助け出してからというもの、カイムの大切なものに半年で成り上がった、スノウという存在。
似ているからかもしれない。姿形は全然違うが、どこか似ているのだ。あの――
「見えてきたよ……なにしてるの?」
「あ……」
過去に想いを馳せるから、またしても手を空に向けて伸ばしていた。また虚空を掴むのか? と自問自答をしそうになったが、丁度いい置き場所があった。
「どう、したの?」
「少しだけこのままにしておいてくれ」
虚空を掴んでいた手のひらは、スノウの純白な頭に置かれた。暖かく、サラサラな髪の毛はさわり心地がいい。髪は女の命だとかのたまっていた女がいたが、スノウは特に気にしていないようだ。
「そろそろ切るべきか」
撫でながら肩より下へと伸びて白いリボンで結んである髪ばかり見ていたら、スノウが指を指していることに気が付かなかった。
「あっち、アラムの森って、看板に書いてあった」
その看板はとうに通り過ぎてしまっていたが、前をしっかり見やれば、童話かなにかに出てくる魔女が住んでいそうな鬱蒼とした森がある。一応鞄の中にニオからの紹介状はあるが、道と違ってなんのしるべもないから、どうやったらスリィのところにつくのかわからない。
どうしたものか。アラムの森に入る木々の前で腕を組んで考えてみるも、カイムの頭ではろくな案は浮かばない。この寒い中、二人とも病気にならない悪魔だからと野宿をしてきたが、そろそろ布団か、せめて冷たい風のないところで眠りたい。
「お馬さん?」
突然スノウが足元を見てそう言えば、足跡だよと視線を促した。確かに、馬の足跡が森の中へと続いており、踏まれた落ち葉や折れた枝などで、地面が見えなくてもある程度の方向はわかりそうだ。
「お手柄だが、これからは上を向いて歩け」
「なんで?」
「下ばっかり見ていても、たいしたものは見つからないからな。前を向いていれば、なにかとチャンスが見えてくるものだ」
そうやって生きてきて、そうやって大切なものも手にした。ほかの似たような野良犬たちが下ばかり見て、落ちている金を探していても、カイムは前を向いて、どうどうと金をひったくるか、盗むか、それとも喧嘩で奪うか、とにかくそういう風に生きてきた。カイムの人生を真似ろとは絶対に口にしないが、いつだって前を向いていてほしい。ちょっとした、子供へのアドバイスだ。
「まあ、今回は下に金が落ちてたってことにしておくか。行くぞ」
コクリと頷いたスノウを連れて、馬が歩いたのであろう森の道を進む。進めば進むほどに日の光が届かなくなるほどに薄暗くなっていき、スノウは怖いからか、カイムの手を握っていた。どんな猛獣が出ようと野生化したレッドアイが出ようとどうにでもなるが、毛虫の類だけはごめんだ。ミミズや蛇など、とにかく細長くてニョロニョロしている連中だけは、悪魔になっても苦手だった。
「あ、芋虫さん」
「!」
噂をすれば何とやら、とは少し違うが、カイムは猫の用に飛び退いた。スノウは丁度視線にある葉の上にくっついている芋虫に、無邪気な笑顔でこんにちわなどと喋りかけている。
「どけ、なますに斬り刻んでやる」
マックダフの打ってくれた剣がこんな場面で初お披露目となるとは。左目の眼帯も外して、本気で叩き斬ってやろうと剣を振り上げるが、背後から笑い声が聞こえた。
「虫一匹になにしているんだい? 君はサタナキアの子だろう?」
聞き馴染んだ声に振り返れば、木の上から懐かしい顔が微笑んでいる。
「だったら、てめぇが殺せ」
「仕方ないね。放っておいたら、お茶畑が荒らされるかもしれないし」
木の上からカイムとスノウの間を一本の矢が走り抜けると、芋虫は串刺しになっていた。
「流石はハイエルフだな。それにしても、なんでここにいる」
木の上から器用に降りてきたニオ・フィクナーは、緑色の瞳にカイムたちを映すと、遅いからだと文句をたれた。
「アインヘルムで紹介状を渡してからどれだけ時間が経っていると思っているんだい。スリィからの返事がないから心配して馬で来たんだよ」
「その心配は、俺たちにか? スリィにか?」
もちろんスリィに決まっている。カイムは殺しても死なないようだし、スリィもワンを退ける力があるしと。
「それで、ずいぶんと日数をかけてここまで来てもらったわけだけども、悠長に過ごしてはいられないかもしれない」
どういうことだ。聞き返せば、スリィも交えての方がいいと、ニオに連れられて森を行くこと数分、二階建てだが横に広がっている、赤い屋根の屋敷へと到着した。
「まぁ、まずは入って体をあっためなよ。その様子だと、冬なのに野宿していたようだしね」
そうさせてもらう。いい加減背負っているリュックも重たくて降ろしたかったので、大扉をあけて、スリィの屋敷に入った。
「スリィ―! あの二人がやっと来たよ!」
そんな大声出さなくても聞こえるだろうと耳がキーンとしたが、その理由はすぐにわかった。
「すみません、私は耳が遠くて。ええと、話には聞いております。お二人とも、悪魔だとか」
丁寧な口調で耳の尖った姿はエルフのものだったが、エルフの中では見たこともないほどヨボヨボで、杖をついている。
「ハイエルフは、成人すれば姿があまり変わらないんじゃなかったのか?」
「そこらへんもまとめて話すよ。目の前の問題と、ボクたちのいる世界がどうやって創られたかもね」
フラフラとしながらも、杖をついてキッチンから自家栽培しているという紅茶を持ってきてくれた。酒がいいと言おうかと迷ったが、どうせないだろうから、キセルを取り出した。だが、
「ダメだよ。スリィはもう歳なんだから。キセルの煙だって体の害になるからね」
そう言われてしまうと言い返せないのでしまうと、ニオがさて、と前置きをしてからカイムとスノウへ視線を移す。
「なにから聞きたい?」
まったくいつもの調子だなと、長い付き合いだが肩をすくめてしまう。
「ならお前らのことを聞かせてもらう。同じハイエルフにしては、見た目……老け方が違わないか?」
聞いた限りでは、ニオはハイエルフとして数千年を生きているというのに見た目は二十代か十代後半だが、ハイエルフであるのにスリィはあの世に一歩踏み込んでいるほど老けている。
「女性に歳を聞くのは失礼に値するんだけれども、この場合は仕方ないかな」
紅茶を一口舐めたニオは、もう五千年は前の話だと言いだした。
「神界に住む神様がね、一つの世界を創ったんだ。理由は簡単、創ったことのない生き物を創るために、まずは生きていける場所を創ったんだ。そして、ボクや何人かのエルフ、それからドワーフが作られた。けれど、神様は一つ間違いを起こしてしまったらしくてね。その時に生まれた生命――ボクを含む、その時に生み出された生命体は寿命がなく、老けることもなかったんだ。それが、ボクとスリィの違いかな。ちなみにスリィは三千歳だよ。それで話を戻すけれど、歳をとらないのなら成長も遅くて、変化が乏しい。でも、神様も長い時間をかけてボクたちを観察し、新しい生命体を創りだした」
なんだと思う? と、真剣な面持ちから、いつもの調子に早変わりする性格というか度胸というか、見習えそうで見習えない。なにせ本当に世界の始まりから生きていたのだから、見習うだとかの次元ではないのだろう。しかし、神とやらがなにを創ったのか。
「天使か?」
神界に住まうという、人々を導く光の使者。サタナキアと共に戦ったのも天使だからと答えたが、その真逆だと指を振った。
「力と知性を持ち、世界を導いていけるだろうと創りだされたのが、悪魔なのさ」
質問の前から、どこをどう聞けばいいのかわからなくなってくる。突拍子がないというか、五千年などと言われては想像もつかないし、悪魔を創った、というのもおかしな話だ。人間界を侵略した悪意の塊のような連中なのに、神が創ったとは。カイムはしばらく唸って額に手を当てて一つ一つ頭に入れて咀嚼していくと、どうにか現状がつかめた。だが、そんな話を聞かされても、この世界では悪魔も魔界に押し込まれて、亜人たちが生きている。それでもニオは、ここからが重要だと、もう一度真剣な顔になる。
「ボクたち最初の生命体が生まれる前、神様はその力をほとんど使い、二つの水晶を創ったんだ」
「二つ?」
「そう、白水晶と、対になる黒水晶をね。まだ世界しか創ったことのない神様は、さじ加減がわからなくて絶大な力を与えすぎてしまったと後悔していたよ。そして、その二つが交われば、神の力でも防ぐことのできない大災厄――魔界と人間界の壁が破壊され、悪魔たちが攻め込んできて、数日としないうちに、人間界と魔界がぶつかり合って対消滅する。だから神様は新たに創った生命体のない世界――この、人間界に白水晶を封印し、黒水晶は魔界に封印した」
だが、それも間違いだったとニオは続けた。
「悪魔たちは負の感情を撒き散らし、争いを止めず、下品な生命体と神様から見捨てられて、魔界に封じ込まれた。ボクを含む僅かな生き残りは人間界に転移させられ、新たな生命体として人間を創った。でも、魔王ルシファーが黒水晶を見つけ出したことで絶大な力を得て、神様が創った防護壁を破壊して、この世界に侵略してきた。それが三十年前のレッドレインさ」
少し時間をくれ。カイムは話し終えたニオを手で制してこめかみにしわを刻むと、覚えておくべき事と忘れても構わないことに分けた。
「要するに、人間界と魔界に白と黒の水晶があるということか。だが悪魔どもが魔界にいる今なら、その二つが交わることもない」
世界の成り立ちについては知ることができたが、それがなんだというのだ。今、ここにある世界、ここにある命を全うすればいいではないか。
「そうも、いかないのですよ」
ここまで椅子に座り紅茶を口にしていたスリィは、ハイエルフ特有の緑色の瞳にカイムとスノウを映した。
「問題は二つあるのです。一つは、魔界と人間界の境目が削られているということ……あなたの父親、サタナキアと二人の天使がルシファーを打ち破った後に、魔王の座についたアガリアレプトが、黒水晶を見つけたのです。ルシファーに酷使された黒水晶には白水晶の半分も力は残っていませんが、時間があれば、いつしか人間界との境目にある防護壁は破られます。それに、二つの水晶には自我があります。白水晶を得たことによる力の代償に、意識を乗っ取られるかもしれません。二つの水晶は意識を乗っ取った体を使い、一つになろうとひかれあうでしょう……ナンバーズといえど、手にするのは危険です」
スリィは話し終えると咳き込んだ。心配するようなニオとスノウを見て、カイムはキセルを取り出しかけて、思いとどまった。しかし、重要なことは頭に入った。
「なんとなく分かった。魔界の悪魔どもと、白水晶の危険性もな」
分かっていただけましたか。スリィはニオが持ってきた水を飲んで落ち着くが、世界や意思を乗っ取るなど、どうでもいいと、カイムの瞳が告げていた。
「分の悪い賭けほど、勝ったときの勝ち分は増える。勝負事の鉄則だ。だから、一切の躊躇なく、後悔もせず、白水晶を手にする。そして夢を叶える。年寄りに長い事喋らせてなんだが、俺は諦めない。白水晶を手にして夢を叶え、なんなら、親父を殺したアガリアレプトとかいう悪魔も殺してやる」
スリィは茫然としていた。目の前にいる男はなにを言っているのかと、理解できていない表情だ。ニオは、やれやれと呆れているが。
「けどね、問題はもう一つあるんだ」
スリィをそのままに、ニオは非常に面倒なことを話した。白水晶が発見され、エレナへ運び込まれたと。ならもう終わりじゃないかと、カイムは全力で机を叩こうとしたと時だった。まだ猶予は十分にあると。
「神様でさえ創ったのを後悔する代物だよ? 当然、神様が防護壁で包んでいる。でも、近いうちに防護壁は壊されるだろうね。シックスの指示のもとに衝撃が与えられ続ければ、いつか、壊れる」
ならば取るべき行動は一つ。一日でも早くエレナへとたどり着き、シックスを殺してでも奪い取る。野良犬の頃によく使った手だ。
「そうだね、君なら白水晶如きに怯むとは思っていなかったよ。それでも、スリィがどうしてもっていうからさ」
「……私は、教会の権力とナンバーズという地位で、種族間の争いや混血と純血に別れた世界に平和を取り戻したいだけなのです。そのために、白水晶を使おうとも考えていました……ですが、私ではシックスにもあなたにも勝てない。所詮は、年寄りの冷や水だったようですね」
落ち込むことはないよと、スノウが項垂れたスリィの頭を撫でていた。その手をスリィが取ると、たとえ悪魔でも、こんな小さな子供くらい自由に、安心して過ごせる世界が欲しかったと、悲しげな声で嘆いていた。
「それでは、好きな部屋を使ってください……。私は少し休みます」
そう言って、杖をついて、先ほどよりもヨロヨロとリビングを出て、廊下を歩いて行った。
「悪い事をしたっていう、そんなことは思わないのかい?」
「そんな弱気で、俺の夢が叶うはずないからな」
相変わらずだね。ニオはため息を付くと、スリィが廊下の先にある部屋へ戻ってから、あと一つだけ知っておいてもらわなければならないことがあると、人差し指を立てた。
「さて、なんでしょう」
「ええと……」
「こいつを相手に真面目になるな。とっとと話せ」
面白くない男だ。ニオは肩をすかして、指を戻した。
「一人だけ、水晶の教会に内通者がいるよ。だから、見つかった白水晶の防護壁の破壊作業は遅くなっている」
「そいつは誰だ」
聞くが否や、すぐに正体を探る。しかし、答えられないと首を振った。
「どんな経路で知られるかわからないからね。でも、決して君たちの邪魔はしないから、そこらへんは心配ご無用さ」
さて、今伝えるべきことは伝えた。ニオは立ち上がると、もうここを出るという。まだ行くべきところが残っているからと。
「白水晶の防護壁を破壊する作業は更に遅らせるように伝えておくから、ゆっくり来てもらって構わないよ」
そうして緑色のコートを羽織ると、カイムとスノウを見て、なぜか微笑んだ。
「これだから世界は面白い」
なんのことだと追求しようとすれば、逃げられて、馬に乗って森の中を駆けていった。
「あれで五千歳とはな。まだ年頃の娘みたいな雰囲気だというのに」
とにかく、雨風しのげる寝場所は手に入った。だが一日休んだら出よう。いつ白水晶の防護壁が破壊されるかわからないからだ。